最後の教え(1)
※3話同日アップの1作目です。(2019年9月14日)
1895(明治28)年12月24日火曜日、午後2時半。
「迷惑を掛けて申し訳ありませんでした、お父様。何とか、無事解決しました」
皇居の表御座所。私は華族女学校の授業を終え、一度花御殿に戻ると、お父様の所に参内した。
「あの時は、“兵士を一人、自分に寄越せ”というから、何事かと思ったが……」
椅子に座るお父様の後ろに、爺が控えている。
「医者であったとはな。それを聞いてようやく納得した」
「はい、とってもとっても、大事な人なんです」
私は両腕を組んだお父様に、満面の笑みを向けた。
今月の初め、官報に、第三高等学校医学部の卒業者名簿が掲載されていた。その中に、“史実”でサルバルサンを開発した、秦佐八郎先生の名前があったのだ。
――は、花松さんっ、大山さんを呼んで!大至急お願いします!
びっくり仰天した私は、側にいた花松さんにこうお願いしたのだけれど、大山さんがいつまで経っても現れない。おかしいと思ったら、私が花松さんにお願いして1時間ぐらい経った頃に、フロックコートを着た大山さんが現れた。
――申し訳ありません、今日は信子の所を訪ねていたものでして。
という大山さんの言葉で、その日彼が非番だったことを思い出し、平謝りに謝ったけれど……。
それはともかく、私から秦先生のことを伝え、大山さんに調べてもらったところ、彼がなんと、国軍に志願兵として入隊してしまったことが判明した。そこで、今月の梨花会の時に、“秦先生を私付きの武官に配置換えして欲しい”と、お父様に直談判してしまったのだ。
――章子、まぁ落ち着け。朕よりも、頼むのに適任な者がおろうが。
お父様は苦笑し、私の隣に座った大山さんは、顔を強張らせてしまった。
――国軍の人事権は、俺が持っておりますが。
黒田さんにもクスクス笑いながら言われてしまったけれど、その場で彼や西郷さん、山本さんにお願いして、最終的に、彼のポストは、東京の近衛師団付きの軍医ということになった。……もちろん、最初の段階で、結核が完治した信子さんの嫁ぎ先・三島家を訪れていた大山さんの休日も台無しにしてしまったから、彼に代休を取ってもらうように手配したのは言うまでもない。
「今、森先生がいないけれど、秦先生にはまず、森先生の実験を手伝ってもらおうと思ってるんです。ちょっと今、変な現象が発生していて……」
「変な現象、ですか?」
そう言った爺が、咳をする。
「うん、何もしてないのに、壊血病にしたモルモットが治ってしまって……」
「何もしてないのに、治った?」
「そうなんです、お父様!もう、どうしたらいいかと……」
玄米だけで育てて壊血病状態にしたモルモット……ところが、森先生の不在中、その壊血病モルモットを10匹ずつ選び出し、一群は玄米だけ、もう一群は玄米にミカンの抽出物を加えたエサを与える実験を、ベルツ先生指導の下、東京帝大の学生が行ったところ……両群とも、壊血病が改善してしまったのだ。
「ハワイの森先生が聞いたら、衝撃を受けそう……せっかく確立させた動物モデルなのに……」
ため息をついた私に、
「章子、それは秦に任せればよいだろう。そのために、わざわざ招いたのではないのか?」
お父様が苦笑しながら言う。
「そのため、という訳ではなくて、彼には、抗生物質の合成の研究をしてもらいたくて……。ああ、医科研、本当に人手が足りない。なんで陸奥さん、あんな提案をしておいて、ハワイに行くことにしちゃったかなぁ……」
10月の梨花会は、私と大山さんが引っ掻き回して、散々な結果に終わらせてしまったけれど、結局、その後協議が進み、陸奥さんが予定通りハワイに行くことになり、結核治療薬の投与と経過観察を担当するため、森先生が陸奥さんについて行った。陸奥さんの不在中は、林董さんが臨時の外務次官のような立場になり、青木さんを補佐している。
「そなたに愛想をつかしたのではないか?」
お父様がニヤニヤした。
「その方が気楽なんですけど……。陸奥さんと話すの、すごく疲れるから」
「ふふ、剃刀で切り裂かれるか」
「剃刀ってレベルを超えてますよ、あれは……」
妖刀だ、と言おうとして、私は慌てて口を閉じた。少しでも刀という単語を出してしまえば、このお父様、話題を強引に日本刀関連に変えてしまう。
「そんなことを言っていると、陸奥がハワイから帰ってきたら、散々にやられるぞ。結核も治ってきているだろうからな」
「むぅ……」
お父様の言葉に頬を膨らませると、爺がクスクス笑う。けれど、その笑い声に、咳が混じっていた。
「爺、体調は大丈夫?咳をしているけれど……」
