贈り物
1896(明治29)年1月11日土曜日、午後2時45分。
私は花御殿の居間で、シャーロック・ホームズの短編集を開いていた。
本当は、第2土曜日なので、宮中で梨花会が行われている時間だ。けれど、今日は欠席させてもらった。お正月も、お父様とお母様、それから、青山御所の皇太后陛下にはあいさつしたけれど、花御殿で新年のあいさつを受けるのは遠慮させてもらい、静かに過ごした。梨花会の皆からの年始の挨拶も、伊藤さんと大山さんと親王殿下以外は、丁重にお断りした。
側に誰かがいなかったら、爺が逝ってしまった悲しみに、完全に打ちひしがれていたかもしれない。だけど、爺が亡くなった後も、兄がずっと私の側にいてくれた。兄は、ぽつぽつとしか話せない私の言葉を、文句も言わずに聞いてくれ、時々“泣いていいのだぞ”と言いながら、私を抱き締める。爺が亡くなった直後は、そのたびに涙を流していたけれど、今は少しずつ、痛みが癒えてきて、“大丈夫だ”と兄に答える回数が増えてきた。
だけど、今日の梨花会に出席したら、お父様の側に爺が控えていないことに気が付いて、また私は泣いてしまうだろう。それは、淑女としてはいただけない。涙を流さずにいられる自信がないので、今日の梨花会は欠席させてもらった。
明後日からは華族女学校が始まる。登校したら、少しは気が紛れるだろうか。異母妹の昌子さまにも華族女学校で顔を合わせるだろうから、しょげているところを見られてしまったら、彼女を心配させてしまう。もちろん、こんな私を見たら、節子さまもとても心配してしまうだろう。
(少しは、元気にならないといけないけれど、休憩する時間が、もう少し欲しいな……)
そう思いながら、洋書のページをめくった瞬間、たくさんの人がこちらに近づいてくる気配がした。
(な、なに?何かあったの?)
花御殿に、不審者でも侵入したのだろうか。居間の隅に立て掛けてある竹刀を手に取ろうと立ち上がると、
「梨花、いるか?」
兄の声が廊下から聞こえた。
「あ、うん……」
どうやら不審者ではないらしい。ほっとして、気の抜けた返事を返すと、廊下に面した障子が勢いよく開け放たれた。
「おう、ちょいと遅れちまったけど、新年おめでとう」
黒いフロックコートを着た勝先生が、軽い足取りで居間に入ってきた。
「え……」
呆気に取られていると、
「うむ、やはり、吾輩の命の恩人の美しいお顔を見なければ、一年が始まらん」
「その通りです、大隈閣下。ああ……増宮殿下、新年、誠に、誠におめでとうございます!」
大隈さんと後藤さんが、勝先生に続いて居間に足を踏み入れた。
「少し、お痩せになられましたか……?いえ、増宮さまの前世が医師であった、ということは、重々承知しておりますが、“医者の不養生”とも俗に言いますし……」
山田さんは、心配そうな顔で私を見つめ、
「さよう、殿下にお倒れになられては、我々も困ります」
松方さんも渋い表情で、重々しく頷いた。彼らの他にも、伊藤さんと大山さんはもちろんだし、西郷さんや親王殿下、三条さんに井上さん、桂さんに児玉さんに山本さん……主だった“梨花会”のメンバーは、この場に顔をそろえているようだ。
「あの……みんな、どうしたの?梨花会は?」
「早めに終わったよ」
私の質問に答えた制服姿の兄が、私に微笑んだ。「お前が来ないというから、皆、落胆してな。終わったとたんに、お父様とお母様以外の全員がこちらに直行すると言い張った。今、車寄せがすごいことになっている」
「え……?」
「当たり前でしょう」
西園寺さんが優雅に首を縦に振った。「増宮さまがいらっしゃらないから雪が降ったと、皆で心配してですね……」
「雪?!」
昨日は暖かかったけれど、今日は冷え込む。雪が降っているなら道理だ……と思いながら、人垣をかき分け廊下に出て、空を見上げると、青空には雲一つ見当たらなかった。首を傾げる私に、
「ふふっ、引っかかった」
西園寺さんが悪戯っぽく笑いかける。
「もう!冗談はやめてください!」
西園寺さんに抗議すると、
「天候の変化も分からんほど、ずっと部屋に籠られていた、ということですか……」
三条さんが寂しげに微笑した。
「では、せめて、食堂までは、お出ましいただきましょうかな」
「ですねぇ。俺、増宮さまが淹れたお茶が飲みたいです」
いつの間にか私の両隣にいた西郷さんと井上さんが、私のそれぞれの手をがっちり掴んだ。
「ちょっと……そんなの、誰が淹れたって変わらないでしょ!花松さんに……」
淹れてもらいます、と言おうとした矢先、多数の視線が私に突き刺さった。その場にいる全員が、じっと私を見つめている。“花松どのに茶を淹れてもらうなど許さない”と、全ての眼が雄弁に語っていた。
