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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第16章 1894(明治27)年立冬~1895(明治28)年清明
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関西旅行(7)

「一つ、提案してもよろしいでしょうか、増宮さま」

 一番に手を挙げたのは、我が輔導主任だった。

「この問題は、大きく2つに分けられましょう。一つは、実際に薬を大量生産する技術を、どのように確立するか。もう一つは、薬を効率よく生産するために、薬の生産拠点を外国に移すことを許容すべきか否か」

 確かに、伊藤さんの言う通りだ。

「ですから、2つに分けて考えるべきです」

 私が頷くのを確認すると、伊藤さんは更に続けた。「わしは後者の方なら相談に乗れそうですが、前者の課題については、専門の先生方にお任せするしかない。大量生産に必要な技術を、我が国に引っ張る手助けぐらいはできそうですが」

「なるほど……じゃあ、どちらから先に協議しましょうか?」

「恐らく、後者の方からがよいでしょう」

 大山さんが言った。「すぐカタが付きます」

「え?!」

「梨花さまの考えを、変えるだけで済みますから」

「どういうこと……?」

 眉をひそめた私に、我が有能な臣下は微笑を向けた。

「梨花さまがご懸念されているのは、例えば今のキニーネのように、全てを一つの国からの輸入に頼っている医薬品で、その輸入が完全に途絶えてしまったら……ということでしょう」

「ええ、そうね。キニーネは、今はジャワからの輸入しかないから」

 実は、ハワイでも、外貨獲得手段の一つになることを期待して、原料のキナの木の栽培に着手している。ただし、実際に商品化できるまでには、あと数年時間がかかる。

「では、もし、他の国からキニーネの輸入が可能ならば、どうでしょうか?例えばそう、シャム、ハワイ、インド……そのすべてから、輸入が可能ならば」

「それだったら、ジャワからの輸入が途絶えても大丈夫ね。他の国から輸入をすればいい」

「ですね」

 大山さんは、私を見ながらニコニコ笑っている。その楽しそうな笑顔を見て、彼の言いたいことが、瞬く間に脳裏に紡がれた。

「あの、大山さん……1種類の薬につき、生産拠点を何か所も、それも、海外に移すとしても、色々な国に分散させてしまえば大丈夫、ということ?」

「ご明察」

 大山さんは深く頷いた。「もちろん、国内に生産拠点を残すことも必要です。それと同時に、海外の、生産拠点に適した場所何か所かで、同時に薬を生産できれば、たとえ我が国と生産拠点のある国が戦争になったとしても、他の国から輸入して薬剤を賄えます」

「そうか……外国と手を組むのは慎重にしないといけないと思っていたから、外国に生産拠点を作るにしても、1種類の薬につき、1か所だと思い込んでいた。つまり、必要なら、たくさんの国と、手を結んで構わないということね?」

「ええ、()()()()

 大山さんが微笑したけれど、その目の輝きが、普段と少し違うことに私は気づいた。

(もしかして……医学についてはいいけれど、他の技術については要相談、ってことかな?)

 言外の意味を、必死にくみ取っていると、

「ということは、世界中で手を組む製薬会社を探さねばならないな」

伊藤さんがニヤリと笑った。「陸奥君が、増宮さまに頼まれて、アメリカの製薬会社何社かとは、伝手を作ったとは言っていたが」

「ヨーロッパでも何か国かの製薬会社に、声を掛けています」

 大山さんの声に、

「伊藤閣下、大山閣下、もし御入用でしたら、私もイギリスやアメリカに、多少伝手がございますので、協力いたします」

高峰先生がそう言って一礼した。

「私もです。ドイツの製薬会社や研究者には伝手があります。必要であれば何なりと」

 北里先生も立ち上がった。

「世界の北里、高峰両博士にご協力をいただけるとなれば、なおさら製薬会社探しがはかどりましょう。では、こちらの話は、我々で進めておきます。梨花さま、よろしいですか?」

