東京地震
※セリフを一部修正しました。(2019年7月15日)
1894(明治27)年6月20日水曜日、午後2時。
「不思議な訓練じゃのう……」
花御殿のある赤坂御用地内の広い庭園。大きな木の木陰で縁台に腰かけ、手にした扇を優雅にあおいでいるのは皇太后陛下だ。
「しかし、今日は関東すべてで訓練をするように、ということでしたから、おばば様」
皇太后陛下の左隣で縁台に座っている兄が、澄ました顔で言う。今日は御学問所の授業は休みなので、兄は洋装ではなく、紺色の無地の着物に薄茶色の袴を穿いている。
「確か、地震が午後2時から3時の間に起こるという設定で訓練を行う、という話でしたね」
私も皇太后陛下の右横で付け加えた。正確に言うと、午後2時4分に、東京でかなり大きな地震が発生する。それは、伊藤さんや原さんから聞いて初めて知った。関東大震災に比べれば規模は小さいらしいけれど、“史実”では死者が30人ぐらい出たそうだ。
濃尾地震の時は、ダイナマイト埋蔵の噂を流して、それに対する避難命令を出して人的な被害を防いだけれど、同じ手が連続で通用するとは思えない。だから今回は、「関東で大規模な防災訓練を臨時に行う」という理由で、関東圏の学校や会社・工場・商店などは、20日だけ休みにするように通達を出した。そして、住民に対しても、「午後2時から3時の間に地震が発生するという設定で訓練を行うので、防災訓練に参加できなくても、不要不急の外出はやめ、安全な屋外に出ていること」という命令を出してもらった。通達に従い、華族女学校も休みになったので、花御殿と同じ敷地内にある青山御所にお住いの皇太后陛下と一緒に、避難行動を取っている訳なのだけれど……。
「章子、大丈夫か?」
兄が心配そうに声を掛けた。「顔色が余り良くないが……暑さにやられたか?」
「あ、ううん、水分も塩分も、補給はちゃんとしてる……」
私はそう言うと、縁台に置かれた湯呑を取って、緑茶を啜った。今日は梅雨の晴れ間で、太陽が照り付け、気温も30度ぐらいまで上がっている。でも、私が今襲われているのは、脱水の症状ではなくて……。
「わかった、化粧の匂いであろう」
皇太后陛下が、扇を使う手を止めた。「小さいころから変わらぬのう……。今日は章子が来るゆえ、匂いの少ない化粧をしたが、それでもいかぬか」
「あの、陛下のお化粧は大丈夫です。女官さんたちのお化粧の匂いが、風に乗って届いてしまって……」
皇太后陛下についている女官さんたちは、私たちから数メートル離れたところに控えている。けれど、風が吹くと、ちょうどこちらが風下になるので、彼女たちのお化粧の匂いが私の鼻腔を襲うのだ。それで気分が悪くなってしまっている。
「ああ、なるほど……」
皇太后陛下は、声をあげて笑った。「章子の弱点じゃのう。しかし、昨年、フランツ殿下が来日した時には、産技研が作った無鉛白粉で化粧をしたというではないか」
「しましたけれど……あれ、私が使う物は、特別に香料を抜いてあるそうです」
産技研の長谷部先生の手で開発された無鉛白粉は、昨年の10月から大々的に販売され始めた。微行の買い物で立ち寄った小間物屋さんで、“増宮殿下御用”という宣伝広告と一緒に無鉛白粉を見つけた時は仰天した。“じゃあ、私が使っても大丈夫なものかな”と思って、商品に手を伸ばしたら、大山さんに止められた。
――流通しているモノは、香料を含んでおりまして……。
――それじゃあ、私が使ってる奴と違うじゃない。看板に偽りあり、だよ……。
ため息をついたけれど、「化粧の匂いが苦手な人も一定数いるだろうから、私が使っている無香料の無鉛白粉も流通させてほしい」とはその場で大山さんに頼んでおいた。
「ほほ……そうかそうか。しかし、どんなものであれ、章子が化粧ができるようになったのは進歩じゃな」
皇太后陛下がそう言った時、
「来た……!」
兄が叫んだ。
「ん?嘉仁、何が来たのじゃ?」
「地震です、陛下!」
私が皇太后陛下に答えた時には、地震の揺れは、座っていてもハッキリ感じられるまでになっていた。立っている女官さんたちが悲鳴を上げる。木々の梢が不自然に揺らされて、羽を休めていた鳥たちが一斉に空に飛び立った。私は縁台に腰かけたままじっとして、大きくなった揺れをやり過ごした。
「驚いたのう……訓練ということであったのに、まことに地震が起きるとは」
皇太后陛下が呟いたのは、5分ほどして、大地の揺れが完全に収まった時だった。
「でも陛下、これが訓練の最中じゃない時に起こっていたら、大変なことになっていましたよ」
私がこう指摘すると、「確かにその通りじゃ。章子は賢いの」と皇太后陛下が私の頭を撫でた。その横で、
