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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第17章 1895(明治28)年立秋~1895(明治28)年冬至
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閑話 1895(明治28)年寒露:What’s happening in the Palace?

 1895(明治28)年10月12日土曜日、午後2時30分。

「梨花っ!」

 足音荒く、会議室から走り去っていく増宮章子内親王を、席を立って追いかけようとした明宮嘉仁親王に、

「嘉仁!」

上座から大音声が浴びせられた。

「ならん!」

「ですが、お父様(おもうさま)!」

 一番上座に座る、フロックコートを着た天皇に、嘉仁親王は食って掛かろうとする。

 と、

(おい)も、帰らせていただきます」

伊藤枢密院議長を抱きかかえる格好になっていた大山東宮武官長が一礼して、会議室を出ていこうとする。

「武官長っ!」

 嘉仁親王は、大山武官長をキッと睨んだ。

「梨花を、梨花を侮辱しておいて……許さんっ!」

「嘉仁!」

 そのまま武官長の元に駆けようとした親王の足は、天皇の怒声で止まった。大山武官長は、哀しそうな瞳を嘉仁親王に向け、黙って最敬礼すると、静かに会議室を去った。

「これは……」

 山縣内務大臣は、蒼白になった顔をひきつらせた。

「こんな、こんなことがあっていいのか……?」

 その声は、会議室内のほぼ全員に共通した思いだった。

 大山武官長は、増宮内親王に忠実に仕え、そして、内親王も彼に全幅の信頼を置いている。そのはずだった。

 更に山縣内相が口を開こうとしたその時、

「皇后陛下……?!」

上座の方から声がした。両陛下の側に控えていた堀河侍従だ。

「いかがなさいましたか?!」

 駆け寄る堀河侍従の耳に、

「増宮さん……大山どの……」

皇后の小さな声が届いた。見開かれた目から、涙が一滴溢れる。

お母様(おたたさま)?!」

「大丈夫です、明宮さん、……少し休めば」

お母様(おたたさま)……」

 嘉仁親王は皇后の下に跪くと、彼女の右手を握った。指先からは、血の気が少し失せていた。

「嘉仁、美子に付き添ってやれ」

 天皇の口から、先ほどと打って変わって、優しい声が漏れた。

「かしこまりました」

 嘉仁親王は皇后を立たせた。既に5尺半に届こうかという背丈の親王は、小さな母を後ろから支えられる位置に立つ。

 と、

「陛下」

伊藤枢密院議長が上座に向かって最敬礼した。

「増宮さまの輔導主任として、これは誠に由々しき事態と考えます。この伊藤、これから花御殿に向かい、増宮さまを叱責して参ります」

「うむ」

「待て、議長」

 嘉仁親王が振り返った。「梨花に非があるのか?非は武官長にこそあろう」

「恐れながら」

 伊藤枢密院議長は一礼し、更に言葉を続けた。

「増宮さまが未熟であらせられるのは事実。そして、この梨花会の場で激高されてお帰りになられる、そのこと自体は、上に立つ者として、よろしき行動とは言えませぬ」

「……」

 嘉仁親王は、唇を真一文字に引き結んだ。

「伊藤の申す通りだ」

 天皇は静かに言った。「嘉仁、そなた、伊藤が戻るまで、美子に付き添っておれ」

「……承知いたしました」

 親王は父親に軽く一礼すると、皇后を促して別室へと退出した。

 それを見届け、

「原君」

伊藤議長は内務次官を呼んだ。

「君、夕方から花御殿に伺候して、増宮さまと将棋を指すのだろう。ついでだ。送っていこう」

「わ、わかりました」

 末席にいた原内務次官が、弾かれたように立ち上がった。

「原君!」

 山縣内相が立ち上がった。「陛下のご叱責はもっとも。しかし、増宮さまのお心が傷ついたのもまた事実。どうか、増宮さまをお慰めしてくれ。頼んだぞ!」

 山縣内相の真剣な声に、内務次官は「かしこまりました、閣下」と恭しく一礼した。


 午後3時25分、皇居。

「遅くありませんか?」

 陸奥外務次官の提案した、原内務次官のハワイ派遣案の議事が一段落すると、黒田総理大臣が首を捻った。

「遅い?」

 問い返す西郷国軍大臣に、

「伊藤さんですよ」

と黒田総理は答えた。「電話一本くらい、皇居によこしてもいいと思うのですが」

「確かに」

 大隈逓信大臣が大きく頷いた。「花御殿に、電話をして確認してみましょうか。案件も大体の目途が付いたが、伊藤さんがどう考えるかで、また話が変わってくる。話が終わっているならば、至急呼び戻さねば」

