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煙を見つけたのはマリだった。


 雪原の向こうに細く立ち上る灰色の筋。風に流されながらも、確かにそこにある。熱源だ。人がいる。三人は無言で足を向けた。


 近づくにつれて、輪郭が見えてきた。

 廃墟だった。

 グランドフロストが来る前、ここに何があったのかはわからない。かつて建物だったものの残骸が、雪の中に半分埋もれて並んでいた。壁の一部、梁の折れたもの、石を積んだ基礎だけが残ったもの。それらを組み合わせて風よけを作り、中央の広場に大きな焚き火を囲むように人々が集まっていた。


 数えると四十人前後。老人もいれば子供もいる。

 全員の顔に、同じ色が刻まれていた。疲労と、諦めと、それでもまだ消えていない何かと。グランドフロストが来て、もう二年になる。それだけの時間が、人の顔をここまで変えるのかと、私は思った。


「止まれ」

 声が飛んできた。

 集落の入り口に、人が立っていた。


 仮面をつけていた。豚の面だった。白く塗られた豚の顔が、こちらを無表情に見つめている。体格は中程度で、外套を深く纏っているせいで体型もよくわからない。立ち方に隙がなかった。後ろに数人の男が控えている。その中に、小柄な若い人間がいた。腕が立ちそうな立ち方をしていた。


「旅の者か」

 声だけでは判断がつかなかった。低くも高くもない、静かな声だった。

「そうだ」とトムが答えた。

「敵意はない。少し休ませてもらえないか」

 豚の面はしばらくトムを見た。それから私を、マリを。値踏みするような沈黙だったが、威圧ではなかった。ただ、正確に測ろうとしている目だった。

「入れ」と豚の面は言った。

「揉め事は困る」


トトスという名だった。

 集落のまとめ役で、四十人あまりの信頼を集めていた。案内しながらの口調は短く、言葉は必要最低限だった。よそ者を信用していない、というより、よそ者を信用して何度か痛い目を見た、そういう硬さだった。


 焚き火の前に場所を与えられ、三人は腰を落ち着けた。集落の人間たちの視線が集まる。好奇と警戒が半々といったところだ。子供が数人、遠巻きにこちらを見ていた。


「手当が必要な者はいるか」とマリが言った。唐突に、しかし自然に。

 トトスが少し目を細めた。

「なぜ」

「できることをしたいの。居候するなら何か返したい」マリは静かに言った。

「それだけだから安心して」

 しばらく間があった。

 やがてトトスが振り返り、後ろの者に何かを耳打ちした。少しして、足を引きずった老人と、手に包帯を巻いた子供が連れられてきた。


 マリは荷から道具を取り出し、黙って作業を始めた。老人の足を見て、包帯を解いて、処置をする。手際が良かった。痛みを与えない触り方を知っている手だった。老人が何か言った。マリが短く答えた。老人がまた何か言い、今度はわずかに笑った。

 トトスがその様子を見ていた。仮面の奥の目が、少しだけ変わった気がした。


翌朝、トムが動いた。

 集落の燃料事情を一通り確認してから、廃墟の端にある木材の残骸を指さした。

「あれ、使っていないのか」

「腐っていると思って」と集落の男が言った。

「全部じゃない」とトムは言った。

「芯の部分はまだ使える」

 それからトムは一日かけて、男たちに木材の選別と切り出しを教えた。腐った部分を除き、使える芯だけを残す。濡れたものは乾かしてから使う。燃やし方にも順番がある。当たり前のことかもしれないが、誰も知らなければ当たり前ではない。


 昼過ぎには、石炭の話になった。集落の近くに露頭があるらしく、住民が少量を採取していたが、うまく燃やせずにいた。トムはそれを見て、空気の通り道を作るよう焚き火の組み方を変えた。火力が明らかに上がった。集落の男たちがざわめいた。


