ACT19 決戦
稲妻の閃光が走り、肺腑をえぐるような振動が屋敷を振るわせた。
屋敷の崩壊が始まっている。
「では、さらば!」
悠然と、グルジェフが起ち上がった。
「待て!」
サキが叫んだ。
「あんたの本当の目的は何? 何が楽しくて破壊と混乱を望むの?」
サキの脳裏に、様々な人々の顔が浮かんだ。
下町のスタンとハトルの兄妹や、バザールの人々、神殿の仲間達、そして家族のセアラとスーの顔だった。
この人達の幸せを、壊されてたまるか。
怒りに震えながらも、サキの意識が研ぎ澄まされてゆく。
「王家を全滅させた後、何をしたいの?」
グルジェフを、鉄柵越しににらみ据える。
サキの鋭い視線を、グルジェフの暗い瞳が受け止めた。
破壊と混乱を望むグルジェフの瞳の奥にあるのは、全ての人々に対する憎悪だった。
『ならば、見せてやろう!』
グルジェフの思念が、サキの脳裏に大音量で響いた。
同時に、サキの脳裏に幻影が映しだされた。
城壁や建物が粉々に破壊され、焼き尽くされた王都の廃墟だった。
あちこちに死体が転がり、わずかに生き残った人々が戦っている。
そこに人の笑顔などなく、憎み合い殺し合う醜い末世の姿だった。
その幻視の印象は、強烈なものだった。
もしも現実にその場に立てば、絶望感にさいなまされるだろう。
『どうだ? 素敵な世界だろう?』
グルジェフの憎悪に満ちた思念が、サキの脳裏で激しく反響する。
『平和な暮らしなど、かりそめの幻想に過ぎん!
人の本性は、血と欲望にまみれたものだ。
ちょっとその本性をくすぐってやれば、戦乱の世に戻ってくれる!』
サキは呪縛にあったように、その場から動けない。絶望しかない幻影に、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえる。
そこに、グルジェフの高笑いが響く。
『人の力なぞ、所詮は小さなもの……むしろこの世界にいない方がよい』
稲妻が走り、グルジェフの顔を照らし出した。
稲妻の閃光と雷鳴の轟音に、サキの幻視が消えた。
グルジェフの幻視に変わって、脳裏に鮮やかに浮かび上がったのは、レオナ姫の王都の未来図だった。
「冗談じゃないわ!」
サキが叫んだとたん、不意に、呪縛が解けた。
「あたしは、人の力を信じる!」
サキが、叫んでいた。
「人一人の力は小さなもの……だけど、無限の可能性を秘めてるわ!」
無意識の衝動に突き動かされていた。
レオナ姫が全身全霊を傾けて作成した王都の完成予想図は、全ての人が平等に幸せに暮らせる願いを込めたものだった。グルジェフの描く、破壊と混乱の未来図とは対極にある。
「あたしは、そんな醜い世界の存在を認めない!」
右手が刀の柄を掴み、柵越しに嘲笑するグルジェフに吠えていた。
「あんたの願いがこの世の死と破壊なら、あたしは生と創造の使いになって、あんたの野望を打ち砕いてやる!」
グルジェフの思念に植え付けられた絶望を、サキの怒りが打ち破った。
◆
胸騒ぎ、としか表現できなかった。
眠ろうとして目を閉じた瞬間に、妹のサキの姿が脳裏に浮かんだ。
どこか遠くから、低い雷鳴が響いている。
寝床を抜け出したセアラは階段を手探りで降り、屋敷の玄関に急いだ。
常夜灯がわずかに照らす薄暗い玄関に、小さな人影がある。
「スーちゃん!」
玄関に、末妹のスーが立っていた。
神殿の要所を通る、いくつもの扉の錠前を開くための鍵束を握っている。
「セアラ姉様! 姉様も?」
スーも、異変を察知している。
「急ぎましょ!」
二人は、寝間着姿のまま屋敷の玄関を飛び出した。
外に出たとたん、生暖かい風が二人の頬を打った。
夕方から吹き始めた、南からの風が強くなっている。
嵐の前兆だった。
石畳の小径を抜け、神殿に急ぐ。
小さな雑木林を抜ければ、すぐに神殿の裏手に出る。
「セアラ姉様、こっち!」
スーが、神殿の大広場に近い尖塔を指さした。
尖塔の入り口を開くと、突風で扉が音を立てた。
ぽつりぽつりと雨のしずくがセアラの頬を打つ。
さらに風が強くなってきた。
森の木々が大きく揺れ、風の音が地響きのようにこだまする。
火打ち石が火花を散らし、灯りが暗闇を照らし出した。
周囲をほんのり照らす手燭だけで尖塔の螺旋階段を上り、物見台に通じる扉を開く。
「きゃっ!」
湿った風に、雨の臭いがする。
風とともに降り出した雨は、即座に強さを増して嵐となった。
強く降る雨が眼下の大広場の石畳を流れ、池の水面のように稲光を反射して輝いた。
「!」
突風が物見台の二人を襲い、燭台の火を吹き消した。
スーの小さな手が、セアラの手首を強く掴んだ。