「わかりました。お湯を貰うか、沸かすところから始めないといけないから、しばらく待って下さい。人数も多いし、お茶菓子もあるかどうか聞かないと……」
「ご安心を。既に湯も湯呑みも、急須も茶葉も準備してもらっています。もちろん、茶菓子もです」
我が輔導主任が、満足げに頷きながら報告してくれる。そこまで手を回されてしまっては、もう逃げられない。
「はぁ……じゃあ、みんな食堂で待ってて下さい」
ため息を盛大につきながらお願いすると、何故か大きな歓声が上がった。
(なんで、こんなことで喜ぶかなぁ……)
そう思いながら一同を見渡すと、私を辛そうに見る目に気が付いた。山縣さんだ。
「山縣さん、どうしたの?」
私は西郷さんと井上さんの手を頑張って振りほどくと、山縣さんの側に駆け寄った。2年以上前になるけれど、彼と上野に遠乗りに行った時に、“山縣さんが辛かったり、苦しかったりしたら、私のことをずっと見ていてください”と言ったことがある。不思議なことだけれど、彼は、私のことを見ていれば心が慰められる、と言うから、“では、辛かったらそうしてください”と答えたのだ。
「もしかしたら、何か悩み事があって辛いんですか?」
「いえ……そういう訳ではないのです」
顔を見上げた私に、山縣さんはそう言って、軽く首を横に振った。
「え?」
「ただ、増宮さまがお辛そうなので、どうすればお心をお慰めできるかと……」
(あ……)
――わしにとっては、美しく愛らしいお方ですし、それに、例えそうでなくても、……お心をお慰めしたいお方であるのは変わりありません。
その遠乗りの時に、山縣さんが私に言った言葉を思い出した。
「そっか……」
私は少しだけ、笑ってみた。
「そうですね、少しは、元気にならなくちゃいけないですね。……ありがとうございます、山縣さん」
山縣さんに頭を下げた瞬間、とても大事なことを思い出して、私は慌てて顔を上げた。
「そうだ、山縣さん、和歌のことなんだけれど、どうしたらいいですか?」
そう尋ねると、山縣さんは狐につままれたような表情で私を見た。
「あ、あのですね、お父様が、私の和歌は、山縣さんに見てもらえって……」
すると、山縣さんの眼から、涙が溢れだした。
「え?!ちょっと、山縣さん?!私の和歌を見るの、そんなに嫌ですか?!」
「違います……」
山縣さんは声を震えさせながら答えた。「皇恩のかたじけなさに、感泣している次第でありまして……」
山縣さんは目頭を左手で押さえた。指の隙間から、涙がしたたり落ちていく。
と、
「なんで、わしやないのや?」
珍しく、不満げな表情になった三条さんが、一歩前に進み出た。
「確かに。それに、和歌は勝先生もお詠みになりますし、原君も詠むのではなかったですか?」
黒田さんも両腕を組む。
「おれの歌は自己流だから、人に教えられる程じゃねぇよ。三条さんや原の方が上手いだろう」
「いえ、わたしは、俳句の方が得意でして……」
両肩を竦める勝先生に、原さんがあくまで低姿勢を貫きながら返答する。原さんのことだから、“わたしは和歌も詠めるのだぞ、主治医どの”などと、後で大きな顔をされてしまうかもしれないけれど、もしそう言われても無視することにした。
「それならば、僕も、頑張れば何とか……」
なぜか右手を握りしめる西園寺さんに、
「君は和歌より、漢文の方が得手と違うのか?」
三条さんがツッコミを入れる。いつも穏やかな三条さんが不満の色を前面に出しているので、場の雰囲気が刺々しくなっていた。何とかして止めないとまずそうだ。
「あのですね、三条さん」
私は右手を軽く上げた。「山縣さんになったのは、爺がお父様に進言したからだと思います。私も、なんで爺や三条さんじゃないのか、って聞いたんです。そうしたら、爺が“罪滅ぼしです”って……」
「罪滅ぼし?」
「10月の梨花会で、お父様が、私と大山さんが仲違いしたままだったら、山縣さんに東宮武官長をやってもらうと言ったけれど、実際はそうはならなかったから、その罪滅ぼしに……って」
すると、
「なるほどねぇ」
三条さんは盛大にため息をついた。「堀河どのの言うたことなら、しょうがないなぁ。あの人は、わしより和歌が上手やったお人や。将来のことも考えて、そう言うたんやろなぁ」
三条さんの険しい顔は、そう言い終わった時には和らいでいた。周りの空気も穏やかなものに変わっていく。
「はい、なのでごめんなさい、三条さん」
私はほっとしながら頭を下げた。これで、私が山縣さんに和歌を見てもらうことに、障害は無くなっただろう。
「……じゃあ、お茶を淹れてくるから、みんな、食堂で待っててくださいね」
再び湧き上がった歓声に、
