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ケンタウロスの部屋(家)と言えば厩舎?
「ここだ!」
「どこ」
車を駐車場に停め、通りに出る源大朗。助手席に乗っていたキアも続く。
そこにケンタウロスのミリア、
「さっそく内見とはさすがだが、このあたりは」
「ああ、高田馬場だ」
言われて源大朗、胸を張る。
「まさか」
キアの耳がピクッ、震える。源大朗の駄洒落などに辟易しているときの反応だ。
「だってあれだろ。ケンタウロス族だぞ。馬といったら高田馬場だろ。あ痛っ! 痛たたた!」
「そういうの、いい」
キアが源大朗の足を踏みつけていた。「いい」はもちろん、「やめろ」の意味だ。
だがミリア、
「わたしならかまわぬ。現にいま、住んでいるのもこの近辺だ」
「え、じゃあ、高田馬場に」
「うむ。一年ほどまえ、ふつうの不動産屋で紹介されたのだ」
「ほらな、やっぱりだ!」
「住みにくいから、部屋探しに来たんだと思う」
源大朗とキアの会話にミリアが混じり、ボケとツッコミが混とんとし始める。
ちなみにミリア、池袋からこの高田馬場まで、自走して来た。
夷やの軽デッキバンではシートにも荷台にも乗れないうえ、
『道路交通法上、わたしは「乗り物」の範ちゅうだ。歩道を歩くこともできない』
ケンタウロスは軽車両の扱いなのだ。
『え、じゃあ』
『うむ。車を追いかけるので、先を行ってもらいたい』
『マジかよ、ほんとに車と同じ扱いなんだな』
ちなみにミリア、短距離ならば時速七十キロを超えて走ることができる。一般道ならじゅうぶん以上に、車についていける速さだ。しかし、
『舗装路では時速三十キロ程度に抑えている。脚に負担が大きいのでな。舗装路用のクッション付き蹄鉄を履いているが』
ということだった。
「そうかぁ。もう住んでたかー」
改めて、頭をバリバリとかく源大朗。その眼前に「ビッグボックス」がそびえる。
新宿区、高田馬場。
JR山手線・高田馬場駅のある一帯で、駅には、西武新宿線、東京メトロ東西線の同駅も接続している。
JR高田馬場駅の一日の平均乗降人数はおよそ二十万人。
西武高田馬場駅がおよそ三十万人、東京メトロ高田馬場駅はおよそ二十万人だ。むろん乗り継ぎ客が複数カウントされている。
町名としての高田馬場は、この高田馬場駅をちょうど中心とするようにおもに東西に長く、一丁目から四丁目までが広がる。
山手線で、新宿と池袋のちょうど中間に位置する高田馬場は、そのふたつほどには都心ではなく、ひとつ北の目白のような高級住宅街でもない。
高田馬場は学生の街である。
目白との間に学習院大学、南には学習院女子大学、そして駅前のもっとも大きな道、早稲田通りを西へ行けば、その名のとおり、早稲田大学に行きつく。この通りの下を東西線も通り、同早稲田駅はひとつ先だ。
乗り換えの便もあって、学生たちは高田馬場駅に集うことになる。
そうした学生目当ての居酒屋、飲食店が軒を連ねて、いわゆる学生街を作っている。
前述のとおり、ちょっと駅を離れれば都心的なビルの集中もないから、学生など単身向けのアパート、マンションも古くから多く、ロケーションの便利さを考えれば割安と言えた。
「よし! いい機会だ。いま住んでるところを見せてくれ」
源大朗、逆転の発想。
「そんなの、あるの」
また驚き呆れるキアに、
「かまわない。五分ほどだ。行こう」
平然と同意するミリア。もう歩き出している。
源大朗たちも続くが、
「そんなに近いのか。小滝橋のほう、か」
早稲田通りをミリア、ずんずん西へ歩いて行く。といっても前述のとおり、ミリアが通れるのは車道。
車道を人間の徒歩並にゆっくり歩いていては車の邪魔になる。そのうえ人間ではない、馬体は全長でも二メートル以上はゆうにあるし、それなりにゆっくり走っても、時速三十キロは下らない。