尋ねると、
「大丈夫ですよ」
と爺は答えたけれど、答えたそばからまた咳をした。
「本当?風邪を引いたの?」
「そんな覚えはありませんが……そうですね、数日前から咳が出て、だんだんひどくなっているような気がします」
「やだ……、爺、診察しようか?」
「その方がいいかもしれんな」
珍しく、お父様がこんなことを言った。「美子の所で菓子をもらっている暇など、ないかもしれんぞ」
「陛下、……ご自身がお茶菓子を止められているからと言って、増宮さまに八つ当たりですか?」
「べ、別にそんなことは!」
爺のツッコミに、お父様が少し顔を紅くしながら反論する。
10月の梨花会の時、私は大山さんと並んで、お母様に喧嘩をたしなめられてしまったけれど、その後、お母様のお説教の矛先が、お父様に向いたらしい。
――やはり、陛下があの時、皆をけしかけていたようで、それが皇后陛下に露見したようです。それと、三条どのと勝先生も、陛下に便乗しておられまして……。
大山さんが後日教えてくれたところによると、あの時、お父様は、親王殿下と西園寺さんに、“青山御所から花御殿に侵入しろ”と命じたり、山縣さんに“章子と大山が仲違いしたままなら、東宮武官長にする”と言ったりしたそうだ。三条さんと勝先生も、それを煽ったらしい。それを知ったお母様は、“人の喧嘩で遊ぶものではありません”と、お父様と三条さんと勝先生を咎めた。そして、どういう話の展開でそうなったかは知らないけれど、お父様の3時のお茶には、今年いっぱいお茶菓子は添えない、ということになったそうだ。
天長節の時に参内したら、
――そなたらのせいだぞ!
と、お父様にムスッとされたけれど……私も流石に、そこまで責任は負えない。
「そうだ、それで思い出したが、章子」
「何ですか?」
まさか、“お茶菓子抜き”の復讐をするのだろうか。少し警戒しながら返事をすると、
「そなた、山縣に和歌を見てもらえ」
お父様から、思いもよらぬ言葉が降ってきた。
「山縣さんに、和歌、ですか……?」
「ああ」
お父様が頷いた。「そなたもそろそろ、和歌を学ばねばならん。最初は高崎に任せようかと思っていたのだが、夏に葉山でそなたの歌を見た時、高崎ではいけないと思ってな」
「はぁ……」
私は曖昧に頷いた。高崎、というのは、兄に和歌を指導している高崎正風さんのことだろう。
「あの、お父様、私、和歌が下手過ぎます?」
「そういう訳ではないのです」
爺が言った。やはり、咳をしている。「言葉の使い方……というよりは、言葉に対する感覚ですね。それが、この時代のものとは違っておられるので」
「堀河の言う通りだ。どうも、そなたの歌は、この時代のものではない。そなたの事情を知らねば、歌の心を知ることが難しいだろう」
お父様は難しい顔になった。
「ええと、つまり……私の和歌を、私の時代の人が見れば理解できるだろうけれど、今の時代の人には理解できない所がある、ということでしょうか?」
「平たく言えばそうなる」
お父様は言った。「万葉や平安の昔の歌を紐解くと、やはり今のものとは違う。それと同じように、そなたが未来の感覚で詠む歌も、今のものとは異なる。そなたの和歌の技量そのものも上げなければいけないが、そのためには、そなたの事情を知る者が、そなたの歌を見るべきだ。それで山縣にした」
「そうですか……でも、それなら、爺や三条さんでもいいような……」
確か、爺も三条さんも、和歌は得意だったはずだ。
すると、
「罪滅ぼしですよ」
爺がにこりと笑った。「10月の梨花会の時に、陛下が山縣どのを担がれたゆえ」
「こら、堀河!」
お父様の顔がまた紅くなる。
「なるほど」
私は微笑しながら頷いた。もっとお父様をいじろうかとも思ったけれど、その後の反撃が怖いのでやめることにした。
「章子、分かったら早く美子の所に行け!」
大きな声を出すお父様に、
「かしこまりました。では、山縣さんに連絡を取ります」
と言って、頭を下げながらクスリと笑った。
「爺、本当に大丈夫?」
お母様の御座所には、爺が案内してくれるということになって、爺は私の先に立って歩いている。爺の咳は、相変わらず続いていた。
「お母様の所より先に、医師の詰所に行かない?私も早く、爺を診察したいの」
「大丈夫ですよ、増宮さま」
爺は立ち止まって私を振り返った。「皇后陛下には、陛下が増宮さまに、“山縣どのに和歌を見てもらうように命じた”とおっしゃるのを、見届けるように命じられておりまして」
爺は微笑んだ。肩で息をしているような気がするけれど、気のせいだろうか。
「そう?」
「ですから……先に皇后陛下の所に」