「ですな」

 黒田総理が返答したのを確認すると、「では、逓信大臣の吾輩が、電話をかけて参りましょう。外の空気も吸いたいものでして」と言いながら、大隈逓信相は一度席を立った。

 数分後、

「ちと、増宮さまに酷ですなあ」

首を傾げながら戻ってきた大隈逓信相に、

「何が?」

井上農商務大臣が尋ねた。

「職員に聞きましたら、まだ増宮さまへの説諭が、続いていると言うのですよ」

「な、何だと……?!」

 山縣内相が椅子から立ち上がった。「俊輔……いくら何でも長すぎではないか?!」

「確かにねぇ……」

 フロックコート姿の三条公爵が優雅にため息をつく。

「伊藤がそう判断したのであろう」

 上座から天皇は冷静に言ったが、

「しかしっ!」

山縣内相がそれにかみついた。

「恐れながら陛下、増宮さまは、確かにお転婆ではあらせられますが、繊細でお優しい心もお持ちでございます。全幅の信頼を置いておられる大山どのと、あのように言い争った増宮さまのお心が、傷つかぬはずがございません。万が一、増宮さまが、またお心を深く傷つけられ、心を閉ざされてしまわれたら、この山縣は一体どうすればいいのですか!」

「!」

 末席に連なっている、後藤衛生局長が目を見開いた。

「そ、それは閣下……我輩とて、闇夜に灯りを失うに等しい……」

「分かってくれるか、後藤!」

 山縣内相は、後藤衛生局長につかつかと歩み寄り、手を握った。

「この張り裂けんばかりの我が心を……増宮さまがお労しくて、わしは……」

「わかります、わかりますとも、閣下……!」

 後藤衛生局長も、自分の右手を握った山縣内相の手に、更に左手を重ねる。

「側にいて、お慰め申し上げたい……」

「山縣さん、それは我々もですよ」

 松方大蔵大臣が重々しく頷くと、一同それに倣って首を縦に振った。

 と、

「閣下、山縣閣下」

下座の一角から山縣内相を呼ぶ声がした。第3軍管区の司令官・桂太郎歩兵中将である。

「もしお許しいただけるのであれば、花御殿に直接向かって、様子を見てこようかと」

「桂!」

 山縣内相の目から、涙が溢れた。「是非……是非頼む」

「桂さんが行くのであれば、私も同行しましょう」

(おい)も」

 桂中将の隣で、児玉参謀本部長と、山本国軍次官も立ち上がる。

「陛下、よろしいですな?」

 山縣内相は、強い視線で上座を見た。

「む……」

「よ、ろ、し、い、です、な?」

 再度上座に問いかける山縣内相の声は、硬かった。

「……勝手にしろ」

「ありがたき幸せ」

 山縣内相は天皇に恭しく一礼すると、

「お許しが出た。行きたまえ、君たち」

“国軍三羽烏”を見て力強く頷いた。


 午後3時45分、花御殿。

 馬車から降り立った桂・児玉・山本の3人は、そこにいた職員に案内を乞うと、玄関へと向かった。

「さて、伊藤閣下が花御殿に向かわれて、1時間は経っているが……まだ説諭が続いていると見るか、源太郎?」

 桂中将が問うと、

「どうでしょう」

児玉少将は首を捻った。

「輔導主任であるという責任感もおありでしょう。力が入って、増宮さまがこってり絞られている可能性もありますね」

(おい)たちと入れ違いになって、伊藤閣下が花御殿から去っている、というのが、一番よい結果だが……」

「そうなると、原閣下と増宮殿下が将棋を指されているか。しかし、それならよい。殿下が伊藤閣下から解放されているのであれば……」

 山本少将と話していた桂中将は、不意に、嫌な感覚に襲われた。背筋を鋭利な刃物で撫で上げられたような、凄まじい殺気だ。それは、児玉少将も山本少将も同じらしい。明治初年の動乱を経験した歴戦の軍人たちの顔面が、蒼白に変わった。