「お、おい、五分て……!」
「急いで、源大朗」
キアとふたり、歩道をほぼ全速力で走ることになった。ケンタウロスの「五分」を甘く見てはいけない。
*
「はぁー、はぁーはぁー、はぁぁー、おえええ!」
「だいじょうぶか。五分かからなかったな」
「車で来れば、よかった、ね」
息が切れすぎて吐きそうな源大朗。
平然と見下ろすミリア。ケットシーのキアは、このくらいの距離ならばなんとかついてこられるレベルだ。
「こっちだ」
ミリアは路地を入ると、一軒のアパートの前で立ち止まった。
部屋数は四、という小さなアパート。
「軽量鉄骨二階建てか。いちおうはマンションの分類だな。幅員、んー、五.五メートルかな、南道路に接する、南向きで日当たりは良好。築二十年は経ってる。一戸の専有面積は、せいぜい三十平米ってとこか」
「月七万二千円の……、二千円」
源大朗とキア、アパートを見上げながら言う。
「家賃は月七万円だ。管理費二千円」
とミリア。キアの予想はほぼ当たっていたようだ。
「で、ミリアさんの部屋は」
「ミリア、でよい。こちらだ」
肩から斜めに身体に回していたバッグから鍵を取り出すと、ミリア、一階のドアに近づく。
「一階か。確かに、階段は上れない、か」
ミリアの馬体では、人間用の、それも一般のアパート程度の階段は小さくて上り下りが非常に困難だ。
当然、住居は一階になる。
それでも、
「ん!」
鍵穴は床面から一メートルほどの高さ。ミリアの身長からすると鍵穴は低すぎる。けんめいに上体を低くして、ようやく届く。
「不便だな」
「入ってくれ」
ようやく開いたドアに、ミリアがうながす。
中に足を踏み入れて、
「うーん、これは」
「思ったよりきれい。ぁ、ごめん、なさい」
ふたり、それぞれに。
「問題ない。それより、靴のまま上がってくれ。わたしがそうしているのでな」
先にミリアが入る。
ところが、なにしろケンタウロスの全高は高い。
一般の家屋なら天井高はせいぜい二メートル二十から三十センチ。古いアパートだともっと低いだろう。
ふつうにしているだけでミリアの頭が天井にぶつかってしまう。
かなり上体を傾けて、部屋の奥へ入っていく。するとこんどは、馬体の大きさだけで部屋がいっぱいになった。
ごくふつうのワンルーム。
これまたふつうの人間ならば、広くはないがひとり住まいなら狭い部類ではない約三十平米。
最寄りが山手線西部の駅としては、家賃も含め、条件的には恵まれた物件なのだが、ケンタウロスにはそうもいかない。
広さもそうだが、そのうえ、一歩ごとに、ミシッ! ギシッ! 床が音を立てる。いまにもフローリングの床が破れて落ちそうだ。
「こいつは……、フローリング張替えで済むかな。基礎までいってないか」
源大朗が心配するのも無理はない。
「わたしの体重のせいだ」
「何キロくらい……、うっ!」
「女性に体重を聞くとか、ありえない」
キアの蹴りが源大朗の脛にクリーンヒットする。
ケンタウロスの体重は五百キロに迫る者もいる。ミリアで、四百キロを超えるくらいはゆうにあるだろう。
「痛ってーな! ならおまえは何キロ……ぉぐっ!」
しばらく源大朗が脛を押さえてうずくまっている間、
「あの、寝るときは……」
キアが問う。
ベッドがないのはまだわかるとして、敷布団やクッションといったものも見当たらなかったからだ。
「立って寝ている。もともと睡眠時間が短いからな。とくに不都合はない」
「立って……」
驚くキア。
人間は立って眠ることはできない。
よく言われるが、一瞬眠りに落ちても倒れそうな感覚で目が覚める。ケットシーのキアも同様だ。
しかしケンタウロスは、馬体が四本足なうえ、それぞれの脚の靭帯が強く、意識がないときも固定されて、崩れることはない。
