ACT20 影法師
「何よ、これ?」
サキは、呆れた声をあげた。
アンガス邸の門をくぐって外へ出たとたん、奇妙なものが敷地の塀に並んでいるのに気が付いた。
縛られた人間が、いくつも吊されている。
「魔除札の盗賊を演じていたドーンの手下達だ」
半殺しにされ、一人残らず縛られて塀に吊されている。
「護民官達への贈り物だよ」
亡霊姿のマントを身にまとったノーマが笑う。ブランとノーマが亡霊姿で敵を翻弄していたことに、サキはやっと気が付いた。
「手柄の一つくらいは、残してやらんとな」
ブランが壁に歩み寄る。
右手を一振りすると、鈍い金属音とともに、腕に装着した鋼の鉤爪の刃が起こされた。
「仕上げするのを忘れてた」
鉤爪が踊り、塀の石壁に引き裂いたような爪痕が文字を綴る。
『偽者には相応の罰を』
壁に描かれた文字で、サキにも偽者狩りの正体がわかった。こんな化け物みたいなのが相手なら、小悪党のディンゴではひとたまりもない。
「最後に、これを残して総仕上げさ」
シーナが懐から魔除札を取り出して、壁に貼り付ける。
振り向いたシーナの眼が、驚いたサキの方を見て、いたずらっぽく輝いている。
「細かいことは大目に見てね、サキ義姉様!」
「義姉様って……?」
サキは驚いた。
驚いたサキの表情を見上げて、シーナが少し茶目っ気のある眼で微笑んだ。
「シェフィールド家とリシャムード家は縁戚だもの。
ボクよりサキさんが少し年上なので、サキさんは義姉様ってこと」
「……忘れてたわ……」
「これからは、忘れられなくなるわよ……二人とも不思議な縁でつながってるからね」
微笑んだシェルフィンが、シーナとサキの肩を抱いて揺さぶった。
「一つお願いがあります」
真顔になったシーナが、サキの傍らに立つリュードに向き直った。
「本当は、サキ義姉様にお願いしたいのですが……」
サキの方にちらりと視線を向け、シーナがクスッと笑った。
いつの間にか、シーナの手にはいくつかの鍵を通した鉄の環が握られていた。
「亡霊とかに免疫がないサキ義姉様には、たぶんまだ無理だと思うので」
サキは、嫌な予感を覚えた。
池の離れでの、最初の亡霊騒ぎが脳裏をよぎった。
シーナが、鍵の束をリュードに手渡した。
「無住の屋敷では風通しが悪く痛みやすいので、ボクが戻ってくるまでリシャムード邸に住んでいて頂けませんか?」
「早く戻ってくれよ。主人がいないと屋敷の精霊どもが寂しがるからな」
「ええ、王家の勘気が解けさえすればリシャムード家は再興したいと思ってます。それまでしばしの間、屋敷の管理をお願いいたします」
「わかった。こっちも、いつまでも老虎の居候じゃまずいんでね。ちょうどいい機会だ、しばらく住まわせてもらうとするよ」
「ちょっと、リュード!」
サキが、リュードの脇を肘で小突いた。
「あの幽霊屋敷に住む気?」
「うん、せっかくのお誘いだ」
「あそこって、絶対に何かいるわよ」
サキのおびえた小声が耳に届いたのか、シーナのクスクス笑いが返ってきた。
「ええ、リシャムード家の歴代当主が、あちこちで悪さしてる魑魅魍魎とか精霊達を捕まえて持ち帰ってきたので。
外に出して人様の迷惑にならないよう、あの屋敷の中に封じ込めてるものですから、夜中は中々賑やかです」
サキの背筋が、寒くなった。
亡霊やら魑魅魍魎、妖魔といった類いは、もう十分だった。
◆
雑木林の道を抜け、運河添いの道でサキ達は立ち止まった。
左にゆけば東の門、右にゆけば中央大橋を渡って神殿、橋を渡らずにそこからさらに歩けば、港に近い黒龍小路だった。
シーナ達は、夜明け前に東の門から出て中央街道を通り、アンガス候の領地に戻るという。
「本当なら、老虎でささやかな送別の宴を開きたかったんだけどねぇ」
シェルフィンの言葉に、シーナが微笑んだ。
「きっと近いうちにまた訪れることになるから、その時に御馳走して頂きますよ」
「近いうちが、何年も先じゃないことを祈ってるわ」
「しばらくはバタバタしそうですけど、必ず戻ってきます」
シーナが微笑んだ。
「大人しくお姫様に化けてると、疲れちゃってさ」
「あなたもリシャムード家のお姫様でしょ!」
ノーマがシーナを横目でにらむ。
シーナが苦笑した。
「協力してくれたリアン姫に事の次第を報告して、いったん親父に報告するためにリシャムード領に戻るから、半年ぐらいは旅の中かなぁ?」
「シーナ! リシャムード家に戻るんだったら、その言葉使いも改めなさい!」
ノーマが小言を言う。
シーナが眉間にしわを寄せて、サキに視線を送った。
いたずらっぽい瞳の輝きだった。
「この二人は、ボクのお目付役なんだ。
うまく家出したつもりだったのに、監視役でくっついてきて、中々振り切れない」
「あなたがリシャムードの家に戻るまで、離れません」
ぴしゃりと言い捨てたノーマが、横目でシーナをにらむ。
「放っておいたら、大陸中のあちこちで騒ぎを起こすのはわかってますから」
護衛と言うより、シーナが暴走しないように監視でくっついてきたという訳だった。
