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異世界からの亜人にはいろいろなタイプが・・
「……ははぁ、こういうことだ」
引き出し式の梯子がするすると降りて来る。
天井に収納されていた、屋根裏へ通じる梯子。その仕掛けを見つけたのはキアだった。
そこだけ広い階段ホールの理由は、この梯子を下ろすスペースだったのだ。
「なんでわかったんだ」
「そこから風が、吹いて来た、から」
「見たのか。あの態勢で」
「ううん、感じた。耳と、シッポで」
キアの頭の耳がふるっ、と、シッポがふんわりと揺れる。
「なるほど。便利はもんだ。さて、行くぞ。残るか?」
源大朗は携帯を開いて光をかざす。
スマホではなく、ガラケーだ。部屋から持って来た。
マレーヤとアスタリの部屋も見て見たが、マレーヤの部屋はもぬけの空、アスタリの部屋のドアは開かない。何度ノックしても叩いても同じだった。
「ううん。いっしょに行く」
「そうか。気をつけろ」
キアがうなずく。
源大朗は携帯の光を屋根裏に向けた。四角い穴の向こうは黒い闇だ。何度も確かめるように体重を乗せ、梯子を上り出す。
上り切って屋根裏から顔を出し、
「いいぞ」
キアをうながした。
そうやってふたり、すっかり屋根裏へ上がると、
「驚いたもんだな」
「……うん」
ガラケーの光でぐるっ、とひとまわり、見えるものは、整頓された、しかしどこか雑然とした、
「子どもの部屋、だな」
「女の子の、部屋だと思う」
とりたてて人形やぬいぐるみ、ピンクの小物、などはない。しかしどことなくひとつひとつが目をかけられてかわいらしく、なにより、
「こいつだな」
鏡台が、円形の鏡をこちらへもたげるように掲げていた。
「窓は、ステンドグラスか。雰囲気だな」
外から見た、正面外壁の上部にシンボリックに配されたステンドグラスが、この屋根裏部屋の明り取りなのだ。
「さて、と。なにか感じるか。オレはそっちのほうはさっぱりでな。ぅん? キア、どうした?」
振り返ると、キアがじっと鏡を見つめたまま動かない。
鏡がぼんやりと光っていた。
と思うと、まるで液体のように光が鏡面からあふれ、滴り、床にこぼれ落ちていくように見える。
その光に照らされ、キアが魅入られたように動かない。キアの顔もまた青白く染まっていた。
「……」
「よせ! キア、離れろ! 鏡を見るな!」
肩に手をかけ、強引に引き離そうとする源大朗を、
「うあっ!」
光が焼いた。
一瞬、意志を持ったように光が源大朗の顔を直撃する。刀身の一閃のように、光線が双眸をかすめる。
焼けつくような熱さの次に、沸騰するような痛みが襲って来た。
転げながら源大朗、
(なんだ!? やられた! 目を……!)
痛みで目が開けられない。それでも無理に目蓋を開けると、ほとんど真っ白い闇の中に、わずかに動く物体のような影。
「ダメだ、キア! 鏡から……!」
それ以上は見ていられない。しかし手探りでキアの身体を探し当て、つかみ、引っ張った。
なのにキアは動かない。どころか、さらに前へ、鏡のほうへと身体が持っていかれるようだ。
吸い込まれているのか。
「ぁ……」
キアの抗う声は聞こえない。すでに意識を奪われているのかもしれない。
そう思いながら源大朗、キアの足だけは離すまいとしがみつく。
だが、
(ダメ、か。オレのほうも意識が遠くなって……)
身体中の力が抜けていく。
握った手の感覚がなくなる、という、そのとき。
「たぁああああありゃぁあああああっ!!」
場違いな唸り声とともに、一筋の影が舞い降りた。そう感じたときにはもう、ガシャァアアアン! 大きな音が響き渡っていた。
同時に、
「ぉうあっ!」
とたん、意識が戻って来た。源大朗は自分の手が握りしめているキアの足を感じたし、その向こうの身体も、
「ううっ……!」
「おい! おいっ! だいじょうぶなのか。ここにいるか! キア、おまえっ!」
手繰り寄せるように源大朗。そのとき、
「げん、大朗……」
「キア!」
思わず抱き寄せる。抱き寄せて、
「おぁっ!? 見えてる。目が見えてるぞ! ちゃんと見える。おまえの顔! よかった! キア、身体は全部あるか、五体満足……」
「ちょ、っと、源……!」
「ストーーーーップ!! こらぁ! おっさんは離れろぉー!」
ぐいっ、と引っ張られる。こんど引っ張られたのは源大朗で、引っ張る、というよりキアとの間に入って、源大朗を押しのけるのは、
「おまえ、マレーヤ」
そして目を移すと、そこには割られ、砕けた鏡台。辺り一面に鏡の破片が飛び散っていた。
「おまえがやったのか」
「へっへーん! スピンクス、なめんなよぉー」
そう言ってマレーヤ、その手をかざすと、肘から先がみるみる獰猛な猛獣の腕になっていく。
とくにその爪の鋭さ。