 と、

「帰りなされ……」

花御殿の廊下の奥から、殺気の源が姿を現した。大山東宮武官長だ。普段温厚な表情は硬化し、穏やかな瞳は冷たい光を孕んでいた。そして、無音のまま吊り上がった両の口角……。

「「「……!」」」

 まともにぶつかっては勝てない。この場合の正解手は、遁走だ。3人の考えは期せずして一致し、揃って身体を180度回転させると、一斉に駆けだした。

「おい、なぜ大山閣下がいらっしゃるのだ、源太郎!」

「俺とて知らぬわ、権兵衛!皇居の玄関にいた職員も、閣下は自宅に帰られたと言っておったし……!」

 門に向かって走りながら、山本少将と児玉少将が言い合う。

「とにかく、門の脇の詰所の電話を借りよう。そこから皇居に報告だ。一体、何が起こっているのだ……?!」

 桂中将も走りながら叫ぶ。

 花御殿の正門まで、あと100m。そこまで全力疾走した3人の報告が、皇居に更なる動きを引き起こすことになった。


 午後3時50分、皇居。

「どうも、妙なことが起こっています」

 花御殿の警備詰め所からの電話を受け、話を聞いた山田司法大臣が会議室に戻ってきた。

「妙なこと?」

 有栖川宮威仁親王が首を傾げると、

「大山さんが、花御殿にいるというのですよ」

と山田法相は答えた。

「は?!」

「ちょっと待て、弥助どんは、家に帰ったはずじゃ!」

 日本銀行に勤める高橋是清と、西郷国軍大臣がほぼ同時に発言する。

「そのはずです。ですが、源太郎が花御殿に参上したところ、大山さんが出て来て“帰れ”と言われた、と……」

――余りの殺気に背筋が凍りまして、権兵衛と桂さんと3人、這う這うの体で飛び出してきた次第です。まことに申し訳ありません。

 先ほど児玉少将に、電話で告げられたセリフを、山田法相はそのまま一同に伝えた。

「へぇ、伊藤さんに呼ばれたのかね?」

 内大臣府に出仕する勝伯爵が、ニヤニヤしながら両腕を組む。

「それより、増宮さまはどうなっているのだ!」

 山縣内相が、拳で机を叩いた。「俊輔もまだ戻らぬ。まさか、まだ増宮さまを叱っているのか?!それでは余りにも、増宮さまがおかわいそうではないか。やはりわしが輔導主任になるべきだった……」

「しかし、花御殿内部が今どうなっているのか、全く分かりませんな……」

 大隈逓信相が眉をしかめながら、顎を撫でた。「正面から行けば、また大山さんに捕まってしまうでしょう。なぜ大山さんが花御殿にいるのか、それも分かりませんが、殺気を放っているとなれば、穏やかではありませんな」

