シベリア鉄道牛歩作戦
※地の文を一部修正しました。(2019年7月30日)
※セリフミスを修正しました。(2019年11月18日)
1894(明治27)年11月10日土曜日午後2時、皇居。
「やはり、そう来ましたな」
兄の隣に座った、輔導主任の伊藤さんが、そう言って顎を撫でた。
今日は、月に一度、私と兄も参加して行われる“梨花会”の日だ。その席上、陸奥宗光外務次官から告げられたのは、朝鮮で閔妃が幽閉された、という情報だった。
「一応、国王の命令という体裁を取ってはおりますが、首謀者はもちろん、袁世凱です」
淡々と報告する陸奥さんの声を聞きながら、
(合ってた……よかった……)
私は内心、ホッとしていた。先月の梨花会の席で、大山さんに“梨花さまが袁世凱の立場なら、ここからどうなさいますか?”と質問され、兄と一緒に必死に考えた回答と合致したからである。お父様を来年以降、葉山に避暑に行かせるために、お母様と一緒に作戦を練りながら、朝鮮のことを考えていたから、頭がパンクしそうだったけれど、袁世凱が答えを出す前に、ちゃんと回答は出来たわけだ。
(お父様も、避暑の件は了承してくれたし、回答も合ってたし、これで、「中外医事新報」のツツガムシ病の報告の方にも、きちんと目を通せるな……)
そんなことを考えていると、
「まだ終わっておりませぬよ、梨花さま」
隣から、私の非常に有能な臣下の声が聞こえた。
「何が?私は、田中先生のツツガムシ病の病原体発見の報告を、帰ったらゆっくり読む予定なのよ。それから、ドイツ医事週報の、北里先生と緒方先生の論文も……」
嫌な予感がするけれど、その先の言葉を言われないよう、予防線を張りながら答えると、
「それが終わってからで構いませぬから、続きを考えていただかなくてはなりません」
大山さんはその予防線を、いとも簡単に破壊した。
「続き……って、何の?」
最後の抵抗だ。わざととぼけてみたけれど、
「朝鮮の情勢ですよ」
大山さんは微笑しながら、私に言葉を突き付けた。
「ここからどうなるか、か……」
私はため息をついた。
「彼女は何とかして、今の立場から抜け出したいともがくと思う。例えば、それこそ、興宣大院君の縁者とすら結ぼうとするかもしれない……」
観念して口を開くと、
「興宣大院君の長男の完興君も、その息子の李埈鎔も処刑されましたな」
大山さんはこう答えた。
「あ、そっか……」
興宣大院君の処刑に引き続き、朝鮮では彼に加担したとされた役人や王族が処刑されている。確かにその処刑者の中に、完興君も李埈鎔も含まれていた。
――袁世凱が、朝鮮統治に邪魔な者を消しているのだろうが、流石にこのやり方は乱暴だ。
――だけど、わざと乱暴にやっている可能性もあるよね。最後に、“多数の者を残虐に処刑した”という理由でもでっち上げて、閔妃も処刑するか、どこかに閉じ込めるかするのかな?
先月下旬、兄と話し合った末に出した結論がそれだった。
「ってことは、興宣大院君がらみの線は使えないから、清の本国か、それこそ日本や列強にすがろうとするかな」
私が答えると、
「それを封じるために、わしが清に行くのではないですか」
伊藤さんがニヤリと笑った。「もちろん、李鴻章どのも袁世凱も、閔妃が打ちそうな手は承知していると思います。特に、ロシアに近づけさせてはなりませんからな」
伊藤さんは11月の末から、清に行って李鴻章と会談する。朝鮮対策についてはもちろん、今後の両国の仮想敵国であるロシアにどう対抗するか、という話し合いもするそうだ。
「1日に、ロシアの皇帝陛下が崩御されましたからな。情勢は、多少変わって参りましょうが」
重々しく言う松方さんに、
(いや、その前に、情勢変えすぎですから、あなた……)
私は内心ツッコミを入れたくてたまらなかった。
“史実”では、シベリア鉄道は、いくつかの工区に分かれ、同時進行で作業が進められ、1904(明治37)年に完成したらしい。ところが、この時の流れの中では、西側ではイシム川周辺、東側ではウスリースク周辺でしか、建設作業が行われておらず、他の工区の作業は今年初めから中止されている。先週金曜日の夜、アレクサンドル3世崩御の知らせを持って花御殿にやってきた伊藤さんに、シベリア鉄道の件が気になって尋ねたら、そう答えられた。なぜ中止したのかと突っ込んで尋ねたら、
――フランスに手を回したのですよ。
と、素っ気なく言われてしまったので、根掘り葉掘り問いただしたら、とんでもないことが分かった。
ドイツのビスマルクが宰相の座から失脚すると、彼によって国際社会から巧みに孤立させられていたフランスは、同盟相手を探して動き始めた。その相手となったのがロシアだ。今年の初めに同盟が正式に締結されたけれど、それより前にフランス資本はロシアに……特に、ビッグビジネスと思われているシベリア鉄道に、大量に流入し始めた。
――じゃあ、フランスに手を回したということは、フランスのロシアへの投資を止めたか減らしたか、ということですか?
