25話:最高神官の不穏な噂を耳にしました
とっさにアウリアの腕を掴んで、ぶぅん、池の縁から引き離したのだった。
「きゃぁぁ」
池に落ちるのもイヤだが、ドレスを踏んづけて素敵な植え込みにダイブしかけたのも焦った。
猛ダッシュで駆けつけたサラに助けられたが、アウリアの心臓は波打っていた。
「なんと乱暴な」
サラが騎士らしい低い声音で言う。
(まったくなのです)
「貴様が池に飛び込もうとしていたからだぞ」
(はいはい。おまえ、きみ、今日は貴様ですか)
アウリアは胸を押さえながら姿勢を正した。
そこにいたのは駆け落ちの件で避けては通れない猪突猛進男、ドレイヴェン公爵家のアレンヴィクだった。
赤みを帯びた漆黒の髪に、獰猛な鷹のような灰色の瞳をピタとアウリアに据える。
今日の召喚を聞きつけて王宮に行ったが、エメラルド宮へ移動したと聞いて、追いかけてきたところだった。
「何はともかく、池に落ちずにすみました。ありがとうございました」
まずは人としてあるべき正しい姿を貫き、優雅にお辞儀をした。
が、猪突猛進男はそれどころではない。
「貴様はどういうつもりでここにいるのだ! ここは王太子の近侍しか入ることのできぬエリアなのだぞ!」
「こちらで待機するように言われたのです」
アレンヴィクは鋭い爪で引き裂きにかかるかのように威嚇した。
「小賢しいことを考えておるまいな!」
「小賢しいこと、とは?」
「貴様ごときが、殿下の妃になろうなどと考えぬことだ!」
(単細胞の考えることはよくわからないのです)
「妹君が逃げられた気持ちも考えずに、そのようなことしか言えぬ方が兄だとは、レティアさまに同情します」
アウリアはきっぱり言った。
「お互い様だぞ! 貴様のように小賢しく口が達者な妹がいたのでは、アルテ侯はざぞかし苦労続きであっただろうな」
「それで?」
「なっ」
意に介さないアウリアの態度に、アレンヴィクは憤然とした。
「ふてぶてしい女だな」
アウリアの前にサラが進み出た。
「小公爵さま。私は王太子殿下の筆頭補佐官さまを介して、殿下よりアウリア嬢の侍女を仰せつかっています。こちらへのお越しは、許可を得られているのですか」
サラの頼もしい後ろ姿を見ながら、アウリアは小さく頷いた。
「許可だと! そんなものは知らぬ」
(えええ……本気で言っているのです? まさか部屋の前に立つ衛兵型魔力人形を壊したとか……)
単細胞ならやりかねないので、アウリアはぞっとした。
サラからすれば格上の相手、どう対処したらいいかと悩むように沈黙が横たわった。
そのとき、王太子付き筆頭補佐官が慌てた様子で現れた。
「何をしているのですか、アレン」
親しい間柄の呼び名で呼ばれて、アレンヴィクはガバッと振り返った。
「レンか。ドレイヴェン公爵家を敵に回すなと忠告してやった。社交界のマナーも知らぬ芋女だ」
(まぁぁ、芋女)
今日のアウリアは頭もドレスも全身黄色。眼鏡を外せば目も黄色。
「アレン、公爵夫妻が今日も王宮のほうへ、謝罪にお越しになられていますよ」
「まったく、気弱なことを!」
公爵夫妻は娘が見つかっていない状況を、国王に毎日謝罪とともに報告していた。
アレンヴィクは忌々しげに身を翻していく。
その直前に、
「貴様が王太子妃になろうものなら、八つ裂きにしてアルテ家を潰してやる!」
(脅迫の捨て台詞なんて、公爵家の品位が疑われるだけですのに)
そこには思い至らないのがアレンヴィクという男なのだった。
レンが気遣わしげに言った。
「報告を受けて駆けつけたのですが、遅くなって申し訳ありません」
「いえ、ありがとうございます。妃の座を狙っているだろうと、話が飛躍しすぎていて」
「ああ……」
戸惑っているのはアウリアだったが、レンの目が虚空を彷徨った。
(ん?)
