先生と呼びたくて
1895(明治28)年8月10日土曜日、午後4時半。
「ほう……、これはなかなか良い構図だ」
居間に招じ入れた陸奥さんは、私が渡した掛け軸をテーブルの上に広げると微笑した。
「お気に召していただいたようで、ありがとうございます」
私は椅子に座ったまま一礼した。「4月のお礼のつもりで買い上げたから、気に入らなかったらどうしようかと思っていました」
4月に京都に視察しに行った第4回内国勧業博覧会は、先月末で会期を終えた。その後、私が兄とともに内国博で買い上げた美術品が、花御殿に届けられたのだ。兄と共同で購った昌子さまたちへの品と、医科分科会のメンバーへの品は既に分配を終え、あとは陸奥さんと原さんに渡す品が残っていた。そこで今日、梨花会が終わった後、陸奥さんを花御殿に呼んだのだ。
「梨花さまの選ばれた品なれば、まず間違いはないでしょう」
私の横に座っている大山さんが、微笑しながら頷いた。
「陛下も皇后陛下も、梨花さまと皇太子殿下が良き物を選ばれていると、5月の内国博への行幸の際におっしゃっていたと……そう堀河どのから聞きました」
「あ、そうだったんだ」
初めて聞いた気がする。それを大山さんに指摘しようとしたけれど、やめた。
(もしかしたら、本当は余り良くないものを選んでるけれど、陸奥さんに気持ちよく受け取ってもらうために、箔を付けようと思って、言ってくれてるのかもしれないし……)
こう考えていると、
「おや、そのご評価は、殿下も初めてお聞きになりましたか」
陸奥さんの言葉が飛んできた。
「相変わらず鋭いですね……」
私はため息をついた。なるべく表情に出さないように頑張ったけれど、やはりこの人には通用しない。
「大山殿が気を遣ってくださった、とお思いに?」
「え、ええと……」
言い淀んでいると、
「本当のことでございますよ、梨花さま」
大山さんが私に微笑を向けた。
「まだお疑いでしたら、明日、堀河どのに聞いてみてください」
「……その必要はないよ。変に勘ぐった私が悪かった。ごめんなさい、大山さん」
私は非常に有能な臣下に頭を下げた。
「しかし、意外でした。殿下がこの時代の美術品に造詣が深いとは」
陸奥さんが言った。「失礼ながら、医学一辺倒の方だと思っておりました。それに、殿下のお話を伺っていると、殿下の生きていらした時代では、日本画は廃れているかと思っていたので」
「どうなんでしょう。完全に無くなってはいなかったですけれど……。私は前世で、城郭の遺構をたくさん見て回りました。観光資源として遺構を活用しているところだと、付属している資料館に、当時使われていた甲冑や刀剣、美術品なんかも展示されていました。だから、私の時代では“骨董品”に分類されるような美術品を見る機会は多かったんです。それに今回は、兄上にも選ぶのを手伝ってもらいましたから」
「なるほど、趣味の意外な効用という訳ですか」
陸奥さんが苦笑する。「先々月にアブルッツィ公がいらっしゃった時は、どうしたものかと思いましたが」
「どうしたものかって……私、先方が山登りをすると聞いたから、山城を探索した話をしただけですよ」
6月に、イタリアの王族・アブルッツィ公が来日した。先方が花御殿にやって来たので、兄とともにもてなしたのだけれど、22才の殿下は、山登りが好きらしく、アルプスのモンブランやモンテ・ローザなどに登った思い出を聞かせてくれた。そのお返しに、といってはなんだけれど、山城の跡を大磯で探索した時の話をしたら、とても喜んでくれたのだ。
「それに、向こうもすごく嬉しそうでしたよ」
「それは否定しません。我が国とイタリアとの友好には、大いに役立ったと思います」
陸奥さんはそう言った後、
「ただ……」
とため息をついた。
「ただ?まさか陸奥さん、城郭の話をしてはいけないと?日本が、世界に誇る遺産ですよ?」
私が気色ばむと、
「いえ、そうではなくて」
陸奥さんは首を左右に振った。
