上医を目指す者たち
※セリフを一部修正しました。(2019年7月13日)
1894(明治27)年5月12日土曜日、午後2時。
「あなたが、後藤新平さんですね」
皇居の中にある会議室に、両親や、名古屋の桂さん、そして先月ハワイから戻ってきた陸奥さんなど、“梨花会”のメンバーが勢ぞろいした中、私は、末席で直立不動の姿勢を取っている後藤新平さんに声を掛けた。
「は、はい」
この4月にドイツ留学から帰国して、内務省衛生局長に就任した後藤さんは、硬い声で答えた。気のせいか、額に脂汗がにじんでいるようにも見える。
「章子と言います。一刻も早く会いたかったのですが、今日まで都合がつかなくて申し訳ありませんでした」
私が頭を下げると、
「い、いえ!」
後藤さんは慌てて私に最敬礼した。声にどことなく、怯えの色がある。今日の一座の雰囲気が、何となくピリピリしているからだろうか。
(後藤さん、官僚としては、まだ局長クラスだから、みんな、後藤さんを値踏みしているのかな……)
“史実”では、台湾統治を見事に成功させた実績もあるし、関東大震災からの帝都復興計画も立てたのだけれど、この時の流れではまだ目立った実績が無いから、しょうがないのかもしれない。
「あの、みんな、言っておくけれど、後藤さんはすごい人なんですよ?」
後藤さんを援護するため、私は一同を見渡しながら言った。
「それは、わしも存じておりますが……」
伊藤さんが大きなため息をついた。
「それに、“史実”と違って、留学の期間もきちんととって、衛生行政に関するすべてを身につけてもらったんだから、もっとすごい実績を残すはずです。私、後藤さんと、早く色々なことを話したくてたまらなかったのに、“乗馬をしなければいけない”って大山さんに言われて、全然後藤さんに会えなくて……」
「それは申し訳ありませんでした、梨花さま。ですが、世界に通用する淑女になるためには、乗馬の技量は不可欠です。まだまだ練習しなければなりませんよ?」
大山さんがこう言って微笑する。大磯から戻ってから、大山さんが私の乗馬の指導に本腰を入れ始め、火曜・木曜は学校から帰った後、日が落ちるまで“繊月”に乗っているのだ。おかげで、全然後藤さんと都合が合わせられなかった。その一方、陸奥さんとは都合がついて、花御殿でゆっくり話せたのだけれど……。
すると、
「わ、我輩のことを、それほどまでに気に掛けていただいたとは……」
直立したままの後藤さんの目に涙が光った。「この後藤新平、日本のため、そして増宮殿下のために、粉骨砕身、尽くす所存です!」
(あう……)
私は右の掌を額に当てた。私の中身が研修医だと知った時の、後藤さんの反応が恐ろしい。
(掌を返して、“このひよっこめ!”とか言ってきそうだなあ……)
などと考えていると、
「あの、ところで、増宮殿下?」
後藤さんが首を傾げながら私を呼んだ。
「はい、何ですか?」
「“史実”というのは、一体なんでしょうか?それに、大山閣下が、我輩の聞き間違いで無ければ、増宮殿下のことを“梨花さま”と呼んでおられましたが……雅号でしょうか?」
「大山さん、またですか……」
私はため息をついた。ここ数回、大山さんのセリフを糸口に、私の正体がバレているような気がする。
すると、
「後藤」
山縣さんが口を開いた。見るところ、彼が一同の中で一番ピリピリしている。
「はっ」
後藤さんが深々と頭を下げた。
「教えてやってもいいが……これはこの場にいる者しか知らぬ、国家の最重要機密だ。何人かの医学者や学者も知ってはいるが、研究に必要なことしか教えられておらぬ。万が一、他に漏らすようなことがあれば、貴様の命は即座に無くなると心得よ」
私は思わず身構えた。山縣さんの身体から、殺気が溢れ出ている。まともに殺気を食らった後藤さんの身体が、微かに震えていた。
「あの、山縣さん、山縣さーん……」