――いいえ、そんな露骨なことはしておりません。
私の質問に、伊藤さんは時代劇の悪役を思わせるような笑みを浮かべると、実に楽しそうに事情を説明してくれた。
昨年の秋になって、シベリア鉄道に投資していたフランスの銀行家たちが、ロシア側に様々な注文をし始めた。「すべてに従わなければ、資本を引き上げる」という強硬な態度に、ロシア側も折れざるを得ず、まず、シベリア鉄道そのもののルートが変わった。当初は、バイカル湖の南側を通り、スレテンスクから、清との国境であるアムール川沿いに東に進んで、ハバロフスクで南に折れてウラジオストックに向かう予定だった。ところが、フランスの銀行家たちは、「そんな国境に近いところだと、清に攻撃された時に危ないから、もっと内陸に鉄道を通せ」と騒ぎ立てた。その結果、シベリア鉄道のルートは、バイカル湖の南側ではなくて北側を通って東に進み、ハバロフスクから400kmほど北にあるペルムスコエ村まで来ると南に方向を変え、ハバロフスク経由でウラジオストックに向かうというルートに変更された。
――日清戦争が起こっておりませんから、“眠れる獅子”という清の評判は生きております。シベリア鉄道の経路を北に動かす理由には十分になり得ました。バイカル湖南岸を線路が通らなければ、そのまま満州を突っ切ってウラジオストックに向かう線路を敷く、という発想もしにくくなります。
確かにそうだ。“眠れる獅子”と呼ばれた清の威信が地に落ちて、列強による蚕食が行われたのは、日清戦争で日本に負けたからだ。だけど、この時の流れでは、日清戦争などは起こっていないから、“眠れる獅子”は、未だ世界を睥睨しているのだ。
更に、今までは複数の工区を同時進行で建設して、建設速度を上げていたシベリア鉄道だったけれど、フランスの銀行家たちの横槍により、東端と西端の工区から、中央に向かって順番に進めていくという建設方式になった。それと同時に、建設作業に従事する人の質も変化した。シベリア鉄道建設には、今まで、ロシア軍の兵士や囚人が労働力として使われていた。囚人はもちろん、給料はほとんど出さなくていいし、ロシア軍の兵士も、“軍務の一環”という名目で建設に駆り出されていたので、人件費をほとんど掛けなくてよかった。ところが、フランスの銀行家は「大事な鉄道を、囚人ごときを使って建設するなど言語道断だ」と主張し始め、更に、「国土防衛に使う軍隊の方々を、建設に使わせていただくのはもったいない」とも言い、建設には全て、きちんと雇用した労働者を使う、ということをロシア側に承諾させた。
――ある程度の衣食住を保証した上に、労働者の子のみならず、希望すれば労働者本人やその妻に至るまで、格安の価格で普通教育を施す、ということで、ロシアの失業した労働者や、農地から逃げ出した農民が集まってきているようです。労働者たちとその家族で一つの大きな町を形成していて、それが東西からゆっくり、結合点に向かって進んでいる状況ですな。労働者目当ての商売なども発展しているようで……。
――ちょっと待って、伊藤さん。お金を出している資本家に、ロシア政府が逆らえなくて、工事が中止になるのは分かるけれど、人件費にすごくお金を掛けたり、挙句の果てに教育までしたり……一体何の目的?
