ACT11 天狼のお見舞い
リュードの占い以降、ドーンからの接触が増えた。
この商人はしたたかだった。自分が疑われているのを承知で、知り合ったのをきっかけに色々とやっかい事を持ち込んでくる。
こうやって、あちこちの国で人脈をつなげ、商売を拡げてゆくのだろう。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
ドーンは、相変わらずだった。顔を見ようにも、紅白のターバンと青と黄色のゆったりとした衣装に、どうしても目が行ってしまう。
「実は、大きな取引がありまして……珍しく倉庫に金品が山積みになってます」
案内された金蔵は、比較的小さな一階建ての石組のものだった。
「ご覧の通り」
確かに、木製の宝箱に収められた金貨やら銀貨が積まれていた。
この重量からして、荷駄で運ぶとなると十騎は必要だろう。
「魔除札の盗賊に、盗まれないようにと思いましてね」
ドーンは、わざわざサキに連絡をして、サキからの護民官への応援を頼みたいという依頼だった。
自分が疑われていることを知っているのか、自分達も警戒している姿勢を見せるのが目的なのか、ドーンのやることなすことがいちいち芝居がかって仰々しい。
鋼の帯で補強された頑丈な木扉を閉め、閂に大きな錠前を通す。
鍵の落ちる音が響いた。
扉に封印の紙を貼る。
「夜通し護民官が周囲を固めるから、大丈夫というわけね」
サキが、金蔵の周囲を回ってみる。
小さな明かり取りの窓が高い位置にあるが、ここも鉄格子がはめこまれて侵入は難しそうだった。第一、窓の大きさが小さすぎて人間が通ることは不可能だろう。
厚い石積みの外壁もしっかりしており、力技で破ることも一晩では難しい。
「これなら、大丈夫ね」
「ならいいが……」
サキに比べて、リュードが浮かない表情をしている。
「このあたりは、足元がない」
「はぁ? 足元しっかりしてるじゃない」
石畳の上でサキが足を踏み鳴らしてみせる。
「足元がいかがしましたかな?」
ドーンが聞きとがめた。
「いえ、このあたりは足元がおぼつかない感覚を覚えましたのでね」
「ああ、ここは運河を造る時にあちこち掘った後を埋め直した土地だと聞いております。地盤は緩いかも知れませんな」
「なるほど、地震や洪水にはお気を付け下さい」
「さすが、方術士ともなると敏感ですなぁ」
日が落ちてきて、周囲が薄暗くなってきた。
護民官がドーンの商家を見通せる運河の通りに立ち、敷地内の物陰には万が一に供えたドーンの配下が潜んでいる。
「そう言えば……ちょっとお耳に入れておきたいことが」
ドーンが、声を潜めた。
「いえね、うちの店の若い衆が街で小耳に入れたらしいのですが、この魔除札の盗賊は、天狼が陰で糸を引いているって噂が流れているそうでございます」
「!」
思わず、サキはリュードと顔を見合わせた。
「厳重な警戒をかい潜り、厳重な金蔵を破って見せれるのは、人智を越えた能力を持つ魔物か天狼か、という話でございますよ」
ドーンが、思わせぶりにサキに囁いた。
「そちらの線で追って頂くのも一つの手かと……」
「そうね、頭の片隅にでも入れておくわ」
サキは、そう言って護民官が警戒するドーンの商家周辺から歩き出した。
◆
「本当なら、徹夜で警戒に立ち会いたいんだけどね」
夕暮れの中、サキが不満そうにドーンの商家を振り返った。
「ここは護民官の縄張りだから、手を出すなってさ」
サキは、護民官長のデュラン候の渋面を思い浮かべた。
サキが持ち込んだドーンの依頼に、護民官は協力的だった。ただし、それは自分達が魔除札の盗賊を捕まえるという思惑の見え隠れしたもので、サキの協力は護民官長のデュラン候から直々に断られた。
「縄張り争いしてる場合じゃないのにね」
「それだけじゃないさ……これから、さらにこういう邪魔立ても増えるはずだよ」
リュードの奇妙な言葉に、サキはリュードに視線を移した。
「ほら、その首飾りが原因だ」
「えっ? 『約定』の証のこと?」
サキは自分の喉元に手を触れた。銀色に輝く細いリングに、白と黒の宝玉が勾玉のように噛み合ったものだった。
あまりに自然な付け心地に、首飾りの存在をすっかり忘れていた。
「そいつは、御利益もあるが、副作用もあるのでね」