「全知全能のアグネアの神よ! 我が妹達を護り給え!」
セアラがとっさに印を切り、神に祈った。
すぐ頭上を、稲妻の閃光が走った。
神殿の背後にあるひときわ高い尖塔に、稲妻が絡みついた。
真昼のように明るくなった大広場で、魔法陣が一瞬輝いた。
雨に濡れた石畳の光とは明らかに違う光り方に、セアラは思わず傍らのスーを抱きしめた。
瞬間、空が真昼のように光るのと同時に、大気をつんざくような雷鳴が轟いた。
空間が鳴動している。
肺腑をえぐるような大音量の中、セアラとスーの目には、闇夜を引き裂き、魔法陣から螺旋を描いた紅蓮の閃光が、はるか上空に駆け上る姿が映った。
割れんばかりの雷鳴に、尖塔がビリビリと震える。
「今のって、何?」
セアラにしがみついたスーの声が、微かに震えている。
スーを強く抱きしめたセアラが、力なく首を振った。
「私にも、わからないわ」
早い風に乗り、雷雲が北に流されてゆくのを見上げた。
再びひときわ大きな稲妻が走り、周囲が一瞬明るく浮かび上がった。
王都の北の方にある森の向こう、アンガス候の邸宅があるあたりが稲妻の閃光で明るく輝いた。
少し遅れて、腹の底に響く雷鳴が轟く。
「でも、何かとてつもない力が動いたのはわかるわ」
「サキ姉ちゃん、大丈夫かなぁ」
スーが、心細い声を出した。
何かとてつもない危機の真っ只中に、サキがいる。
姉妹だけがわかる直感だった。
「大丈夫よ、あの子を信じましょ!」
スーを励ますように、セアラはスーの背中を叩いた。スーに対してではなく、不安に押しつぶされそうになるセアラの自分自身への激励だった。
「さっ、おうちに戻るわよ」
だが、セアラもスーも眠れぬ夜になりそうだった。
◆
落雷の閃光と雷鳴の轟音の中で、サキの身体の深奥で何かが覚醒した。
「うわぁああっ!」
自分の声とは思えぬ、腹の底からの絶叫だった。
どこか遠くで、自分の声がするような感覚だった。
だが、意識は澄んでいる。
自分の深奥にある何かに、火がついた。
小さな火が瞬く間に巨大な炎と化し、轟音とともにサキの全身を駆け巡る。
それは、強大な熱量だった。
サキを包む灼熱の炎が、紅蓮の螺旋を描き、両手で握った大刀の切っ先まで一気に駆け上る。
「!」
サキが振りかぶった大刀が、稲妻を反射して光る。
柄頭にはめ込まれた宝玉が、一瞬真紅に輝いた。
サキは、無意識に動いていた。
意識は澄んでいるが、自分の身体が勝手に動いているような不思議な感覚だった。
(絶対に!)
サキの足が、床を蹴っていた。
しなやかな跳躍で、サキの身体が空中に舞った。
(絶対に許さない!)
飛び込みざまに、全体重を刃に乗せて鉄柵に斬りかかった。
稲妻の閃光を反射し、刃が白く輝いた。
雷鳴が大気を震わせたのか、斬撃の衝撃で震えたのか定かではない。
火花を散らして鉄柵に食い込んだ刃が鉄柵を両断し、重い鉄柵を左右に跳ね飛ばす。
斬撃の衝撃波が、四方八方に拡がる。
建物が一段と大きく震え、左右に開いた鉄柵に向かって外からの突風が吹き込んできた。
『馬鹿な!』
グルジェフの思念に、初めて動揺が走った。
鉄柵を断ち割った斬撃の衝撃波が、グルジェフを襲う。
渦を巻いた風が魔除札を巻き上げ、グルジェフの周囲を吹雪のように舞う。
『戻ってくるぞ、また会おう!』
きびすを返し逃げようとするグルジェフの前に、何かが立ちふさがった。
いつぞやの夜に、この池の離れで目撃した亡霊だった。
その人影がまとう長衣が風に揺れ、一瞬素顔がグルジェフに見えた。
『まさか、貴様は!』
空中を舞った魔除札が、グルジェフと亡霊の姿をかき消した。
『馬鹿な! そんな馬鹿な!』
悲鳴とも狼狽ともつかぬ思念の絶叫が響き渡り、グルジェフの頭上から天井の破片が降り注ぎ、床が崩壊する。
足元が揺れ、サキ達の立つ床にも亀裂が走る。
「まずい! 逃げろ!」
リュードが叫ぶより先に、全員の身体が反応していた。
◆
サキの大刀に断ち割られた鉄柵は、バラバラに吹き飛んでいた。
斬撃の衝撃波は鉄柵どころか、鉄柵を支えるからくり機構さえ破壊し、四方の壁まで吹き飛ばしている。
激しい風雨が広間にまで吹き込み、稲光が周囲を浮かび上がらせる。
天井から崩落する破片が広間に落ちる衝撃が、背後から襲ってくる。
前方を透かし見ると、嵐の中を先にゆく誰かの長衣が流れる。
激しい風雨の中でも消えぬ鬼火が、道を造り出す。
吊り橋に足を掛け、岸に向けて走る。
橋が揺れる。
崩壊が始まっている。
橋が崩れてゆくのより、少しだけ先を走っていた。
あと少しで岸辺にたどり着こうかという刹那、橋の崩壊が追いついた。
(間に合わない?)