楽しそうに話す伊藤さんに質問をぶつけると、
――複数の工区で行われていた工事を集約する。しかし、工事に掛ける金額は変えない。すると、工事の進捗度はどうなりますか?
と逆に問いを投げかけられた。
――ええと……作業スペースとかの制約もありそうだけれど、一つの工区に、労働力もたくさん投入できるから、工事の速度はそれなりに上がりますよね。もしかしたら、複数の工区に労働力を分散するよりも、早く建設できてしまうかもしれない……。
――さよう。そして、今、日本と清にとって、シベリア鉄道が完成してしまえば、国防を揺るがす大問題になります。
――ヨーロッパ方面から、兵員や物資が供給され、ロシアが極東、特に朝鮮に手を出しやすくなってしまうからですか……。
そう答えると、「正解ですな」と伊藤さんは目を細めた。
――え?!じゃあ、工区を絞らせたのって、日本と清にとって不利じゃ……。
慌てた私に、
――ですが、労働者一人当たりの人件費を上げれば、どうなりますかな?
伊藤さんは微笑しながら、更に質問した。
――労働者にたくさん給料を支払わないといけないから、いっぺんに雇える労働者の数は減りますね……。
そこまで言って気が付いたことがあり、私は眉をひそめた。
――まさか、人件費にすごくお金をかけるのは、投入される労働力を減らして、シベリア鉄道の建設速度を遅らせるため……?!
――その通り。恐らくこの進捗具合ですと、全線が完成するのは、早くて明治42年ごろになるでしょう。もし、“史実”と同じ年にロシアと戦争になった場合、先方の兵員や物資の供給は滞ることになります。しかし、それだけではありませんよ、増宮さま。
伊藤さんはニヤリとした。
――労働者に渡される給料……それは市場を回り、ロシアの人民の生活を向上させます。そして、基礎教育が施されることによっても……。どうも、ヴェーラ女史や、原君の話を考え合わせると、ロシア革命なるものは、ごく一部のロシアの知識者層が、まともな教育を受けていない多くのロシア国民を扇動して起こしたという印象がありましてな。ささやかな抵抗にしかならないかもしれませんが、そのような扇動に惑わされないロシア国民を、将来のために育てようと……。
――はい?!
私は目を瞠った。毎度毎度、この元勲たちは、どうしてこんなにも、将来を見据えた鮮やかな手を打つことができるのだろう。
――い、伊藤さん、それ、“梨花会”の皆で考えて……。
――最終的にはそうなりますが、原案は松方さんでしてな。高橋君と協力して、フランスの銀行家たちに手を回してくれたのですよ。もちろん、中央情報院も協力してくれておりますが。
その言葉に、私は思わず脱力して、テーブルに突っ伏した。
――おや、増宮さま。いつもよりも酷い驚きようでございますな。
――あ、当たり前ですよ!
身体を起こしながら私は叫んだ。
――だって、松方さんって、財政や経済の専門で、そういう謀略は関係なさそうで……。
――財政家には財政家の、戦いのやり方があるのですよ、増宮さま。
伊藤さんは、本当に楽しそうに私に言った。
――松方さんと高橋君の有形無形の支えがあったからこそ、“史実”の日露戦争が何とか戦えたと言っても過言ではありません。もちろん、戦争が起こらないに越したことはありませんから、ロシアそのものに対しても、“皇帝が代替わりした今、外征をするのではなく、内治に目を向けるべきだ”、という論を、目下宮廷や貴族階級にまき散らしているところです。
(だめだ、本当に、この人たちには勝てない……)
いつものことだけれど、“梨花会”の面々の恐ろしさに、私はただただ、圧倒されるばかりだった。
そんなことを思い出していると、
「来月からは、いよいよ治外法権が撤廃される。これも内閣の皆、そして“梨花会”の面々のおかげ。改めて感謝申し上げます」
大山さんの隣に座った黒田さんが立ち上がり、深々と頭を下げた。
「いや、総理、第一の功労者は、何と言っても増宮さまじゃ」
大隈さんが、大きな声で言う。「増宮さまのおかげをもって、吾輩の手で治外法権も撤廃できた。更に、増宮さまは、吾輩の命まで救ってくださった。これほど素晴らしいことはない」
