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36話:あの月を捕まえます



「アウリア!」

 落下したかに見えたアウリアは、空中で両手を広げながら笑い声を響かせた。

 ユリアスは心臓が竦む思いだった。

 ピオニーが大きくなって、アウリアを背に乗せていた。


「きゅぅぅぅぅ、きゅう、きゅう、きゅう」

 ピオニーは子どもの鳴き声のまま、焦って虚空を上下している。


「ピオニー、こっちへ」

「きゅうぅぅぅ⤴」

 ピオニーが、びゅうーん、と弧を描いて舞い上がる。

「待て待て! テンションは上げなくていい」


 ユリアスも虚空に浮き上がると、ピオニーとアウリアの元へ近づいた。

「大丈夫か?」

「あはははは、ユリアスさま」

 ユリアスは目を瞠った。

 アウリアの金色の瞳が光っている。

「ピオニーの? いやオレの魔力の影響か?」

 神々しいとはこういう光景のことだろう。ユリアスは不思議な心地で、竜の背に乗るアウリアを見つめた。

(彼女の、その目に映る世界はどんなものであろう―――)


「ピオニー、バルコニーに戻れ」

「きゅぅん→」

 ピオニーは首を振った。アウリアがべったりとピオニーの首に両手を回した。

「は?」

「ユリアスさま、これから魔術を使います」

「今見せてもらった」

 ユリアスはそう言っておくことにした。

 魔力でバルコニーへ戻すことはできるが、ピオニーはアウリアをのせた状態が気に入った様子だった。力操作を少しでも誤れば傷つけかねない。慎重になる。

 アウリアは満月に向かって片手を伸ばした。


(今度はなんだ?)

 ユリアスはハラハラした。


「あの月を捕まえます」

「酔っ払いめ。こっちに来い」


 ユリアスはアウリアに両手を伸ばしたが、アウリアはピオニーから離れない。


「ユリアスさま、池の花を全部、縁に寄せてください」

「なに?」

「池に浮いてる花を四隅に寄せてほしいのです!」

「わかった。興奮するな。落ちたら池に直撃する」

 ユリアスは宥めてから、少し離れた。

 アウリアがしようとしていることに、付き合うことにした。そうしないとアウリアが暴れて、ピオニーの背から落ちてしまう。


 片手で魔力を操り、池一面に浮いている月光蓮を池の縁に寄せた。

 すると暗い水面に黄金の月が映って、これまでと全く違った様相を見せたのだった。


「ご覧あれ! アウリア・アルテ。月を捕獲しました」


 月光蓮の光がゆらゆらと流れ始めれば、水面の月が揺れる。その景色を、ユリアスはしばし言葉もなく魅入り、思った。



(ほしい。この女(アウリア)がほしい)


 おしゃべりなアウリアが「月は真理、水面は人の心」と説明を始めたが、ユリアスは強引にピオニーごとバルコニーに戻した。

 ピオニーは興奮して飛び回り、ユリアスはアウリアを抱き上げた。

「きゃあ、池に落とさないで」

 思わずユリアスにしがみつくアウリアを、ユリアスは強く抱きしめた。

 頭でっかちなアウリアの華奢な体躯に改めて驚きながら、アウリアの髪に顔を埋めさせた。

 アウリアは虚を衝かれ、息苦しそうにユリアスのほうへ顔を向ける。


「ユリアスさま?」

「もう寝ろ。二日酔いで陛下と話す気か」

「ふぅーん。もうどうにでもなりやがれぇ」


 この者の酔った悪態だけは決して、自分以外には見せてはならぬと誓うユリアスだった。



 ✦~✦5月19日✦~✦


 当日、目を覚ましたアウリアは二日酔いだった。

 しかし幸いなことに、王太子を罵倒したり膝を踏んだりしたことは覚えていなかった。

 すばらしい二日酔い回復の薬湯を飲み、背伸びをしながら池の庭を眺めて、はて、と首を傾げたのだった。

(蓮の花が縁に? 昨夜は池を埋め尽くしていたのに)



 早朝から着付けが始まったが、前日に合わせたものではなくなっていた。

「殿下が持ち込まれましたので、急いで調整を施します」

 女官長は淡々と告げたが、衣装係の顔は引き攣っていた。

 徹夜して調整したドレスを着ないと言われた挙げ句、用意していたジュエリーも靴も手袋も何もかも、合わなかなったのだ。


 ユリアスが用意したドレスは意外なものだった。少なくともアウリアにはそう感じた。深みのあるエバーグリーンの絹のドレスで、デザインは一昔前のものだった。


 女官長曰く、

「大変格式の高い物でございましょうが、お嬢さまには重く感じましてございます。それだけ本日の謁見に対して、殿下の並々ならぬ思い入れを感じますところでございますね」


 さて、着てみると、最年少老師であるアウリアの聡明さを引き立てて、歩けばライン状にベビーピンクのレースが見え隠れして、可憐さも失わないようであった。

 金色の髪は結いながらおろす感じで、ヘッドアクセサリーをつけると、あら不思議、夢の国のプリンセスのように仕上がった。


 アウリアはくるくる回って素直に喜んだ。

(ステキ、かわいいのです!)