(騒がしいのも、悪くはない、かな……)
爺が亡くなって以来、初めてそう思うことができた。
1896(明治29)年1月26日日曜日、午後1時。
満13歳の誕生日が無事に迎えられたことを報告するため、久しぶりに参内した私は、お父様とお母様、それと伊藤さんと大山さんと一緒に、昼食をいただいていた。普段、参内するときは和服に女袴なのだけれど、今日は昼食のメニューが西洋料理だからということで、例のミントグリーンのドレスを着て参内した。もちろん、お化粧も花松さんにしてもらったし、真珠のイヤリングとネックレスも、今回は事前に付け方を確認したので、自分で付けることができた。それなのに、馬車に陪乗してくれた大山さんは、私の姿を見て、
――今回は、ちと物足りないですな。
と言って、少し寂しげに微笑した。アクセサリーを自分で付けられたのだから、淑女としては、少し経験値を増やせたと思うのだけれど……。
そんなことを考えていると、
「梨花会に来なかった時はどうしたものかと思ったが、落ち着いたようだな、章子」
お父様が私に言った。
「はい……ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
デザートの挽茶入氷菓子……要するに、抹茶アイスなのだけれど、それを掬っていたスプーンをいったん置いて、私はお父様に丁寧に一礼した。
「先週、忍城跡に……じゃなかった、忍町に、コホート研究の進捗状況を視察しに行ってきたので、だいぶ気が紛れました」
「そのようだな。今更言い直しても遅いが」
お父様は苦笑し、お母様は「あらあら」と呟く。
「よい刺激になったのではないかと思います。あれ以来、お顔色が明るくなられました」
「だからと言って、忍にレーニンがいるのは反則だよ」
大山さんの言葉に、私はため息をついた。
三浦先生に誘われたので、先週の日曜日、彼と大山さんと一緒に、ヴェーラがいる忍の研究所に視察に行った。ヴェーラは私に相変わらずのキツイ物言いをしたけれど、私は全く気にならなかった。そして、研究所には、外国出身と思われる青年がいて、私たちがヴェーラと話している最中も、ヴェーラに独楽鼠のようにこき使われていた。
――坊や、ご挨拶なさい。この子、綺麗だけどサムライでこの国の皇族よ。
ヴェーラが、彼に私のことを滅茶苦茶に紹介したら、
――初めまして。ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフと言います。
と、大量の書類を抱えたレーニン……じゃなかった、ウリヤノフさんが流暢な日本語で答えたのだ。何も知らない三浦先生がいたので、驚きを必死に隠しながら、初対面のご挨拶をしたけれど、山梨に孫文さんはいるし、忍にレーニンことウリヤノフさんはいるし、ロシアの皇帝暗殺犯のヴェーラもいるし……この国が革命勢力に乗っ取られないか、とても心配になってしまう。まぁ、その辺は梨花会の面々が上手くやってくれているのだろうけれど。
「梨花さまが以前、本名を教えてくださったので」
大山さんがクスリと笑う。「危険人物はなるべく回収しておこうと思いまして」
「でも、大山さん、レーニンがいなくなっても、共産主義革命の母地が残っているなら、第2、第3のレーニンが出てくるかも……それに、スターリンだっているでしょう?」
「ほう、なかなか鋭いご指摘ですな」
伊藤さんが微笑する。「ロシアの革命勢力は壊滅させております。ニコライ陛下即位を機に大々的に始めたロシア国内の政治の誘導も、ほぼ上手く行っております。確かに、ご懸念の通り、新たな革命家が出現する可能性は否定できませんが、その時はその時で、最善を尽くすしかありませんな」
「最善を尽くす手段が、世界規模の謀略って……伊藤さん、情報量が多すぎて頭が破裂しそうです」
「先日も、今月の梨花会の頃に来日したアメリカのスティーブンソン副大統領と、次期大統領選挙について話したと言ったら、そのようなことをおっしゃっていましたな」
「あの時に話したの、それだけじゃなかったじゃないですか……」
私は頭を抱えた。アメリカが海外への過度な拡大路線を取らないように、アメリカ国内のマスメディアを操作して、国民と政治家の目を国内の開発と整備に向けさせるとか……もう訳が分からない。私が生きていた時代なら、そういう謀略も有り得ると自分を納得させられるけれど、まだ明治30年にもなっていないのだ。更に、和製CIAだかKGBだかが世界規模で暗躍していて、そのトップが私の臣下という……本当に、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