「その通りやねえ。増宮さまがいらっしゃって、“史実”を伝えてくださったことで、全てが始まったんや」
三条さんものんびりと言った。
「いや、ちょっと待って……」
私は何もやっていない、色々策を立てたのは“梨花会”の面々だし、大体、美人でもなく女らしくもない私に、みんなが集まって来るのもおかしいし……、と反論しようとしたのだけれど、三条さんのセリフで、動こうとした唇が止まった。
「梨花さま?」
私の様子を察したのか、大山さんが私を見る。
「……ううん、何でもない」
私は首を横に振った。私がこの時代に転生した。そしてみんなに“史実”を伝えた。それから全てが始まったのは……否定しようがない、厳然とした事実だ。
「今度は私が、みんなの足を引っ張らないように頑張らないといけない、と思っただけよ」
言葉を紡ぎなおすと、
「そうだ」
上座から、お父様の声が降ってきた。
「朕を己の策にはめることが出来たと浮かれておったら、足を掬われるぞ」
「……まだ根に持ってらしたんですかい、陛下」
勝先生がため息をついた。「いい加減、観念してくださいや。“過労死”って奴で、このジジイより先に陛下に死なれちゃ困るんですぜ。だからおれも、皇后陛下と増宮さまの策に協力したってのに」
すると、
「勝閣下、ご安心を」
末席から声が飛んだ。西園寺さんだ。
「来年の夏、万が一、葉山にご動座いただけない、となったら、僕が兄と一緒に、無理やりにでも陛下を捕まえて、新橋発の汽車にお連れ申し上げます」
「公望、お前と言う奴は……」
お父様が顔をしかめながら呟くと、一座が笑いに包まれた。
「梨花さま」
会議室に笑い声の響く中で、大山さんが私を呼ぶ声が耳に届いた。
「ようございました」
「ん?何が?」
私が尋ねると、大山さんは、いつもの暖かく優しい目で私を見ながら、
「梨花さまがご自身を傷つけずに、ようございました」
そう言って、微笑した。
(敵わないな、本当に……)
私はため息をついた。けれど、不思議と悔しくは無かった。
「陸奥さん!」
“史実”より、人的被害も火災の被害も少なくて済んだ庄内地震の報告を受け、会議が終了した後、私は椅子から立ち上がった陸奥さんを呼び止めた。
「何でしょう、殿下」
動きを止めた陸奥さんの側に、私は歩み寄って、小さい声で言った。
「陸奥さん、20日から、ハワイに行くのよね」
「そうですが……」
怪訝な顔をする陸奥さんに、
「その前に、東京帝大に行って、肺のエックス線写真を撮ってください」
私はこう言った。村岡先生と島津さん親子が開発してくれたエックス線撮影装置……この7月に、東京帝大に納入することが出来た。陸奥さんには、検査だけでも受けて欲しいとお願いはしていたのだけれど、なかなか忙しくて、検査に来てくれていなかったのだ。
「あなたが忙しいのは分かっているけれど、平日に都合がつかなかったら、休日でも機械を動かしてくれるように、ベルツ先生と三浦先生には話を通しておきました」
「休日でも、ですか……まあ確かに、明日の午前中なら、都合はつけられそうですが」
「じゃあ、明日の午前中にということで……何時ぐらいがいいですか?」
「10時ごろでしょうか」
「わかりました。戻ったら早速手配します」
「ありがとうございます」
陸奥さんは一礼して、
「他に僕に伝えたいことは、何でしょうか?」
と私に尋ねた。
(相変わらず、鋭い人だなあ……)
ため息をつきながら、
「リファンピシンが見つかりました」
私は陸奥さんに告げた。
「りふぁん……?」
「2剤目の抗結核薬です」
4月から臨床試験を始めた、高橋さんがヨーロッパから持って帰ってきた土から見つかった放線菌が分泌する物質……試験開始から半年経過して、肺結核の患者はもちろん、ハンセン病の患者にも効果があることが判明し、この物質がリファンピシンであることが分かったのだ。つまりこれで、私の手元には、シズオカマイシンとリファンピシン、2種類の抗結核薬があることになる。あとはこの2つの併用療法が、肺結核に効果があるかどうかの臨床試験をして、きちんとした結果が出れば、ようやく陸奥さんの結核の治療に使うことができる。