「誰か、お父様とお母様の御無事を確かめて参れ。それから、高輪の昌子と房子、麻布の允子と輝仁の無事もだ。福吉町の九条公爵の屋敷にも人をやって、公爵と、公爵の家族の無事を確かめて参れ」
兄が侍従さんに、矢継ぎ早に命じている。通常なら電話で連絡をし合うのだけれど、今日は「訓練の間は、公共機関以外への電話はしないように」という通達が出ている。だから、人をやって確認するしかないのだ。ちなみに、“輝仁”というのは、昨年11月に生まれた私の異母弟で、母親は小菊権典侍である。
「落ち着いておるのう、そなたら」
皇太后陛下の声に、兄と私は目を見合わせて苦笑いを浮かべる。この時間に地震が起こる、と分かっていて、安全な場所にきちんと避難ができていれば、そんなに恐れることはない。けれど、
「いえ、結構怖いです。でも、騒いでもしょうがないから頑張っています」
地震のことを知っている、ということは、皇太后陛下にはもちろん秘密なので、私はこう言ってごまかして、微笑しておいた。その間に、兄は花御殿と青山御所の建物、それから御学問所の建物が損壊していないか確かめるように、侍従さんたちに指示していた。
花御殿にも青山御所にも、そして御学問所にも、目立った被害が無いことが確かめられたころ、節子さまの家に派遣していた兄の侍従さんが戻ってきた。
「九条公爵も、ご家族皆々様も、御無事とのことです」
侍従さんが報告すると、
「良かった。道孝は無事か」
皇太后陛下が微笑んだ。節子さまのお父様……九条道孝さんは、皇太后陛下の弟だ。なので、節子さまは皇太后陛下の姪に当たる。そうなると、節子さまは兄の“父親のいとこ”に当たるから、近親婚に近くなるのではないか、と心配していたら、皇太后陛下はお父様の実の母親ではないので大丈夫、なのだそうだ。前世ではもちろん、一夫一婦制が基本だったから、初めて聞いた時は、話を理解するのに時間が掛かった。
「嘉仁も、節子が無事でよかったの」
「無事でなくては困ります」
皇太后陛下の言葉に、兄がこう返した時、今度は皇居に派遣していた侍従さんが報告に現れた。
「天皇陛下も皇后陛下も、御無事であらせられますが、皇太子殿下と増宮殿下に、直ちに参内せよ、とお命じになられました」
侍従さんのセリフに、私と兄は顔を見合わせた。
「何かあったのか?」
兄が慌てて尋ねると、侍従さんは首を横に振った。
「ただ、“無事な顔が見ておきたい”と仰せられました」
「あ、はあ……」
私の声に、皇太后陛下の笑い声が重なった。
「そうか、そうか……お上は、そなたらがよほどかわいいようじゃなあ……」
扇を広げると、皇太后陛下は口元を隠した。笑い声が納まると、扇が皇太后陛下の顔から外れ、口元には微かな笑みだけが残っていた。
「よしよし、嘉仁も章子も、お上の所に行っておあげ。ついでに、わらわのこともよろしゅう伝えておくれ」
「で、でも、昌子さまたちの無事がまだ……」
私が皇太后陛下に言うと、
「昌子も房子も允子も輝仁も、無事に決まっておる」
皇太后陛下はこう断言した。「侍従たちの報告は、わらわが聞いておくから、そなたたちはお上の所に行っておあげ」
重ねて皇太后陛下に命じられて、
「かしこまりました……」
呆気に取られたような表情の兄は、無理やり皇太后陛下に頭を下げた。私も兄に倣って、皇太后陛下に一礼した。
「参ったか」
私と兄が、午後4時前に表御座所に入ると、お父様が口元をほころばせた。お父様の側には爺が控えている。既に人払いはされているようだ。
「お父様、御無事で。お母様は?」
「うむ、美子も無事だ」
兄の質問に、お父様は短く答えた。
「被害の方は……って、流石にこの時代だと、こんなに短時間じゃ、全部はまとまらないですよね……」
質問に対する答えはないだろうと思ったのだけれど、
「賢所も皇霊殿も神殿も、それから宮殿も無事だが、街の方には、被害が出ているところもある。ただ、人的な被害は、どうやら“史実”よりは少ないようだ」
お父様がこう言ったので、私は面食らった。
「え、もう被害状況の把握が……?」
「“訓練”という名目で全てを動かしていたからな。消防組や警察などは、地震が起こった時に既に出動していたゆえ、早く対応できたようだ。流石に、被害をある程度把握できているのは市内だけだが、恐らく他の地域の被害も、“史実”よりは少ないであろうよ」
「はあ……」
私は曖昧に頷いた。
「ところで、地震の直前に、この電報が香港から内務省に届いてな。それもあって、そなたらを呼んだ」
「香港……」
香港と言えば、北里先生と緒方先生が、ペストの調査に派遣されている場所だ。