「副作用?」
「その首飾りしてるって事は、天狼の味方に付いたって王家に宣言したようなもんだからな。
天狼嫌いのデュラン候からすると、姫さんが手柄を立てたらさぞかし面白くなかろうよ」
「!」
不意に、シェルフィンの言葉がサキの脳裏に蘇ってきた。
『別にレグノリアの都だけじゃないけど、私達みたいな漂泊民……天狼を疎ましく思う存在もいまだに多数いるの。
あなたが『約定』に従って天狼とのつなぎ役になるってことは、あなたも王族達の一部から疎ましく思われる存在になるってことなの』
デュラン候は、天狼を疎ましく思う側の人間、という事だろう。
「なるほどね、心得ておくわ」
サキは、自分の背負った運命の重さを自覚した。
◆
早朝、サキとリュードがドーンの商家を訪れた。
護民官の配置にも乱れはなく、怪しい動きさえなかった様子だった。
「おはようございます」
ドーンが店の奥から出てきた。相変わらずの紅白のターバンを青と黄色の派手な衣装だった。黒褐色の肌と髭面のため、表情はよくわからない。
「封印も無事でございますな」
ドーンが、裏の金蔵にサキとリュードを誘った。
「これは、骨折り損の取り越し苦労でしたかな?」
金蔵の外周を、ゆっくりと見て回る。
「せっかくなら、この金蔵をおとりにして魔除札の盗賊を捕まえて頂こうと思ったんですが、護民官の方々には無駄骨を折らせてしまいましたねぇ」
「被害がないのは、何よりじゃない?」
「そりゃもちろんですよ。
でも、盗賊が捕まってくれた方が、もっと安心できますからねぇ」
金蔵の外壁に異常がないことを確認し、ドーンが鍵束を手に取った。
「これで盗まれてたら、もはや、人の仕業じゃございませんよ」
ドーンが扉に渡した封印を切り、鍵を錠前に差し込んだ。
重い音を立てて、鍵が回った。
錠前を外し、閂を開く。
「!」
重い扉をゆっくりと引いたドーンの動きが、突然停まった。
「馬鹿な、やられた!」
金蔵の中は空っぽだった。
サキとリュードがのぞき込むと、四方の頑丈そのものの石壁と、補強に入れた四隅の頑丈な鉄骨の補強があるだけで、昨日確認した宝箱は消えていた。
そこには、一枚の魔除札が残されていた。
「そんなっ!」
サキが、小さな悲鳴をあげた。
「こりゃ見事だ」
魔除札を摘まみ上げたリュードが、魔除札を裏表ひっくり返したり日にかざして透かしみたりして改める。
「魔除札の盗賊が人智を越える技の持ち主ってのは、確かに見届けさせて頂いた」
◆
護民官やサキ達が犯行現場を確認し、立ち去ったのを確認してから、再びドーンが金蔵の扉を閉め直した。
大金を奪われたにしては、さほど動揺している素振りもない。
周囲を見回し、人気がないことを確認する。
「ふん、方術士と言っても他愛もない……手の内を見せすぎたかな?」
嘲るような呟きを漏らしたドーンが、しっかりと扉を閉じたのを確認してから石壁の一隅を押した。動かぬはずの石が音も立てずに動き、ぽっかりと穴が開いた。
中に手を入れ、何やら探るとどこからか振動が響いてきた。
その振動は、金蔵の壁からも足元の石畳の奥からも伝わってくる。
小半時もそのまま待っただろうか、ゆっくりとした振動が止まった。
ドーンが、再び扉を開く。
「ふふん」
ドーンが鼻で笑った。
そこには、盗まれたはずの宝箱が元の形で鎮座していた。
◆
老虎で、シェルフィンが待っていた。
「やられたんだろ?」
開口一番、まるで見てきたようなシェルフィンの指摘に、サキは驚いた。
「どうして?」
「どうして、わかったかって?」
シェルフィンが微笑んだ。
「そのしょげた顔を見りゃ、すぐにわかるわよ」
シェルフィンが、薬草を煎じた温かい飲み物をサキの前に置いた。
サキは、昨夜からの顛末の報告と、ドーンから聞いた天狼が黒幕という街の噂をシェルフィンに話した。
「天狼が陰で糸を引いてる、ねぇ」
シェルフィンの目がすっと細められた。
声の冷たさに、サキはどきりとした。
「摩訶不思議な出来事を、天狼の特殊能力と結びつけたのねぇ……いい迷惑だわ」
王都レグノリアの王家と天狼の争いも、天狼の特殊な知識と能力を王家が恐れたが故の争いだった。
「怪異が起きれば天狼のせい……街の中じゃ、何かとこういう噂が流れるもんだけどね」
