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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第17章 1895(明治28)年立秋~1895(明治28)年冬至
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仲直り(2)

「確認しておきたいこと?」

 多分、庭に出てから30分は過ぎているだろう。茜色に染まっていく空の下で私が首を傾げると、大山さんは真面目な表情で「はい」と頷いた。

「お辛いようでしたら、答えなくてもよろしゅうございますが……梨花さまは、ご自身のご結婚というものを、どのように考えていらっしゃいますか?」

「結婚ねぇ……」

 私はため息をついて、

「無いと思ってる。絶対に無いと思ってる」

こう断言した。

「私が今生でやりたいことと、私の置かれた立場を考えると、結婚するという選択肢はあり得ない」

 私は、お父様(おもうさま)の実質的な長女だ。

 そして、私の望みは、医者として、自分の知識と力の全てを使って、お父様(おもうさま)と兄上を助けることだ。それには、侵襲的な治療をすることも必要だろうから、自分自身が皇族であること……それが絶対条件だ。

 だから、結婚するとしても、相手は日本の皇族だ。

 そして、私と年が釣り合う結婚相手――伏見宮邦芳王殿下と、北白川宮恒久王殿下は、完全に私に怯えてしまっている。

「邦芳王殿下か恒久王殿下と結婚と言うのも、無くはないだろうけれど、愛情なんて全然芽生えないだろうし、私もそんな状態で結婚したり、子供を産んだりしたくないしなぁ……。相手も辛いと思う。それなら、一生独身でいる方が気楽だし、兄上とお父様(おもうさま)を助けることに集中できるよ。だから、結婚は、私にとっては、何ら利益を見いだせないことなんだ。万が一、結婚話が出て来ても、全力で潰そうと思ってる。この時代だと、仕事を続けることよりも、家庭に入ることを強く望まれるだろうから、余計にね」

 私はそう言って、苦笑した。

「あなたたちにとっては、結婚しないなんてありえないんだろうけれど……でも、前世なら、女医が結婚できないって、結構あることなのよ?」

「確かに、梨花さまから話を伺っていると、未来の女性医師の結婚は、なかなか大変なように思われます」

「そうね。勤務は不規則、拘束時間は長い、おまけに、男は“自分より下”の女と結婚したがる……」

 すると、

「しかし、梨花さま、それは本当に全てなのでしょうか?」

大山さんはこんなことを言い始めた。

「全て?」

「伊藤さんも言っておりましたが、梨花さまの前世のご記憶は、未来の女性の実情全てを、そのまま反映させたものではないと思うのです」

「……それは否定できない」

 私は頷いた。女性らしいものを排除して生きてきた前世だ。今だから少し分かるけれど、女性らしいことについての私の認識は、偏っているだろう。

「恐れながら、梨花さまが他に知っておられる、未来の女性の医者はおられますか?」

 そう大山さんに聞かれて、

「他に知ってる、というと……前世の母だけれど……」

私は軽く眉をしかめた。

「でも、あの人、本当に男勝りだったよ?高校時代は、地元の不良を、空手で吹っ飛ばしてたらしいし……」

 前世の子供時代、兄妹で母の実家に行き、夏祭りの夜店に行ったら、的屋の怖そうなおじさんたちが、私たち兄妹が母の子供だと知ったとたん、

――あ、姉御のお子さんたちですか!失礼いたしやした!

と急にペコペコし始めた。その時に、彼らから、高校時代の母の武勇伝を散々聞かされたのだ。

「それに、大学時代のあだ名なんて、“鉄仮面のアマゾネス”だったっていうからなぁ……」

 上の兄……大兄(おおにい)が通っていた大学は、両親が通っていた大学でもあるのだけれど、大兄(おおにい)の授業を担当した准教授が、父の同級生で、

――そうか、君が、“鉄仮面のアマゾネス”の息子かぁ……。

大兄(おおにい)に、しみじみと呟いたそうだ。負けん気が強く、空手部で男子部員を簡単に吹っ飛ばし、学業でも、学年で5本の指に入る成績だった彼女は、同級生や先輩、果ては教員たちにも、全く隙を見せず、笑顔を零すことも皆無だった。それで彼女に奉られたあだ名が、“鉄仮面のアマゾネス”だった……と、その准教授は大兄(おおにい)に教えてくれたそうだ。

「なかなか個性的なお母様だったようですね」

「だと思うよ」

「ですが、梨花さまのお父様と結婚された……」

「本人も、“なんで結婚できたか分からない”って言ってた」

「どうやって結婚したかは、御存じないのですか?」

 大山さんに聞かれて、必死で記憶を探ってみたけれど、そういった類の話を聞いた記憶が出てこなかった。

「うん……。多分、家同士で話し合った結婚とか、家業を手伝ってもらうことも考えて結婚したとかではないと思うんだけれど……」

 実家の診療所を手伝ってもらうために結婚するというなら、前世の父は結婚相手として、看護師か、もしくは内科の医師を選んだだろうと思う。けれど、母は麻酔科医で、実家の診療所ではなく、病院で働いていた。私が死んだ頃は、ペインクリニックを開業する麻酔科医も増えていたけれど、母は常日頃、“私は手術室で生きる”と断言していたから、開業するという選択肢は頭になかっただろう。

「本当に、なんでなんだろう?」

 首を傾げると、大山さんが微笑した。

(おい)も、もう50年以上生きておりますが、人生では、なぜ起こったか分からないことが多々起こります」

「大山さんでも?」

「はい。特に、恋愛に関わることは、なぜ起こったか分からぬことが、本当にたくさん起こります。(おい)も、(さわ)を亡くした後、まさかあのように魅力的な女性が、(おい)の前に現れるとは、思っておりませんでした」

「はぁ……」

 クスリと笑う大山さんに、私は間抜けな返事を返した。

(これ、のろけられてるのかな……?)

