関西旅行(6)
医科研の大阪分室の会議室に、7人の人間が揃った。
大阪分室の責任者である高峰先生。
医科研所長の北里先生と、放線菌研究の責任者である石神先生。
今やビタミン研究の第一人者として、世界に知られるようになった森先生。ちなみに、今年の1月に、軍医中佐から軍医大佐に昇進している。
そして、私と伊藤さんと大山さんである。
「ええと、今日は皆さん、お集りいただいてありがとうございます」
一番上座に私が座ってしまったので、自然、私が司会者を務めるような格好になってしまう。一同が一斉に、私に向かって頭を下げた。
「多分、今、医科研で懸案になっていることについては、この7人で話し合うのが最善だと思います。で、最初に言っておきたいのですけれど……」
私は室内を見渡した。「今日話し合ったことは、この7人の間での秘密にして欲しいんです。もちろん、私が許可した人には話して構わないですけれど、下手をすると、国家機密に関わってしまう可能性があるから」
すると、石神先生が首を傾げた。
「増宮さま、一体どういうことでしょうか?増宮さまが前世の記憶をお持ち、ということは、もちろん秘すべきことだと考えますが、それ以外に?」
「ええ、それ以外に」
私は石神先生の方に身体を向けた。「今、懸案になっているのは、抗生物質も抗結核薬も、量産が出来ない、ということですけれど……」
私の生きていた時代なら、目的の菌を大量に培養して、そこから抗生物質や抗結核薬を抽出したり、物質の構造そのものを解析して、化学的に合成したりすることができる。けれど、この時代では、それは非常に難しいことなのだ。
まず、目的の菌を培養する、という作業自体が難しい。どんなに雑菌が混ざらないように注意していても、空気中の雑菌が培地に入り込んでしまうと、その培地に生えていた目的の菌が全滅してしまう、ということもあり得る。この時代、無菌室なんて代物はないので、そのような汚染が余計に発生してしまいやすい。
そして、環境――温度や湿度、培地の栄養成分やpHなど――によっても、培養結果は左右されてしまう。例えば、放線菌は、猛暑が続くと、生育が止まってしまうシャーレが出て来てしまう。ペニシリンを産生するアオカビも、暑くなってしまうとペニシリンを産生しなくなってしまうのだ。もちろん、今の時代、私の前世のように、エアコンで常に一定の室温を保つという芸当は出来ない。目的の菌の生育に適していない気候になってしまうと、培養は一時中止せざるを得ないのだ。
そんな困難を乗り越えても、今確保できる設備と人員では、培養できる菌の数に限りがある。せいぜい、10名程度を対象にした臨床試験が行える程度の薬剤量しか確保できないのだ。
――これじゃあ、nが少なすぎます!統計学的に有意差を証明できるデータが取れないですよ!
抗結核薬の臨床試験の話が持ち上がった時、私はそう言って、薬剤の量がもっと確保されて、臨床試験の参加人数を増やせるようになってからの開始を主張したのだけれど、
――抗結核薬の開発は急務です。ですから、この際、nが少なくても許容するしかありません。薬剤が安定供給できるようになってから、殿下のおっしゃるような大規模調査を行っていけばよろしいかと。
北里先生と大山さんに説得され、渋々試験の開始に同意したのだ。
「抗結核薬の臨床試験用の薬剤を、安定して供給するのを優先したから、ペニシリンの研究は完全に止まってしまったし……今の2剤併用療法の臨床試験は、全例経過が順調なのは幸いだけど、臨床試験が終わった後、本当に、この後どうするか、考えなきゃいけません。このままだと、薬剤の値段がとんでもないことになるし、生産に必要な人手も全然足りない……」
生産過程に細心の注意を払うし、常に人の目と手が必要になるので、人件費は非常にかさんでいる。もちろん、材料費もそれなりにかかっている。このままでは、1人の患者の結核を治療するのに必要な薬剤を購入するのに、1000円から1500円程度かかってしまう。これでは、実際に薬剤を使えるのは、大金持ちだけになってしまう。それでは感染症の制圧などできない。
「私の時代だと、抗生物質や抗結核薬は、もっとたくさんの量が生産されていました。薬剤だって、本当に大金持ちしか買えない、という値段ではありませんでした。多分、どこかで技術の転換があって、もっと安価に、大量に薬剤が生産できるようになったはずなんですけれど、それがどんなものなのか、私は知らないんです……」
私はため息をついた。それは、前世の大学の授業でも、習ったことがない。けれど、それは言い訳にならないと思う。
「ペニシリンやシズオカマイシンを、培養からじゃなくて、直接化学合成するなんて手段も、合成技術のレベルが低いから無理だし……でも、目的の菌の大量培養は、もしかしたら、醸造の技術を応用出来るところもあるんじゃないかな、と思ったんです。シャーレに入れる培地の量よりも、一度に作るお味噌やお酒の量は、何十倍、いや、何百、何千倍の量じゃないですか」