シェルフィンが、静かな怒りを見せた。
「確かに、天狼でも善人ばかりじゃないけどね。
でも、こんな大それたことをすれば、すぐにあたしの耳に入るわ」
腕を組んだシェルフィンが、少し小首をかしげた。何事か考える素振りだった。
「まぁ、その噂の出所を探ってみるわ……天狼の束ねとしちゃ、身内の不始末だったら捨て置けないもの」
シェルフィンの表情が和らいだ。
話題が、ドーンの金蔵から消失した金品の行方に移った。
確かに、金貨や銀貨の詰まった宝箱の山をサキとリュードが確認している。重い扉を閉め、閂を掛け頑丈な錠前で固縛した上に封印まで張った。いくら周囲を警戒中の護民官が間抜けだとしても、扉に異常がなかったのだから、扉を破ったとは思えない。他の石壁も、破られた形跡はない。完全な密室から煙のように消えることは、どう考えてもあり得ない。
「ドーンは、あなた達を試したんだよ」
「試す?」
「跡形もなく金品を消失させる魔除札の盗賊の謎を、解けるなら解いてみろってね」
「でも、シェル姐さん……ドーンが、何故?」
「あたしは、今回の魔除札の盗賊騒ぎに、ドーンが深く関わっていると睨んでるのさ」
シェルフィンが、指折り数えて見せた。
サキがドーンに接触したとたん、魔除札の盗賊が動きを止めたこと。
池の亡霊騒動でサキが池の離れ家で一夜を明かしている時に限って、魔除札の盗賊の活動が復活したこと。
わざわざ、金品の入った蔵をサキに見せ、盗まれたことを目撃させたこと。
「お姫様も覚えておくといいわ……偶然が続く時には、何らかの作為があるはずってね」
何と応えていいかわからず、サキは目の前に置かれた薬草茶に口を付けた。芳しい香りに、サキの意識がはっきりしてきた。
サキが現場から持ってきた魔除札を、シェルフィンが摘まみ上げた。
「よく出来てるねぇ」
魔除札を裏返して透かし見た、シェルフィンが呟いた。
「よく出来てるけど、これは偽物だわ」
サキは、ドーンの金蔵に残されたその魔除札を、リュードが同じ仕草で観察していたことを思い出した。
「シェル姐さん、本物偽物って?」
「ああ、これ?」
シェルフィンが微笑んだ。
「盗賊ギースが残した魔除札と、最近の魔除札の盗賊の違いを見比べてんのさ」
「本物と偽物って、識別できるの?」
「そりゃそうさ、成りすましと本物には歴然と違いがあるもの」
シェルフィンは、半殺しにされて捕まったというディンゴの近くに残されていた魔除札を手に取った。
「ほら、こうして光に透かしてみるとわかるわ」
つられてサキが魔除札を透かし見る。
「あっ!」
ディンゴの吊し上げに残された魔除札には、小さな穴が七つ穿たれていた。
サキは慌てて、参考に持ってきた複数の魔除札を摘まみ上げて透かし見る。
「神殿に降り注いだ魔除札も、本物ね」
「シェル姐さん、これはどういうこと?」
「盗賊ギースはね、自分の犯行じゃない類似犯と本物を見分ける方法を用意してたのさ……七つ星の形に針で穴を開けているのが本物さ」
「じゃあ……今回は、本物の盗賊ギースも復活したってこと?」
「そうなるわねぇ」
サキの思考が、また混乱し始めた。
何故、十年間身を潜めていた、いや、死んだはずと噂される盗賊ギースが残したのと同じ魔除札が登場したのか。
本物と偽物が混在する理由は何か。
そもそも、シェルフィンやリュードが魔除札の真贋を見分ける方法を何故知っているのか。
魔除札の盗賊を真似して、半殺しにされたディンゴの足元に置かれた『偽物には相応の罰を』という謎の落書きの意味は何なのか。
「どうして、真贋の見分け方を知ってるかって?」
シェルフィンがサキを見て微笑んでいる。
「これって、天狼の合図と同じだから。まぁ、いろいろと込み入った長い話があるのよ……いつか話してあげるわ」
「まず、順を追って解決していこうや」
のんびりしたリュードの言葉に、サキは我に返った。
「ドーンが、方術か魔道に詳しいのは確かだ。
わざわざ、俺達にお宝が入っているところを見せて、消して見せたんだからな……あきらかに、俺の方術士としての腕前に対する挑戦だな」
「方術って、あんな事が可能なの?」
「俺の占いの小道具と同じさ」
そう言って、リュードが傍らの大きな革袋を持ち上げた。袋の中から、占いの道具を引っ張り出す。
