38話:ケジメはつけるお方でした
王太后が落ち着いたのを確認して、ユリアスがアウリアを別室に促した。
王家の肖像画が掛かる部屋であり、アウリアは少し落ち着かない気分でユリアスの後に従った。
チビ竜ピオニーが、珍しくアウリアの肩に張りついていた。
「きゅきゅっ、きゅぅぅぅ⤴」
テンションも高く、いつになくエメラルドの大きな瞳がキラキラ光っていた。
(かわいくていいのだけど)
「ユリアスさまがいるのに、どうしてわたしなの?」
「遊んでほしいのだろう。昨夜みたいに」
「昨夜?」
アウリアは竜の背に乗って飛び回ったが、そのことを覚えていなかった。
ピオニーはだが、それが楽しかったのだ。
ユリアスだと乗せて飛ぶというよりは、乗る側になるので、アウリアに遊ぼうと誘っているのだ。
が、残念ながら今日のアウリアは緊張していて、気持ちの余裕がない。
ユリアスは空間に手を入れると、異国の紋章が刻まれたジュエリーケースを取り出した。
「サファイア宮にこれを取りに行っていた。遅くなってすまない」
「サファイア宮、ですか?」
サファイア宮は王妃のために国王が建てた離宮で、パレス郊外の王家領の一つ、カレア領にある。
ユリアスがケースを開くと、大きなエメラルドとダイヤとサファイアのエレガントなネックレスが現れた。
ゴージャスすぎて、眩しい。
「その色のドレスと合わせるときは、必ずこれを身につけられた」
アウリアはギクッとした。
「あの……」
「そなたのものだ」
アウリアは頭を抱えたいのを必死で堪えた。女官長たちが最高の技術で仕上げた、今日の姿なのだ。
1ミリも崩してはいけないと思いながら、王太后を抱えるのに地面に座り込んだので、ドレスは汚れていた。
「今日は陛下にお目にかかって、話をさせていただくだけです。このドレスの色だって、ドレイヴェン公爵夫人が驚かれたのです。突然今日の付き添い人を頼まれたとか」
「今日だけではない。代理母にすればよい」
「なっ」
アウリアは絶句しかけた。
「どうして勝手にお決めになるのですか!」
つい語気が強くなる。
ピオニーがビクッとして、頭上に離れた。
「このネックレスはパールシア王家に代々伝わる〈女神の息吹〉が使われている」
(わたしの話は無視ですか――)
「――え、女神の息吹!?」
(女神の魂を宿していると言われるエメラルドの至宝の? 神話に登場する宝石なのです!)
「気絶してもいいですか?」
本気で眩暈がするアウリアに、ユリアスは決意を秘めた眼差しを向けた。
「オレの意思表示だ。〈女神の息吹〉は、母が亡くなるときに譲り受けたもの。オレの妃に贈るように託されたものだ」
(妃に……)
「そなたはまだ考えているのであろう? どうにかして王太子から逃れる術はないかと」
ユリアスはアウリアの往生際の悪さを見透かしていた。
アウリアは泳ぐ目を伏せた。
(そうです。わたしが差し出せるのはこれまで培った知識であって、金の目という、自分でどうにもならない部分であってほしくはなかったのです)
流浪でかまわない。自由な生き方を奪われたくない。
兄とレティシア嬢の命、アルテ家のこと。他に手はないかと考えていた。
「アウリア、そこへ」
椅子に座るよう促されて、アウリアは従った。
結局のところ、アウリアに新たな考えは浮かばなかった。
ここに来た時点で、ふたりの間では、アウリアはレティシアに代わる新たな妃候補、それを陛下にお伝えする話でまとまっている。
(ここで逃げたらさすがに、一貫性のない我が儘女になってしまうのです)
ユリアスがアウリアのネックレスを付け替えた。
胸元に落ちたネックレスが、ずしりと重くのしかかる。