私が恐る恐る呼びかけると、山縣さんは顔をこちらに向けた。流石に殺気は納めてくれたけれど、顔は緊張したままだ。
「あの、殺気は出さないでもらえます?私も、ちょっときつくて……」
「は、しかし……」
眉をしかめた山縣さんの言葉に、
「狂介のやりようは、至極当然でございますよ、増宮さま」
伊藤さんの言葉がかぶさった。彼の微笑にも、肉食獣が獲物を狙っているような凄みが漂っている。
「増宮さまだけではありません。この伊藤の秘密も守ってもらわなければならないのですから。わしも、狂介と同じ気持ちでございます」
「いや、確かにそうですけどね、未来に生きていた医者としては、けが人や死人は出したくないんです、伊藤さん」
「ですが、“史実”の記憶を多少持つわしとしては、もし後藤が、増宮さまと日本の障害になるようでしたら、この手で斬り捨てるつもりでございます」
伊藤さんがニヤリと笑う。そう言えば、普段持ち歩いているステッキに脇差を仕込んでいると、この春、彼の家に泊まった時に聞いた。いや、流石に宮中だから、ステッキはおろか、そんな物騒なものは持ち込んでいないはずだけれど……。
「あらあら」
上座から、お母様が山縣さんと伊藤さんを見て、クスリと笑った。「まるで、お若いころのように……山縣どのも、伊藤どのも」
「は……」
山縣さんと伊藤さんが、お母様に一礼する。2人とも、落ち着いたようだけれど、少し不満げだった。
(山縣さんも伊藤さんも、冷静になってほしいなあ……)
私がため息をついた瞬間、
「み、未来……?」
後藤さんが顔を上げた。
「増宮殿下、“未来に生きていた”というのは、一体どういうことでございますか?」
「あー、じゃあ、ちゃんと説明しますね」
私は後藤さんに向き直った。「私、前世の記憶があるんです。今から約125年先の日本で、女性の医者として働いていたという記憶が」
「な……?!」
「それで、伊藤さんにも、私の生きていた“史実”の世界で生きたという記憶があるんです」
私の言葉を聞いた後藤さんは、目と口を真ん丸くした。
何度目になるのか、もう数える気力を失くしてしまったけれど、私はいつもの通り、自分の前世のことと、“史実”のことを後藤さんに説明した。伊藤さんも、“史実”の記憶を得たことを、後藤さんに説明する。私たちの説明を聞き終わった後藤さんは、目と口をあんぐり開けたまま、反応しなかった。
(あー、驚きすぎちゃったかな……まさか、立ったまま気絶しているとか、ないよね?)
後藤さんに声を掛けようとした瞬間、
「素晴らしい……!」
後藤さんが叫んだ。
「この国にとって、何という僥倖なのでしょう!伊藤閣下のみならず、増宮殿下にも未来の記憶があるとは。しかも、増宮殿下のお持ちの知識から、我が国が世界に誇る、医学的な発見の数々がなされていたとは……我輩、感服いたしました!一介の医師として、どこまでも、増宮殿下について参ります!」
「あ、あの、後藤さん、落ち着いてください」
また目に涙を光らせている後藤さんに呆れながら、私は言った。
「前世で医者をしていたといっても、私、医師免許を取ってから3か月ぐらいで死んでしまったから、実務経験は余りないんですよ」
「そんなことは関係ございません。増宮殿下が未来の医療知識をお持ちであること、そして医療に関する未来の様々な制度も御存じであること、そのこと自体が大変な価値を持ちます。ですから是非に、その様々な知識をご教授いただければと思います」
「あ、はあ……」
私は後藤さんに気圧されていた。とにかく、医療行政に関して、彼が並々ならぬ熱意を持っているのは間違いないようだ。
「しかし、この日本に、このように素晴らしい内親王殿下がおいでである……なんと幸せなことなのでしょう。我輩、浅学菲才の身ではありますが、国を治す上医を目指し、増宮殿下とこの国のために尽くしたく思います」
ん?
