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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第16章 1894(明治27)年立冬~1895(明治28)年清明
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関西旅行(5)

 1895(明治28)年4月8日月曜日、午前7時。

 私は、大阪城……ではなかった、大阪城の跡に建てられた第4軍管区司令部・通称“紀州御殿”の庭園を歩いていた。

「最高だ……最高過ぎる……」

 実は、第4軍管区の司令部が大阪城内にあるというのは、事前に大山さんから聞いてはいた。ただ、どんな外観の建物かまでは聞いていなかったのだ。昨日の夕暮れ時に、その“司令部”の前に到着して、

――あれ?大阪城内の司令部って、洋館じゃなかったっけ?

私は首を傾げた。私が生きていた時代には、陸軍師団の司令部だった洋館が、商業施設に改装され、大阪城公園の中に現存していたはずだ。

――それに、大阪城の御殿って、鳥羽・伏見の戦いで燃えたんだよね?この御殿、ぱっと見、大阪夏の陣の直後の再建で建てられたっていう雰囲気を感じる……。

 すると、

――さすがです、梨花さま。

大山さんが微笑した。

――この建物は、10年前に、和歌山城の二の丸御殿の一部を移築したものです。

――和歌山城の、二の丸御殿……。

 記憶を探って正解にたどり着いた私は、思わず右の拳で左の掌を打った。

――“紀州御殿”だ!

 “紀州御殿”。大阪城の本丸御殿が鳥羽・伏見の戦いで炎上した後、江戸時代初期に建築され、まだ現存していた和歌山城の二の丸御殿の一部を、1885(明治18)年に移築して作られた。確か、大阪城公園が開園した時に、大阪市に移管されたはずだ。その後、“天臨閣(てんりんかく)”と改称され、太平洋戦争の空襲では焼け残ったのだけれど……。

進駐軍(ジー・エイチ・キュー)の失火で燃えちゃって……その幻の“紀州御殿”に泊まれるというの?!)

――もうダメ、私、嬉し過ぎて死にそう……。

 余りの感激に、思わず目を潤ませたら、「そう簡単に死ぬな」だの「日本語がおかしい」だの、兄と伊藤さんと大山さんに、散々突っ込まれた。

 それはさておき、昨日は、第4軍管区の司令官である北白川宮家のご当主・能久(よしひさ)親王殿下と一緒に夕食をとった後、紀州御殿そのものの構造や調度をじっくりと堪能した。今朝は日の出とともに起きると、鳥羽・伏見の戦いの際の火災から残った櫓群を、大急ぎで見て回り、紀州御殿の庭園まで戻ってきたのだ。

(朝ごはんまで少し間があるから、運動しようかな)

 手に下げた巾着袋から懐中時計を取り出し、朝食まで30分あるのを確認すると、私は自分に割り当てられた部屋に戻った。侍従さんに人払いを頼んで、ゴム底布靴を履き、竹刀を手に再び庭園に出る。日課の竹刀の素振りをやっておこうと思ったのだ。

 既定の回数を終えると、私は竹刀を構え直した。目を閉じて、出来るだけ心を静める。そして、自分の前に、一人の少年の姿を思い浮かべる。私と同じように竹刀を構えている、兄のご学友の毛利さんだ。

 小さいころから、橘さんについて剣道を習った結果、そこらの男子よりは、剣の腕が立つ私だけれど、毛利さんだけにはどうしても勝てない。でも、せめて、10回に1回くらいは、彼に勝ちたい。そう思って橘さんに相談したら、

――立ち会う瞬間から、増宮殿下は既に毛利どのに、頭から呑まれております。これでは、勝てるものも勝てませぬ。

と言われてしまった。

(要するに、メンタルがダメってことだよなあ……)

 そう思ったので、最近、イメージトレーニングのようなことを始めてみた。毛利さんと立ち会う場面を想像して、彼が取るであろう動きを可能な限り予想して、それに対応して身体と竹刀を使う。ひとりで虚空に向かって叫んだり、竹刀を振ったりしているから、側で見ていると、挙動不審者にしか見えないだろう。だから最近、自分だけで竹刀を振るときは、極力人払いをするようにしている。

 毛利さんにはいつも負けてしまう、という思いが強いせいか、毎回、始めた直後は身体が動かないけれど、少しずつ、イメージに身体がついて行けるようになる。今日は大阪城の櫓を見て、すごく気分がいいからか、気合の声もよく出て、だんだん五感が研ぎ澄まされていった。

(いける……これなら……!)