「殿下の雰囲気……と言いますか、気品が、完璧なものではなかったと……」
「き、気品?」
首を傾げると、
「陸奥どのの、おっしゃる通りです」
大山さんも頷いた。「2月に、メクレンブルグ公にお会いになった時のようではありませんでした」
「やはり、大山殿もそうお感じになっておられましたか」
陸奥さんは頻りに頷き、軽い咳をした。
「伊藤殿や山縣殿もおっしゃっておいでだった。一昨年のフランツ殿下への答礼の際や、2月のメクレンブルグ公の面会の時と比べると、少し物足りない、と……。僕は両方とも立ち会っていませんから、6月の時とは比べられませんが」
「まあ、今回はずっと和装だったし、フランツ殿下の答礼とメクレンブルグ公に会った時はドレスだったから、それで雰囲気が違ったんじゃないですか?」
アブルッツィ公に面会した時は、先方から“和装にして欲しい”という希望があったので、空色の地に梨の花を描いた着物を着て、紺青の袴を合わせていた。もちろん、昨年のバレンタインにお父様とお母様にいただいた、蝶々の舞っている扇子も手に持った。
「……かも、しれません」
大山さんが私に答えた。「ただ、材料が少ないので、すぐには結論が出せませんが」
「殿下の身近にいらっしゃる大山殿のご意見ならば、一番信頼性が高い」
陸奥さんはそう言って、口角を少し引き上げる。
「はぁ」
二人の言っていることがよく分からず、間抜けな返事をしたところに、
「増宮さま」
廊下から声が掛かった。花松さんだ。席を立って廊下に面した障子を開けると、和装の花松さんの後ろに、原さんが立っていた。今日はいつもの通り、原さんと5時から将棋を指すことになっているけれど、少し早く到着したようだ。
「原さん、ごめんなさい。今、陸奥さんがいらしていて。もう少し、待っててもらってもいいですか?」
「かしこまりました。そういうことならば」
原さんが頭を下げると、
「ああ、原殿ですか」
私の後ろで、陸奥さんの声がした。
「ならば、僕はお暇しましょう。彼と将棋を指されるのでしょう?まだ40にもなっていないが、飛び抜けた異才。山縣殿が重用するのも無理はない。“史実”で後に総理を務めるというのも、納得です」
後ろでカタカタ音がしているな、と思ったら、いつの間にか陸奥さんが私の隣に立っていた。掛け軸を納めた細長い木箱を脇に抱えていた。
「では、僕はこれで」
恭しく私に一礼して、陸奥さんは廊下に出た。それを見た原さんが、弾かれたように陸奥さんに向かって、深々とお辞儀をする。
「内務省の俊才が、僕に恐縮せずともよいでしょうに」
「い、いえ、陸奥どのは、官界の先輩でありますから」
原さんは頭を下げたまま、陸奥さんに答えた。声が少し緊張しているのは、気のせいだろうか。
「先輩に対しても、少しは堂々としていてくれないと困りますよ。将来の総理の器なのだから」
そう言いながら、陸奥さんは原さんの隣をすり抜けて行く。2人の間に微妙な緊張感が生まれ、私は少し身構えた。
「……花松さん、ありがとうございました。じゃあ、人払いをお願いします。原さんに将棋で負けて悔しがって叫ぶのを、人に聞かれたくないから」
原さんが私の居間に入ると、私はいつものように花松さんに人払いを頼んだ。
「かしこまりました。負けず嫌いですものね、増宮さまは」
クスリと笑って去っていく花松さんの後ろ姿を見ながら、
(そう言えば、原さんと陸奥さんって、今、どういう関係なんだろう……)
私はふと、疑問に思った。
20分後。
「だから、納得できないのだ!」
そう叫んで、テーブルを拳で叩く原さんに、
(納得できないのはこっちだよ……)
私は内心でツッコんで、ため息をついた。
昨年の2月に、原さんとの手合いが四枚落ちになったけれど、今日の対局で原さんに勝てたら、三枚落ちに進むという約束になっていた。ところが、居間に入った原さんが妙な感じだったので、“どうしたの?”と聞いてしまったのが、私の運の尽きだった。
――どうしたもこうしたもっ……!