 すると、

「なんや、簡単なことや」

三条公爵がゆったりと言った。

「青山御所から回り込んだらええんですわ」

「さ、三条どの?」

 勝伯爵は、隣に座る三条公爵に囁いた。

「何で、そんな変なことをおっしゃるんですかい。普通に考えたら、伊藤さんが、増宮さまと仲直りさせるために、大山さんを呼んだって考えるのが筋……」

 すると、

「わしもそう思いますよ」

三条公爵からは、意外な答えが返って来た。

「じゃあ、何で……」

 聞き返す勝伯爵に、

「その方が面白そうやから」

三条公爵はそう言って、忍び笑いを漏らした。

「へ?」

「それにほら、陛下も」

 三条公爵の視線の先で、

「それは良き考えだな。お母様(おたたさま)の御所と花御殿は地続きだ。御所から、花御殿の庭に回り込めば、章子の様子がうかがえるという訳か」

天皇がニヤニヤしながら言った。

「流石に大山も、庭づたいに侵入するものがいるとは考えぬだろう」

 その言葉を聞きながら、

「やっぱり陛下も分かってて、面白がっておられますなぁ。悪戯を仕掛けるようなお気持ちですやろ」

三条公爵が微笑む。その横で、

「!」

「それだ!」

彼と勝伯爵以外の会議室の一同が、その提案に興奮していた。

「あー……小次郎もかよ」

 ため息をつく勝伯爵の視線の先に、目をキラキラさせた陸奥外務次官がいた。両頬が少し紅潮しているのは、結核の発熱によるものでは、おそらくないだろう。

「まぁ、あいつの場合、“面白そうな遊びに付き合ってやる”って感じなんだろうけどよ……ったく」

「と言いつつ、勝どのも止める気はないんやろ?」

「その方が面白そうだからねぇ」

 小さな声でやり取りをする勝伯爵と三条公爵の前で、

「公望、威仁。その方らなら、お母様(おたたさま)の御所にも伝手が多いから、任務はやりやすかろう。御所の方から花御殿に回って、章子の様子を見て参れ。流石に伊藤の説教が1時間は、ちとかわいそうだ」

天皇がこう命じ、西園寺文部次官と威仁親王は、立ち上がって一礼した。


 午後4時15分、花御殿。

「さてと、この辺でしたか」

 青山御所の敷地から、地続きの花御殿の敷地に入った西園寺文部次官は、軽い足取りで章子内親王の部屋のあるあたりを目指していた。

「閣下、手慣れておられますな……」

 後をついて歩く有栖川宮威仁親王が、感心したように言うと、

「昔からイタズラは得意でしてな」

西園寺文部次官はクスクス笑いながら答えた。

「はぁ」

「留学の時にも随分やりましたよ。窓ガラスを割って回ったり」

「え」

 呆然とした威仁親王に、

「弁償したらいいと向こうが言うものですから」

西園寺文部次官は平然と答えた。

(それで、ガラスを割ってしまえるものなのか?)

 威仁親王は疑問に思ったが、それは心に封じ込めることにした。何しろ、この西園寺という男、今は完全に文官ではあるが、戊辰戦争では山陰道の鎮撫総督なども務めており、公家出身と言え、かなり血の気の多い人物なのだ。もちろん、親王自身も、現役の海兵大佐である。日本で初めて自動車を購入し、自転車も乗り回すので、“自動車の宮様”やら“自転車の宮様”やらと世間では呼ばれているが、腕っぷしにもそれなりの自信があった。

「さて、この辺りからなら、増宮さまの部屋が窺えるはずですが……」

 西園寺文部次官はこう呟きながら、茂みの隙間から建物が見える箇所を探す。

「詳しいですな」

「地図は頭に入れましたから……あ、この辺からならどうでしょうか」

 威仁親王に答えながら、西園寺文部次官は斜め前を指差す。その方向には花御殿の建物があった。

「もう少し、前に行く方がいいですかね……」

 西園寺文部次官に呟きながら、茂みの中に身を隠そうとした威仁親王の後ろで、

「それには及びませんよ」

西園寺文部次官の物ではない声がした。

 振り返った二人の前にいたのは、不気味な微笑みを見せる大山東宮武官長だった。

「げ?!」

「お、大山閣下っ……?!」

 思わず叫ぶ二人に、

「ここで何をしておられますか?」

大山武官長は静かに問い掛ける。

「逃げましょう、殿下」

「は、はいっ」

 身の危険を感じた西園寺文部次官と威仁親王は、その場から全速力で去っていった。もちろん、行く先は青山御所である。

「骨がありませんなぁ」

 逃げる二人の背中を見送りながら、こう呟いた大山東宮武官長は、悠々と花御殿へと戻って行ったのだった。


 午後4時20分、皇居。

「ふ、ふふふ……」

 山縣内相は、不気味な笑みを浮かべながら、左手の指で机をコツコツと叩いていた。

「西園寺君と若宮殿下も、大山どのに捕捉されましたか……」

 “任務失敗”という電話を、青山御所に戻った西園寺から受けた山縣内相は、指で机を叩くのを止めない。言葉遣いも、いつもより丁寧だ。それに気づいた後藤衛生局長は、事態が切迫しているのを感じた。

