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天気姫と黒の騎士  作者: 柚井 ユズル
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脱出計画

 影蛇のたてた計画はかなりの荒技だった。夜陰に紛れて屋敷から忍び出て、大時計塔に登り、バルコニーから横付けした空船に乗り込むというものだ。一応少ないながらも、この国も万一に備えて空船を軍が数台所持している。そいつらに発見されて追跡されては事が大きくなるから、できるだけ早く事を進める事が重要だった。

 本当は、以前やったように僕とアシュが外へ出て大時計塔まで何食わぬ顔をして歩いて行けたら良かったのだけど、以前襲われた時に僕が大袈裟に騒いだせいで影蛇が捕まるまでアシュの外出時には数名の警備兵とヒョウと僕が両方つきそわなければいけない事になってしまったので無理だった。過去の自分ながらなんて事をしてくれたんだ。お陰で危険の多い仕事になってしまった。

屋敷の周囲は常に大勢の衛兵が守っているのだけれど、そいつらはルルやその他影蛇の人間がなんとかしてくれるという事だった。

 夜間には、僕やヒョウのような護衛は着かない代わりに屋敷の周囲にも部屋の前にまで、きっちりと衛兵に警備されている。夜になって、僕は自分の部屋を窓から抜け出して庶民の通る道を駆けてアシュの住む屋敷に向かった。主都の街中を知り尽くしているようなルルたちによって教えられた最短の道は、人家の庭を横切る等の非常識なものを多く含んでいたものの、言葉通りとても速く目的地へと僕を導いた。貴族院議会堂の周囲は高い壁に覆われている。その出入り口は一つしかない。僕は、何食わぬ顔をして貴族院に属しているハレノ家のバッチを見せてそこを通った。一般的でない時間帯の訪問に衛兵はちょっと怪訝な顔をしたものの、バッチの威光は大きい。何も言わず一礼しただけで僕を通した。

 門を通ると僕は貴族院議会堂の建物の脇を素通りして、一目散にアシュの屋敷を目指す。屋敷の人間には流石に顔を見おぼえられているから、先ほどの手は使えない。衛兵が厳重に固めている正面玄関を迂回して、裏口に回る。事前にルルと打ち合わせていた場所に行くと成程、衛兵が二人程気を失って地面に縄で縛られて転がされている。手荒いな。

 その上、屋敷を囲む塀からは縄梯子。僕は疑いなくそれを登って塀を越える。地面に降り立った所で、傍に人の気配を感じて慌てて棒を構えた。

 「遅いですね。警戒が足りません。注意力散漫です」

 丁寧なのは口調だけな毒舌にもそろそろ慣れて来た。見上げると、ライウは以前のように黒騎士の格好をしてマスクもきちんとつけていた。

 「似会いますね、それ」

 「当たり前です。……私は君みたいに考えなしじゃないですからね。君、万が一誰かに姿を見られたらどう言い訳するんです? 君は、ここに残るという話でしたが」

 すたすたと足早に歩きながら、ライウはそっけなく言う。どうして僕、こんなに嫌われてるんだろう。

 「はあ、すみません。急いでいたのですっかり失念していました」

 僕が素直に謝ると、ライウは大きくため息をついた。空気が痛い。

 「ライウ殿は、一緒に行かれるとお聞きしましたが。お家は大丈夫なんですか? ライウ殿はアマミ家の後継者として指名されていたでしょう」

 「私は君と違って兄弟が多いですから。腹違いを含めると両手で数えきれない程ね。私くらいいなくなっても痛くもないでしょう」

 「でも、天気姫と一緒に姿を消したなんて醜聞……」

 「家には絶縁状を、警備隊には辞任願を置いてきました。万一私が影蛇の仲間だったと貴族院に気づかれたとしても、もうアマミには関係のない人間だったと言い逃れできるでしょう」

 「ご自分は、もう二度と戻ってこられないおつもりなんですか?」

 僕の質問に、回答はなかった。ただライウはちょっと肩を竦めただけだった。

 「子供は無神経だな」

 独り言のように呟いて、それから声色を事務的なものに改める。

 「今から屋敷に突入します。無駄話はやめにして、気を引き締めてくださいね」

 いや、無駄話始めたのそっちじゃなかったっけ?