「お願いします」

 後できちんと、大山さんが言葉に込めた意味は確認しておこう、そう思いながら、私は彼に頭を下げた。

「となると、あとは大量培養に関する問題ですか……」

 石神先生が両腕を組んだ。「特に重要なのは、夏場の温度管理でしょう」

 すると、

「参考になるかどうかわかりませんが」

と高峰先生が口を開いた。「増宮殿下は、ラガービールというものをご存知ですか?」

「知ってます。前世では時々飲まされました」

 自分でアルコールを買って飲んだり、飲み屋に行ったりはしなかったけれど、どうしても参加しなければいけない飲み会の時には、ビールをひたすら飲んでいた。

「ああ、ラガービール!」

「懐かしい。あれは美味かったな」

 私が答える横で、北里先生と森先生が頷いている。

「あのビールは、10度以下の低温で、伝統的には秋の終わりから春にかけて発酵させて作られます。しかし最近、ドイツでは、麦汁を仕込む時に冷却したり、発酵段階で、発酵用の桶や、それを置く室内を冷却したりすることによって、ラガービールを一年中生産できるようになっています。もちろん、我が国でもです」

「え?!」

 私は目を丸くした。「室内を冷やすって……どうやって?!」

 私の時代のように、エアコンがある訳ではない。氷の柱を四六時中立てておくというのも、非効率的だ。

「冷却水ですよ」

 高峰先生は楽しそうに答えを教えてくれた。「アンモニア冷凍機を使って作った冷却水を、室内に巡らせた配管に流すのです。もちろん、桶の中にも冷却水を循環させる仕組みを作っています」

「そうなんですね……」

 私は少し考え込んだ。

「もし、ビールと同じような仕組みを使うとなると、培地は液状にする必要があります。だけど、培養タンクの下の方は、酸素が上手く供給されなくて、アオカビや放線菌が上手く生育しないかも……」

「それなら、定期的に撹拌すればいいでしょう」

 森先生が嬉しそうに言う。「人の手だと、撹拌にムラが出るかもしれない。機械的にやってもいいかもしれません」

「そうなると、タンクの中に、冷却水をどうやって通したらいいのかしら。下手をすると、冷却水のパイプと、撹拌機がぶつかっちゃうかも……」

「うう、上手く思い描けない!高峰先生!確か、大阪にビール工場があったはずですが、そちらでラガービールは作っているのでしょうか?!冷却の仕組みを、一度見学に行かなければ……」

 にわかに活気付いた私たちを、

「やれやれ、やはり、わしでは手が出せぬ分野だな」

伊藤さんは呆れたように見やった。

「大山さん、皇太子殿下の方を見て参りますので、あとはよろしく。時刻になったら迎えに参りますので」

 苦笑しながら席を立つ伊藤さんに、

「かしこまりました。その時には、梨花さまを全力で止めますので」

大山さんも苦笑いしながら頷いた。


「それで、決着はついたのですかな?」

 会議が始まってから、およそ2時間後。迎えに来た伊藤さんに、

「ええ、バッチリです」

私は馬車の中でニッコリほほ笑んだ。

 まず、アオカビと放線菌を大量に培養するため、培地を液状にすることが決定した。散々議論した結果、その方が温度管理しやすい、という結論に達したのだ。実際の培養機の設計については、高峰先生と石神先生にお願いすることにした。

「それから、より優秀な菌を探すことになりました」

 そう言うと、伊藤さんは首を傾げた。

「更に菌を採取して、種類を集めるということですか?」

「ええと、それもしますけれど、菌の品種改良も考えます」

「品種改良?」

「はい。生物は、子から孫へ、孫からひ孫へと世代を重ねていくと、急に性質が変わることがあるんです。医者が嫌いなお父様(おもうさま)から、医者になりたい私が生まれるみたいに」