「どのくらい、寝る、の」
「三時間も眠ればいい。それで睡眠不足ということはない」
ケンタウロスは自体が草食であり、進化の過程で草食動物の遺伝子が確実に受け継がれていた。
肉食動物から身を守るため、何時間も熟睡することはなく、十五分ほど眠っては目覚め、これを繰り返して、一日合計三時間ほどの睡眠になる。
このあたりは、こちらの世界の馬(ウマ目)と変わらない。
「そう、なんだ」
「トイレはどうしてるんだ? ここのトイレには入れそうに……、ぁう!」
またも声を失う源大朗に、
「言われるとおりだ。わたしの身体ではここのトイレには入れない。なので、バスルームを使っている。もっとも、ふだんは職場の手洗いで済ませているが」
やはりミリア、とくだんこだわらずに答える。
「職場?」
「ああ。ケンタウロスダービーだ。わたしはケンタウロスダービーの「出走人」なのだ」
*
「ケンタウロスダービーか! そうだよな。オレとしたことが、すぐ気づくべきだった」
「いま、すごく人気なんですよね」
夷やに戻って、源大朗、お茶を出しながらラウネアが言う。
「ああ。言うヒマもなく連れ出されたのでな」
「希望条件の記入もまだ。ありえない」
キアも呆れる中、
「まぁ、そう言うな。ちょうど高田馬場かいわいに単身者向けの出物があったんだ。他社物件だったんで、鍵は途中、向こうの不動産屋で借りるつもりでな。善は急げって言うだろ? いい物件は早い者勝ちだからな。にしても、ミリアのいま住んでるアパート……、マンションか、そいつが馬場にあったとは知らなかった」
とは源大朗の言い訳、もとい言い分だ。
「まぁ。では、ケンタウロスさんだから、高田馬場、というわけではなかったのですね」
「うっ! もちろんだ。というか、オレよりその、いま住んでる物件をミリアに紹介した不動産屋が、そうだったんじゃないか」
「あやしい」
とはキア。
そもそも地名のとおり、高田馬場とは、江戸時代、この地に幕府の「御馬場」が作られたことに由来する。
一六三六年、将軍・徳川家光が馬場の造営を命じた。武士たちの馬術の訓練のため、また、流鏑馬などを行った。現在はもちろん馬場はなく、名残は碑石のみだ。
ただし、実際の馬場があったのはいまの高田馬場駅よりもだいぶ西。どころか、早稲田通りの北に面し、早稲田大学のキャンパスに隣接する。
なので町名も高田馬場ではなく、西早稲田。
昔はそちらのほうが高田村で、一帯の丘陵地帯の上に馬場が築かれていたのだ。
高田馬場駅のある場所の昔は、戸塚村、諏訪村。そのまま、戸塚町、諏訪町として残っていたのが、一九七五年の住居表示の変更で、まとめて高田馬場(町)となる。
現在の町名・高田はといえば、神田川を越えた北の豊島区に属する。くどいようだが、昔はそちらも含めて高田で、神田川の北に高田御殿があった。鷹狩りなどの際の、将軍の休憩場所だ。
御殿と御馬場、セットで高田馬場なのが、現在はどちらも町名の高田馬場ではない、というのが少々奇妙だ。
ところで高田馬場の読みは「たかたのばば」なのだが、駅名は「たかだのばば」(駅)が正式で、そちらに合わせて、「たかだのばば」読みが一般化している。
高田馬場といえば、歴史好きが連想するのは、「高田馬場の決闘」だろう。
中山安兵衛の十八人斬りが江戸中に大評判となったが、実際に斬ったのは三人だとか。有名になった安兵衛は請われて堀部家の養子となり、堀部安兵衛となる。そしていわゆる忠臣蔵、赤穂事件の吉良邸討ち入り主要メンバーとなるのだ。
「んまぁ、とにかくだ。ケンタウロス族にオレたちが住むようなふつうのアパート、マンションは無理だってことだ。いまは住んでるんだからまったく無理ってことはないが、そうとう住みにくいのは確かだな」