「どこで覚えた」と一人が聞いた。

「いろいろなところで」とトムは言った。

「必要だったから覚えた」

 夕方には、男たちの顔からよそ者への硬さが少し取れていた。


私はといえば、特にできることもなく、集落をぶらついていた。

 子供が寄ってきた。三人、四人と増えた。記憶のない人間というのは子供に警戒されにくいのかもしれない。あるいは単に、暇そうに見えたのかもしれない。

「ねえ、どこから来たの」と一人が聞いた。

「わからないんだよね、それが」と私は言った。

「気づいたら雪原にいた」

「雪原に? 一人で?」

「一人で。寒かったなあ、しかも持ち物このナイフ1本だけ。よく生き残ったと思わない?」

 子供たちがざわめいた。面白い話を聞いたという顔だった。私はそれなりに大げさに、狼と戦った話をした。子供たちが食いついた。気づけば十人近くが集まっていた。


 そのうちトトスが近くに来た。

 子供たちから少し離れた場所に立ち、こちらを見ていた。来たなら来ればいいのにと思ったが、向こうからは動かなかった。仕方なく私の方から近づいた。

「面白い?」と私は言った。

「……子供の扱いが上手い」とトトスは言った。

「褒めてるの?」

「事実を言っただけ」

 トトスは私の隣に腰を下ろした。しばらく、二人で子供たちを見ていた。

「グランドフロストの前から、ずっとここに?」と私は聞いた。

「いや。フロストの後に流れてきた。最初は十人もいなかった」

「それが四十人になったんだね、大したもんだ」

「人が集まってくる。まとめる者が必要になる。気づいたらそうなっていた」


 言葉は硬かったが、棘はなかった。ただ、事実を並べているような口調だった。

「大変だったんじゃない?」と私は言った。

「そうでもない」とトトスは言った。それからわずかに間を置いて、「嘘だ。大変だった」と言い直した。

 私は笑った。

「はは、正直なんだね」

「……そんな風に普通に笑うんだね」

「そりゃ笑うよ。私たちだって人間なんだから」

 トトスはしばらく黙っていた。仮面の奥の目が、最初よりずっと和らいでいた。


「あなたたちは何をしに来たの」

「旅の途中だ。本当に」私はトムの方を見た。木材を運ぶ男たちの中で、トムが何か冗談を言って笑わせていた。

「ただ、あいつは何かをしようとしている。ついてきた私が言うのも変だけど、悪い方向には行かないと思ってる」

「根拠は」

「ない。勘」

 トトスはしばらくトムを見ていた。

「あなたは変な人ね」とトトスは言った。口調が、わずかに柔らかくなっていた。

「よく言われる」と私は言った。


三日目の朝、トムが私に言った。

「周りを少し掃除してこよう」

「野獣か」

「ああ。集落の連中が夜怯えてる。見てれば分かる」

 マリが帳面から顔を上げた。集落の物資を把握しようとして、昨日からずっと計算をしていた。

「気をつけて」とマリは言った。

「私はここで仕事がある」

「昼には戻る」とトムは言った。


 私とトムの二人で集落の周囲を回った。

 最初の獲物は、廃墟の影に潜んでいた中型の獣だった。グランドフロスト以降に増えた種で、犬と熊の中間のような体躯をしている。普通であれば二、三人で対処する相手だ。

 トムが正面に立つと、獣が唸りながら突進してきた。

 トムは避けなかった。踏み込んで、剣を一閃した。それだけだった。獣が横に倒れた。私が手を出す間もなかった。

「やっぱトムって強いんだね」

「あんたも大概だろう」


 昼までに、集落の周囲半里の範囲にいた野獣を八頭仕留めた。中型が五頭、小型が三頭。二人でやれば、この程度は半日で片がつく。獲物を集落に持ち帰ると、住民たちが目を丸くした。

「半日で、これだけ……二人で?」と集落の男の一人が言った。

「そんなに驚くことか?」

 男は言葉を失っていた。

 翌日も、その翌日も、私たちは周辺を回った。三日が経つころには、集落の近くで野獣の姿を見かけることがほぼなくなった。住民たちの夜の不安が、目に見えて薄れた。


四日目の夕暮れ、トムが私に言った。

「少し付き合え」

「何を」

「野獣の狩りと対人戦は別物だ。カンを鈍らせたくない」

 なるほど、と私は思った。確かにその通りだった。獣と人間では、動き方も間合いも、何もかもが違う。

 集落の広場の外れ、開けた雪原にトムが立った。剣を抜く。私もナイフを抜いた。


 最初は様子見のつもりだった。

 だがトムの最初の一歩が、私の予想より速かった。踏み込みの深さが、普通ではない。私は咄嗟に横に捌いて、カウンターを狙った。トムがそれを読んで軌道を変えた。

 そこからは、言葉のない会話だった。

 攻めて、受けて、崩して、立て直す。トムは力で押してくる。私は読んで流す。互いの癖を探りながら、間合いを詰めたり離したりを繰り返した。本気ではない。ただ、本気に近い速さではあった。

 いつの間にか、集落の人間が集まっていた。

 子供から老人まで、広場の端に並んで見ていた。誰も喋らなかった。二人の動きが速すぎて、目で追うのに精一杯だったのだと思う。私自身も夢中だったから、気づいたのは後になってからだ。


 どのくらい経ったのか。

 トムが一度大きく踏み込んだ瞬間、私は体を低くして懐に入り、剣の腹にナイフの柄を当てて弾いた。トムの体勢が崩れる。そこで私は止めた。

 二人とも、荒い息をしていた。

「引き分けだな」とトムは言った。

「そうしておこうかな」と私は言った。

「本気でやったら怪我する」


 沈黙の後、集落の人間から、ぽつぽつと音が上がった。拍手だった。最初は数人、やがて全員になった。子供が一人、興奮した声を上げた。

 トムは剣を収めながら、照れたように頭を掻いた。

「見られていたとは思わなかった」

「いい宣伝になったんじゃない?」と私は言った。

「悪くない」

 トトスが人垣の端に立っていた。豚の面が、こちらを見ていた。何を考えているのかは、やはりわからなかった。ただ、三日前の硬さは、もうそこにはなかった。


その夜、焚き火を囲んでいると、トトスがトムの隣に座った。

 これが初めてだった。これまでのトトスは、少し離れた場所から場を見ていた。隣に座るのは、トトスなりの意思表示だったのだと思う。

「一つ聞いていいか」とトトスは言った。

「どうぞ」

「あなたたちは、本当に何者なの」

 トムは炎を見ながら少し考えた。それから、真っ直ぐに答えた。

「まだ何者でもない。これから何者かになるつもりだ」

「……どんな」

「安全に暮らせる場所を作りたい」とトムは言った。「拠点だ。戦える人間を集めて、守れる場所を作る。ここみたいな集落が、怯えながら夜を過ごさなくていいような。良かったら一緒に来ないか?歓迎するぞ」


 トトスはしばらく黙っていた。

「ここの人間皆揃って、そこに入れるのか」

「もちろんだ。子供たちも含めて、だ」トムは焚き火を見ながら言った。「一人だけ引き抜くつもりはない。全員連れていく」


 また沈黙があった。今度は長かった。


 マリが温めた汁物をトトスに差し出した。トトスは一瞬だけ躊躇して、それから受け取った。

「……少し、考えさせて」とトトスは言った。

「もちろんだ」

 豚の面は無表情だったが、その声には三日前には聞けなかった柔らかさがあった。

「ありがとう」とトトスは言った。「誘ってくれて」

 焚き火が揺れた。

 集落の夜は、最初の夜より少しだけ明るかった。

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