「スピンクスは、身体がライオン、だったか」
「ほんとはあんまり見せたくないんだー。でも、キアのピンチだったから!」
そう言うマレーヤ、じつは両脚も、膝から下がライオンの脚になっていた。ふぅー、と力を抜くと、ぼわっ、と元に戻る。
「オレもピンチだったんだがな」
「お、遅れました! みなさん、御無事ですか!」
と声。見れば、梯子を上がって来るのはアスタリだ。
「アスタリー! 無事だったー! 良かったー!」
飛びつくマレーヤ。このときばかりはアスタリも、
「は、はい。マレーヤも、キアも、源大朗さんも無事で、ほんとに良かったです」
笑顔で答える。メガネの向こうの目が涙をにじませていた。
「それにしても、よくやれたな。あの鏡、オレも近づけなかったのに」
「なんか屋根裏が開いてたから上ったらさー、おっさんとキアが固まってて。で、鏡が光ってたから、ぜったいこれヤバい! って思ったらさー、もう身体が動いてて!」
「なるほどな。オレやキアが鏡を見て憑りつかれたのと違って、なんも考えてないヤツがいちばん強かったってか」
「そうそう! なんも考えてな……、ってなによー! 助けてやったのにー! ぶー、ぶー!」
「ぁ、うっ……、源大朗」
「まぁ、それでも助かった。礼を言うぜ。アスタリは……」
「源大朗! あ、のっ!」
キアが源大朗の手を引く。源大朗が振り向くと、
「どうした、キア? ……んぁ?」
キアが自分の寝間着の下を押さえて、真っ赤になって目を逸らす。ずっと源大朗が寝間着を引っ張ったままで、ほとんど脱げてしまっていたのだ。
「おわっ! 悪ぃ! 鏡に吸い込まれないよう、引っ張ってて、な」
あわてて離すと、キア、にらみながら寝間着をかき上げる。
「もう! なにやってんのよ、おっさん! どスケベ! あー、キア、かわいそー! よしよし!」
「いや、オレはキアを守ろうとして、だな」
「んべー! ロリコンおっさんからマレーヤが守ってあげるからねー!」
「ロリコンって……」
「そんなことより! ……見てください、周り」
そんな流れを断ち切って、アスタリが声を上げる。アスタリを除く全員が顔を見合わせ、言われたとおりに回りに目をやった。
そして、
「なんだ、こりゃあ!」
「さっきまでは、こんな感じじゃなかったよね。もっときれいだったし」
「廃屋、みたい」
さっきまでの、雑然とはしていても整った、部屋の主のかわいらしいセンスの感じられる室内。
それがいま、ほとんどすべての物が壊れたり散らばったり、なによりその上に分厚い埃が積もっている。
壁のステンドグラスはところどころ破れ、
「天井が」
キアが見上げる先、天井板どころか屋根のスレートまでが剥がれ落ち、梁の向こうに夜空が見えていた。
「どうなってる」
「下も、そうなんです。ずっとベッドに、すごい力で押し付けられるようで動けなかったんですけれど、ようやくそれが消えて、見たら部屋の中がもう、朽ちたようになっていて、廊下も、階段も」
アスタリが訴える。
屋根裏だけでなく、どうやら洋館全体がすっかり倒壊寸前のありさまだ。
「どういうこと? マレーヤがあの鏡ぶっ壊しちゃったから? ぅー、なんか悪いこと、しちゃったのかな?」
「違うな。これは亜人のしわざだ。といっても人型じゃない。モンスターってより、スピリットってところか」
「はい、そう思います。おそらくこの壊れ方は」
「最初から……」
「えー! こんなボロ屋に泊まってたのぉ? うそ! お風呂とかどうなってたの? シャワー浴びたんですけどー!」
マレーヤの言うとおり、バスルームも洗面所も、陶器は割れ、完全に荒廃していた。
窓どころか壁も一分壊れて外が見え、屋内には土埃がたまって、虫の死骸や、草までが生えている。
「スピリットが、この家をきれいに見せていたんだ。保っていた、のかもな」
「そんな、空気みたいなのでも、こっちの世界に入って来れるの?」
「本来は許可されてない。知性もない、まさに空気みたいなもんだからな。パスポートも、申請も発給できないだろ」
「けど、入って来てしまうんですね。条件によっては、ゲートや検問を潜り抜けて来てしまうとか」
「ああ。近頃は気密性の高いゲートが増えて、そのへんも対処されて来てるが、まだまだ、な」
この世界では精霊・悪霊などと呼ばれるスピリット系の異世界生命体。もっとも、こちらの基準では、生命ですらないかもしれないが。
「へー、そうなんだ。でもこれってじゃあ、なんのスピリットなの? なんでこの家に憑いてたのさ」
マレーヤが口を尖らせる。
しきりに寝間着のキアをかばって、源大朗の視線から守っているようなのだが、そのマレーヤもアスタリも寝間着のままだ。
「この家が空き家になったのが三十年まえとして、異世界と通じるようになったのが十数年まえです。少なくとも、スピリットのせいでそうなったわけじゃなく、あとから憑りついたのだと思います」