小さな青銅の器が六つと銀の大きな器が一つ、それを納める年代物の仰々しい木箱と大きなバスケット。これに、折りたたみの椅子と机があるだけだった。
「客に応じて、様々な仕掛けを使うんだが、姫さんの占いの時に銅貨が消えて神託が出てきたのは、こういう仕掛けを使ったんだ」
仕掛けを説明されると、ごく単純なものだった。
並んだ六枚の銅貨の並び順で、すでに神託は出ている。そこから先は、神託を神秘的に見せるための演出に過ぎない。
銅貨をわざと音を立ててて銀の器に入れるように見せたが、実はリュードの手の中にあった。
「入れたふりして、実は入れてない?」
「まぁ、そうだ。
入っているように見せかけるのが、この芸の勘所さ」
リュードが六枚の銅貨をこれ見よがしに銀の器に入れる。
サキの方からは、ちゃんと銀の器の中に銅貨を入れたようにしか見えない。
「音がするのは、細工さ」
空の銀の器を振ると、銅貨が触れ合う音がする。
だが、六枚の硬貨はまだリュードの手の中にある。
「この銀の器は、上げ底なのさ」
銅貨占いの時には「入れたふりして入れていない」、だが最後の神託の出現は銅貨の代わりに、こっそりとリュードが神託を入れただけだった。
器の中には二重底があり、その中に別の銅貨が隠れている。
振れば音がするのは、当たり前だった。
「この上げ底の仕掛けって、便利なんだ。
ないはずのものを出現させたり、入れたものを消すことも出来る」
「呆っれた……それってイカサマじゃない!」
「バクチで使えばイカサマだが、おれは占いで使ってるだけだぞ」
「占いとバクチって……」
サキは、がっかりした。
占いとバクチを同列にしてしまうリュードの思考が、サキにはどうしても理解できない。
「占った結果は本物、別にイカサマ占いじゃないさ。
それを、こうして華々しく見せると客が喜んでくれるのでね」
それをイカサマと言わずして、何と言うのだろう。
「占いを求めてくる客は、自分の中に答えはあるのさ。
その答えに行き着くのに、神秘さを求めてる。
いきなり結果を言われても信じちゃくれないが、不思議な力を見せられると信じようって気になるのさ」
リュードの方術は、大半が種も仕掛けもあるものだった。神秘的な霊力などなくても出来る。
「じゃあ、方術とか魔道って全部イカサマなの?」
サキの問いに、リュードが首を横に振った。
「方術や魔道の神秘的な術の中で、九割九分くらいは仕掛けのあるイカサマさ……だが、残りの一分にゃ、とんでもない代物が隠れてるのでやっかいだけどな」
リュードが、奇妙なことを呟いた。
「ディンゴって偽物の魔除札の盗賊がやった手口……入った時には空だったってのは、別にディンゴが忍び込む前に誰かが盗んだとは限らないぜ……最初から、空だったって考えもある」
「でも、それって……」
「狙われた商家が、わざと盗まれたって騒いで、詐欺を働いたって事もあるんじゃないか?」
◆
午後の日差しの中、シェルフィンが運河沿いの道を歩いていた。
普段の藍色の上下という質素な出で立ちではない。シェルフィンが身にまとう若草色の長衣は、東方諸国からの上等な絹織物だった。長い黒髪を束ねた髪飾りも、珊瑚や宝玉を惜しげもなく使った高価なものだった。
酒楼老虎の主人としてではなく、王都レグノリアの天狼を束ねる総帥としての姿だった。
港湾地区に立ち並ぶ交易商の倉庫街を抜け、目的のドーンの商家を見つけた。
シェルフィンは一瞬ドーンの店の構えを眺め、店内に静かに足を踏み入れる。
ドーンと、配下の人間が数人居るばかりだった。盗賊に狙われた直後にしては、混乱している様子もない。
「あなたは?」
「黒龍小路の酒楼老虎の主人、シェルフィン・ロードと申します」
「!」
ドーンの表情に、微かな驚きが生まれた。
シェルフィンが微笑んだ。
「王都レグノリアの天狼の束ね、って表現する方が有名ね」
シェルフィンとドーンの視線が激しく絡み合い、一瞬火花を散らす。
「魔除札の盗賊にやられたってお話だったのでね、お見舞いに参りましたわ」
「これはこれは……天狼の総帥直々のご来訪、恐れ入ります」
一瞬の動揺を押し殺し、ドーンが体勢を立て直す。
シェルフィンが、懐から革袋を取り出し、机上に置いた。
重い音と供に革袋の口が開き、まばゆい砂金が机上に流れ出る。