前世で、八丁味噌づくりの一連の流れを取材したテレビニュースを見たことがあるけれど、直径も高さも2mぐらいある大きな木桶に、大豆を全て麹にした味噌麹や塩、水を入れて醸造していた。麹だって真菌の一種だから、木桶の中で、大豆と水と塩を培地にして真菌を培養して、味噌という副産物を得ているとも考えられる。
「だから、高峰さんの醸造の知識が使えないかと思って、大阪にやって来たのだけれど……」
そこまで言って、私はうつむいた。
「悔しい。薬剤の大量生産の方法さえ覚えていたら、たくさんの人を助けられるのに……。私、本当に馬鹿だなって……」
そう言って、歯を食いしばった時、
「梨花さま」
暖かい視線が、私に注がれたのを感じた。大山さんだ。
「それを考えるために、皆様に集まっていただいたのでしょう?」
「そうだけどさ……」
私はうつむいたまま答えた。「やっぱり悔しい。もっともっと、医学や薬学のことを勉強してから死ぬんだったって。それに、ちゃんと覚えていれば、大阪に集まってもらって話し合うという手間も、かけなくてよかったかもしれない。みんなに迷惑をかけてるよ……」
すると、
「恐れながら」
北里先生が口を開いた。
「殿下には本当に感謝しているのです。私の留学を支援していただいたことに始まり、殿下の時代の医療の知識を多岐にわたってご教示いただき、私が力の限り働ける環境を整えていただいた。ですが……」
「?」
顔を上げた私の視線の先で、北里先生が無言で笑う。肉食獣を思わせるような微笑に、私は首を傾げた。北里先生がそんな顔をするところは、今まで見たことがない。
「このままでは、美味しいところを、全て殿下に持っていかれてしまいます。我々も、医学者として、病に関する未知の理を自らの手で解明して、医学を発展させたいという欲がございます。今のままでは、医学を発展させたいという欲は満たせても、未知の理を解明したいという欲が満たせません」
「え……?」
「確かに、北里君の言う通り。私も凡夫ゆえ、このままでは、学究の徒としての欲は満たせませんな」
森先生の微笑にも、どこか凄みが漂っている。
「ご存じないと落ち込まれる必要はございません、増宮さま。我々が真に智力を尽くす機会が、ついに巡ってきたというだけのこと」
石神先生は、そう言って、両眼をギラギラさせる。
「さよう。これで、我々はようやく、増宮殿下と同じ地平に立てました。例えその御身に貴き血が流れていようとも、頭脳では、我々も殿下に負けるつもりはありません。勝負ですぞ、殿下」
高峰先生も嬉しそうにこう言うと、微笑を私に向けた。
(あ……)
「ほら、梨花さま」
大山さんの声が聞こえた。
「地に足を付けて考える時期でございますよ」
――ご存じの未来の知識をこの世に還元するだけではなく、ご自身の頭で、新しいことをしっかり考えなければいけない時期になったというだけですよ。
以前、私の時代で言うビタミンCの実験に失敗して、激しく落ち込んでいた時に、大山さんにこう言われたのを思い出した。
(その時期に、本当になったということか……)
隣に座っている大山さんを振り向くと、彼は私の目を見て、励ますように頷いた。あのいつもの、優しくて暖かい瞳だ。
(じゃあ、……やってやろうじゃないの!)
私は軽く頷くと、室内をジロリと見渡した。
「……言っておきますけれど、高峰先生。私だって、前世で医師国家試験に合格しているんです。そんじょそこらの男子に、頭脳は負けない自信があります。だから一応、この事態を打開できそうな策を、少し考えてきたんです」
「ほう」
高峰先生が、掛けた眼鏡を右手の指で押し上げた。
「では、聞かせていただきましょうか」
「ええと、菌の生育環境についてですけれど」
今問題になっているのは主に、高温になると、菌の発育が止まってしまうということだ。
「室温を調整する、という意味では、室温を上げるのは簡単に出来ると思うんです。暖炉やストーブを使って、扇風機で気流を発生させれば。問題は、室温を下げないといけない時です。私の時代なら室温を下げることは簡単にできますけれど、この時代ではそうはいかない。大きな氷の柱をたくさん立てるぐらいです。でも、それでは限界があるから、根本的に解決するとしたら、夏場に涼しいところで、菌の培養をするのが一番いいです。例えば、軽井沢とか、東北の山の中とか、北海道とか……」
なので、今、日本全国の土地利用の調査をしている後藤さんに、夏でも涼しい土地を探してもらっているところだ。
「だけど、この考えを押し進めると、大きな問題にぶち当たります」
「大きな問題、ですか?」
「ええ、北里先生。そこがどうしても、私の頭では乗り越えられないんです」
「伺いましょう」
森先生がテーブルに両肘を立て、両手の指を組んで口元に持ってきた。
「この考えを押し進めた場合、日本国内だけでなく、もっと培養に適した環境が外国にあれば、そちらに生産拠点を作る、という選択肢も出て来ます」
森先生に威圧感を感じながらも、私は問題点を話し始めた。
「ですけれど、それが問題になってしまうと思って……」