爺は更に言って、また咳をした。
「しょうがないな。じゃあ、先にお母様の所に行くけれど……」
私が唇を尖らせながら言うと、爺は黙って頷いた。
(なんか変な感じがする……)
爺の後ろからついて歩きながら、私は爺の様子を観察していた。爺の歩く速さは、普段より少し遅い。呼吸も荒い気がするし……。
声を掛けようとした瞬間、
「明日は、西洋では、クリスマス、というものですね」
爺が振り返らずに言った。
「え、ええ、そうね」
虚を突かれた格好になった私は、間抜けな返事をした。
「今の時代では、西洋では、家族と過ごす日と聞いていますが……、増宮さまの時代では、どうだったのでしょうか?」
爺が尋ねた。
「クリスマスの前日は……私の時代、日本では、恋人と過ごす日になってた」
私はため息をついた。大体、なぜイエスキリストの誕生を祝う日の前日に、カップルがデートをするのが恒例なのだろうか。彼氏いない歴が、前世と合わせて36年の私には、どうしてもそれが理解できない。
「でも、爺、明日はイエスキリストの誕生日じゃないよ。アイザック・ニュートンの誕生日よ!」
すると、
「アイザック・ニュートン……?」
爺が振り返って、首を傾げた。
「うん、この人がいなければ、物理学は発展しなかっただろう、という人。それで明日、山川先生と田中館先生が、ニュートンの誕生日を祝う会をするんだって。キリストじゃなくて」
「それはそれは」
爺がそう言って微笑する。
「祝う会、って言っても、それを口実にして、皆の1年間の失敗を発表し合って笑い飛ばすんだって。どうも、一番の失敗の提供元は、田中館先生らしいよ」
「ふふ、そう言えば、少しそそっかしいと聞い、たことが……」
爺が激しく咳き込んだ。
「ちょっと、爺、大丈夫?」
私は爺に駆け寄って、背中をさすった。
「余りにも咳がひどいよ。やっぱり、お母様の所より先に、医師の詰所に行こう」
「大丈夫です、増宮さま……」
言った側から、爺の口から咳が出る。痰は絡んでいないようだけれど、息が荒い。
「だめ、先に医師の詰所に行く。爺、苦しそうよ。いつもと全然違うから」
「そんな……」
爺は再び前を向いて歩こうとする。けれど、前を向いた途端、爺の身体がふらついた。
「爺っ?!」
爺のフロックコートを後ろから掴んで、身体を支えようとした瞬間、その身体が、私に倒れ掛かった。
それからは、嵐のように時が過ぎた。
大声で人を呼び集め、東京帝大病院に騎馬で使いを出すよう命じ、馬車を大至急準備させた。“馬車の種類はどうしますか”、と悠長に侍従さんに聞かれてしまい、
「何だって構わない。御料馬車じゃなければいい、一番早く出せる馬車を準備して!」
と怒鳴ってしまった。
床に寝かせたら、爺は少し落ち着いたようだ。でも、呼吸の回数が多い。絶対酸素が必要だけれど、宮中にはまだ酸素が吸えるような設備が整っていない。三条さんのインフルエンザの時は、ベルツ先生が往診し始めた時から吸入できる準備を始めたので、数日後、本当に酸素が必要になった時にすぐ酸素吸入が始められたのだ。そんな下準備もしていないから、爺は、常時酸素吸入が出来る東京帝大病院に連れていくのが最善だ。
大騒ぎの中、お父様の侍医さんが駆けつけてきて、爺の脈を取り始める。
「聴診器、貸して!」
彼の首に掛けてあった聴診器を、私は返事を聞かずにひったくった。私が自分の聴診器を作った時は、自分が生きた時代の形のものを特注したけど、今は同じ形の聴診器が“医科研式”という商品名で市販されている。侍医さんが首にかけていたのは、その医科研式の聴診器だった。
胸部の聴診をすると、予想していたような水泡音や笛声音は聞こえなかった。代わりに聴こえたのは……。
「捻髪音……?」
前世で学生実習をした時に、2、3回しか聴いたことしかない。
(まさか……)
鑑別診断を頭の中で展開しようとした時に、馬車の準備が出来たと声が掛かった。侍従さんや、侍従職出仕の生徒達が、爺を横たえたまま運ぶのに私も付いていき、侍医さんと一緒にそのまま馬車に乗り込んだ。
「飛ばしてちょうだい!」
馭者さんに叫ぶと、馬車は今までに体験したことのない速いスピードで走り出した。ただし、“馬車としては”である。前世の自動車や新幹線の最高速度よりは、もちろん遅い。でも、一度も速度を緩めることなく走った馬車は、侍医さんが爺の身体所見を取っている間に帝大病院に滑り込んだ。連絡が既に行っていたので、病院の玄関には何人かの医師がスタンバイしてくれていた。
馬車から飛び降りると、私の姿を見た帝大病院の医師たちが目を丸くした。
「増宮さま?!」