 そうしてはしゃぐアウリアの元に王太子補佐官が現れた。

 優美な顔立ちに悲壮感漂う笑みを浮かべる。


「アウリア嬢、おはようございます。これから長い付き合いになりそうですね」

「・・・」

「そこは黙らないでくださいね」


「ユリアスさまは?」

「さあ、どこかへ行かれてしまいました」

 レンは苦笑した。

 アウリアもつられて笑った。

 女官長からは一緒に王宮へ参ると言われていたのだった。


「サラとピオニーを同行してよいと聞いたのですが」

「はい。ピオニーは陛下に紹介することになりました。殿下の魔力で生まれた謎の生き物ということで、大変興味を示されていらっしゃいます」

「謎の生き物なのですか?」

「大魔道士が知らんと仰いますし、竜学者の魔道士も調査を始めていないと聞いています」

「ええ……。新たな王太子妃候補選出のせいで、アキト魔道士とも会えていません。わたしは学者なのです。竜の加護を調べたり、竜学者と話をするほうが役立てると思うのですが」

 アウリアはつい愚痴を言った。

 レンは華麗なるスルー技術を披露した。



 王宮のある金竜の丘へは転移で移動する。

 ユリアスはひょいひょい転移するが、正式な公務では近衛騎士を伴うため、転移装置と馬車を使って移動していた。

 そのユリアスの姿が今朝から見えないので、近衛騎士たちは何とも言えない表情でレンと話していた。

 アウリアが陛下に拝謁するのは、ユリアスの定例朝礼謁見の後だった。


「アウリア嬢のことで頭がいっぱいなのでしょう。先に行って陛下に何か取りなしていらっしゃると、思うことにします」

 レンは思ってもいないことをさらりと言って、ユリアス抜きで王宮移動を決めた。



 1時間後、アウリアとメイド・ピオニーとサラを乗せた馬車は、王宮の裏に広がる王家の丘をパカラパカラと進んでいた。

「まあ……まるでプチトリアノンですね」

「ぷち?」

 サラが聞き慣れない言葉に反応し、アウリアは「ふふ」と笑む。


 パールシア王宮の奥エリアは、エメラルディアの原風景を残している。人工的な美と芸術を追求しすぎない、自然の景観を利用した庭園や、ゆったりした空間が広がる。使用人たちの住まいも宮殿ではなく、集落のように点在する。そんな風景が、前世の彼女が見た光景と重なったようだった。


 アウリアには前世の人生の思い出はない。記憶にあるのは知識だけで、時々ふとした拍子に刺激される程度だった。

 おそらくそうであるから、アイデンティティーが維持できるともいえる。


「ところでサラ、わたしはどこへ運ばれているのですか?」

「はい。ここは王家の館・王家の庭と呼ばれる王宮最深部になります」

(そうよね……初めて来るけど、格の違いがわかるのです)

「王家の庭って、王太后さまのお住まいだと聞いているのだけど」

 サラも動揺していた。

「はい。私が3月まで警備任務についていたエリアでして……ここは転移装置もなく、王族と、王太后さまがお招きした方のみが、立ち入ることができるのです」

 アウリアは手先を冷たくしながら、頷いた。

「国王陛下の謁見の広間はどこだっけ?」

「王宮の()()エリアにあります」

「ここは?」

「……先日の〈我らを正す者〉のエリアよりさらに奥になります」



 馬車が止まった先に、貴婦人とお仕着せを着た女官が待ち構えていた。

 貴婦人は、青紫系の色の濃淡が優雅なドレスにフリルのついた上衣をあわせており、そのスタイルから高位貴族の夫人だとわかる。鮮やかな青や濃い紫系は着る人間を選び、未婚女性は避けるのがマナーだ。

 彼女の凛とした立ち姿や髪色などから、アウリアは察した。彼女はドレイヴェン公爵夫人だった。



 レンが話さなかったということは、予定外のことが起きていると考えるべきだろう。

 謁見場所も変更になっている。

 アウリアは意を決して馬車を降りることにした。




 


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