「ちょ、ちょっと待って!」
私は思わず右手を伸ばした。「今、何て言いました、後藤さん?」
「は……?いや、上医を目指して、と申し上げましたが……もしや、増宮殿下の生きられた時代では、余り一般的ではない言葉でしたか?」
「そ、そうじゃなくて!!」
私は勢いよく立ち上がった。
「上医……ああ、それです、後藤さん!私、今生では、上医になることを目指しているんです!」
「な、何と!まことでございますか?!」
後藤さんの表情が、一気に明るくなった。
「はい!まずは医術開業試験に合格して、医師免許を取ること。それから政治や行政の勉強もして、社会の仕組みを整えて、最初は感染症の予防に全力を尽くしたいんです」
私は思いの丈を、後藤さんに、ありったけぶつけ始めた。
「それに、医療技術そのものも発展させないといけないけれど、医学の発展による疾病構造の変化を見越して、医療や介護に携わる人員を増やすこと、それから、病床数の適正配置を時代に応じて柔軟に行う仕組みを作ることと、診療報酬の策定と、……天然痘とマラリアは日本から駆逐して、山梨のミヤイリガイや沖縄のフィラリアも撲滅して、ついでに田畑の整理事業もしたいし、あとはコレラと腸チフスの対策として、全国の上水道と下水道の配備と……」
「なんと!そこまでお考えでしたか!おっしゃる通りです。検疫も拡充させねばなりませんし、上下水道の整備も急務。田畑の整理事業は全国に拡大させるべきでしょうし、これは調査してみないと分かりませんが、田畑の配置、いや、全国的に、作物栽培の配置も考えなければなりませんでしょう。それから、増宮殿下がおっしゃった関東大震災ですか、あれに対して、帝都や横浜などの都市が、なるべく被害を受けないような策を推し進めていく必要がありますし……」
「ああ!そこまでは考えてなかった!流石です!実務経験が3か月しかない私と、経験豊富な先生とは、やっぱり格が違います!」
素晴らしい。やはり、後藤さんを“梨花会”に入れて正解だった。しかも、この優秀な行政のエキスパートが、私と同じく、“上医”を目指しているだなんて……。私は感激の余り、ほとんど泣きそうになっていた。
「後藤先生!お願いがあります!上医を目指す者として、私を先生の、先生の弟子に……!」
その瞬間、凄まじい衝撃に襲われて、息が詰まりそうになった。
実際に、叩かれたり触れられたりしているわけではない。けれど、圧倒的な殺気が、私の喉元に突き付けられている。まるで、後ろから羽交い絞めにされて、鋭利な短刀の切っ先を、皮膚にピタリと押し付けられたような……。
「梨花さま」
大山さんの声がする。いつもと違う、怒りに染まった声色に、背筋が凍り付いた。
「いつか、申し上げましたでしょう。医学や城郭のことに夢中になるのも結構ですが、時には一歩引いて、冷静な気持ちを取り戻すことも覚えられるのが肝要、と」
「は……はい……」
本気で怒っている大山さんを直視できないまま、私は恐々、返事をした。気が付くと、ピリピリしていた一座の雰囲気は、更に刺々しくなり、ほとんどの出席者が後藤さんに向かって殺気を放っている。先ほどから一番刺々しい雰囲気をまとっていた山縣さんはもちろんだけれど、お父様も後藤さんに厳しい視線を向けているし、兄に至っては、剣道の試合で立ち会う時以上の裂帛の気合を後藤さんに向けている。殺気の輪に加わっていないのは、後藤さんを見ながら大きなため息をついている原さんと、
「あらあら。ご一新の昔の、皆が血気盛んだった頃を思い出しますね」
と苦笑しているお母様ぐらいのものだ。……というか、この状況で平然としているお母様、胆が据わり過ぎている気がする。
不意に、私の身体に掛かった気合が外れて、解放された私は、糸が切れた操り人形のように、椅子に身体をどさりと預けた。
「ご、ごめんなさい、大山さん……」
震えながら頭を下げた私に、
「いえ、分かっていただければいいのですよ」
いつもと変わらない、大山さんの優しい声が降ってきた。「ただ、既に梨花さまはベルツ先生の弟子ですのに、判断する力が鈍った今の状態で、別の医学の師匠に学ぶと宣言されるのも、いかがなものかと思いまして」
「はい、反省してます……」
