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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第16章 1894(明治27)年立冬~1895(明治28)年清明
111/798

先達

※誤字訂正しました。(2019年8月9日)

 1895(明治28)年2月13日水曜日、午前11時半。

「ほら、昌子さまも房子さまも允子さまも、お行儀よくしてくださいね」

 皇居の一室で、はしゃいでいる異母妹たちを、私は苦笑しながらたしなめていた。

「章子お姉さま、綺麗……」

 6歳の昌子さまを筆頭にした3人の異母妹たちは、きゃあきゃあ喜びながら、私のミントグリーンのドレスに付けられた、レースで出来た花を弄んでいる。時々、私の顔を見上げて、嬉しそうな、うっとりしているような表情を浮かべていた。

「増宮さんに、見とれていらっしゃるのね」

 椅子に座り、末の異母弟妹である輝仁さまを膝の上で抱えた、紅い中礼服(ローブ・デコルテ)姿のお母様(おたたさま)が、にっこり私に微笑みかける。

「お(かみ)のペンダントも、伊藤どのの真珠の耳飾りもお顔に映えて……それに、とても堂々としていらっしゃって、立派な姫君ぶりですよ」

「恐れ入ります、お母様(おたたさま)

 私は軽く頭を下げた。

「ですけれど、先ほどから、身体が変で……ふわふわ浮いているような心持ちがして……」

 花御殿でドレスに着替えて化粧を終え、真珠のイヤリングを付けようとしたら、ねじのような金具の扱い方がよく分からなかった。前世では、耳飾りの類は、一切付けたことがなかったからだ。あらかじめ、捨松さんあたりに付け方を聞いておけばよかったと後悔したけれど、時すでに遅し、という奴である。そこで、花松さんに尋ねてみたけれど、彼女もイヤリングを付けたことがなく、金具の扱い方を知らなかった。どうやら、イヤリングというものは、元々日本にはなく、洋装の導入に伴って、西洋から入ってきたものらしい。

 2人で悩んで話し合い、「男性でも、海外経験が長ければ、イヤリングの付け方が分かるのではないか」という結論に至った。そこで、私と兄に付き添うために、花御殿に待機していた大山さんに尋ねたところ、彼がイヤリングの付け方を知っていたので、これ幸いと、彼にイヤリングを付けるのを手伝ってもらったのだ。

――(おい)の手で、(おい)の大切な方を、その御名の通りに美しく飾れるのは、とても幸せなことでございます。

 小さな声で大山さんがこんなことを言い、私に微笑んだ時に、心の奥に、優しい光が灯ったような感覚に襲われた。

 更にその直後、兄が「ペンダントは俺がつけてやる」と言いながら、私の居間に入ってきた。

――俺の誇りの愛しい姫君を、また美しい華で飾れるとはな。

 兄にそう囁かれながら、お父様(おもうさま)にいただいた五弁の花のペンダントを付けてもらったら、心と身体がふわりと宙に持ち上がり、暖かくて優しい何かに抱き締められている気分になったのだ。2年前、フランツ殿下の答礼に行った時と同じような状態が、皇居に着いても、ずっと続いている。

「変?!」

 海兵大尉の正装を纏った兄が、慌てて私の右手を握った。

「大丈夫か?体調が悪いのか?!」

「いえ、体調が悪いと言うわけではないの、兄上」

 私は静かに、首を横に振った。「昨日の夜は、本当によく眠れたし」

「確かにそうだ。俺と宿題をしている頃から、お前は既に眠そうだった」

 昨日は、馬術の稽古の時に繊月の機嫌が悪く、指示してもなかなか脚を止めてくれなくて、稽古が終わったころにはヘトヘトになってしまった。夕食の時も、カフェインが入ったお茶は飲まないようにして、兄と宿題をしている時の飲み物もホットミルクにしたら、兄が部屋を去る頃には眠くて眠くてしょうがなくて、布団に入ったらすぐに意識が落ちたのだ。

