第四十一話「青き空、還らぬ祈り」
1944年6月。
空は、今日も果てしなく青かった──あの日と、何も変わらずに。
だがその青は、もはや自由を意味しなかった。
それは、夥しい命の上に儚く漂う、薄氷のような幻。
戦況が悪化する中、日本は確実に敗戦へと向かっていた。
──鹿児島基地。
滑走路脇に立つ悠木 薫の足元を、南からの潮風が撫でた。
焼けたアスファルトから立ち上る熱気が、まるで亡霊のように空へ昇っていく。
爆音を残して、訓練機が離陸していく。
機体はまだ不安定に揺れながら、ゆっくりと青空に溶け込んでいった。
「中尉殿。今日もご指導、ありがとうございました!」
振り返ると、若い隊員が真っ直ぐな眼差しで敬礼していた。
その目には、まるで信仰にも似た“憧れ”が宿っている。
「自分、決めました。次の志願、通そうと思ってます。……特攻に」
微笑を浮かべるふりをしながら、薫の胸の奥で何かがきしんだ。
──俺が、死へと送り出す。
彼らはまだ、十八や十九。
家族に見送られ、未来を勝利を夢見て育った少年たちが、いまは“美しい死に方“を学ばされている。
薫が“英雄”と呼ばれるようになったのは、ある転機があってからだ。
──富神 楓。
この時代には存在しないはずの青年。
だが、あの激戦以来、彼の記憶と操縦技術が、薫の中に息づいている。
あの日から、空に出れば、薫の体は“二人分の経験”で動いていた。
──夜。
兵舎裏の古びたベンチに、薫は腰を下ろしていた。
空には満天の星が瞬いていた。
だがどこか、どの星も冷たく、遠かった。
「……なあ、オマエなら、どうするよ」
声に出してみても、返事はない。
だが、ふと──風が薫の頬を撫でた。
──「笑えばいいよ。空は、全部知ってる」
風の中に、聞こえるはずのない声が混じる。
誰にも聞こえないはずの声を、薫はたしかに“感じていた”。
「……バカ野郎。笑えねぇよ……」
小さな笑いが、喉の奥から漏れた。
気づけば、星空がにじんでいた。
「オレはもう、オマエじゃないと、空を飛べない……いや、違うな。オマエの操縦しか、信じられないんだ」
楓の技術に生かされ、薫は幾度もの空戦を生き延びてきた。
そのことで階級は中尉に昇格し、今や特攻隊の教官にまでなっていた。
だが、指導を受けた少年たちが次々と“帰らぬ人”になる未来、その称号が、呪いに変わっていく。
“中尉殿に最後、見送られたく志願しました!“
その言葉を何度聞いただろう。
死にに行く理由に、自分の存在が組み込まれている現実。
「…なあ……オレ、本当に正しかったのか?」
誰に問うでもないその声は、風に溶けて消えていった。
──「正しかったか、そんなの……まだ見つけてないだろ?」
幻のように、楓の声が頭に響く。
記憶か、空想か、未来の亡霊か。
それでも、その声に救われる自分がいた。
「……真珠湾。あの時、誇らしかった。でも今は、自分を許せねえんだよ。……あれが始まりだったんだ」
肩を落とし、空を見上げる。
その深い青は、あまりにも静かで、美しかった。
──だからこそ、赦されるべきではない。
数ヶ月が経った11月、あの少年は空へと消えた。
並んで訓練をしていた、あの笑顔のまま──彼は帰ってこなかった。
薫は立ち尽くしていた。
涙は出なかった。
ただ、冬風がそっと冷たく頬を撫でていた。
──でも、それでも、空は青い。
「……富神 楓、オレはまだ、生きるよ。たとえ誰にも知られなくても、オマエとオレの“想い”を、この空に刻みたいんだ」
滑走路脇に立つ足元の草がざわっと風に揺れた。
それは、もういない少年たちの声のようにも聞こえた。
青空は、すべてを静かに見つめていた。
祈りも、怒りも、赦しも。
すべてを包み込むように──。
To be continued…