足元の板が、崩壊の振動で揺れた。
『跳べ!』
誰かの思念に打たれ、サキはわずかばかり残った橋の台座につま先を掛け、岸に向かって跳躍した。
岸に足が付こうかという一瞬、岸の縁が崩れた。
(しまった!)
だが、池に落ちる直前、誰かに抱きかかえられて岸の護岸に投げ出され、濡れた大地を転がっていた。
「皆、無事かい?」
シェルフィンの言葉に、サキは我に返った。
振り返ったサキの眼には、白亜の宮殿がバラバラに崩壊しながら水煙とともに湖の中に沈んでゆく姿が映った。
「ボクは無事だよ」
シーナの声が聞こえる。
「俺も何とか、足が地に着いてるなぁ」
これは、サキの傍らにいたリュードの声だった。
とっさの中、サキを抱きかかえてくれたのがリュードだったのがわかった。
サキは、大きく息を吐き出した。
「あたしも、生きてるみたいね」
「そりゃよかった、ブランとノーマは?」
「あたしらは、そもそも池の岸辺の掃除が割り当てだったからねぇ」
ノーマの声が背後から聞こえた。
「えっ、じゃあ最後にグルジェフを遮って、あたし達の逃げる道を護ってくれたのは誰?」
「あたしらじゃないよ」
「こっちからは全員が橋を駆け渡ってくる姿しか見えなかったな」
亡霊姿のブランが近寄ってきた。
古ぼけたマントを被り、遠目なら十分に亡霊に見える。
「水に飛び込んでも何とかなったとは思うけど、陰湿なグルジェフのこったからどんなえげつない仕掛けを残してたか、知れたもんじゃないよ」
シーナの呟きの直後に、湖の中で閃光が走り強大な水柱がふくれあがった。
「ほーら」
巨大な水柱が崩れ、湖畔まで大波が押し寄せてくる。
慌ててサキ達は、波の届かない高台に駆け登る。
「死なばもろとも、転ぶ時には他人の足も引っ張る……グルジェフらしいね」
シェルフィンが両手を大きく天に伸ばし、身体を大きく伸ばした。
「おや、もう嵐も過ぎ去っていったわ」
つられてサキは空を仰ぎ見た。
吹き荒れていた激しい暴風が収まり始めていた。
激しく降っていた雨もやみ、森の木々の間から虫の音が流れている。空を見上げると、早い速度で雲が流され月が覗いていた。
「グルジェフってのは特定の個人を指し示す名前じゃないのさ。
人の心の闇に巣食う欲望、憎悪、怒りといった負の波動を餌にして姿を現す『魔』のことよ。
この王都レグノリアは成立以来二百年以上グルジェフの『魔』と戦っているのさ。
姿を消したかと思えば、また別の魔人の姿で現しては悪さする」
「じゃあ、グルジェフは復活してくるってこと?」
サキの問いに、リュードがうなずいた。
「ああ、何度でも懲りずにな。
人が生きている限り、心の闇はなくならないのさ。
だが、姫さんとその刀がこの世にある限り、そうそう奴の好き勝手にはならないさ」
リュードが嘆息する。
「戻ってくるぞ、また会おう、か……」
サキの視線から目をそらすように、リュードが夜空を見上げた。
「長い戦いになりそうだ」
リュードの呟きは謎めいたものだった。
だが、サキはそれに対するさらなる問いを飲み込んだ。
頭が混乱して、これ以上の出来事を考える余裕はない。
今は、生き残ったことと、魔除札の盗賊事件が終焉を迎えたことだけ感謝していたい気分だった。