 私は頷くと、伊藤さんにも分かりやすいように、言葉を選びながら話し始めた。

「その子孫たちの中から、優秀な株を選び出して、それを増やすんです。私たちが狙っているのは、有用な物質を、よりたくさん作ってくれる株を選び出すことです」

 私の生きていた時代のように、遺伝子を直接操作するなんてことはできないから、品種改良は、地道に菌の世代を重ねることが必要だ。だけど、アオカビや放線菌は、稲のように、子孫を残すのに1年かかる、という訳ではなく、もっと短いサイクルで子孫を増やすことができる。優秀な子孫が生まれるのにかかる時間は、稲よりは短いだろう。もしかしたら、ある種の薬品やエックス線を使えば、突然変異が誘発できるかもしれない。

「ただ、液状の培地での、より良い培養の仕方を研究しないといけないから、実際に菌の大量培養が出来るようになるには、何年か時間が掛かりそうです。高峰先生の負担も大きくなりそうだから、彼にお願いする予定だったインスリンの研究も、京都帝大にお願いすることになったけれど、京都帝大には、消化管造影の研究もお願いするからなあ……。森先生は、モルモットでの壊血病発症実験をしながら、あの謎の物質の解析をすることになったし、ああ、医学研究の計画が遅れていく……血液型とか心電図とか、他にもやりたいことがたくさんあるのに」

 私は両頬を膨らませた。「大丈夫かなぁ。万が一、ロシアと戦争になった時に、ペニシリンの大量生産が間に合えばいいんだけれど」

「やはり、それをお考えでしたか」

 隣に座った大山さんが頷いた。「(おい)を相手に話されていた時には、そのことも考えられているご様子でしたが、今日はご指摘にならなかったので、おや、と思ったのです」

「そこまでは、あの席で話さない方がいいと感じたから」

 私は大山さんを見た。「それに、医学以外の技術に関しては、他に漏らす前に、大山さんに相談しなきゃいけないんでしょ?医薬品については、培地の温度管理の方法が確立して、国内で安定した生産が出来るようになっても、いろんな国に生産拠点をどんどん作ってもいい……私はそう解釈したんだけど」

「……よく読み取られました」

 大山さんが満足げに頷いた。やはり、先ほど私が感じたことは、正しかったようだ。

「梨花さまが生きておられた時代でも、スイスは永世中立国だったようですが、そこに医薬品の生産を一極集中させるのも、いかがなものかと思いますし……。供給が途絶える危険を極力回避するなら、やはり数か国に生産拠点を分散するのが無難でしょう」

「確かにね。スイスで薬の生産が出来ても、日本まで実際にそれを持ってくるのは時間が掛かる。特に、日本が戦争になっていたら。世界大戦になったら、輸送が世界規模で滞るだろうから、余計だね。本当は、国内の生産拠点も、1つの薬剤につき、最低2か所は確保しておきたいけれど……この辺は予算と相談かな」

 そう言って、私は大きなため息をついた。

「私もこれからは、医科分科会の席では、発言に注意しないといけない。今回の件で、ベルツ先生には秘密が出来たし……、大山さん、もし私が、医科分科会の席で変なことをしゃべりそうになったら、止めてもらっていいかな?」

「承知しました」

「ありがとう。さっき、励ましてもらったこともだけれど……あなたには、本当に迷惑を掛けてばかりね。まあ、私も、なるべく迷惑を掛けないように頑張る」

 私は大山さんから視線を逸らした。「さっきみたいな目に遭いたくないから……死ぬかと思った」

「確かに、なかなかのものでしたな。昨年、増宮さまが初めて後藤に会われたときのような」

 伊藤さんがそう言って、クスクス笑う。高峰先生たちとの話は盛り上がって、いつまでも医学談義を続けていたかったのだけれど、伊藤さんが会議室に戻ってきた瞬間、大山さんが私に凄まじい殺気をぶつけたので、舌の回転を止めざるを得なかったのだ。

「まあ、これで、今回の旅行の目的は達成できたから、あとは東京に戻るだけだね。ふふ、今夜はまた名古屋城に泊まれるし、やりたかったこともできたし、充実した旅行だったなあ……」