医師たちの中にいた三浦先生が叫ぶと、「おお……」「この方が……」「やはりご評判通り……」などと医師たちが感嘆の声を上げる。
「ごめん、爺の身体を運ぶのを手伝って!」
言葉を丁寧に使う余裕が無かった。思わず叫んでしまった言葉に、医師さんたちが次々と馬車に取り付き、爺の身体を運び出した。
担架で運ばれる爺の身体に付いて動きながら、侍医さんが三浦先生に爺の状況を引き継ぐ。一通り説明が終わった段階で、三浦先生は私に近づいて声を潜めた。
「状況は把握しました。倒れられるまでのことをご存じなのは増宮さまなので、伺いますが……」
「数日前から咳が出て、段々ひどくなっていると言っていました」
私も小さな声で三浦先生に答えた。「私が2時半に参内した時に、爺はお父様の側にいたけれど、喋るそばから咳をしていました。爺の案内でお母様の所に向かったのだけど、その時にも肩で息をしている感じで、いつもより歩く早さが遅かったです。息切れもしていました。それで、お母様の所より先に、侍医の控え室に行こう、って言ったのだけど、また歩き出したらふらついて、私に倒れ掛かったんです」
「要するに、他覚的な症状としては、咳と、労作時の呼吸困難、息切れということですか」
「そうですね」
私は頷いて、
「先生、気になることがあるんです」
と三浦先生に声を掛けた。
「何でしょうか」
「多分、先生たちの方が上手く所見が取れると思うけれど……両方の肺に、捻髪音が聴こえたんです」
そう言うと、三浦先生の表情が厳しくなった。
「侍医どのもおっしゃっていました。それと、肺の打診で濁音になる箇所がある以外に、目立った所見がないと……」
「そうですか」
私も眉をしかめた。「今の私がやれるのはここまでだから、後は先生たちに任せます。治療の方針が立つまで、病院で待ってます」
「分かりました。大至急、エックス線写真は撮ります。見ていただいた方がよろしいでしょうから」
私は黙って頷き、看護師さんについて、帝大病院の応接室に入った。
どれくらいの時間がたったのだろうか。最悪の想像が的中しないように祈りながら、応接室で独り待っていると、伊藤さんと大山さんがやって来た。
「い、伊藤さんまで?!」
思わず大声を出してしまうと、
「陛下のご命令です」
伊藤さんは答えた。「枢密院の議事の報告に参内しましたら、増宮さまと堀河どのの様子を見て参れ、とご命令を受けまして……」
「そうだったんですね」
私は頷いた。そう言えば、現時点での状況を連絡するのを忘れていた。
「ありがとうございます。気遣ってくれて。そうだ、護麿さんを呼んでもらう方がいいのかな……でも、その判断は三浦先生たちがするものだから……」
「堀河どののご子息をですか?」
大山さんの質問に、
「私の予想が外れることを祈りたいのだけど、もし予想通りだとしたら……」
私は俯いた。
「重篤ということですか」
「想像が当たっていれば、いずれそうなる。しかも、現時点で治療する方法がない。私の時代でも、かなり死亡率が高かった記憶がある」
「!」
伊藤さんの顔が青ざめた。
「まさか……逃れられぬと……?」
伊藤さんが呟いた瞬間、
「増宮殿下」
ベルツ先生が応接室のドアを開けた。
「ベルツ先生」
「読影室に来ていただいてよろしいですか」
私は黙って頷いて、ベルツ先生の後ろに続いて歩いた。既に日は暮れていて、廊下の窓の外は夜の闇に包まれていた。
「こちらです」
読影室でベルツ先生が示したエックス線写真には、私の最悪の想像そのものが写っていた。
「両下肺野のすりガラス影に……心臓は大きくなくて、胸水もなくて……立って撮ってもらったんですよね、この写真?」
「はい、何とか……撮影直後に息切れがひどくなられて、酸素吸入を始めましたが」
「最後の望みをかけて聞くけれど、……熱はありますか?下腿の浮腫は?」
「両方とも認められません」
三浦先生は冷静な口調で言った。「全身、隈無く所見を取りました。他には打診で、エックス線で異常所見を認める部分に一致するような肺の濁音はありますが、所見は他にもありません……」
「ということは、先生方、これって……」
「ええ」
三浦先生が厳しい表情で頷いたのを見て、私は読影室の床にへたりこんだ。
※ニュートン祭……主に12月に、大学の物理学科で行われることのあるイベントですが、既に明治には行われていました。初めて行われたのは、「田中館愛橘先生」(中村清二著)によると、1879(明治12)年12月25日。この最初のニュートン祭をやった一人が田中館先生で、以後、東大物理学科で毎年行われるようになったとのことです。