「でも、なんで」
「さぁ、ほんとのところは推測するしかないが、なにか、呼ぶ、ていうか呼び合うものがあったんじゃないか。こいつと、この家が」
「呼び合う?」
「ああ。こいつは日本の妖怪表記だと「雲外鏡」て言われるヤツかもな。鏡に憑くタイプのスピリットでな。まぁ、付喪神だな」
「鏡に、憑く……」
「とはいえ、ほんものの雲外鏡は、鏡に魔物の正体を映して暴くってもんなんだが。ほんものってのも変な言い方だがな」
「なにが引き寄せたのさ、その雲外鏡を」
「これ……」
キアが指さした。
それは大事に仕舞われた人形だ。箱が裂けて、中身がのぞいている。
中まで埃と土が詰まっていたのが、さっきの騒ぎで転げたのか、汚れにまみれた人形が見えるようになったのだ。
「やっぱり女の子の部屋だったか」
「んー、こんなのあったよー」
こんどはマレーヤが。
床に積み上がっていたゴミのような山から、引っ張り取って来た。
「写真?」
「アルバム、ですね」
さまざまな古い写真が張り付けられている。残念ながらその半分以上は、湿気で変質、あるいは写真そのものが朽ちてしまっていたが、何枚か、
「これ、ここに住んでた家族かな。お父さんに、お母さん、子ども、ふたりいたんだ。小さい、かわいー!」
「ひとり、女の子みたい」
「じゃあ、その子がこの部屋の」
「主かもな」
めくっていくうちに、子どもが成長していくのがわかった。赤ん坊のようだった子どもが三輪車に乗り、それが小さな自転車になり……。
そして目に留まった一枚。
「これ!?」
「そっくり、ですね、まるで」
そこに写っていたひとりの少女。
新入学の記念にでも撮ったのだろう。真新しいセーラー服をどこかぎこちなく着て、緊張した面持ちでカメラを見ている。
さほど長くない髪を無理に振り分けにしたのか、小さなお下げ髪が下を向いて尖っている、その顔。
「……」
見つめるキアの表情が、物語っていた。
「いまのおまえに、年恰好もちょうどぴったり同じってとこ、か」
源大朗の言葉に、誰もがうなずく。けれどその写真はすっかり色あせて、カラーがモノクロのように薄くなっていた。
「うーんと、……1986.3.24、だって。「加奈、中学入学」って、書いてある」
浮き上がっていた写真を破れた台紙から引き剥がして、マレーヤが裏に書かれていた文字を読み上げた。
「三十年、どころじゃないですね。中学校に入学の」
「ああ。貸してみろ。……ぅん?」
マレーヤから受け取って、源大朗がアルバムをめくる。ところがその先に、加奈という少女の写真は一枚もなかった。
それぞれ父母や、男子の写真はあった。しかし加奈はいない。
「この男の子が、これは高校? の入学記念に撮ったものでしょうか」
だいぶ大人びた面持ちの少年が詰襟の制服で立っている。その横に父親、前に、椅子に座った母親。
「写真館とかで撮ったのかな。なのに加奈がいない、て」
誰もが、その先の言葉を言えず、写真に目を落とすことしかできない。ようやく源大朗がアルバムを閉じて、
「だが、これでどうやらわかったな。この女の子、加奈が中学入学のころに……、この家からいなくなった。けどどうやらこの部屋なんかはそのままに残されていたんだろう」
「残して、おきたかった」
「そういう家族の強い気持ちが、家に乗り移ったのでしょうか」
思い出が家に宿る。
それ自体はスピリットでもモンスターでもない。
住んでいればごくふつうに、自然に積み重なっていくもの。家はそれぞれ、住人の想いを含んで、ため込んで、それらとともにある。
それが空き家になったとき。
「思い出だけが、強い思い出だけがいつまでも残って、それを感じるスピリットを引き寄せたんだ。この加奈って子を想う気持ちに成り代わって、な」
しばらく、沈黙が訪れた。
誰もが、写真の少女のそれからを想う。
「加奈……」
いま写真はキアの手の中にあって、じっと写真を見つめていたキアが、ふと目を逸らした。
その視線が、朽ちて破壊された鏡台に移る。
まだ残っていた鏡の破片に自分の顔が写って、キアを見つめていた。
そのとき。
「ぁっ」
ぼっ! 突然、写真が燃え上がった。
「キア、危ない!」
マレーヤが写真をはたき落とす。写真だけではなかった。鏡の破片もみな、青白い焔を発して燃え上がり、やがて、
「みんな、ひとつに」
お互いに手を取り合うように焔はひとつになり、鏡台を青い火炎で満たした。
「下がってろ、キア!」
「危険です、こっちへ!」
だが言われてもキアは下がらず、逆に手を伸ばした。差し伸べた手がかつて鏡だった面に触れる。と、
「……ぁ」
青い焔は一瞬強く噴き上がった。
と思うと、弾けるように掻き消える。焔の残滓が、破れた天井の穴から夜空へ、雲散してった。
明日も更新予定です。