しかも、
――主治医どのの目論見が当たれば、医科研と東京帝大の名を世界に知らしめることになる。だから、調査の結果は、まず陛下に報告するぞ。
と、今月の初めに原さんに言われている。「グラム陰性桿菌のペスト菌が見つかった」という報告は、既に6月初めにお父様経由で伝えてもらったけれど……。
「調査団に何かあったのでしょうか?」
「いや、どうやら違うようだ。まあ、読んでみろ」
お父様が前に突き出した電報用紙を、私は受け取った。カタカナばかりが記された電報用紙に、慌てて目を走らせる。
「“ペスト菌をネズミと、ネズミに付きたるノミからも発見せり。感染経路の証明に足ると信ず”……」
私は思わずガッツポーズを作った。お父様の前で無ければ、「よっしゃー!」と叫んでいたところだ。
「やった……ペスト菌の感染経路まで示唆できる!確か、“史実”のペスト菌発見の時は、ネズミに付いたノミが、ペストの発生に関連することまでは証明されなかったはずだから……これ、“史実”以上の、世界的な発見になります!」
「そうか、そなたがそう言うならば、そうなのだな」
お父様が微笑した。「ほら、章子、令旨を出さずとも、何とかなったであろう」
「!」
身体を固くした私に、
「ああ、あの件か」
と兄が笑いかける。「お前、相当心配していたからな」
「だって、協力できなかったら、上手く行く仕事も、うまくいかなくなってしまうもの……」
5月13日に医科分科会を緊急に招集した時に、どの研究者を香港に派遣するかが問題になった。討論の末、東京帝大の病理学の助手に、ペストで亡くなった方のご遺体を解剖してもらい、北里先生が検体の細菌培養と分析を担当し、緒方先生がネズミやネズミに付くノミの探索と分析を行う、という手はずに落ち着いたのだけれど、私が心配したのが、北里先生と緒方先生の仲だった。脚気菌の存在を巡って、北里先生と緒方先生は対立したことがある。今は、脚気がビタミンAの欠乏で発生することが証明されているし、緒方先生も自分の誤りを認めているけれど、一緒に研究に従事する2人の関係がギクシャクしていたら、上手く行くはずの仕事も、上手く行かなくなってしまう可能性もある。
だから、出発前に北里先生と緒方先生を同時に花御殿に呼んで、「古い恨みは忘れ、きちんと協力し合って仕事をするように」とお願いした。
――必要なら、令旨を出しますよ?
とも言ったのだけれど、北里先生や緒方先生はもちろんのこと、ベルツ先生や大山さん、森先生など、その場にいた全員に全力で止められた。そんな一幕はあったけれど、ペストの調査団が香港に向けて出発したのが5月22日のことだ。それから約1か月、毎朝の拝礼の時に、家族の無事を祈った後に、調査団の無事と、調査団が仲良く仕事に取り組めることをずっと祈っていた。
「あとは香港のペスト防疫を指導して、全員が無事に帰ってくるだけですね。いやー、よかったです」
ホッと息を吐く私の横で、
「お父様、朝鮮の方で、何か新しい情報は入っておりませんか?」
兄が少し厳しい表情になった。「先日の“梨花会”で、全州が東学党の手で陥落して、政府が清に援軍を求め、清の巡洋艦が仁川沖に投錨した、という話は聞きましたが」
全州というのは、朝鮮の首都・漢城から南に250km弱離れたところにある町だ。3月に蜂起した東学党の軍は勢いを増し、5月の末に全州の町を占領した。それを知った朝鮮政府……というより閔妃は、自分の後ろ盾である清に援軍を要請した。それを受けて、清が援軍を乗せた巡洋艦を、漢城の近くまで派遣した、ここまでは“史実”の通りだと、9日に行われた“梨花会”で伊藤さんも言っていた。
「清の陸軍が朝鮮に上陸した。そして全州に向かっている……というところまでは聞いている」
「清の近代化された陸軍が……ですよね」
私の言葉に、お父様は黙って頷いた。
「東学党の軍は、全く近代化されていない。恐らくは清軍に掃討されるだろう。問題はその後、か」
兄のつぶやきに、
「だよねえ……まさか、今朝鮮に、袁世凱がいるなんて、知らなかったもん……」
私はため息をついた。
袁世凱。“史実”の中華民国で、初代大総統になった人物、としか私は知らなかった。ところが、
――あの権力欲の塊か……。
原さんが、私と大山さんしかいない席で、彼の名前を聞いた途端、吐き捨てるように言ったので、尋ねてみたら、
――あれは、皇帝の位についたのだぞ。
と答えられたので、開いた口がふさがらなかったのだ。なんでも、中華民国が成立した後、わずかな間だけれど“中華帝国”の皇帝になっていたのだそうだ。そんなこと、日本史の参考書に載っていただろうか?