 ぼんやり思っていると、

「梨花さまは、今生では、まだ12年しか生きられておりません。前世を足しても36年です。ですから、なぜ起こったか分からぬことなど、この先もまだまだたくさん起こります。第一、未来を生きた後、この時代に転生されるなど、なぜ起こったか分からないことの極みではありませんか」

大山さんはこう言った。

「確かに、ねぇ……」

 それを言われてしまえば、“その通りです”と頷くしかない。

「ですから、今から、ご結婚の可能性を、すべて否定することはしなくてよいと思うのです」

 大山さんは微笑する。「(おい)の大切な淑女(レディ)でございますから、梨花さまに夢中になる男性が、将来、たくさん現れるでしょう」

「?!」

 私は目を見開いた。

「こ、こんな私に?!大山さん、正気で言ってる?!」

 すると、

「何が“こんな”ですか?」

大山さんが私の右手を握る力が、強くなった。

「とても愛らしく、年々増していかれるお美しさ。ご聡明で、学問にも剣道にも優れ、その身に未来の医学の知識を有しておられる。そして、お優しいそのお心。なぜ、自らを必要以上に卑下して、自らを傷つけられるのですか?先ほど、“自分を傷付けないように頑張る”とおっしゃったばかりではないですか」

「って言われても……」

 急に身体が熱くなる。きっと、顔も赤くなっているに違いない。

「わかんないよ……髪を切ったら、前世の顔と比べられるんだろうけど、そんな、う、美しいなんて……」

「髪を切るのはいけません。巻き髪が結えなくなります」

「い、いや、わかってるけどさ!」

 私は頭を激しく横に振った。ポニーテールの尾っぽが、左右に大きく揺れ動くのが分かる。

「ふふ」

 大山さんが微笑んで、また右手で私の頭を撫でる。

「ともかく……梨花さまは、今生では(おい)の大切な淑女(レディ)であり、ご主君であり、そして何より、陛下と皇太子殿下の大事な内親王殿下であらせられます」

「……」

「ですから、御自身の身体も心も、それに相応しく、大切に扱っていただかなければ、臣下としては大いに困ります」

「うー……」

「また、頬を紅くされて……本当にお可愛らしい。このお可愛らしくて美しい姫君のお心を射止めて、心を互いに許して愛し合う殿方は、本当に幸せ者でしょうな」

「そ、そんな、宝くじ……はまだなかった、富くじの一等が当たるような話、あるわけが……」

「申し上げましたでしょう。今から、結婚の可能性をすべて否定することはしなくてよいと」

 戸惑いの極みにある私の心を知ってか知らずか、大山さんは優しく微笑むばかりだ。

「もう、やめてよぉ……恥ずかしくて、私、死にそう……」

「梨花さまが、御自身を大切に扱うと約束されるなら、やめるのを考えてもよろしゅうございます」

「そ、それ、騙されないわよ。“考えたけど断る”って言うんでしょ……」

「よくお分かりで」

「やっぱり……」

 がくりと垂れた私の頭が、あやすように撫でられる。けれど、次の瞬間、私の感覚に物凄く嫌なものが、また引っかかった。

「ちょ……大山さん?!」

 思わず、大山さんにしがみつくと、

「ああ、梨花さま」

そう言って、私に目を向けた大山さんは、既に殺気を収めていた。

「どうしたの、一体?!」

「何でもございません。鳥が騒がしかったので、追い払ったまでです」

 大山さんは、もう一度私の頭を撫でた。

「さて、もうそろそろ、日が沈みます。戻りましょう、梨花さま。(おい)がエスコート致しますゆえ」

「ふぁい……」

 私はすっかり真っ赤になってしまった顔をうつむかせて、頷いた。


 少しずつ、夕闇があたりを包み始めるころ、私は大山さんと手を繋いで、庭園の小道を、玄関に向かって歩いていた。

「すっかり遅くなっちゃったね」

「ですな。もう少しで、星も見えて来るでしょう」

 大山さんが私に答えて言った。

「星かぁ……私の時代は大気汚染が進んで、都会じゃ、今ほどは星が見えないんだよね」

「そういえば、堀河どののお屋敷にいらっしゃる頃、おっしゃっておられましたね」

「うん、だから、排気を浄化する技術を今から発展させるといいと思う。足尾銅山の公害の時も言ったけど……」

「それから、排水の浄化技術ですか」

「そうだね。それはどんどん進めないと。公害病も防げるし、いろんな生物が生きやすい環境を残して、生物の多様性を残せる。色々な生物が残るほど、そこから、新しい薬や有用な物質が見つかる確率が上がるからね」