原さんは私に叫び、そこから延々と、“史実”での陸奥さんがいかにすごくて、原さんにとって素晴らしい上司であったかを語り始めてしまったのだ。もちろん、将棋の対局を始めるどころではなく、私と大山さんは、ずっと彼の語り、というか、愚痴に付き合わされる羽目になったのだ。
「わたしは、陸奥先生から教わりたいことが、まだまだ山のようにあったのだ!それなのに、“史実”では、結核が先生の前途を閉ざし、そして命を奪った……聞いているか、主治医どの?!」
「ええ、聞いていますとも」
私は頷きながら、前世で飲み会に参加していた時のことを思い出していた。こんな風に愚痴をこぼすおじさんたちを、居酒屋で時々見かけた。もし、今の原さんの前に、飲みかけのビールのジョッキか、日本酒の入った徳利とお猪口を置いたら、その光景を完璧に再現できるだろう。
「今の時の流れでは、抗結核薬の2剤併用療法の臨床試験も順調に進んでいる。このままいけば、今年の年末から、抗結核薬をいよいよ先生に投与できる……そうすれば、わたしは先生から色々なことを教われるはずなのに!なぜ先生を、“先生”と呼べないのだ……」
「って言われても……」
そのセリフを聞いたのは、この20分で3回目だ。
「原さんは内務次官。陸奥さんは外務次官。地位が一緒だからしょうがないじゃないですか。しかも、あなたが内務次官になったのが、陸奥さんが外務次官になったのより早かったですし、陸奥さんは、あなたが“史実”で後に総理大臣になったことも知ってるんですし」
「しかしっ!」
原さんは、私をキッとにらみつけた。
「あの態度は辛い!わたしは“史実”で、たくさんのことを、陸奥先生から教わった。この時の流れでは、陸奥先生がお考えになることは“史実”と異なるだろうが、それをこそ、腹蔵なく教えていただきたい。それなのに、陸奥先生はわたしのことを、自分と同輩と思っておられる……うう、“先生”と、“陸奥先生”と呼んで、師事させていただきたいのに……」
「はぁ……」
テーブルに突っ伏して泣き出した原さんを見て、私は大きなため息をついた。
「冷静に考えてください、原さん。あなたがいきなり陸奥さんのことを“先生”と呼んだら、皆ビックリしますよ。あなたに“史実”の記憶があることが、バレてしまうかもしれない。それで、あなたが山縣さんを操っていることが露見したら、梨花会が瓦解して、国力の低下に繋がってしまいます」
「分かっている!だから、苦しいのだ!」
原さんはテーブルを、拳でまた叩いた。「本心を巧妙に隠しながら、“出来るが謙虚な内務次官”を陸奥先生の前で演じるのが……。わたしは陸奥先生の同輩ではない。門人なのだよ、主治医どの……」
(それなら私は、客の愚痴を聞くスナックのママか、小料理屋の女将さんかな?)
顔を少ししかめた瞬間、
「聞いておあげになってください」
大山さんが苦笑を顔に浮かべながら言った。「原どののこの愚痴を聞けるのは、梨花さまと伊藤さんしかおりません」
「ああ、大山閣下のおっしゃる通りだ。浅に話せるものなら、浅に話していた。だが浅には、わたしの身に起こったことを話していない。甚だ不本意だが、この気持ち、主治医どのにぶつけるしかないのだよ」
「ですよね……」
私は軽いため息をついた。初めて“平民宰相”に会ってから、4年の月日が経っている。私が兄を病から守ることと引き換えに得た、原さんの協力……あの時の契約通り、原さんは私に協力はしてくれるけれど、心を許してはいないらしい。まあ、“心が違っても、協力することはできる”と彼に言ったのは私だから、仕方がない。
「ところで原さん、あなたのこと、陸奥さんにはバレていないわよね?陸奥さん、本当に鋭いから、いくらあなたでも、正体を見抜かれるんじゃないかと心配で……」
「細心の注意を払っている。大丈夫だ。だからこそ辛いのだが」
原さんは身を起こすと、ハンカチで涙を拭った。
「あの、念のため確認するけれど、誰かがこの会話を聞いてるなんてこともないよね?」
「大丈夫です」
大山さんが力強く頷く。「梨花さまは、気配を探る余裕がございませんか」
「ええ、原さんの愚痴を聞くのに手一杯で」
「まだまだ修業が足りぬな、主治医どの」
(原因を作った人に言われたくない)
いつものようにドヤ顔を見せた原さんに、私は思いっきりしかめっ面を作った。ただ、このドヤ顔が出たということは、少しは彼の気持ちも落ち着いたのだろう。
「まぁ、愚痴っていても仕方がない。先の話をするか。といっても、明日の話だが、主治医どの」
「ああ、明日ですね」
明日から、お父様が10日間の予定で葉山に避暑に行く。
本当は、今月の初めから1か月ぐらい、葉山に行って欲しかったのだ。ところが、“梨花会があるから、10日までは東京を離れられない”とお父様は主張し、出発が明日に伸びてしまった。お父様は更に支障を言い立てて、避暑そのものを無くしてしまおうとも企んでいたようだけれど、梨花会の全員が反対したのと、葉山に先発しているお母様と、沼津でご学友さんたちと避暑をしている兄から、“予定通りに葉山にお出でになりますよう”と、手紙がそれぞれ届けられたので、漸く諦めたらしい。