「それで、物件を探しに来た」
「振り出し、戻った」
「しかしケンタウロスに住みいい住居ってのは……、ところでケンタウロスダービーは、府中だっけか」
「いや、大井競馬場で行われる」
府中、つまり東京競馬場は中央競馬、大井競馬場は地方競馬の競馬場である。
亜人のケンタウロスダービーは、地方競馬に当たるわけだ。
「あった。ミリアファーレンハイト。単勝一番人気」
店のタブレットでキアが検索する。出て来たのは、ダービーユニフォームに身を包んだミリアの凛々しい画像だった。
「ほぉ!」
「まぁ、ステキです!」
「ま、待て! 見るな! 勝手に検索……、もう見てしまったのなら仕方ない。そういうことだ」
ミリア、嫌がるというより恥ずかしいものを見られた、というふうに顔を赤くする。
「なんでだ。すごいじゃないか」
「そうですよ。こんど見てみたいです。ぁ、わたしは、ここで中継で、ですけれど」
人型植物・アルラウネ族のラウネアは、基本、夷やを離れることはできない。この店の地下に根を張っているからだ。
「ルーキークラスだからな。中継はあるのかわからないが。それに、わたしは、その、ダービーはいまだけで、将来は……」
ミリアが言いかけた、そのときだ。
「まいどはろー! コーヒーの出前で……、わぁっ!」
「こんにちは。えっ、きゃっ!」
ガラガラッ! 元気よく、というより乱暴に表戸が開いて入って来たのはいつもの顔。
夷やの、道を挟んで筋向いの喫茶店・興梠の店員、マレーヤと、アスタリだ。
メイド服でトレーにコーヒーポットとカップをそれぞれ持ったふたり、しかし入るなり言葉を失う。
狭い店いっぱいに、馬体が伏せていたからだ。いまは四肢を折って身体を低くしているとはいえ、そのボリュームは圧倒的。
「う、馬ぁ!」
「ケンタウロス族の方ですね。お目にかかるのは初めてです」
無礼なマレーヤと、礼儀正しいアスタリ。
「ミリアだ。そちらも、ふつうの人間ではないようだが」
「はい。わたしもマレーヤも、スピンクス族なんです」
その証拠? に、ふたりとも頭にはケモノ耳、メイド服のミニスカートからはシッポがはみ出ていた。
「そーそー! え、えっと、朝に四本足、昼に二本足、夜に三本足、なーんだ!」
「いまさらクイズかよ! おまえら、最近クイズ、忘れてたろ」
スピンクスがクイズを出すのは定番。とはいえ源大朗のツッコミに、
「それは人間……、と言いたいが、もしかすると我らケンタウロスかもしれないな」
ミリアの答えは、意外にも意味深なものだった。これに、
「えっ、あ……」
「ケンタウロスだったら、生まれたとき四本足! でオッケーだけど、大きくなったら二本足になるの? うううー、わかんない!」
逆に出題者のマレーヤたちが考えてしまうことに。
「跳ね馬」
「某超高級スポーツカーメーカーのエンブレムみたいなやつですね」
「じゃあ、夜の三本足はなんでしょう」
「おい、これ真剣に考えなくてよくないか」
妙に盛り上がる夷やの店内。
「ぁあ、ごめんなさい。お客さまをほうっておいてしまって」
あやまるラウネアに、
「いや。それより、仲が良いのだな」
くすっ、と笑うミリアに、
「なんだかうれしいですね」
「……」
「えー、おっさんと仲良しとか、ないない。あはは! ……あるの、かな」
「すいません。お仕事のおじゃましちゃって」
ラウネアたちがよろこんだりあやまったりする中、
「まったく、とんだところ見せちまったな。……それより、さっき聞きそびれたが、将来って、いまのケンタウロスダービーとは別のことをやりたいってことか」
源大朗がようやく仕事モードに修正する。
これに応えるようにミリアが言った。
「そう。わたしの将来の夢は、音楽……、楽器演奏者なんだ」
明日もまた更新予定です。