狐の面の下の涙
「私は、聖域には入れないから、ここまでね。もう……迷い込んではダメよ。いつでも私が駆けつけてこれるわけじゃないんだから」
「肝に銘じます……」
「里桜を、よろしくね」
紬は立ち止まり、聖域を見ながら別れの挨拶をする。
「……これから、あんたはどうすんの?」
舞は不器用に妖狐を見て、聞いている。
妖狐はキョトンとしていたが、次第に嬉しそうに口元を緩ませた。
「僕は、もう神社にはいられませんから、ひっそりと暮らして行こうかなって……うつしよに行ってもいいんだけど、千年以上も行ってないからちょっと勇気がいるかな」
「あら。だったら、それまで私の元で働かない?薬草に詳しそうだし。丁度、薬草に詳しい妖を探してたのよ」
妖狐は嬉しそうに、紬を見て頷いた。
「はい。僕の知識で良かったら」
「なら、決まりね」
「あっ、そうだ。舞」
「な、何?」
妖狐はとてとてと舞の前に来る。目を伏せる。だけど、優しく……柔らかい声で言った。
「……ごめんね。もう関わらないと誓うよ」
「──っ」
舞は驚いて息を呑む。
「まだよ。まだ関わってもらわないと困るわ。だって、これ返さないとでしょ。だから、それまで……関わってよ」
舞は手ぬぐいを見せる。紬の妖力で血で真っ赤に染まっていた手ぬぐいは綺麗だったが、舞は洗って返したいらしい。
口が悪く、暴力的な彼女でも、人のものを汚してしまったという罪悪感があるのだろう。
そこが舞の良いところではあるのだが……。
「素直じゃないな」
俺がボソッと呟くと、舞はキッと睨んで思いっきり俺の膝狙って蹴りを入れた。
「いってぇぇぇぇ!!?」
悲痛な叫びを上げながら、舞に蹴られた膝を抱えた。
「昔からこういうやつムカつくのよ!!」
涙目で睨むと舞はふんっと鼻息を荒くして、気持ちを落ち着かせてから妖狐を見た。
「……名前、まだ聞いてなかった。あんただけ私の名前を知ってるなんて不公平じゃない」
「あっ……僕ははるとだよ」
「はると……ふーん。あんたらしい名前ね」
「!? うん、うん!! ありがとう!!!」
妖狐のはるとは舞の不器用な褒め方に頬を染め、グイグイと顔を近づけてお礼を言っている。
舞はうざったいようにはるとの頬をペチっと軽く叩く。
かくりよからうつしよに戻るには通った道を戻らないといけないらしく、元来た道を戻る。
紬とはるとに見送られながら歩いていると、ふと思い出した。
「なぁ、里桜。妖狐の噂ってなんだったんだ?」
里桜は俺を見上げ、後ろを見た。
見送ってくれている二人を見た里桜はふふっと笑った。
俺は不思議に思い、後ろを見る。
妖狐が半狐面を取って、大事そうに面を抱きしめている。下を向いていて、表情はわからないが、泣いているように見える。紬が優しく背中を撫でていた。
「……忘れちゃいました。言いましたっけ? そんなこと」
「なんだ、それ」
里桜はとぼけてるのか、本当に忘れてるのか……。
どっちにしろ、妖狐の呪いは解けたから、深入りはやめておこう。
◇◇◇
【はると視点】
三人を見送っていると、紬様が声をかけてきた。
「良かったの? 言わなくて」
「?」
「舞って子の前世と関わりあったんでしょ」
「知ってたんですか。いいんです。もう……仇を取ってくださってありがとうございます。紬様」
僕は紬様に向き直って深々と頭を下げる。
紬様はクスクスと笑った。
「前回と同じにならなかったの、なんでかわかる?」
「い……いえ、全く」
僕が頭を上げると、紬様は指を指した。その先は、座敷わらしの少女だった。
ああ、そうか……。
僕は……。
胸の奥が温かくなった。その温もりをもっと感じたくてぎゅっと胸の前で拳を握る。
紬様の優しい視線の下で、千年以上凍りついていた記憶が、ゆっくりと解け始めた──。
時は平安の世──人間と妖がまだ共存しやすく、交流があった時代。
僕は生まれて百年経ち、初めてうつしよへ行った。
そこで出会ったのが結核を患っている少女だった。顔色が常に悪く、咳き込んでいる。
でも、決して弱音を吐かない子だった。僕自身、人間は弱くて脆いものだと思っていたけど、彼女を見ていると、人間はとても強い部分を持っているのだと気づかされた。
興味が湧いてきた。もっと人間が知りたくなったんだ。
そのためにも、もっと彼女と話がしたかった。だって最初に話した人間が彼女だから。