――そなたらが心配せずとも、明日から葉山に行く。
先ほどの梨花会の席上、お父様はこう宣言した。
「陛下がああおっしゃった以上大丈夫ですが、明日は梨花さまとともに、俺も陛下にお伴します。堀河どのもおられますし、西園寺どのも、徳大寺どのとともに協力すると……皇太子殿下にも厳命されておりますゆえ、陛下は絶対に逃がしませぬ」
大山さんがニヤリと笑う。大山さんは、避暑中の兄に付き添って沼津にいるけれど、今日は梨花会のために上京したのだ。
「そうね、そこは任せて下さい、原さん。私もお父様に付き添うし、ちゃんと休んでいるかどうか、別邸から見張ります」
明日は、お父様にくっついて私も葉山に入り、御用邸の別邸で今月末まで過ごす予定だ。「お母様に、書いた字を見てもらう」という名目で本邸に入り浸り、お父様がきちんと休んでいるかどうか見張ることにしている。
「頼むぞ、主治医どの。“史実”では、陛下は崩御されるまで、周囲が勧めても、避暑や避寒にほとんど行かれなかったのだ。日清・日露と戦争が続き、御多忙になったのもあったが……」
「それは、余計に休ませないといけないですね。せめて、私が結婚するまでは生きていてもらわないと。あ、そうなると、確実に、私が死んだ後に、お父様が亡くなることになりますね。私もそう簡単に死ぬ気はないから、お父様、もしかしたら“史実”の迪宮殿下より長生きするかも」
「梨花さま」
原さんに答えた私に、大山さんが苦笑いを向ける。彼が言いたいことを察した私は、機先を制するために口を開いた。
「あのね、大山さん、この際言っておくけれど、女らしさどうこうっていうのとは無関係に、私、結婚は諦めた。だって、皇族で年の釣り合う相手二人は、両方とも私に怯えている。こんなんじゃ、お互いにとって幸せな結婚はできないよ」
私より3歳年上の伏見宮邦芳王殿下は、この9月から国軍の幼年学校に籍を置くことになっていて、私と同学年の北白川宮恒久王殿下は、9月から学習院中等科に進学する。けれど、2人とも私に怯えているのは変わりないし、恒久王殿下の方は、父親の方にまでトラウマを植え付けてしまったというおまけがついている。
「それに、皇族以外の人と結婚したら、臣籍降下して、皇族じゃなくなっちゃうから、お父様と兄上に、侵襲的な治療が出来なくなる。もちろん、外国の王族と結婚するなんて、お父様と兄上の側にいられなくなっちゃうからあり得ないし、外国の王族を婿に取るのも、皇室典範の改正が大変になっちゃうから無理よ」
「梨花さま……」
「だから大山さん、私は結婚を諦めた。でも、女であることは捨てない。そこは淑女として必要だし、性別を変えられない以上、上医としても必要だからね」
「……結婚を諦めた、など、9月から中等科に上がる娘の言う言葉ではないな」
私の言葉を聞いた原さんが苦笑する。
「それに、もう既に、主治医どのは皇太子殿下を助けているのだがな。“史実”では、皇太子殿下は、この3月にインフルエンザに罹患され、その後に腸チフス、ついで肺炎を併発されて、ちょうど今頃、重態になられていたのだから」
「!」
私は思わず椅子から立ち上がった。
「そ、それ本当?!」
「嘘をついてどうする。心配なら伊藤さんにも聞いてみるといいが、……この時の流れでは、インフルエンザにもかかられなかった」
「まあ、うがい手洗いは徹底してもらってるし、体調の悪い職員さんは、さっさと申し出るように命令しましたからね」
“熱が出ているが勤務に穴を開けられない”と言って出勤されてしまっては、インフルエンザを周りに広げることになってしまう。熱が出たらさっさと申し出て休みを取り、熱が下がりきって丸2日経ったら出勤するように、ということは、伊藤さんに頼んで、インフルエンザの流行する時期には特に徹底してもらった。どうやら、その効果があったようだ。
「“沼津で遠泳をした。東京に戻ったら、またお前と将棋を指したい”という皇太子殿下からのお手紙を、昨日受け取った。“史実”とは、お身体の状態がまるで違う。あなたのおかげだな」
「ああ、良かった。兄上が守れて」
私はニッコリ笑った。「でもまだ、こんなんじゃ足りません。 兄上を“史実”通りになんて死なせない。元気に長生きしてもらわなきゃ。だから私、まだまだ頑張りますよ。それで、上医になるんです」
(だから、結婚なんてしてる暇はないな)
そう思っていた。
まさか、あんなことになるなんて……当時の私は、全く考えてもいなかったのだ。
※アブルッツィ公……本名ルイージ・アメデーオ・ジュゼッペ・マリーア・フェルディナンド・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=アオスタさんは、作中時点でのイタリア国王・ウンベルト1世の甥です。登山家としても有名で、英語版ウィキペディアによると、既に1892年にモンブランとモンテ・ローザに登頂していたそうです。後々、お名前がイタリアの軽巡洋艦の由来になりました。




