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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第16章 1894(明治27)年立冬~1895(明治28)年清明
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関西旅行(2)

※地の文を一部修正しました。(2019年8月12日)

 1895(明治28)年4月5日金曜日、午前8時30分。

「うーん、ダメだぁ……」

 木曽川の鉄橋を渡る特別列車の窓を開け、双眼鏡で東の方角を眺めていた私は、ため息をついた。

「地図で見たら、15kmぐらい離れていたし、天気もあまり良くないから、犬山城を見るのは、双眼鏡を使ってもちょっと厳しいか……。思い付きに付き合ってくれて、ありがとうございました」

 私は顔から双眼鏡を外すと、隣に座った桂さんにそれを返した。

「いえ、増宮殿下に双眼鏡を使っていただき、光栄でございます」

 軍服を着た桂さんは、ニコニコしながら双眼鏡を受け取り、私に大仰に頭を下げる。第3軍管区の司令官である彼は、今朝、なぜか私たちの列車に乗り込んできた。なので、上等車の乗客は、私と兄、そして伊藤さんと桂さんの4人になった。

「助かる、桂。この区間、わしだけでは、増宮さまのお相手が出来そうになかったからな」

 向かいの座席に座る伊藤さんが苦笑する。

「大垣城に彦根城……天守閣が残っている城の側を通過するからな。まさか、犬山城にまで手を出すとは思わなかったが」

 伊藤さんの隣で、同じく苦笑いを浮かべる兄に、

「いや、遮蔽物が私の時代より少ないから、天守閣が見えるのもワンチャン……じゃなかった、一縷の望みがあるかなと思って」

私はニッコリ笑って答えた。昨日は名古屋城の本丸御殿に久しぶりに泊まれたし、夕食の時に、桂さんが献上してくれた外郎も食べられたし、今朝は大天守から兄と一緒に日の出も拝んだし、犬山城の天守閣が見えなくても、私の気分は上々だ。

「ところで桂さん、明々後日(しあさって)まで私たちに付き合って、仕事の方は大丈夫ですか?」

 私は桂さんの方を振り向いた。

「ご心配なく。副司令官に業務は引き継いでおります。それに、実は、全ての行程をお付き合いする、という訳ではないのですよ」

「あ、そうなんですか」

「大阪の工廠にも行きますし、北白川宮殿下にも会わなければいけませんからな、教育顧問として」

(なるほどねえ……)

 私と同学年の恒久王殿下、それから学習院の初等科2年生の成久王殿下、1年生の輝久王殿下……。この他にも、北白川宮家には何人も子供がいる。その子だくさんな北白川宮家の教育顧問をしている桂さんは、時々名古屋から上京する。今年のバレンタインにも上京して、花御殿にやってきたから、「私なんかに贈り物をするために、わざわざ上京しなくてもいいんですよ」と彼に言ったら、

――北白川宮家にも参らなければいけませんから、別に苦ではありませんし……それに、“私なんか”とは一体どういうことですか、増宮殿下!

と、猛抗議されてしまった。

「あの、ちなみに、教育効果は出てるんですか?その……私に怯えなくなるように、でしたっけ?」

 桂さんに聞いてみると、

「成久王殿下と輝久王殿下は、増宮殿下の良さを少しは分かっていただいているようですが、恒久王殿下はダメですな」

彼はこう言ってため息をついた。「小さいころに、戦ごっこで増宮さまにひどくやられたのが、心に強く残っているそうで」

「あー……」

(トラウマ、植えつけちゃったよ……)

 私は肩を落とした。将来、内親王の私が結婚する相手となると、皇族か華族。しかも、年の近い伏見宮邦芳王殿下と北白川宮恒久王殿下が“本命相手”になるのは、私も分かっているけれど、そんな状況では、恒久王殿下と結婚する未来は無い方がお互いのためだ。

「全く、情けないな、恒久は。俺の妹が怖いとは」

 兄がため息をつく。「確かにあの時は、梨花の作戦が見事に決まったが……そう言えば梨花、あれは何か、参考にした作戦があったのか?」

「ええと……、第1次上田合戦だね。真田昌幸が徳川勢を相手に戦ったやつ。野戦で負けたふりをして、徳川勢を上田城におびき寄せて、二の丸までわざと入らせたところで、万全の態勢で総攻撃を食らわせて敗走させて、更にそこを息子の信之の軍が追撃して……確か、真田勢2000人に対して、徳川勢8000人ぐらいの戦いだったけど、真田勢が大勝したんじゃなかったかな」