「こちらの部屋にご案内したせいで、頭に血が上ったのでしょう」
「血が上る?」
「伝統的に、婚約がお決まりになった方が、一時的に住まわれる場所なのです」
「ひっ」
思わず変な声が出て、アウリアは焦ってサラの腕を掴んだ。
「それはどういうことですか」
サラが訊ねた。
「殿下は魔塔へ行かれました。すなわち、数日はこちらへ戻られないということ」
「数日?」
「殿下がおっしゃる魔塔は、魔道宮ではなく本拠地を指します。そこは時間の流れが異なります。それも不規則な間隔で、たとえば一時間の滞在で一日のズレ、というような規則性がないのです。さすがに数時間の滞在で10日もズレはしませんが」
アウリアはますます理解に苦しんだ。
「でしたら、王太子宮に連れてこられた意味がわかりません。貴族街やデュオクロスへ戻ってもよろしいですか?」
レンは首を振るとアウリアを促し、二人は回廊のほうへ歩き出した。
サラはキリリとしてその場で待機の姿勢だった。
「アウリア嬢は、殿下の許可なくどこへ行くこともかないません」
「殿下がお戻りになるまで?」
「はい」
それはよくない気がした。
(あの単細胞男は浅慮で短気。どこで何を口にするかわからないのです)
金の目の色のことは、王家や王室顧問がまだ隠そうとするはず。
注意すべきは、独身の貴族令嬢がエメラルド宮に留め置かれたという噂だ。事実だけに社交界に知られるリスクこそ避けるべきなのだった。
「わたくしは帰ります」
レンが目を剥いた。
「それはかないません」
アウリアは微笑んだ。
「強制的に留める明確な根拠を示してください。王太子と言えども、貴族令嬢を宮殿に監禁する権利は持ちません。それともわたくしの知らない法律ができたのでしょうか? その場合、正しくそれを示してください」
日が沈み始めたころ、アウリアは貴族街のアルテ侯爵邸に到着した。
レンはアウリアを留める正当性を示すことができなかったのだ。
王太子殿下の命令というだけでは、粛々と従わないのがアウリアなのだった。
(こんなところが小賢しいというのでしょうね。あの単細胞さんなら)
レンは頭を抱えながらも、貴族街アルテ侯爵邸へ衛兵を派遣する旨を通達した。
なぜそこまでするのかと驚くアウリアに、レンは本音全開で、
「私の仕事がこれ以上増えないようにするためです」
よくわからない理屈だったが、レンの精神安定のために必要ならばと受け入れたのだった。
侯爵邸に入るなり、「キュゥゥゥゥ」と鳴き声が響き渡った。
次の瞬間、びゅぉぉん、飛んできたチビ竜ピオニーが、アウリアの顔に張りついたのだった。
「きゃっ」
(これは、いつぞやの)
デュオクロスのモグラ邸で、チビ竜がモグラさんの顔を直撃したアレだった。
痛くはないものの、風圧があってよろけてしまい、サラに受け止められた。
「なんと行儀の悪い」
サラが叱る声にかぶせて、アウリアは笑った。
「鼻は噛まないで」
チビ竜を離して、腕に抱え直す。
「キュウキュゥ」
つぶらなエメラルドの瞳でひしとアウリアを見つめた後、寂しかったのか、翼も尾っぽも全部でアウリアの腕にしがみついて離れまいとする。
「ふふ、やっぱり帰ってこれてよかったのですよ」
サラが低く耳打ちした。
「変身しないよう言いつけられていたのでは」
「あ!」
執事ムラタとコヴァがチビ竜を相手に格闘したらしい、疲れ切っていた。
メイド・ピオニーが竜になったとき、他の使用人に見せてはならないと思い、広い部屋に閉じ込めたが、いつの間にか飛び回っていた。コヴァが追いかけたら喜んでしまって、散々遊びに付き合わされたのだった。
アウリアはチビ竜を肩に乗せて、居間へ移動した。
衛兵配置については、王太子と筆頭補佐官の連名で指示書が届いたため、ムラタは駆け落ちに関する監視だという受け止め方だった。
使用人たちには駆け落ち騒動は伏せているが、そこは侯爵家が雇うだけあって、プロフェッショナルだ。
コヴァがアウリアの帰りを待ちかねていた。
兄を見失った一件で、コヴァは責を感じて奔走している。
「お兄さまのこと、何かわかったの?」
ピオニーが膝に移ったので、アウリアは食事前だがおやつを運ばせた。
コヴァは仰々しく片膝を折る。
「そういうのはいいから」
「はっ」
コヴァが顔を上げて報告する。
「神殿でおかしな噂を耳にしまして。アウリアさまはご存じないと思われます。ルイス(アルテ侯の側近)よりお耳に入れるようにと」
おかしな噂は果たして、アウリアがあまり気にしない類いのものだった。
「現在の最高神官は国王の兄君で、正当な王位継承権をもたれているのは最高神官だという噂でした」
「どういうこと? 先代陛下が、身分の低い方と子をお作りになって神殿に預けられたとか、そういうこと?」
きょとんとするアウリアに、サラがこっそり言った。
「その前の最高神官のときも似たような噂が流れたと、祖父から聞いています」
王位継承が絡む話題は新聞も自粛している。アウリアのように社交界に出入りしない者は耳にする機会はなかった。
「最高神官て、今何歳?」
「48歳です」
(さすが、すぐわかるのです)
「結婚できるのよね?」
「はい。神官も結婚はできますが、相手は巫女に限られます。以前に聞いただけですが、最高神官が神殿法で禁じられている、貴族との婚姻を結ぼうとする動きがあったとか」
「ふぅん……」
(自分こそが王位に相応しい人間だと思っていて? あるいは周囲からそう思わされていて、妻は貴族から娶るべきだという考えなのでしょうか。未だに独身てことは、貴族との婚姻を諦めていない?)
アウリアは顔も思い浮かばない最高神官について考えながら、ふと、何か忘れている気がした。
(最高神官が国王と血のつながりがあって、しかも国王の兄――)
何か、そこまで出かかっている。
が、脳裏に過った何かは明確な形にならずに崩れていった。
ぶるぶるっと身震い一つ、寒気がする。
うたた寝していたチビ竜ピオニーがむくっと起き上がる。
「キュゥ?」
「震えて驚いた? 何でもないのですよ」
「キュッ」
ピオニーの顔を撫でるアウリアに、サラが言った。
「私が口を出すのはおこがましいのですが」
「忌憚なく意見してください」
「ではお言葉に甘えて。私は騎士家の人間として、王家に忠誠を誓っています。次期国王となられる王太子殿下を軽んじる行為や、叛意ある噂を許すことはできません」
「貴族も王家に忠誠を誓うのですよ」
(わたしはまだだけど)
「こたびのアルテ侯のこと、どのように事態を収めるおつもりなのですか」
「うーん。その話の途中で、殿下が魔塔へ行ってしまったのです」
「……なるほど」
(王太子の子作りがあそこまでハードルが高いと――)
アウリアは口の中でつぶやきながら、天井を見つめ、そのまま寝落ちした。