確かにそうだ。今生で医者になろうと決めた時、私は“ベルツ先生の弟子になりたい”と大山さんたちに告げた。師匠の許可も得ずに新しい師匠に学ぶのは、筋が立たないことだ。
「まあ、増宮さまと後藤が言ってることは、実際その通り過ぎるんだけどなあ」
殺気を納めた井上さんが、腕を組んだ。「特に東北より北の地方は、稲が冷害でやられやすい。元々、ご一新以前の経済の中心は米だったから、その影響が残ってるし、どうしても皆、米の飯を食べたがるから、稲の栽培に考えが向きがちなんだよな」
「確かに、稲は気温がかなり高くないと、花が開かなくて受粉できない、って聞いたことがあります。多少低温でも耐えられる稲の品種ができればいいけれど、品種改良って、相当時間が掛かりますからねえ……」
私は井上さんの言葉にこう返した。私の時代ではメジャーだった米の品種が、この時代では全く出現していない。稲の交配なんて、1年の間に何度もできるものではないから、冷涼な気候に耐える優良な品種を生み出すには、何年、いや、何十年も時間が掛かってしまうだろう。
「でしょうねぇ。この場だけで決められることじゃない。……おい、後藤、後で狂介と原と一緒に、話を聞かせてくれ」
「わしも、話を聞かせていただきたいものですな」
井上さんのセリフに、松方さんが便乗した。「診療報酬とは、ビスマルク翁が策定した、疾病保険法や老齢疾患保険法に関わるものだろうか。わしはあいにく、細かい知識は持ち合わせていないが……高橋くん、君、知っているかね?」
「はい、留学の折、多少は学ばせていただきました。閣下のご要望に応えられるかは分かりませんが……」
「うん、では、君も参加したまえ。よい経験になるかもしれない」
高橋さんが松方さんに黙って一礼すると、松方さんが頻りに頷いた。高橋さんが“梨花会”に加わってから、松方さんの機嫌がよくなっている気がするのだけれど、気のせいだろうか?
(その話し合い、是非参加したいなあ……)
そう思っていると、すぐ横から、首筋に何かが刺さるのを感じた。大山さんの視線だ。そうっと振り向くと、彼はじっと私を見つめていた。口元には少し笑みがあるけれど、目が全く笑っていない。
「あ、あの、大山さん……」
「いけません」
どうやって大山さんを説得しようか、と考えようとした瞬間に、大山さんは小さな声でピシャリと告げた。
「私、まだ何も言ってないよ?」
「後藤と、山縣さんや井上さんとの話し合いに参加したいということでしょう。いけません」
「えー……でも、原さんも参加するから、この後、花御殿で原さんと将棋を指す予定が無くなるもの……」
前世で小さいころ、祖父や父におねだりしたことを思い出しながら、じっと大山さんを見つめてみたけれど、
「ダメだ」
私の向かいから飛んできた声に妨害されてしまった。兄だ。
「原と将棋が指せぬなら、俺と指せばよかろう。最近お前とは、将棋を指していなかったから、今日はこのまま帰って、俺と将棋を指せ。どの程度上達したか見てやる。よいな」
いつになく硬い兄の声に、
「はーい……」
私は不承不承、首を縦に振るしかなかった。
「では、先に、増宮さまに相談したいことを済ませてしまいましょう」
山縣さんが軽く咳払いをして言った。
「私に相談?」
「はい。実は、香港でペストが発生したので、調査のために人を派遣して欲しいという要望が、イギリス政府からありまして……“史実”通り、北里先生を派遣するのでよろしいかと、確認したかったのですが」
1894年、つまり今年だけれど、“史実”でも、北里先生は香港にペストの調査に行っている。それは私も微かに覚えていたし、伊藤さんも原さんも記憶していた。
「んー、緒方先生の方がいいかもしれない。それは、医科分科会の方に相談してから決めるという形でもいいですか?」
私は山縣さんにこう答えた。緒方先生も、私の正体を知っている。昨年の10月、彼の研究室を見学させてもらった時に、私とベルツ先生から事実を伝えたのだ。とてもびっくりしていたようだけれど、納得はしてくれた。
「失礼ですが増宮殿下、なぜマラリアの研究者である緒方先生に、ペストの調査を頼もうと?」
話の横で不思議がる後藤さんに、
「だからこそ、と思ったんですけれど」
と私は微笑みながら答えた。