 私が説明すると、

「なるほど、やはり参考にされたものがありましたか」

隣に座った桂さんが、得心したというように首を頻りに縦に振った。「あの当時、増宮殿下が立てた作戦で恒久王殿下が負かされたというのが、国軍で大評判になりまして。しかし、恐れながら増宮殿下は、あの時僅か6歳であらせられましたから、源太郎と権兵衛と3人、“不思議なことだ”と首を捻っていたのです」

「確かにそうなりますよね……」

 私は曖昧に微笑した。「兄上が、“これは大事な攻城戦だ”なんて煽るから、つい、城郭マニアとしての本気を出してしまって……」

「おい、俺のせいにするのか」

 兄が苦笑しながら、私を軽く睨み付ける。

「だって、あんな風に兄上が言われなければ、前世で得た知識を、遊びに全てつぎ込むなんてこと、なかったもん」

 唇を尖らせた私に、

「前世で得た知識、ですか。増宮殿下は医師だったということですが、軍事の勉強をなさったことは無かったのですか?」

桂さんがこう質問した。

「それは無いです、桂さん。前にも言ったと思うけど、城郭の周辺知識として、戦国時代の合戦や城攻めの知識が多少あるだけです。前世では、女性でも自衛隊に入れましたけれど、今みたいに徴兵制が敷かれているわけじゃないから、きちんと軍隊のことを勉強する機会なんて、自分から求めなければゼロでした」

 首を横に振ってから答えると、

「そうでしたか。では、今生では、しっかり学ばれたらいかがでしょうか?」

桂さんがこんなことを言い始めた。

「は?!」

「軍事の知識ですよ。作戦立案もそうですが、軍隊という組織の動かし方もですな。人事に教育計画、装備の調達、会計、兵站管理……」

「ちょっと待ってください、桂さん。私、医者になりたいんです。軍隊のことなんて、普通の医者には絶対に必要のない知識だと思うし、私は女だから、軍隊に入るなんて、今の時代じゃ絶対ありえないし」

 桂さんに抗議すると、

「梨花、“上医”として、俺をあらゆる苦難から守るのではなかったのか?」

兄が微笑んだ。「俺が天皇の位につけば、大元帥として軍を統帥しなければいけないが……大元帥たる俺を、軍事的な苦難からは守ってはくれないのか?」

「って言われてもさあ、兄上、こればっかりは無理だよ」

 私は首を横に振った。

「女らしくないと言っても、流石に、性別を偽って軍隊に入る訳にはいかないよ」

「確かに無理ですな、性別を偽るのは。そうしていただきたくもありませんし」

 私の言葉を聞いた伊藤さんが苦笑する。

「全く、伊藤閣下のおっしゃる通り。その美貌をもってして、男と偽るのは無理がありましょう」

 桂さんは、意味不明なことを言って深く頷いている。

「だから、なんで、そんな訳の分からないことを言うかな……」

(大体、皆が言うほど、美人でもないし……)

 顔をしかめた私の視界に、広い幅の川の水面が入る。列車は、再び鉄橋を渡っているようだ。

「あれ?今渡っている川って、長良川ですか?揖斐川ですか?」

「岐阜を通過した後に、長良川は渡りましたから……揖斐川ですな」

「!」

 桂さんの答えを聞くや否や、私は南側が見える、反対側の窓に駆け寄った。

「ああ……あの前方に見えるのは……間違いない!」

 今度は、肉眼でも捉えることが出来る。太平洋戦争時の空襲で失われた、大垣城の天守閣だ。大津事件で京都に行った帰りにも車窓から見たけれど、やはり何度見ても素晴らしい。

「うう……濃尾地震に耐えて、よく頑張った!感動した!」

 再び大垣城の天守閣を見ることが出来た感動で、泣き出しそうになっていると、

「おお、あれがそうか」

隣に兄がやって来て、私と同じように窓の外を覗いた。

「お前と違って、俺はこの辺りは初めてだからな。これから、関ヶ原の古戦場も通るし、彦根城の側も通る。お前の“まにあ”な話を聞かせてもらわなければな」

「任せて、兄上。関ヶ原の戦いはそんなに詳しくはないけど、彦根城はバッチリだよ」

「では、関ヶ原の戦いは、僭越ながら、私がお話させていただきましょうか」

 私のセリフに、桂さんがこう続けた。「こんなこともあろうかと、史料に目を通しておいたのです。分かりやすいかと思い、地図も持参しております」

「では、関ヶ原は桂司令官に任せようか。よろしく頼む」

「はっ」

 地図を取り出して兄に一礼した桂さんの頭上に、

「やれやれ、本当に助かった」

伊藤さんのため息まじりの声がかぶさった。

 