この娘もリシャムード家の血を引くだけに、かなりのお転婆らしい。
ブランとノーマという破格の剣士が手を焼くのだから、その行状は予想が付く。
シーナは、リアン・アンガスに扮していた長いドレスを脱ぎ始めた。
暗闇の中に、シーナの細い肢体がほの白く浮かび上がる。
「あ、これ! お行儀が悪い!」
慌てたノーマが、素早くマントをシーナの頭からかぶせた。
「こんだけ暗きゃ、ろくに見えやしないって」
マントの下から、くぐもった声が聞こえた。
すぐに、マントの下から、サキに似た活動的なズボンとシャツ姿のシーナが出てきた。
「ボクには、こっちの姿の方が楽だから」
懐から短刀を取り出し、長い髪を首の後ろでばっさりと切った。
「あー、さっぱりした! これで、当分の間は女の子に戻れないさ」
「なっ!」
ノーマが、呆れた声を出した。
ブランは、何も言わずに静かに首を振った。
先程までの険しい剣客の顔ではない。孫のやんちゃぶりに手を焼く、祖父母のような穏やかな表情をしている。
シーナの涼しげな笑い声とともに、切り落とされた柔らかな金髪が風に乗って空に舞った。
「それでは、お別れです。ごきげんよう!」
シーナが手を振って、きびすを返した。
シーナにブランとノーマが続く。その後ろ姿が暗闇に見えなくなるまでサキはその場に立ち尽くしていた。
歩きながらシーナの吹く横笛の柔らかな旋律が、夜空に消えてゆく。
◆
シーナ達の旅立ちを見送り、サキ達は反対側の老虎の方へときびすを返した。
サキは、偽の鬼火に足下を照らさせながら歩くリュードとシェルフィンの数歩先を歩いていた。
ふわふわとリュードの周囲を舞う鬼火を見ながら歩きたくない。暗闇の中では、どんな細工をしているのかわからないが、黒い糸か何かで操っているのだろう。
どうやって空中に浮かせているのかは、サキには見当も付かない。
(イカサマの亡霊に脅かされてたなんて、あたし一人が馬鹿みたいじゃない!)
星明かりの中、前方に中央大橋が見えてきた。左に曲がってこの橋を渡れば神殿、まっすぐ港の方へ歩いて結界岩の祠の丘を越えれば黒龍小路だった。
(裏口の錠前、開いてるかなぁ?)
ここ数日、まともに自宅に帰っていない。
姉のセアラと妹のスーに、長い小言を頂戴するのは確実だったが、今夜はそれでも家族の顔を見たかった。
(?)
前方から、軽やかな足取りで近づいてくる人影がある。
夜明けと同時に東の門から大陸へ足を踏み入れる旅人なのか、フードの着いた旅行用マントを羽織った旅人の姿のようだ。
サキとすれ違う時、その人影が口元を覆う砂埃よけの布を下げ、一瞬素顔を見せた。
フードからのぞいた眼が生き生きと輝き、なんともいえない威厳を秘めながらも、どこかいたずらっぽい色がある。サキの姿を認めたのか、にっこりと微笑んだ。口元にえくぼの浮かんだ、魅力的な笑顔だった。
すれ違いながら小さく会釈され、サキは思わず会釈を返した。
(誰だっけ?)
こんな刻限に出歩く知り合いはいない。
だが、その細身の体格としなやかな足取りに、どこか見覚えがある。
すれ違う刹那、肩から背負った刀の柄で真紅の宝玉がきらめいた。
(えっ?)
慌てて振り向くと、そこには後から歩いてくるリュードとシェルフィンの姿があるばかりで、すれ違ったはずの人影の姿はどこにもない。
(消えた?)
サキは、その場に呆然と立ち尽くした。
「姫さん、どうした?」
リュードの声に、サキは我に返った。
「今、ここですれ違った人……」
サキの言葉に、リュードとシェルフィンが怪訝そうに互いの顔を見合わせた。
「誰も、すれ違っちゃいないわよ」
「だって、今確かに、あたしくらいの背丈の女性が旅行用のマント被ってすれ違ったの。
肩から大きな刀だか剣だか、背負ってて……柄に真紅の宝玉がついた刀だったと思うわ」
シェルフィンが、奇妙な表情でリュードを見た。
「あんた、また何か悪さしちゃいないかい?」
「いたずらのネタは、さっきのグルジェフ相手で使い切っちまったよ」
「じゃあ、本物かしら?」
どこか遠くから、シェルフィンとリュードの声が聞こえるような不思議な感覚だった。視界がゆっくりと回り出している。
「俺やシェル姐さんに見えなくて、お姫さんにしか見えなかった」
「お姫様と似た体格で、四尺近い大刀背負って、その刀の柄に真紅の宝玉ってなるとねぇ」
サキの膝が震え、まだ立っていられるのが不思議だった。
サキの思考が、激しく混乱している。
(まさか……)
答えはわかっている。真紅の宝玉をはめ込んだ大刀を持った人間は一人しか知らない。
わかっているが、その事実だけは決して認めたくない。
「こりゃ、本物のレオナ姫が姫さんの活躍にお礼言いたくて、姿を見せてくれたんじゃない?」
その瞬間、サキの脳裏で火花が散った。
(!)
サキの脳裏で、毎夜サキの夢の中で見知らぬ刀術を見せた影法師と、今の人影が重なった。
「きゃぁああああっ!」
本物のレオナ・リシャムードの亡霊に、サキは思いっきり悲鳴を上げてその場に座り込んだ。