「やぁーーーーーーーっ!!」

 イメージの中の毛利さんに向かって、打ち込みを繰りだそうとしたその時、私の感覚に何かが引っかかった。

(誰かいる!)

 恐らく、紀州御殿の、庭に面した回廊だ。その曲がり角に、誰かが潜んでいる。この気配は、兄のものでも、大山さんのものでもない。

(人払いは頼んでるはずだから……不審者?!)

「誰か来てっ!」

 私は、10mほど離れた回廊に向かって全速力で走った。もちろん、竹刀は手にしたままだ。私の命に危険が迫る可能性もあるから、こちらも本気で相手を倒さなければいけない。土足のまま御殿に上がり込み、すぐそばの曲がり角に急いだ。

「お願い、誰か来て!不審者よっ!」

 怒鳴りながら角を曲がり、不審な人物に竹刀を突き付けようとしたその瞬間、

「ま、増宮殿下……?!」

その不審者が声をあげた。立派な鼻に、その下に八の字に蓄えたひげ、そして大山さんと同じ歩兵大将の軍服を着ている、顔を真っ青にしたこの中年男性は……。

(よ、能久親王殿下……っ?!)

 竹刀が、手からポロリと落ち、私はその場にへたり込んだ。


「落ち込まれることはないでしょう」

 午前9時30分。朝食を終え、土足で汚してしまった回廊を掃除した私は、医科研の大阪分室に向かう馬車の中で、向かいの席に座った伊藤さんに慰められていた。ちなみに、兄はこれから、大阪城周辺の歩兵師団の本部や、国軍の工廠を視察する予定だ。

「いや、落ち込みますよ、これは……」

 私はうつむいたまま答えた。

 能久親王殿下は、私と同学年の恒久王殿下や、その下の成久王殿下、輝久王殿下の父親だ。つまり、将来、私が北白川宮家の誰かと結婚する場合、舅になる人なのだ。その人を、私は不審者と勘違いして、本気で叩きのめそうとした。

 しかも、能久親王殿下、私と兄と一緒に朝食を取っていた時、私の視線に気が付くと震えていて、全然箸が進んでいなかったのだ。これは間違いなく、私に怯えている。

(息子のみならず、父親にもトラウマ植え付けちゃったよな……)

 こうなっては、私が恒久王殿下と結婚する未来は絶対にないし、その下の弟君たちと結婚する未来も消え去ったと考えていいだろう。

「大山さんでも兄上でもない気配を感じたから、不審者だと思って本気でやっつけようとしたら、能久親王殿下……。男子が逃げ出すような話が、また一つ増えちゃったし、ああ、それより、文化財を土足で汚してしまうなんて、私としたことが、何という失態……」

 両手で頭を抱えると、

「そんなことはありません」

伊藤さんの隣に座る大山さんが静かに言った。

「え?」

「梨花さまは、剣の稽古をされている時、人払いをされていたでしょう。そこを北白川宮殿下が、止める侍従を振り切って、強引に押し通ったのですよ」

「大山さん、慰めてくれるのは嬉しいけど……、それって、庭で奇声が聞こえるから、私のことを不審者だと勘違いして、とっちめようと思ったんじゃないかな?」

 首を傾げた私に、

「おのれ……わしと桂への貸しもお返しにならぬうちに、このような振舞いに及ばれるとは。事情によっては、陛下にしかるべき処分をお願いしなければ……」

伊藤さんの凄みのある声が降ってきた。

「伊藤さん、大丈夫です。今、桂さんが北白川宮殿下と話をしています。少し、殿下に()()()()()()()()方がよろしいでしょうから」

 大山さんも、いつになく緊張した様子で伊藤さんに返す。

「え、親王殿下に“ご忠告”……?」

 多分、皇族相手には余り使わない言葉だろう。そう大山さんにツッコもうとしたら、

「梨花さまには今後二度と、一指も触れさせませぬ。皇太子殿下も、我々と同じお気持ちでいらっしゃいます」

彼の口から、意味不明な言葉が紡がれた。

「あ、あの、大山さん?物騒なことは考えてないよね?」

「物騒なこと?いいえ、少しも」

 大山さんが笑みを見せた。口元はほころんでいるけれど、目が笑っていない。

(いや、これ、絶対物騒なこと考えてるだろ!)