「高橋さん」

 後藤衛生局長は、隣に座った高橋氏に、小さく声を掛けた。

「気を付けた方がよい」

「な、なにがですか?」

「うちの上司だ」

 そう言うと、後藤衛生局長は声を一層潜めた。

「あれは、嵐が来ますよ」

「嵐……?」

 首を傾げた高橋氏の視線の先では、

「大山さん……一体どういうことだ?」

山田法相が両腕を組んで考え込んでいた。

「大山さんが、増宮さまに詫びを入れている、ということか?」

「それにしても、時間が長いじゃろう、大隈さん」

 大隈逓信相の疑問に、松方蔵相が重々しく指摘する。

 すると、

「じゃあ、見に行こうや。皆で」

井上農商務相が軽い調子で言った。

「?!」

 目を見開く山縣内相に、

「だって、狂介、増宮さまが心配なんだろう?そんなに心配だったら、もう自分が見に行けばいいんだ。俺もついて行く」

井上農商務相はなおも誘う。

「も、聞多さん……」

「行って来ればよかろう」

 上座から、天皇もニヤニヤしながら山縣に声を掛ける。

「もし、章子と大山が仲違いしたままであれば、山縣を東宮武官長にすることを考えなければならないな」

「!」

 山縣内相が、上座に向かって深々と一礼する。

「ああ、こりゃ……」

「陛下、完全に、面白がっておられますなぁ」

 ひそひそ話す勝伯爵と三条公爵の前で、

「ただ、井上さん、二手に分かれる方がよいかと思います」

山田法相が提案した。「正面から回る組と、青山御所から庭伝いに回る組。流石に、大山さんも、二手からの偵察には対応できないのではないかと」

「では、そう致しましょうか」

 黒田総理の声に、勝伯爵と三条公爵以外の臣下一同が一斉に頷く。

「ふふふ、では朕は、奥で報告を待っておる」

 満足そうな天皇の声に、

「まぁ、頑張れや、若人たち。おれは、吉報を待ってるからな」

「わしも、ここで待ってますから。そろそろ老人には、肌寒さが堪える季節やし……」

勝伯爵と三条公爵は便乗して、逃げを打とうとした。

 しかし、

「何が“老人”ですか、三条どの!」

松方蔵相の怒声が、それを妨害する。

「わしよりお若いではないですか!」

「い、いや、わしは大病もした身やし……」

「増宮さまのご治療のおかげで、平癒したではないですか。さ、わしと一緒に来ていただきますぞ」

「ちょ……!」

 歩み寄った松方蔵相に手を掴まれた三条公爵は、そのままずるずると引きずられていく。

「あちゃあ……おれはさっさと退散するぜ」

 立ち上がって、その場を立ち去ろうとした勝伯爵の前に、

「逃がしませんよ、勝先生」

陸奥外務次官が立ちはだかった。

「こ、小次郎……」

「先生らしくもない。こんな面白そうなこと、乗らないでどうしますか」

 そう言いながら陸奥外務次官は、勝伯爵の手を握り、問答無用とばかりに強く引いた。

「痛っ!小次郎、お(めぇ)、それが年長者に対する態度かい?」

「とんでもない。尊敬する先生を、僕自らご案内申し上げようと思ったまでですが」

 そう言いながら、陸奥外務次官は右腕を、勝伯爵の左腕と絡めてしまう。

「その気になれば、僕の身体を突き放すくらい出来るでしょうに、抵抗なさらないということは、やはりこの騒動の顛末にご興味がおありのようだ」

「そりゃあ、一応、お(めぇ)の師匠だからよ」

「そういうことにしておきましょう」

 勝伯爵と陸奥外務次官が去り、他の一同も会議室を退出したのを見ると、

「あははははは……!」

天皇は一際楽しそうな笑い声を上げながら、堀河侍従を供にして、会議室を後にしたのだった。

※西園寺さんが窓ガラスを壊した事件、「英雄の片影」(大月ひさ著)や「陶庵公」(竹越与三郎著)、「西園寺公 : 巴城留学時の奇行事件」(小泉策太郎著)という本で紹介されています。どのようなシチュエーションで、どのぐらいの枚数を破壊したか諸説あります(そもそも、本当にあった事件なのかも確証が持てません)。拙作ではとりあえず、枚数不明ながらも窓ガラス破壊はあったものとして話を進めます。ご了承ください。

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