「権力欲を刺激されちゃって、朝鮮を支配しちゃったり?」
「あの直属の上司は李鴻章だ。流石に、直属の上司の意を超えるようなことはしないだろうよ、梨花」
兄が私に向かって微笑する。
李鴻章さんからは「朝鮮の反乱鎮圧と同時に、興宣大院君は捕らえ、場合によっては処刑する」という意向が伝えられている。現在の朝鮮国王を、完全に清のコントロール下に置くつもりだそうだ。
「どちらにしろ、朝鮮は清の属国か、保護国になることは確かだ。そなたや伊藤から聞いたような、朝鮮の統治に我が国が手を焼くという“史実”も無くなる。我が国は清と手を結んで、朝鮮と満州を狙うロシアに抗すればよい」
お父様はそう言った。
そう、満州だ。今、ロシアでは、シベリア鉄道の建設が進んでいるけれど、そのアジア側の終着駅は日本海沿岸のウラジオストックになる。ヨーロッパから伸びてきたシベリア鉄道は、バイカル湖の南を通ってウラジオストックに向かう。バイカル湖の南岸からウラジオストックに直線的に向かうとなると、どうしても清の領土である満州を突っ切らなければならない。だけど、清の領土を通ることを避けて、清とロシアの国境線であるアムール川沿いに線路を通すと、距離が長くなることもあり、どうしても線路の敷設が大変になってしまう。それで“史実”のロシアは、日清戦争後に三国干渉を行った見返りとして、満州に、満州里からウラジオストックまでを直線的に結ぶ東清鉄道を敷設する権利を得たのだ。この鉄道が敷設されてしまえば、日本にも清にとっても、ロシアの軍事的な脅威が増すことになるから、何とかして阻止したい。
もう一つ、満州をロシアの手から守らなければならない理由は、石油だ。私の時代の中華人民共和国の東北部で、油田がいくつか発見されていることは、高校の地理の授業で習ったから、何となく覚えていた。そして、転生した後、世界地図を見て気が付いた。その“東北部”が、この時代では“満州”と呼ばれる地域であることに。
もちろんこのことは、“授業”の時に皆に伝えた。今もたまに“梨花会”の話題に出るけれど、「実際に、清と一緒に油田の開発に着手するのは、ロシアの極東進出への野望が完全に無くなったら」という結論に、決まって収束する。満州の撫順という街の近くにも、石炭が出るところがあるそうだけれど、満州に石炭だけでなく、石油もあることが分かってしまったら、ロシアだけではなく、他の列強も満州に手を伸ばしてきて、極東情勢が混乱するだろう。
「いずれにしろ、朝鮮の片が付くのは、秋口にはなるだろう。それまでは事態を注視して、必要があれば我が国に火の粉が掛からぬよう、介入せねばならん。また“梨花会”の折にちょくちょく話すことになるだろうが、そなたらはまず、己のなすべき修業を第一に、日々精進するように。よいな」
お父様の言葉に、兄も私も、黙って頭を下げた。
※実際には、北里先生にペスト調査命令が出たのは5月28日で、出発が6月5日でした。ちなみに、緒方先生はその時の調査のメンバーではありません。(出典:福田眞人「北里柴三郎」)緒方先生が、ペストがネズミに付くノミを媒介にして感染することを証明したのは、1896(明治29)年のことです。
……ペスト菌の学名、どうやらこの世界線では変わりそうです。
※また、満州などについての下りは、すごく大雑把に書いていますのでご了承ください。