「あのさ、悪いのは、不審者と勘違いされるようなことをしていた私だよ?あなた、能久親王殿下に全ての責任があるって考えてない?」

 私は、大山さんの誤解を何とか訂正しようとしたけれど、

「それ以外の考え方があるのですか?」

彼からは、こんな答えが返ってきた。言葉に、有無を言わせぬ迫力が宿っている。恐らく、能久親王殿下が悪くないことを懇切丁寧に説明しても、彼は徹底的に論駁し、相手の言うことを封じ込めてしまうだろう。例え、その相手が主君(わたし)であっても。

「あの……能久親王殿下の身は、傷つけないようにしてね?」

 私は、大山さんにこうお願いするのが精いっぱいだった。

「重々承知しております。いずれにしろ、梨花さまは必ずお守り申し上げますので、どうかご安心を」

 大山さんは非常に真面目な口調で答えると、深々と頭を下げた。

 紀州御殿から10分ほど馬車を走らせると、医科研の大阪分室に到着した。既に玄関には北里先生や石神先生と一緒に、高峰譲吉先生が待っていた。

「高峰先生、お久しぶりです」

 馬車から降りると、私は高峰先生に頭を下げた。2年前の春、アドレナリンが単離出来た後に、上京した彼に会ったことがあるけれど、その時に私のことは話している。その後、彼は杜氏の藤木幸助さんと一緒にタカジアスターゼを発見し、その製剤化に成功していた。

「殿下、わざわざのお運び、恐縮でございます」

 高峰先生は私に負けないくらい深いお辞儀をした。

「いえ、今回は、私が無理を言って押し掛けたようなものですから……」

「増宮殿下、それは違いましょう。我々の希望でもありましたから」

 横から北里先生が言う。隣に立っている石神先生も、何度も首を縦に振った。

「ご期待はありがたいのですが、私は皆さまより、醸造に関して多少知識がある、というだけでして、お役に立てるかどうか……」

 高峰先生は、顔に苦笑を浮かべる。彼は工部大学校を卒業すると、イギリスのグラスゴー大学に留学し、その後、農商務省で働いていた。高橋さんの下で、特許制度の整備に従事したこともあるそうで、特許に関しても明るい。

 もちろん、彼の真骨頂と言えるのは化学の研究で、私にアドレナリンの研究をお願いされるまでは、人造肥料の研究や、ウイスキーの醸造方法の改良の研究をしていた。だから、医科研で懸案になっていることに関して、何か解決策を持っているのではないか……北里先生たちとも意見が一致し、今回の私の関西旅行に合わせて、医科研の面々とともに、大阪分室を訪問することになったのだ。

「でも先生、“三人寄れば文殊の知恵”とも言いますし、皆で話し合えば、きっといい知恵が出ますよ」

 私は微笑しながら、周囲を確認した。北里先生たちと一緒に大阪に来ているはずの森先生の姿が見当たらない。

「森先生は?」

「ああ、例の物質を見てもらっています」

 高峰先生が眼鏡をずり上げながら答えた。牛の副腎からアドレナリンを単離した高峰先生だけれど、他の副腎ホルモンが牛の副腎から抽出できないかを実験している最中、強い還元力を持つ物質を発見したそうだ。

「手紙で問い合わせたことを、もう一度聞くことになってしまいますけれど……尿酸やリン酸じゃないんですよね?」

「はい、それとは違うようです」

「ああ、やっぱりそうですか」

 私は腕を組んだ。還元力があるということは、裏返すと、抗酸化作用があるということだ。生体内に普通に存在することが出来て、抗酸化作用がある物質と言うと、私が他に思い付くものは、ビタミンCとビタミンEだけれど……。

(いや、まさかな……抗酸化作用がある物質、他にも生体内にあるかもしれないし……)

 私が考えを巡らせようとした時、

「まあ、そちらは今回、“ついで”でありましょう」

横から伊藤さんが言った。

「そうなんですけれどね、疑問は解決しないと……」

「ですが、この機会でないと、できないこともございましょう」

 大山さんが指摘すると、北里先生が大山さんに最敬礼する。

「確かにそうね。まずはそっちからか」

「そうです、順番を間違えてはいけませんよ、梨花さま」

 大山さんが微笑む。

「じゃあ、時間が惜しいから、早速話し合いを始めましょうか。森先生も呼んできてもらっていいですか?」

「かしこまりました。では、こちらへ」

 先に立つ高峰先生に、私たちも続いて建物の中に入った。

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― 新着の感想 ―
[一言]  洋風の師団の建物は、昭和の天守「閣」建設の時、市民の寄付の一部を横取りして建設されたものです。  当時大阪城は師団の敷地だったので、場所を提供する替りにと建設されたとか。  尚戦前は二之丸…
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