 京都駅に着くと、馬車で二条城に直行して、少し遅めの昼食を摂った。

「梨花が調度に見とれて、昼食の箸が進まないかと思ったが、そうでもなかったな……」

 昼食の後、二条城から京都帝大に向かう4人乗りの馬車の中で、兄がほっとしたように呟いた。

「いや、食事中に調度に見とれてたら、不注意でお茶をこぼしたりして文化財を汚損するから、そこは自重したよ」

 私は胸を張った。4年前に京都に来た時には、二の丸御殿しかなかったけれど、断絶してしまった桂宮(かつらのみや)家の御殿が、一昨年、本丸跡に移築され、本丸御殿として機能している。今回はこちらに泊まるけれど、この本丸御殿も、前世(へいせい)に残っていた貴重な文化財だから、不注意で汚して、未来の研究者たちに迷惑をかけるわけにはいかないのだ。

「京都帝大から戻ったら、二の丸御殿と一緒に、本丸御殿をじっくり堪能するよ」

 兄に向かって、ニッコリ笑いながら言うと、

「本当に、城郭がお好きなのですな……」

馬車に陪乗してくれている桂さんが、呆然とした。「以前、名古屋城をご見学されたときも、“多聞櫓に入ったら、日没まで出てこられない”というようなことをおっしゃったので、怪訝に思った記憶がありますが……」

「うちの勇吉も驚いていた。メクレンブルク公が2月に来日された時、“名古屋城と二条城に1か月ずつぐらいこもって、内部をずっと観察していたい”と公におっしゃったそうで……どう訳したものか困ったとこぼしておった」

 桂さんの隣に座る伊藤さんも、顔に苦笑いを浮かべる。

「当たり前ですよ、伊藤さんも桂さんも」

 私は少し不機嫌になった。

「名古屋城は私の時代には、江戸時代の建物がほとんどなくなっていたんです。それに、多聞櫓は、あの5か月後に濃尾地震で壊れて無くなるって知ってたから、城郭マニアとしては、真っ先に見に行って当然でしょう?私、戦災で焼ける前の名古屋城が生で見られて、それだけでも、転生して本当に良かったと思っているんですから」

「は、はあ……」

 桂さんがあいまいな表情で頷く。

「それに、二条城って、私の時代には世界遺産になってたんですからね。姫路城もそう。沖縄の城跡もいくつか世界遺産になってましたし、私が死ぬ直前ぐらいに、長崎県の原城も、世界遺産に登録されるって決まったはずです。だから、現存する建物をきっちり残して、城跡の保全をしていけば、観光資源として活用できて、世界中から観光客が呼べるはずですよ」

「確かに、日本に観光客を呼んで、日本に金を落とさせることは重要ですな」

 伊藤さんが顎髭を撫でる。「もっとも、この時の流れでは、治外法権が撤廃され、日本がアジア諸国の中でも進んでいるという印象があることと、大津事件が起こっていないことで、“史実”より日本を訪れる外国人の数が増えておりますが」

「そうなんですか。じゃあ、お城も文化財も保護して、伝統産業も保護して、外国からの観光客を、しっかり呼び込めるようにしないといけませんね」

 “クールジャパン”って奴ですよ、と伊藤さんに言おうとしたけれど、そもそも、“cool”という英単語に、今の時代、「カッコいい」という意味があるのか自信が無くなり、それは黙っておくことにした。まあ、とにかく、観光業の発展で、外貨が獲得できるのは、この国にとっていいことだろう。

 そんなことを4人で話し合っていると、吉田町の京都帝国大学に馬車が到着した。大学の敷地のそこかしこに、ちょうど七分咲きになった桜が咲き誇っていた。

「俺は法科大学と医科大学で、梨花は理工科大学の視察だが……それで本当にいいのか?」

「うん、それで大丈夫。明後日、北里先生たちが医科大学は視察してくれるはずだから、そっちに任せるよ」

 本当は、医科大学の状況を私自身の手で把握しておきたいのだけれど、京都帝大の関係者で私のことを知っているのは、理工科大学物理学教授の村岡先生だけだ。12歳の私が専門的な質問をするわけにはいかないので、医科大学の状況は、明後日関西にやって来る、北里先生と石神先生と森先生に視察してもらうことにした。北里先生たちとは、8日に医科研の大阪分室で合流して、京都帝大医科大学にどこまで研究を任せるかを一緒に検討する予定だ。