数え切れないダイヤモンドを用いたネックレスに、100カラットはありそうなエメラルドをセンターストーンに、小さなサファイアを添えたデザインだ。
ダイヤは異なるシェイプで、繊細なプラチナワイヤーでセッティングされている。立体的なデザインになっているため、あらゆる角度から光を取り込んで輝きを放っていた。
アウリアは亡くなった王妃とは当然会ったことはないが、そこに肖像画があった。
海王国の王女だ。
彫りが深く、髪は濃い紫、瞳は濃い緑だった。
ちょうど今着ているエバーグリーンのドレスのように、ネフェルナ王妃は灰色を帯びた深い緑の瞳をした女性だった。ユリアスと似ているところはないように見えたが、ユリアスの目が翳ったとき、少し考え込むような表情のとき、ネフェルナ王妃の肖像に重なるところがあるように感じた。
ネックレスをまとったアウリアを眺めた後、ユリアスは満足げに、アウリアのつけていたネックレスをジュエリーケースに収めて、空間にしまった。
それへ目を向けながら、アウリアは言った。
「ユリアスさま、わたくしが母のネックレスをつけるとき、お守りのように感じると同時に、無意識に母の面影を求めます」
「そうか」
「でもいつも寂しくなります」
「なぜだ?」
「母の仕草や声、匂い、甘くて厳しかった母の雰囲気などが、自分とは違っていて、無形の要素が記憶に結びついているので、ああ、母とはもう会うことはできないのだと思い知るのです」
ユリアスが沈黙し、ふと、アウリアを気遣うように頬に手伸ばした。
(ひっ……その、いつも思うのですが、ユリアスさまはスキンシップが多い気が……)
「そなたの言いたいことはわかった。あたら陛下の感傷を引きだして、怒らせるかもしれぬのだろう?」
「そうです」
(よかった。話は通じたのです)
「陛下はそんなことで怒りはせぬ。それどころか陛下のほうこそ、オレを怒らせることはできぬのだ」
「え?」
「ふふん、陛下の弱みの一つくらい、握っているということだ」
ユリアスはにやりとした。
その不敵な笑みが、的外れな方向にならないことを祈るアウリアだった。
次の瞬間、ユリアスはマントを払うと、アウリアの前に片膝を折った。
「な、何をなさっているのですか」
ユリアスがとぼけた顔になる。
「何を今さら。昨夜などは、そなたは膝に足をのせて――」
言いながら、ユリアスが膝の上をポンポン叩く。
「――オレに靴を履かせたのだぞ」
「ひっ」
(い、やああああ。嘘だと言って、記憶にないから思い出さなくていいのです)
「そなたを初めて見たときから、そなたはオレのものだったのだ」
「いいえ! わたしはわたし自身のものです」
「まあ聞け。アルテ領で会ったのを覚えているか?」
「覚えていらっしゃったのですか?」
ユリアスから口にしたことに、アウリアは意表を衝かれた。
「もちろんだ。そなたを見て、女神の娘と出会ったと思ったのだ」
(それは、言いすぎなのです)
ユリアスが顔を上げて笑み、アウリアは少し照れた。
「後から思い出しても、実在しないのではないかと思ったほどだ。事実アルテ領を去るとき、そなたは姿を見せなかった。アルテ侯爵夫妻から、娘は病弱だからお見送りは許してくれと言われた」
(病弱設定でしたね、そういえば)
「それ以降会うこともなかったゆえ、陽射しの加減だったのだろうと思うようになった。周りの者からも、アルテ侯の娘は変な眼鏡をかけた、青い目の娘だと聞いていた」
「すると、わたしのほんとうの目の色のことは、ずっと知らなかったのですか?」
ユリアスは頷いた。
「デュオクロスでそなたを見て気づいたのだ」
「え? 眼鏡は外していませんが」
「オレに魔道具の補正が通用すると思うか?」
(無効になるのですね)