「でも、兄上が心配なら……」

 私は兄に身体を近づけて、耳元に口を寄せた。

「手を握っていて貰えるかな?何か、その方が、……暖かくて、安心するの」

「心得た」

 兄は微笑んだ。「ならば、ずっと握って、お前のことを守ってやる」

 と、

「嘉仁」

お母様(おたたさま)の隣の椅子に掛けているお父様(おもうさま)が、ムスッとした表情で兄を呼んだ。「早く朕の後ろに立て。さっさと撮影を終わらせたいのだ」

「はっ、承知しました」

 兄は慌てて、大元帥の正装姿のお父様(おもうさま)の後ろに立つ。私と繋いだ手は離していない。自然、私はお母様(おたたさま)の後ろに立つような位置に落ち着いた。

「では、昌子さまたちは、私とお兄さまの前に並んでくださいね。お父様(おもうさま)は写真がお嫌いだから、急いで並んで、撮影をさっさと終わらせるのよ」

 相変わらず私にまとわりついて騒いでいる、和服姿の妹たちに声をかけると、3人とも「はい」と元気よく返事して、私と兄の前に並んだ。

「こんなことは、初めてですね」

 撮影が終わった後、お母様(おたたさま)お父様(おもうさま)に話し掛けると、

「朕は嫌だが、仕方あるまい。先方が、家族写真を贈って来たのだから」

お父様(おもうさま)が不機嫌そうに答えた。

 フリードリヒ・ヴィルヘルム殿下は、ドイツの皇帝ご一家の写真を持参して、事前に献上してくれていた。ヴィルヘルム2世とその皇后であるアウグステ・ヴィクトリア陛下を中心に、7人の子供達が写っている。それに返礼する写真を撮らなければならないということで、写真が嫌いなお父様(おもうさま)も、渋々家族の集合写真に収まったのだ。

「でも、習慣にしてもよいかもしれませんよ」

 私は言った。「もちろん、毎日ではなくていいのです。年に一度とか」

「よい考えかもしれませんね」

 お母様(おたたさま)がニッコリ笑う。

「朕は撮らんぞ」

「あら、そうですか。ではお母様(おたたさま)、私たちと昌子さまたちで、毎年一度写真を撮りましょう。終わったら(みな)で、お茶会などするのはいかがでしょうか?」

「それはよい考えですね、増宮さん」

「ですね、お母様(おたたさま)。きっと、楽しい集まりになるでしょう」

 お母様(おたたさま)も兄も、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、私に話を合わせる。

「では、そうしましょう、お母様(おたたさま)。来年が凄く楽しみですね」

 ニッコリ笑いながら言うと、

「ま、待て!」

お父様(おもうさま)が慌てて叫んだ。

「まさか、朕を除け者にするつもりか?」

「そんなことは言っておりませんよ」

 私はお父様(おもうさま)に向き直った。「では、お父様(おもうさま)も、撮影会に参加して下さいますか?」

「わかった、仕方ないのう……」

 苦虫を噛み潰したような表情をするお父様(おもうさま)に、

「ふふ……増宮さんの勝ち、ですね」

お母様(おたたさま)が小さく笑いかけた。


 メクレンブルグ公、フリードリヒ・ヴィルヘルム殿下は、ドイツの海軍少尉の正装に身を包み、正午に参内した。ドイツ公使や、乗り組んでいるアレクサンドリーネ号の艦長と一緒に現れた彼は、明るい色の瞳が印象的な、背が高く日に焼けた好青年だった。1871年の4月生まれだから、私より11歳年上である。握手を交わした後の彼の笑顔は、とても素敵だった。

 私と兄は、彼に挨拶をした後、一旦別室に下がって昼食を取った。フリードリヒ殿下は、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)、それから威仁親王殿下のお兄様・有栖川宮熾仁(たるひと)親王殿下ご夫妻、外務大臣の青木さんと一緒に昼食会に出席するけれど、私たちは「まだ成人していないから」ということで参加を免除されたのだ。

 昼食会が終わると、私と兄の出番がまたやって来た。フリードリヒ殿下に、皇居の中を案内する役目を、私たちが仰せつかったのだ。手を繋いだ私と兄は、フリードリヒ殿下の先に立ち、各部屋を案内して回った。

「この宮城は、江戸城の跡に建てられたと聞きましたが」

 フリードリヒ殿下のドイツ語を翻訳してくれるのは、伊藤さんの養子の勇吉(ゆうきち)さんだ。今は宮内省に勤めているけれど、ドイツに留学したことがあるので、この役に抜擢された。