 伊藤さんとともに法科大学の方角に向かう兄にあいさつして、桂さんと一緒に理工科大学に歩いていくと、既に理工科大学の玄関の前で、村岡先生と、島津梅次郎さんが待ち構えていた。エックス線の発見、そして撮影装置の開発……3年会っていない間に、彼らの名は、世界的に有名になっていた。

「あの……梅次郎さん、遅れましたが、お父様のこと、お悔やみ申し上げます。突然のことでびっくりしてしまって……」

 久闊を叙すと、私は梅次郎さんに深々と頭を下げた。昨年の12月に、梅次郎さんのお父さん・島津源蔵さんが急死したのだ。

「いえ……増宮さまのおかげで、父も世界的な仕事に携われました。父の遺志を継いで、私も頑張っていきたいと思います」

 私と同じくらい、深く礼をする梅次郎さんに、

「蓄電池の方も頼むよ、島津君」

桂さんが微笑しながら声を掛け、すっと側に寄った。

「資金に困るようなら、産技研の方に言ってくれたまえ。私も口添えして、最優先でそちらに回すように取り計らおう」

 梅次郎さんの肩を軽く叩いた桂さんの声は小さかったけれど、私の耳には辛うじて届いた。梅次郎さんが感激の面持ちで桂さんの顔を見て、桂さんに最敬礼する。

(これが“ニコポン”かぁ……)

 原さんも言っていたし、私も何となく覚えていた。“史実”で総理大臣を務めた桂さんが、その政治力と巧みな人心収攬(しゅうらん)術を駆使して、政界人や財界人を懐柔していく様を称した言葉だ。この時の流れでも、桂さんはその調整力と人心収攬術で、陸軍と海軍を一つにまとめるのに大きく貢献したけれど、きっとこんな風に相手を懐柔していったのだろう。

「そうか、蓄電池ですね。屋井さんとも連携するんですっけ?」

 私は思ったことを顔に出さないように気を付けながら、梅次郎さんに声を掛けた。

「はい、その予定です。頑張らせていただきたいと思います」

 梅次郎さんはニッコリ笑いながら頷いた。

 と、

「増宮殿下」

桂さんが、今度は私の耳元に口を近づけた。

「蓄電池のことは、ここではこれ以上おっしゃらぬ方が」

(軍事機密になり得るから、か……)

「ところで、先生方、私、早速ここのエックス線撮影装置を見せてもらいたいんですけど」

 私は桂さんの指示に従い、笑顔で話題を切り替えにかかる。

「分かりました。早速、ご案内いたします」

 村岡先生は一つ頷くと、私たちの先に立って、建物の中に入っていった。

 鉛蓄電池の基本的な構造や化学反応は、高校時代の化学の参考書で勉強したから覚えていた。今の時代、既に鉛蓄電池は開発されている。ところが、国産化はまだできていないそうだ。

――第一次世界大戦の時に、ドイツからの蓄電池の輸入が途絶えたはずだ。今の外交方針としては清、そしてイギリスと組んでいく……ならば、ドイツと対決する可能性は見据えておかなければならない。物品は可能な限り、国産できるようにしておくのが無難だろう。

 以前、原さんがこう指摘していた。鉛蓄電池は、私の時代では自動車のバッテリーで使っていたけれど、実は、“史実”では、軍用無線機の電源として使われたこともあるそうだ。あの日本海海戦の時にも、無線機の電源として使われていたということだから、大っぴらにはしない方がいいかもしれない。

(国産化か……すごく大事なのはわかるけれど……)

 だけど、私が今からやりたいことは、それに逆らうことになる可能性がある。

(どこまで範囲を広げていいのかなぁ)