「ペストって、感染したネズミの血を吸ったノミが、人間を刺して人間に感染するのが主な感染経路だから。ペストに感染した人とネズミ、それからネズミを刺したノミでペスト菌が見つかれば、感染経路も証明できて、防疫の有力な学術的証拠になるでしょ?小さな虫から原虫や細菌を見つけるのは、北里先生より緒方先生の方がノウハウを持ってそうだから、緒方先生の方が適任かな、と思ったんですけれど」
「!」
後藤さんが目を見開いた。
「なるほど、確かにその通りです。これでペスト菌が発見できれば、我が国の医学的な名声はまた高まります!流石は増宮殿下!」
「んー、褒めてくれるのは嬉しいんですけどね……」
本当は、後藤さんと、もっと色々なことを話したい。この後行われるだろう話し合いにも、参加したくてたまらない。だけど、大山さんが怖いし、兄も怖い。さっき飛ばされたようなフルパワーの殺気など、もう2度と味わいたくない。もちろん、冗談を言っているつもりはない。
「他にも報告する事項はありますが……選挙のことですとか」
「まあ、そちらは“史実”と大分異なるからな。“史実”では、今の時点までの間に3回選挙が行われ、2回目の選挙では大規模な干渉までして問題になった。此度の選挙は何の問題もなく終わったから、上々の結果じゃな」
原さんの言葉に、伊藤さんがこう返す。
(そうなんだよね……)
私も、“史実”の第2回の衆議院議員選挙で、政府による大規模な選挙干渉が起こったことは知っていた。死人が何人も出たと教科書に記載されていて、驚いた記憶がある。
――今回の選挙が円滑に終わったのも増宮さまのおかげ。我が国が立憲国家であることを、列強に知らしめることができました。関税自主権の奪回に向け、良い材料となるでしょう。
2月1日の衆議院解散を受け、5月1日に選挙が行われた後、伊藤さんは満足気な笑みを浮かべながら私に言った。ちなみに選挙では、与党の立憲改進党が過半数を獲得していた。黒田内閣の安泰が約束されたようなものである。野党勢力は、ほぼ立憲自由党に集約されて、二大政党制のような状態になっている。
「最良の形で国内の過激な議論を封じていただき、有難く思います。これなら、青木大臣も朝鮮問題に全力で取り組めるでしょう」
陸奥さんが伊藤さんに頭を下げる。
「“史実”では、君が今の外相だったがな」
「日本に有利な状況で清との戦に持っていき、巨額の賠償をさせるなら僕が適任ですが、そうではないのですから、僕はこの位置で十分ですよ、伊藤閣下」
陸奥さんがニヤリと笑う。「今のように、大国を翻弄する方が向いております」
「全く、お前らしいな。けど、火遊びはほどほどにしとけよ、小次郎」
勝先生が少し苦笑しながら忠告する。
「心得ております、勝先生。危ない者をどう料理するかは、中央情報院にお任せしましたし」
“危ない者”というのは、恐らく孫文さんのことだろう。
実は、ハワイから帰国した陸奥さんに、先月の下旬に会った時、「奥様に伝言した“面白いこと”ってなんですか?」と聞いたら、
――ハワイで孫文を見つけたのですよ。
とさらっと言われてしまったので、ビックリしてその場に崩れ落ちそうになったのだ。確か“史実”では、清を打倒して、中華民国を建国した一人だけど、清が緩やかに立憲君主国家へ移行することを望む私たちとしては、扱い方によっては危険な人物になってしまう。陸奥さん曰く、「あとは付いてきていた中央情報院の職員に任せた」とのことだし、私の側にいた大山さんも頷いていたから、多分上手くやってくれていると思うけど……。
(そう言えば、“授業”の時に皆に話した、レーニンとかスターリンとか、アドルフ・ヒトラーとか毛沢東とか、どうなってるんだろう?何万人となく無実の人を殺した連中だから許せなくて、レーニンとスターリンは、本名も覚えていたけど……でも、それでレーニンとかが殺されてたら、それも一人の人の命を奪ったことになっちゃうしな……)
考え込んでいると、
「梨花さま?」
大山さんに呼ばれた。
「いかがなさいました?」
考えていたことは頭の奥にしまい込み、
「あなたたちが怖いから、殺気は飛ばされたくないな、と思ってただけ」
と私は答えた。
すると、
「大丈夫ですよ」
大山さんは、口許を綻ばせた。
「ですが、また先ほどのようなことがあれば……」
笑っていない彼の眼を確認した私は、「はい……」と力なく頷くしかなかった。