「そなたが、あの日見たそなたが実在すると知って、ますます陛下の対応を不思議に思ったのだ。陛下は昔そなたに興味を持ったはずだが、オレとそなたを婚約させなかった。オレが国王なら、そなたを他の貴族家に渡しはせぬ。何かが陛下をとどめられたのだ。ゆえにオレは、王妃の威を借りることにした」
アウリアは恐ろしくなった。
(亡くなった王妃さまのお力を借りてまで、金の目を逃したくないのですね……)
知らず溜息が漏れた。
ユリアスが片手を伸ばして、アウリアの手を取る。
「勘違いするな」
「はい。わかっています」
目を伏せるアウリアの表情を窺い、ユリアスは言い直した。
「そなたを妃にしたいと思うほどには好きだ。でなければなぜデュオクロスへ会いに行くと思うのだ?」
「……!」
アウリアは目を開いた。
(な!? な、るほど。これは、ケジメなのですね)
「これでも王太子だ。大変忙しい」
ユリアスが微笑むと、アウリアは内心呻いた。
(わかっていますとも。いちいち反抗するなと)
ピオニーがやってきて、この状況に興味があるのかないのか、ユリアスの背にペタリ張りついた。
ユリアスが「こいつ」と言いながら、しょうがないと諦めた。
ユリアスはそのままアウリアの前で頭を垂れた。
「〈我が名は〉――」
「……え、ユリアスさま」
古語だった。
男性が膝をついて、自分の正式名称を女性に告げる時は決まっている。婚姻を前提に交際を申し込むときと、婚礼で署名をするときだ。
中でも古語は、正式な誓約を意味する。言霊と同じで、エメラルディア大地神の女神にも誓うことになるからだ。
(お兄さまにも相談できないまま、お妃に……ほんとうに?)
アウリアがおのれの感情と戦っている間にユリアスは名を告げて、アウリアに求婚し、デビュタントのエスコートを申し出たのだった。
(・・・)
とうとう思考が真っ白になった。
「返事をくれぬのか?」
ユリアスは顔を上げると、呆然とするアウリアを見て微笑んだ。
その姿を見たら、アウリアは自然に口が開いた。
「わたしがきっと、殿下を自由にして差し上げます」
「……ほぅ」
自分が求めるのが自由であるように、ユリアスも同じではないか、そんな思いが唐突にもたげたのだ。
でなければ、デュオクロスの借家でひとりで文献をめくるはずがない。
力があるとはいっても、彼自身が頻繁に前線に赴くわけがない。
パールシアは彼ひとりに頼るほど弱くないのだから。
ユリアスの宝石のようなエメラルドの目が遠く空を見ていた。
今にも竜になって飛んでいきそうな、ピオニーと同じ目で空を見ている。
(待って!)
アウリアは思わず叫びそうになった。
大地に吹く風、降り注ぐ陽射し。
ユリアスが大地、光であり影そのものに見えて、胸を衝かれたのだ。
(ユリアスさまは、まさか、ほんとうは……)
アウリアは何か想像しかけて、言葉を振り払った。
震えそうな心地で、ユリアスを食い入るように見る。
「そなたと、同じ景色を見るか」
ユリアスが、ポツリ、言った。
「はい」
(ユリアスさまを離してはいけない)
アウリアの鼓動が激しく高鳴った。
焦るような思いまで溢れてきて、ユリアスの左肩に手を置いた。
承諾の意を示す行為である。
ユリアスは承諾の礼をするために、肩に置かれたアウリアの右手をとり、その甲に唇を押し当てた。
レースの手袋越しにも、冷たくもやわらかな感触があって、アウリアは心臓が破裂する思いだった。
ドキドキした。
「きゅっきゅっきゅっ」
ピオニーが興奮したように鳴いた。
ユリアスとアウリアを交互に見て、顔を突き出しすと、まだユリアスの手の中にあるアウリアの右手を舐め始める。
「くすぐったい」
「おまえにやるわけではないぞ」
ユリアスが軽く文句を言ったが、ピオニーは嬉しそうにユリアスの背でパタパタ動いたのだった。