「それが問題になる?」
「はい」
私は石神先生に頷いた。
「もし、生産拠点を置いた国と、日本や、日本と同盟を結んでいる国が、戦闘状態に入った場合、その生産拠点から薬を得ることができなくなります」
「!」
高峰先生たちが息を飲む。一方、伊藤さんと大山さんは平然としていた。
「そうなると、日本国内で、医薬品の深刻な供給不足に陥る可能性もあります」
“史実”では、実際に発生したのだ。第一次世界大戦の時、日本は連合国に属して参戦した。そのため、敵国に回ったドイツからの医薬品の輸入がストップしてしまい、医薬品の深刻な供給不足に陥った。これは、原さんに聞いたことだ。第二次世界大戦の時については、詳しくは知らないけれど、同じような、いや、もっと深刻な状態だった可能性もある。
そして、まだ北里先生たちには指摘はしていないけれど、この医薬品……特に、ペニシリンは、重要な軍事物資になりうる。
ペニシリンが実用化されたのは、確か第二次世界大戦の最中だったけれど、多くの負傷者を感染症から救った。“史実”の日露戦争で負傷したのは13万人から14万人で、そのうち約1万人が治療の甲斐なく亡くなったと伊藤さんと原さんから聞いた。
負傷者たちにペニシリンが使えれば、もちろん、死亡者は減るだろう。治癒すれば、再び戦力になる可能性も出てくる。
けれど、その逆で、もし、日本がペニシリンを全て輸入に頼っていて、その輸出が故意に止められてしまったら、……戦力にならない兵士や、戦死者が増えるだろう。更に影響が進めば、日本国内で満足に病気やケガの治療が出来ず、後方で戦線を支える労働力が減ってしまう可能性もあるのだ。ボディーブローのように、日本にダメージを与えかねない。
「日本で絶対に必要な薬の生産を、全て海外で賄ってしまえば、そういう危険があります。でも、その危険を回避するために、日本での生産にこだわってしまうと、菌の培養が上手くいかなくて、薬剤の生産量が増えない可能性が出て来てしまう……。その問題が私の頭では乗り越えられなくて、だから伊藤さんにも、大山さんにも今日は参加してもらったんです」
「なるほど、最初大山さんから話を聞いた時には、なぜわしをお呼びになるのかと不思議でしたが、そういうことでしたか」
伊藤さんが頻りに頷く。大山さんは反応しなかったけれど、恐らく、ここ数か月、私にずっと同じような話をされていたからだろう。
「お待ちください、そう言えば、今日はベルツ先生がお見えにならないとは思っていたのですが……まさか、このような話をされるために、ベルツ先生はお呼びにならなかったのですか?!」
「正確に言うと、来られなくなるように私が仕向けました」
脂汗をかく高峰先生に、私は微笑した。「いくら私の医学の師匠でも、日本の国益に関する話を、外国の人にするわけにはいかないと思いましたから」
今の時代、東京から大阪までは、汽車にぶっ通しで乗っていても、移動に約18時間かかる。だから、陸奥さんに頼んで、エックス線の検査を東京帝大で昨日の日曜日、しかも午後に受けてもらうことにしたのだ。そうすれば、ベルツ先生はエックス線の機械を動かすのに立ち会わないといけないから、7日午後には、東京に絶対にいることになる。そこから間に合う新橋発の列車は午後10時発……どう頑張っても、大阪に着くのは今日の夕方近くだ。
――ほう、策としては古典的ですが、道具立ては殿下ならではですね。ご自分で策を考えられた報酬ということで、今回は、殿下の駒になって差し上げましょう。
3月末に、ハワイから戻ってきたばかりの陸奥さんに計画への協力をお願いしたら、褒められているのか馬鹿にされているのか、よく分からない返事をされた。本当にやってくれるか、少し自信が無かったけれど、陸奥さんはベルツ先生の再三の検査日変更の要請を、“多忙”の一言で突っぱねて、7日午後の検査の予定を動かさず、ベルツ先生を東京に足止めしてくれた。
念のため、会議に参加している学者たちの周囲に、外国のスパイが入り込んでいないかどうかも、大山さんに頼んでチェックしてもらった。森先生に至っては、家族だけではなく、ドイツにいるかつての恋人まで含め、スパイらしき影がないか探ってもらったけれど、“全員シロ”という報告を3月半ばに大山さんにもらっている。医科研に新しいメンバーを加える時も、大山さんが同じことをしてくれていたようだけれど、まあ、念には念を入れて、という奴である。
「素晴らしい」
伊藤さんが私を見て、満足げに頷いた。
「流石は増宮さま。やはり、医学が絡まれると人が変わられる。それに、少しずつ、ご自身でも訓練をされているようですな」
「ありがとうございます、伊藤さん」
私は伊藤さんに軽く頭を下げると、背筋を伸ばした。
「さて、諸々を踏まえた上で、私、みんなに聞きたいんです。これからの抗生物質と抗結核薬の生産、どう進めていったらいいでしょうか?」
会議室の中は、一瞬静まり返った。
さて、少女とおっさんたちは、どんな回答をひねり出すのか……。
ご批判覚悟の「関西旅行(7)」へ続くっ!