「だから、少し早いのだけれど、今月の頭から、併用療法の臨床試験を始めました」
ちなみに、この臨床試験には、大山さんのご長女の信子さんも参加している。彼女は、大山さんと亡くなった先妻さんとの間の娘さんで、昨年三島家に嫁いだのだけれど、その数か月後に肺結核に罹患していることが判明して、療養生活に入っていた。けれど、捨松さんから医科研の臨床試験の話を聞いて、自分から「参加する」と言ってきてくれたのだ。初めに話を聞いた時は、大山さんや捨松さんに参加を強制されたのではないかと心配で、彼女自身の意思を確かめなければならないと強く感じた。だけど、私自身が出向くと、信子さんがびっくりするだろうから、森先生に彼女の気持ちを確認してもらったのだ。
――副作用が起こる可能性も、治療が不十分になってしまう可能性も承知の上で、臨床試験に参加したいとのことです。大山閣下や奥様は、試験の参加に反対されたようですが、ご本人の決意が固く、最終的には折れたそうです。
先月の末、花御殿にやって来た森先生は、私にこう報告してくれた。
(この臨床試験、絶対に成功させたいけれど……成功しても……)
「殿下?」
陸奥さんが私を呼んだ。「臨床試験が終わったその先にも、まだ課題がありそうですが」
「はい、専門的な課題が」
私は素直に答えた。本当に、この人には、大山さんとは別の意味で隠し事ができない。
「でも、あなたの結核は、絶対治します」
「なるほど」
陸奥さんがニヤリと笑う。「……ハワイに行っている間、アメリカの製薬会社に伝手を作っておきましょうか。今や、我が国から発信されている医学の情報は、世界から注目されています。出資したいと考える会社も、世界には多数あるはずです」
「お金があっても、解決できない問題もあるんです」
私はため息をついた。「それに、外国と技術提携したり、資金を提供してもらったりするのは、慎重にしないといけないかなとも思うし……」
だから、ハーバー・ボッシュ法や、オストワルト法についての情報は、産技研ではなく、中央情報院総裁の大山さんに伝えたのだ。ハーバー・ボッシュ法は、窒素と水素を、高温高圧の条件下で、触媒を使ってアンモニアに合成する方法。オストワルト法は、アンモニアを材料として、白金を触媒に使い、硝酸を合成する方法だ。だけど、硝酸は肥料の原料にもなるけれど、火薬の原料にもなる。その技術を持っているか持っていないかは……世界の軍事的なバランスに影響を及ぼしかねない。
「色々と、考えていらっしゃるようだ。非常によろしいと思います」
「ありがとうございます」
軽く頷く陸奥さんに、私は一礼した。
「……陸奥さん、実際に使うかどうかは分からないけれど、アメリカの製薬会社と、伝手だけは作ってもらっていいでしょうか?ただ、陸奥さんの身体に負担を掛けない範囲で動く、というのが絶対条件ですけれど」
「重々承知しております」
と、
「他の国にも、伝手を探しておきましょう」
私の後ろから、非常に有能な臣下の声がした。「あの件に関してでしょう?」
「そう、あの件」
私は振り向かずに頷いた。「ただなあ……探せば、必要な環境は手に入れられるだろうけれど、問題は技術なんだよねえ……」
“梨花会”の面々は、本当に鮮やかな手を、政治の将棋盤の上で指していく。ただ、その名を取られた元の私の方は、医療を更に発展させるための手を、一つ一つ、もがき苦しみながら指していた。
※ペルムスコエ村は、今のコムソモリスク・ナ・アムール市のことです。(改称は1932年です)本文中に出てきたルートは、実際のバム鉄道と似たルートになります。実際に実現できる可能性は正直分かりません。あくまで物語としてお楽しみください。
……さてさて、梨花会の目論見は、うまくいくでしょうか?
※大山さんの長女・信子さんは、1893年に三島弥太郎と結婚、1895年に肺結核のために離婚し、1896年5月21日に亡くなっていますが……「不如帰」なんて、拙作の世界線で書かせませんよ?