「はい、昔は天守閣もありましたけれど、それは明暦の大火で焼けてしまいました。西暦で1657年のことですから、今から230年以上昔のことです。江戸時代に建てられた御殿も残っていたのですが、これも今から20年ほど前に焼けてしまいました。多少遺構はありますが、幕府があった当時、その中枢として使われていた建物がなくなってしまっているのは、とても残念で、寂しいことです」

 勇吉さんが、私の日本語を必死にドイツ語に訳している。確かに、“天守閣”なんて、ドイツには無い言葉だろう。

「随分、城にお詳しいのですね」

 フリードリヒ殿下が微笑した。

「はい、お城は大好きです。春には名古屋城と二条城に行く予定ですが、両方とも、一か月ぐらい籠って、内部をずっと観察していたいぐらいです」

 私の言葉を聞いた勇吉さんが、顔を引きつらせた。……まあ、一つのお城に一か月籠りたい、なんて、普通の人が言うセリフではないからなぁ。

 だけど、

「我が国にも、城がたくさんありますよ」

フリードリヒ殿下は、私のマニアなセリフにも負けず、会話によくついてきてくれている。

「ドイツのお城ですか……機会があれば行ってみたいですね」

 すると、兄が私の右手を握る力が強くなった。痛みを感じるほどだったので抗議しようと思い、兄の方を見ると、兄はフリードリヒ殿下を、物凄い目つきで睨み付けていた。

「あ、兄上、兄上!」

 小声で兄を呼びながら、握られた右手をゆさゆさ揺らす。

「痛いから!眼も怖いから、兄上!」

「あ、ああ……」

 私の声がようやく耳に届いたか、兄は我に返ったように呟くと、やっと手の力を緩めてくれた。

「すまんすまん」

(いや、すまんって……今、国賓を睨んでいたよね?!)

 苦笑する兄に、心の中でツッコミを入れると、

「仲が非常によろしいご兄妹のようで、とても羨ましいです」

微笑するフリードリヒ殿下のセリフを、勇吉さんが翻訳してくれた。どうやら、フリードリヒ殿下は出来た方のようだ。

「よろしければ、皇太子殿下も一緒にいらっしゃればどうでしょうか?」

「お言葉は大変ありがたいのですけれど、殿下」

 私は飛び切りの微笑を作った。

「我が国には、江戸城や名古屋城、二条城以外にも、たくさん城郭があるのです。数千、いや、数え方によっては数万の城跡があります。それを全部見ないといけませんから、あなたのお国のお城を見られるのは、早くても、私の髪が真っ白くなってからでしょうね」

 こう言ってみると、勇吉さんの翻訳を聞いたフリードリヒ殿下は、プッと吹き出した。

「面白い方ですね。しかし、そんなにお城がお好きなら、“男なら軍人になって欲しい”などと言われませんか?」

「はい」

 私は素直に頷いた。「でも、私は医者になりたいのです」

「医師に、ですか」

 フリードリヒ殿下は目を丸くした。「驚きました。それは、父君のご命令ですか?」

「いいえ、自分からなりたいと言いました。この国には、天皇である父の身体には、臣下が傷を付けてはいけない、という古いしきたりがあります。例え、治療のためであってもです。でも、皇族の私ならば、そのしきたりを越えて、父に侵襲的な治療をすることが出来ます。だから私は、父と兄を病気から守るために、医師になろうと考えているのです」

「素晴らしい。御自身で考えられたのですね」

 フリードリヒ殿下は、そう言って寂しそうに微笑んだ。「私は物心付いたときから、父に“海軍の軍人になれ”と言われて育ちました。自分の意志が介在する余地はありませんでした。幸い、この職は私には合っているようなので、本当によかったと思っていますが……」

「そうなのですね」

 私は相槌を打った。皇族や王族の男子が軍人になるのは、ドイツも同じらしい。

「しかし、医師になられれば、王族の医師としては、ルートヴィヒ殿下に続かれる訳ですね」

 フリードリヒ殿下は、そう言った。

「ルートヴィヒ殿下?」

 首を傾げると、

「ご存知ないですか」

フリードリヒ殿下は優しく言った。「バイエルン王国の今の国王陛下の、従弟に当たられる方です。あの方は、確か大学で医学を学ばれて、外科と婦人科の医師免許を持っておられたはず……」