僕の能力は自分の妖力を薬草に練り込ませ、調合して特殊な薬ができることだ。
人間に効くかはわからない。それでも、やれることはやろうと必死だった。
僕の薬のおかげで彼女の体調は良くなった。
けど、病は完全には治らなかった。
彼女の結核は大蛇による呪いによるものだったんだ。それでも体調が良くなったのを知った大蛇は激怒していた。
ある朝、悲劇は起こったのだ。彼女の屋敷に大蛇が現れたんだ。
僕はいつものように彼女の様子を見に行こうと屋敷に忍び込んでいたら大きな衝撃音が響いて驚いて飛び跳ねた。
見ると……屋敷の屋根は燃え、怯えている男女の人間。
その目線の先には大蛇に巻かれた彼女の姿があった。
ギリギリっと鈍い音で締め上げる。その度に彼女の苦しそうな唸り声が上がる。
怯えている男女は彼女の両親だ。
「祟りだ」
「お許しを……」
大蛇は泣きながら命乞いする二人には目もくれず、僕の方を向いた。
目を細め、
「お前か。小賢しい真似をしてくれたものよ。味が落ちたらどうする」
「なんでこんなことを」
「なんで? 人間の子供が美味いからよ。人間をまだ食ったことがないのか。なら、手の指一本ぐらいならわけてやろう」
「──っ! 僕は人間は食べないっ! 彼女は……人間の友なんだ!」
情けないことに声が震える。手のひらに狐火を出した。
自分が大蛇には勝てないとわかっている。でも、勝てなくても助けられるかもしれない!
「友? 笑わせる! 人間と妖の友情などありはしない!! ただの幻想だ!! 現実は残酷だということをこの身で味わうがいい!!」
大蛇の目はギラッと赤く光る。
僕に攻撃するものだと思っていたら、大蛇はくっくっと笑って大きく口を開いた。
その瞬間──
嫌な想像をしてしまった。
「やめろ!!!!」
叫び、狐火を大蛇の目に向かって投げつけたが、僕の狐火は鱗に傷もつけられなかった。それどころか、狐火は跳ね返り、僕の顔面に直撃したんだ。
焼ける音と鈍く熱い痛みが走り、地面に倒れ、もがき苦しんだ。
薄らと見える大蛇と彼女は──
大蛇は彼女の首元に牙を立て……。
それも、僕に見せびらかすように……。
その時からだ。大蛇を殺す隙を見つけようと大蛇の動向を監視しだしたのは。
神社に住み着いたのは、大蛇が入ってこれないからだ。神様は優しいから僕を受け入れてくれた。
眷属の二匹は僕が居座っているのが気に入らなかったみたいだけど。
狐は犬が苦手だと言うけど……正直、僕も苦手ではある。でも、あの神社の神様は苦手じゃない。むしろ好きだ。
だって、こんな僕に優しくしてくれるんだ。
月日は流れ、舞に出会った。彼女に似た子。彼女よりも何倍も口が悪いけど、雰囲気が似ている。匂いが全く同じだ。だから、匂いを嗅いですぐにわかった。
彼女の生まれ変わりなのだと。だから大蛇に狙われているのだとすぐに気づいた。大蛇の匂いが微かにしたのだから。
今度こそ、守ろうと思った……。
結局、舞をさらに不幸にしちゃってただけだったなんて思わなかったけど。
幸いなのは、大蛇が僕のことを覚えていなかったことだ。
過去を振り返るのを終わると、僕は半狐面を外した。
顔の上半分が火傷を負っている。目も開けられない状態だ。感覚さえもないはずなのに……。
どうして目が熱くなっているなんて感じるのだろう。
「ねぇ、知ってる? 里桜は福の神でもあるのよ」
紬様はふふっと笑う。
「……僕は、里桜さんに守られたのですね」
「復讐は終わりよね。火傷は治すの?」
「いいえ、治しません。だって、これは……僕の罪なのですから」
最後は声が震えてしまった。もう感覚がないはずだから、涙なんて出ないはずなのに……涙が頬を伝って零れ落ちていく。
胸がぎゅっと締め付けられて、痛くて苦しくて……でも、凍った心に陽の光が一点だけ当たっているかのように温かくなる。
「……良かった。舞が……生きてて良かった。ありがとうっ! ありがとう……ございます!」
半狐面を抱きしめる。
下を向き、声を押し殺して、嗚咽を漏らすと紬はそっと背中をさすってくれた。
「火傷はわかったけど、せめて目は見えるようにしとかないとダメよ? あなたの薬なら治せるでしょう? これから忙しくなるんだから。嗅覚だけじゃ、限界があるわよ」
紬様は優しくゆっくりと言葉を紡ぐ。僕はただただ、頷くしかなかった。
僕の止まった時間は、この瞬間からゆっくりと動きだすことができるのだと心から安堵した。




