第四十四話「笑顔の影に、滲む空」
焦げついた空気に、機体の断末魔が混じる。
ボロボロの零戦が煙を曳きながら、鹿児島基地へ戻ってきた。
──悠木 薫中尉。
爆炎の中を生き延び、特攻機と敵機が入り乱れる地獄の空をくぐり抜け──薫は、帰ってきた。
片翼は裂け、機銃口には焼け焦げた煤がこびりつき、風防のガラスには蜘蛛の巣のようなヒビ。
それでも、着陸して言った。
「……ただいま」
整備兵たちが駆け寄る。
驚き、安堵、そして……どこか、哀しみを含んだ目で薫を見る。
「また、伝説ができましたね、中尉……」
誰かがそう言ったとき、薫は肩をすくめ、笑ってみせた。
「……死に損なっただけさ…ただ、それだけだよ」
その笑顔は静かだった。
だがその瞳の奥には、誰にも見せぬ炎が潜んでいた。
夜。
薫は兵舎の一室にいた。
窓の外では、風に笹の葉が揺れている。
焦げた味噌の匂いと、どこか遠くの犬の遠吠えが、昭和という時代の静けさを際立たせていた。
机の上の“黒い板”が、淡く光り出す。
──ハルカアオイ。
それは、未来から来た知性体AI。
【──悠木 薫。】
その声は、静かに、そして深く彼の心に落ちてくる。
「またオマエかよ……今夜は静かにしてくれ」
薫は湯呑みに口をつける。
ぬるくなった茶が、微かに焦げた茶葉の香りを立てていた。
だが、ハルカアオイは問いをやめなかった。
【……あなたは、死のうとしてるのですか?】
部屋に、ひときわ深い静寂が満ちた。
薫は湯呑みを置き、わずかに首を傾げた。
「……生きたいさ。できることなら。でも……守れるものがあるなら、死んでもいいって思う自分がいる」
【それは矛盾です】
「人間ってのはな、そうやって矛盾と一緒に生きてんだよ」
薫はふと笑った。
だがその目には、滲むものがあった。
「……オマエの相棒だったんだろ、富神 楓…結局、死んじまったじゃねえか…どうなんだよ」
ハルカアオイは答えない。
その沈黙こそが、何より雄弁だった。
──あの青年はもう、この世界にはいない。
それでも、あの空で共に戦った記憶だけは、自分の中に、今も生きていた。
「なあ……オレが飛ぶことって、意味あると思うか?」
彼が問うたときだった。
黒い板が、もう一度脈動する。
それは、ハルカアオイではなかった。
──ユキノシロだった。
【雪乃と……交信中】
「……え?」
その名を聞いた瞬間、薫の呼吸がわずかに乱れた。
黒い板から、確かに雪乃の声が聞こえてきた。
──「……薫くん、帰ってきて…」
──「颯も待ってるよ……みんな、あなたを待ってる」
その声は、遠く、懐かしく、優しかった。
まるで、失われかけた日常が、声になって届いたようだった。
薫は静かに立ち上がり、窓を開けた。
冬の夜風が、やさしく頬を撫でる。
空には月。
雲の切れ間から、少しだけ“青”がのぞいていた。
(……あの青空に、帰りたい)
そう思った。
思ってしまった。
だが、戦争はまだ、終わっていない。
薫には、守るべきものが多すぎた。
翌朝。
薫は上官の前で、最後の帰省を願い出る。
その代償と引き換えに、自ら“特攻”への志願を名乗り出た。
帰るために、死を選んだのではない。
“生きて、帰るため”に、命を賭けると決めたのだ。
顔の瞳は、確かに青かった。
それは、誰かの記憶の空とつながる“祈りの色”だった。
To be continued…