「あの、ちなみに、流石に、黄禍論とか排日論とか、そっちの対策には手を出してないですよね……?」
流石に、思想的な潮流については、いくら中央情報院とは言え、抗うのは無理なのではないだろうか。そう思って、試しにこう言ってみたら、伊藤さんも大山さんも、黙ってニヤリと笑った。
(あ……これ多分、もうとっくに何かやってる)
「あ、あの、なるべくなら、死人は出さないでね?」
私は大山さんに、こうお願いするのが精一杯だった。流石と言うべきか、何と言うべきか……。梨花会の面々は、本当に恐ろしい。
「ところで増宮さま」
私の本当に恐ろしい輔導主任が、私に声を掛けた。
「やはりまた今年も、ニコライ陛下とフランツ殿下は、誕生日の贈り物を贈って来たのですか?」
「はい……」
私は大きなため息をついた。「しかも、フリードリヒ殿下も、アブルッツィ公もですよ」
ニコライ陛下から贈られたのは、ティーカップとポットのセットで、オーストリアのフランツ殿下からは、バラの花の砂糖漬けがまた届けられた。フリードリヒ殿下からは小さなガラス張りのジュエリーボックスが、アブルッツィ公からは、何処かの山の頂に、彼自身が立っている写真が贈られてきている。
「今年もまた、菓子器と金平糖で返すのか?」
「はい、そのつもりです、お父様」
「そなたのことゆえ、菓子器はまた、どこぞの天守閣を模すのだろう?」
「よくお分かりで。今年は、大垣城の天守閣です!」
元気よく答えると、お父様とお母様のみならず、伊藤さんも大山さんも一斉に吹き出した。
「ちょっと!みんなで笑わないでください!」
抗議すると、
「いや……本当に、そなたは城が好きだなと思ってな」
お父様が笑いを収めて言った。
「たまには、違う意匠でもよろしいのでは?人によっては、全部同じものに見えてしまうかもしれませんし」
お母様も微笑しながら、こう提案してくれる。
「うーん、城郭マニアとしては、名古屋城も広島城も大垣城も、全然違うものなんですけれど、マニアじゃない人には辛いですかねぇ……」
「“まにあ”というものでなくても、ちと辛いものがあります。我が国らしいとはいえ、もう少し、何か意匠があるでしょう」
伊藤さんが苦虫を嚙み潰したような表情になる。
「まぁ、今年はもう発注しちゃいましたから、来年以降検討してみます」
「期待しておりますよ、梨花さま」
大山さんがニッコリ笑った。ただ、その笑顔には、“来年は違う意匠にしないと許しませんよ”と書いてある。来年の誕生日兼バレンタインのお返しの菓子器のデザインは、真剣に考えないと大変なことになりそうだ。私としては、この時代には残っているけど、私の時代に残っていなかった天守閣を、菓子器で全部コンプリートしたいのだけれど。
花御殿に帰った時にはもう夕方で、兄は夕食の後、すぐに御学問所に戻っていった。私は花松さんと相談して、いただいた贈り物の在り処を決め、自室に戻った。手には、フリードリヒ殿下から贈られてきたガラス張りのジュエリーボックスがある。“今までもらったアクセサリーには全部箱がついているから、ジュエリーボックスなんて手元に置いておいてもしょうがない”と花松さんには説明したのだけれど、
――綺麗なリボンや髪飾りを入れておいてもいいではありませんか。
と彼女に説得されてしまい、仕方なく、居間に置いておくことにしたのだ。
(とはいえ、この中にリボンを入れると、1、2本でいっぱいになっちゃいそうだし、何を入れようかな)
椅子に座り、ジュエリーボックスを眺めまわしながら考えていると、妙なことに気が付いた。ジュエリーボックスの底には、小さなクッションが敷いてあるのだけれど、その脇からほんの少しだけ、紙片のようなものが見えたのだ。紙片は、クッションの下敷きになっているようだ。私はジュエリーボックスのガラスの蓋を開け、クッションをつまんだ。クッションが外れたジュエリーボックスの底には、折りたたまれた紙が敷かれている。紙を取り出して広げると、目に横文字が飛び込んできた。ドイツ語のようだ。私は独和辞書を本棚から取り出すと、書かれた文面とにらめっこを始めた。
10分後。
(ど、どういうこっちゃ……)
私は紙を持ったまま、呆然とした。
※一身上の都合により、投稿日時点で、感想・レビューは受付を停止しております。ご了承いただければ幸いです。
※実際には常宮昌子内親王から下の明治天皇の内親王方は、華族女学校には通学していませんが、拙作では通学しているという設定で話を進めさせていただきます。ご了承ください。
※挽茶入氷菓子、こと抹茶アイスですが、1887(明治20)年の宮中での昼食会で既に出されていたようです(「図説 宮中晩餐会」より)。