 そう呟いて、ふと思い出したことがあった。昨日、大山さんに“おとなしくしていたら、木幡山伏見城の古図面を見せる”と言われていたけれど、それを見せてもらっていない。

「ねえ、大山さん」

「なんでしょう、梨花さま」

「今日はともかく、昨日、私は大阪に着くまで、おとなしくしていたよね?」

「確かにそうだと思いますが……」

 答える彼の言葉に、

「じゃあ、木幡山伏見城の古図面を見せてちょうだい」

私は満面の笑みでこうかぶせた。

 ところが、

「お断り申し上げます」

大山さんも、私に負けないくらい満面の笑みで返答した。

「え?!」

 私は眉をしかめた。「なんで?だって、昨日言ったじゃない?!“おとなしくしていたら、木幡山伏見城の古図面を見せる”って……」

 私は全力で抗議したけれど、大山さんは全く動じずに、

「梨花さま、ご記憶が不正確になっておられます」

と言った。

「記憶が不正確?私、前世から、“記憶力は異常すぎるほどある”って言われてるわよ」

「ええ、存じております」

 大山さんは笑みを崩さずに続けた。「梨花さまの記憶力は本当に素晴らしい。陛下の記憶力も素晴らしいですが、きっとそのご性質を受け継がれたのでしょう。ですが……梨花さま、今回の場合、細部のご記憶が、少々異なっておられるようです」

「?」

(おい)はあの時、“梨花さまが、これから大阪に着くまで、おとなしくなさるのであれば考えますが”と申し上げました。“見せる”とは申し上げておりません」

「……っ!」

 私は目を見開いた。確かにそうだ。“考える”とは言われたけれど、“見せる”という確約ではなかった。

「で、でも、おとなしくしていたでしょ?考えてはくれるのよね?!」

 おねだりをする子犬のように、私は大山さんをすがるように見つめた。

「ええ、考えました」

「うん」

「考えた結果……」

「うん、うん!」

「やはりお断り申し上げます」

 彼は笑顔のまま、冷たく言い放った。

(あう……)

 私はがっくりと首を垂れた。

「ははは……」

 伊藤さんの本当に楽しそうな笑い声が、馬車の中に響く。「これは大山さんの勝ちですな。増宮さま、交渉事では、些細な言い回しの違いが、勝負を決めることもございます。そして、先方の思い込みを利用することも、物事を動かす手段の一つになりえます」

「うう、確かに……」

 “見せることを考える”という言葉を、私は勝手に、“見せる”と考えてしまった。恐らく、自分に有利なように大山さんの言葉を解釈して、そう思い込んでしまったのだ。

「まだまだ修業が足りない、ということね」

(本当に、お釈迦様の掌から飛び出せない孫悟空みたいだなぁ……)

 ため息をつくと、

「それでも、少しずつ、ご成長されているように思いますよ」

大山さんが優しい声で言った。

「そうかなぁ?」

 私は首を捻った。「実感がないなぁ。大山さんが言うなら、その通りなんだろうけれど」

 すると、

「やれやれ、やはり、わしではこうは参りません」

向かいに座った伊藤さんが苦笑した。

「何のことですか?私には、さっぱりわからないのだけれど……」

「ああ、分からずとも結構でございます」

 伊藤さんは、首を傾げた私に、いつか聞いたようなセリフを投げた。

「こういうものは、一番気が付かないのはご本人、と相場が決まっておりますから」

 そう言って私を見る伊藤さんの眼は、いつもと同じで力強かったけれど、――どこか、優しく、暖かかった。

※今回参考にしたのは、産業技術史資料情報センターHPの「ビール醸造設備発展の系統化調査」「抗生物質・抗菌薬創製技術の系統化調査」、成書では「抗生物質―生産の科学」を参照にしています。


※あと、発酵中の桶の内部を冷却する管がある、というのは、当該資料の写真のキャプションが“明治44年”となっているのですが、一応明治中期の項に写真が配置されていますし、当時の大きなビール工場にはアンモニア冷凍機があったようなので、「明治28年当時の日本でもこの方式でビール発酵の温度調節をしていた」ということで話を進めさせていただきます。ご了承ください。


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