 私が微笑すると、

「やはり梨花さまは、医学の絡む話となると、目の色が変わります」

大山さんが言った。

「そっか……隠してたつもりだったんだけど、やっぱりあなたにはバレるわね。こんなんじゃ、あなたに隠れて恋愛なんて出来ないわ」

「……恐らくその場合は、誰にも隠せないかと思いますが」

「まあ、確かに、私の立場が立場だからねぇ……」

「いや、そういう意味で申し上げたのでは無かったのですが……」

 色々と話していると、花御殿の玄関に着く。

(そう言えば、山縣さんたちって、結局花御殿に来たのかな?)

 そう考えながら敷居を跨ぐと、

「戻って来られましたね」

ここにいるはずのない人の声が聞こえた。

 ……お母様(おたたさま)だった。

「えっ……」

「こ、皇后陛下……」

 二人してその場で固まると、

「俺も驚いたのだ……」

お母様(おたたさま)の隣に立つ兄が言った。

「しかし、梨花と武官長が心配だから、どうしても行くとおっしゃって……俺の馬車に乗られた」

「大山さん、兄上には謝らないと、と思っていたけれど、お母様(おたたさま)のこと、私は全く読んでなくて……」

「すみません、実は、(おい)もです……」

 大山さんと二人、こそこそと囁き交わすと、

「そのご様子だと、仲直りしたのは本当だったのですね」

お母様(おたたさま)はさびしげに微笑した。

「ですが、増宮さんも大山どのも、互いの身だけではなく、自分の身も切るような言い争いをされたので、私は心を痛めました」

「「……」」

 事実だから反論出来ない。私は大山さんと並んで、お母様(おたたさま)に頭を垂れた。

「あの、お母様(おたたさま)……ご心痛をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

(おい)もです。誠に申し訳ありません」

 二人で一緒に謝罪の言葉を口にすると、

「二人とも、先ほどの言い争いの傷は癒えましたか?」

お母様(おたたさま)が静かに尋ねた。

「はい、大山さんに、たくさん、たくさん癒してもらいました」

 私は頭を上げて、微笑しながら答えた。

(おい)もです。梨花さまに、たくさん癒していただきました」

 大山さんも、ニコリと笑いながら頷く。

「そうですか」

「ならば、良い」

 お母様(おたたさま)と兄が微笑んだ。

「……では、約束してもらいましょう」

 お母様(おたたさま)が口を開いた。「もう二度と、御二人で、互いの身と、自分の身を傷つけ合うような争いはしないこと。出来ますか?」

 私と大山さんは、お母様(おたたさま)の顔を見つめた。私たち二人の視線を受けたお母様(おたたさま)は、黙って微笑んでいた。これで、“出来ない”などと答えたら、お母様(おたたさま)はまた心を痛めてしまうだろう。もしかしたら、涙をこぼしてしまうかもしれない。

「大山さん」

 私は、大山さんの方に身体を向けた。

「手を取らせてもらって、いいかな?」

 彼が返答するよりも早く、私は彼の左手を掴んだ。暖かくて、優しくて、大きな手だ。

「約束させて、大山さん。もう二度と、あなたとは、あなたも私も傷つけるような争いはしないって……」

 すると、

「梨花さま」

大山さんは微笑しながら首を横に振った。

「え?」

「このような時は、臣下から先に誓わせていただくものでございます。申し訳ありませんが、一度手を離して下さい」

「あ、はい」

 私は素直に指示に従い、大山さんの手を解放した。

「それでは梨花さま、手を拝借致します」

 私が右手を前に差し出すと、大山さんがその手を、軽く頭を下げながら取った。

「今後もう二度と、梨花さまと、互いと自分の身を傷付ける争いはしないと……梨花さまに、お誓い申し上げます」

 大山さんの厳かな声が、玄関に響く。

「私もだ、大山さん」

 大山さんが私の差し出した手を支える左手、それを私は、自分の空いた左手で、押しいただくように下から支えた。

「あなたとは、もう二度と、互いと自分の身を傷付けるような争いはしないと……あなたに誓う」

 真面目な調子で言うと、大山さんの顔を見上げて、私は微笑した。それに、大山さんは微笑で返し、じっと私の目を見た。いつもの、暖かくて優しい瞳だ。

「そう、それでよろしゅうございます」

 お母様(おたたさま)の優しい声がする。兄も満足そうに頷いた。

「……これでもう、どんな理由でも、ケンカはなしだね」

 身体を近づけて、大山さんにそっと囁くと、

「ですな」

大山さんも囁き返して、いたずらっ子のような微笑みを顔に浮かべた。

※宝くじの前身ともいえる富くじは、1868年の太政官布告で禁止されています。(宝くじ問題検討会報告書より)更に、戦費調達のために国が富くじを出したのは1944年でした。戦後、「宝くじ」の名前が定着していくようです。

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