「増宮殿下?」

 ふと気が付くと、横を歩く桂さんが、私を心配そうに見ていた。「何か、ご心配なことでも?」

「ええ」

 私は頷いた。

「でもね、今解決できる問題じゃないんです。だから今回、無理を言って、北里先生と石神先生と森先生に、関西に来てもらうことにしたんです」

「なるほど。それに大山閣下を加えれば、万全というところでしょうか」

「それと伊藤さんですね。本当は、陸奥さんもいるといいんですけれど、ハワイから帰ってきたばかりで、無理はさせられないから……」

 私がため息をつくと、

「なれば、きっと上手く行きましょう」

桂さんは笑顔を見せた。「かなり大規模な、いや、世界的な規模のお悩みと推察いたしますが、大山閣下なら、増宮殿下に悪いようにはなさることは、絶対にありません」

(あ……)

――何か思い悩むことがございましたら、この大山に話してください。何があっても悪いようには致さないと、お誓い申し上げます。(おい)は、梨花さまの臣下でありますゆえ。

 北里先生と初めて会った時だろうか。確かに、大山さんにそう言われた。

「そうですね……」

 私は微笑した。

 4年前、この京都で、思いがけなくも大山さんと結んでしまった君臣の契り。最初は、君臣の契りというものが、この時代でも強い意味を持つものだとは思っていなくて、とても戸惑った。今でも彼が、私が逆立ちしたって敵いっこない、非常に有能で経験豊富な臣下であることに変わりはない。だけど、ようやく、彼は私の大切な臣下なのだと、胸を張って言えるようになった。

「大山さんは、私の信頼する、大切な臣下ですから。まあ、本当は、私が全部考えて、答えを出せるようにならないといけないんですけどね」

 苦笑いが唇に出た。彼のためにも、私は彼に相応しい主君にならなければいけない。今、それになれているとは、到底思えない。

 と、

「うらやましいですなぁ……」

桂さんが、軽いため息とともに呟いた。

「うらやましい?」

 私が眉を顰めると、

「増宮殿下と、大山閣下がですよ」

桂さんはそう言った。

「山縣閣下にも、君臣の契りを結ばれた時の話を伺いましたが……増宮殿下は、大山閣下を、我々がどうやっても敵わない上官にしてしまわれた。大山閣下も、増宮殿下に慈愛をもって接され、殿下のご資質に磨きをかけていらっしゃる。君臣がともに互いを向上させ合う……実に理想的な関係でございます」

「うーん、色々と、大山さんに鍛えられているのは事実ですし、君臣の契りを結んでから、大山さんの雰囲気が変わったとも思うんですけれど……」

(私が大山さんを、桂さんたちが“どうやっても敵わない上官”にしたって、一体どういうこと……?)

 首を傾げた私に、

「ああ、確かに、大山閣下の偉さは、その下僚におったものでなければ分からないでしょう」

桂さんがクスッと笑いかけた。

「大山閣下が陸軍大臣で、私が次官を務めていた頃、つくづくそう思いました。あの方は、何も見ておられないようでいて、実はすべてをご覧になって知っておられて、その上で、知らぬふりをなさっているのです」

「ああ、なるほど……」

 私は深く頷いた。「私は大山さんの主君だけれど、桂さんが言っていることは、何となくわかる気がします。私も思ったことがあるんです。私は西遊記に出てくる孫悟空みたいで、力の限り飛び回っても、大山さんという、お釈迦様の掌から飛び出せないんです」

「わかる気が致します」

 桂さんはそう答えると、顔に苦笑いを浮かべた。

「じゃあ、私たち、大山さんにしてやられている同士ですね」

「ですな」

 私の微笑みに、桂さんは一つ頷くと、悪戯っ子のような笑みを返してくれた。

 転生する前は、“藩閥政治を保たせるように動いた”と、桂さんに対して否定的な評価をしていた。けれど、それはあくまで一つの見方で、その“見方”とやらも、その時々で変わっていく、当てにもならないものだ。

 ただ、一つだけ確かなことがある。それは、彼がその時の最善と思われることを、誠心誠意しようとしていたことだ。

「じゃあ、いつかは大山さんを出し抜けるように、一緒に頑張りましょう。もちろん、国益を害さないように、ですけれど」 

 私が桂さんにこう言うと、

「ふふ、そうですな。ともに励みましょうぞ、増宮殿下」

彼は飛び切りの笑顔を浮かべた。

 本当に、“人懐っこい”という言葉が似合う……そんな笑顔だった。

※恒久王殿下の学習院入学は実際には1889(明治22)年6月ですが、拙作では主人公と同学年とさせていただきます。ご了承ください。

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