「!」
ドーンが目を見開いた。
「少ないけど、これは天狼からのお見舞いよ」
ドーンがあっけにとられる中、シェルフィンが言葉をつなぐ。
「今回の盗賊には、この程度のお見舞い金では、被害の補填には、大した足しにならないと思いますけどね」
「いえいえ、商売の立て直しに助かります」
互いに言葉使いは柔らかいが、周囲には緊張が張り詰めている。
「いえね、今回の魔除札の盗賊には、私達天狼も迷惑してるのさ」
「……」
「魔除札の盗賊は、天狼が陰で糸を引いてるとかって噂が流れてるみたいでね……天狼としても黙っていられないわ」
「それはそれは……」
「だから、天狼も盗賊退治に乗り出すわ。
あたし達天狼を陥れる勢力とは、どんな手段を使ってでも対抗する」
シェルフィンの声が静かに響く。
その言葉には、静かな怒りが秘められている。周囲の空気が凍てつくような冷気が漂っている。
「では、ごきげんよう」
シェルフィンが来た時と同様に、さっそうと姿を消した。
机上にこぼれた砂金が、戸口からの光にきらめいた。
ドーンは、静かに手袋をはめた手で砂金をすくって革袋に戻し、無言のまま自室に引き上げた。
◆
薄暗い部屋で、ドーンが奇妙な表情をした。
何事か、頭の中で計算しているような顔だった。
「やはり、天狼が味方に付いていたか」
ドーンが、呟いた。
「これは、急いだ方が良さそうだ」
ドーンが店の奥に引っ込んでから、一刻ばかり後だった。
日が傾き、薄暗くなった裏口から人影が浮き上がった。
灰色の長衣を身にまとった老人が建物を離れ、裏道の暗がりの中に足を踏み出した。暗闇の中にその灰色の姿が溶け込むように消えてゆく。
コツリ、コツリと杖が石畳を突く音が小さくなってゆく。
周囲を静寂が支配した。
◆
杖を持つ灰色の老人が、薄暗い裏町をひっそりと歩いていた。
灰色の長衣を身にまとい、フードの中に引っ込めた素顔は判然としない。
ここは、王都レグノリアの南部にある旧市街区の外れだった。金さえ払えば、なんでもやるような連中がたむろする貧民窟のひとつだった。
だが、この灰色の老人が通っても、不思議なことに誰も気が付かない風情だった。
まるで、人の目には見えない亡霊のような存在だった。
さらに薄暗い横道に、灰色の長衣が姿を消す。
道と言うよりも、建物と建物の間のごく狭い空間だった。
そこに、木戸があった。
老人が周囲を伺うと、人気のないのを確認して、木戸をひっそりと叩いた。二度叩き、一拍開けて三度。
扉の小さなのぞき窓の向こうで人の気配がし、やがて扉が開いた。
老人が中に足を踏み入れると、そこは薄暗い部屋だった。
そこは、場末の酒場の裏部屋だった。
この部屋の壁越しに、酒場で騒ぐ声が響いてくる。
傍らのランプが唯一の灯りだった。部屋の主人が老人に手振りで椅子を勧める。老人と負けず劣らず暗闇の似合う男だった。
灯りが揺れ、刀傷のある顔が浮かび上がった。
「お久しぶりですね」
「あいさつはいい」
灰色の老人が男の挨拶をさえぎった。
テーブルの上に、革袋が置かれた。
革袋の口が緩み、金貨が顔を出す。
主人は、金貨をちらりと見ると、革袋を持ち上げ重さを量る。
「手付けだ」
「確かに……お約束通り、命知らずを二十人ばかり集めました」
金次第で、何でもやる男だった。
暗黒街はどんな都にでもある。貧民窟の奥にある、この酒場は王都レグノリアの犯罪の温床の一つだった。
金さえ十分に払えば、人殺しでも請け負う人間を集めてくるし、口も堅い。
「成功すれば、そいつらに払う残金を届けよう」
「失敗すれば?」
「痕跡は残したくないのでな……失敗して生きて戻ってきたならば、その身柄はもらいうける。なに、そういう失敗する連中にも、その後でまた別の使い道はある」
老人の言葉に、主人が顔をしかめた。
今に始まったことではない。この老人に頼まれ、主人が集めた命知らずの連中は、不思議なことに誰一人としてこの街に戻ってきた者がいない。
「成功しなけりゃ、連中の命はないってことだ」
「そうとも限らん」
「さて……まぁ、こちらはそれ相応の金さえもらえりゃ、知ったこっちゃないが」
不気味な密談が続いていた。
小さな机を挟んで、老人と主人の姿をわずかな灯りが浮き上がらせている。