「本当ですか?!」

 私は目を見開いた。

「知りませんでした。王族で医者になろうと考えるのは、私ぐらいだと思っていましたから。でも……おかしいですね、ベルツ先生から、そんなことを聞いたことがないのです」

「ベルツ先生ですか。彼は、ヴュルテンベルク王国の出身だと聞いたことがあります。ですから、バイエルンの王族のことは知らないでしょう」

「ベルツ先生を御存じなのですか?」

「彼はドイツではとても有名です。東京帝国大学で、日本人の医学者をよく指導した結果、彼の弟子たちが、血圧を簡便に測る仕組みや破傷風菌の血清療法、ペスト菌やマラリア原虫やビタミンAなど、医学を大きく変える発見を立て続けに成していますから」

「そうですね」

 私は曖昧に笑うしかなかった。本当は、ほとんどが私の知識から出たものだけれど、それを彼に言う訳にはいかない。

「貴女もその医学者たちに、続かれるのですね」

「ええ、あなたからルートヴィヒ殿下の話を聞いて、とても気が楽になりました」

 私はフリードリヒ殿下に微笑んだ。

「王族で医師免許を取った者は、今までにいないと思っていました。けれど、ルートヴィヒ殿下という先例がいらっしゃるということが分かりました。日本には、“小さなことにも、案内者は欲しいものだ”という言葉があります。もちろん、彼の生き方を全て真似することはできませんが、ある程度の参考にはなると思います。それに、もし私が医師免許を取る時に、世間が騒いだら、彼のことを持ち出して説き伏せることもできます。だから、とても気が楽になったのです」

「なるほど、そうでしたか。貴女は、とても頭のいい方のようです」

 フリードリヒ殿下は頷いた。

「貴女にルートヴィヒ殿下の話が出来てよかったです。女性で医師になるのは大変だと思いますが、是非頑張ってください。応援しています」

ありがとうございます(ダンケ・シェーン)

 お礼の言葉だけはドイツ語で言ってみた。お辞儀をしてほほ笑むと、フリードリヒ殿下も微笑んでくれた。

(ルートヴィヒ殿下か……)

 一通り宮殿の見学を終えて、退出するフリードリヒ殿下を見送りながら、私は軽くため息をついた。

 医師免許を持っている王族。前世(へいせい)でも聞いたことがなかったから、そんな人なんていないだろうと考えていた。でも、それは私の思い込みだった。もしかしたら、ルートヴィヒ殿下のほかにも、医師免許を持っている皇族や王族がいるのかもしれない。

 でも、それにこだわらず、私も、ルートヴィヒ殿下に続いて、医師免許を取ることに集中しなければならない。そして、お父様(おもうさま)と兄上を、あらゆる面で助けられるように、様々な修業を積まなければ……。

「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり……“徒然草”か」

 私の右手を握ったまま、兄が呟いた。

「しかし、女子の王族で医者になるのは、やはりお前が初めてかな。しかも、“上医”になるのならな」

「かな」

 私は兄に微笑んだ。

「でも、私は頑張るよ、兄上。決めたもの。兄上をあらゆる苦難から守るって」

「そうだな……俺も、お前を全力で受け止めて守ると決めたのだ。この愛しい妹をな」

 兄は私の右手を握り直した。今度は優しくて、無事に今日の役目を果たした私を、そっと労うような握り方だった。

※満宮輝仁親王は、実際には1894年8月に亡くなっていますが、死因が慢性脳膜炎であり、拙作では鉛中毒に起因するものと解釈してお話を進めます。ご了承ください。


※有栖川宮熾仁親王殿下は、実際にはこの年の1月に亡くなられていますが、死因が「広島大本営に伺候した時に感染した腸チフス」なので、拙作では寿命延長しています。


※ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・バイエルン殿下……バイエルン国王ルートヴィヒ1世の孫になります。現時点でのバイエルン国王はオットー1世(同じくルートヴィヒ1世の孫)です。

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