 とはいえ実際そんなに余裕があるわけではないので、僕は無言で頷く。ここでしくじったりしたら一大事だ。アシュを逃亡させる機会を永遠に失わせるかもしれないし、影蛇の人間にも迷惑をかける。

 アシュの部屋のバルコニーの右真下を探ると、細い黒い糸が一本はかなく垂れていた。それを引っ張って行くと、重いものを引きずるような音がして太い縄梯子がバルコニーから下りて来る。訂正、落ちて来た。

 「アシュ様、ちゃんと結んでおいてくださったみたいだな」

 梯子が外れないか力を込めて検分してから、ライウは落ち着いてそう言った。僕は頷いて、促されるまま梯子を登る。

 事前の約束でアシュは部屋に隠していた縄梯子を、屋敷の人間が寝静まった夜になったらバルコニーの柱に結び付けておき、縄梯子の先端に結び付けておいた細い糸を地面に下しておくという約束になっていた。

 縄梯子を伝ってバルコニーの手すりの上まで這い上がったその瞬間、僕は何かが風を切る音を聞いた。

 反射的に跳び上がって手すりをこし、バルコニーに着地する。腰に結び付けておいた棒を取りだし、横っ面を狙いに来ていた第二撃をやっとの事で受けた。硬質の音が、暗闇の中で響き渡る。

 「カナさん! やはり侵入者だ。明りを」

 響き渡る声が聞こえた。この声は、ヒョウだ……!

 どうして? ヒョウはもう帰っているはずなのに。疑問に思っている間に、アシュの部屋の中から何やら物音がする。拙い。ランプをつけられてしまう。騒ぎで、すぐに衛兵も駆けつけるだろう。

 突然、肩に軽い重みが加わった。何!? 触ってみると、柔らかい布の感触。僕の体を包む程大きいそれは、夜の闇と同じ色をしていた。直後、僕の顔が何かに覆われる。

 「君はまだここで生きて行くのだから、隠しておきなさい。声は出すなよ。証拠さえなければ、なんとでも誤魔化せる」

 耳元でライウの声がしたと思ったら、部屋の中で明りがついた。僕の前に立つライウの顔に、マスクはない。

 「アマミ殿!?」

 ヒョウが驚いたような声をあげた。

 「こんばんは、クモル殿。随分と夜更かしをされているようで」

 ライウが微笑んで言うと、ヒョウは呆けた顔を一瞬で引っ込めて、挑むようにライウを見た。挑発艇に、口元に笑みを浮かべて。

 「ええ。ある人からアシュ様が本日盗まれてしまうかもしれないとのお話を聞きましてね。まさか、その相手が貴方だとは思いませんでしたけど。僕にとっては嬉しい誤算です。もし、その黒騎士がぼくの予想通りの人間だったらもっと嬉しいけれど。僕は、同時にライバルを二人蹴落とせた事になる。これでクモル家は安泰だ」

ライウはやれやれとでもいうように肩を竦めた。

 「おしゃべりのお好きな坊ちゃんですね。ちょっと自信過剰じゃないですか? 私はここからアシュ様を盗み出しに来たんですよ。アシュ様がいなくなってしまえば私を蹴落す事に意味はないかと思いますが」

 「僕がそれをさせるわけ、ないでしょう?」

 僕は二人の会話中に、視線を動かしてアシュの部屋の中を探る。暗い夜の中で、明りのついた部屋の中は良く見えた。ここから一番遠い部屋の端に、アシュは困惑したように立っている。ここからあそこへ駆けて行けば、もうこのバルコニーは衛兵が固めてしまって出入り口として使えないだろう。今の騒ぎで衛兵たちが集まって来てしまっている。こうなってしまえばもう、こっそりだとか言っていられない。ライウがヒョウに見えないように背に隠した手で僕に行け、と指示をした。それで、どうするのだろう? こいつは無事ここから逃げ出せるのだろうか。不安に斜め後ろからその表情を伺うと、ライウはがちらりとだけ振り返る。それは、自信に満ちた顔だ。だから僕は意を決した。こいつならなんとかなるだろう。

 「何、よそ見してるんですか」

 ヒョウの険のある声に、ライウは余裕気に微笑んだ。張り詰めた攻撃的な空気を全身にまとっているようなヒョウと違って、ライウはどこまで行っても余裕気に見えた。

 「そちらこそ、衛兵の到着するまでの時間稼ぎが涙ぐましいですね。一人で私を相手する自信はありませんか」

 「残念ながらね」

 見破られた事が不快だったのか、ヒョウは苦々しい顔でそれでも認めた。

 「そうと知ったら、先手必勝ですね」

 ライウはそう言い放って、持っていた剣を構えた。ライウが駆けだすのと同時に、僕は駆けだす。同じタイミングで、部屋のドアが開いて衛兵が駆けこんできたけど気にしている暇はない。目指すはアシュだけ。背後の窓からも、衛兵たちが上がってくる音が聞こえた。しまった縄梯子上げておけばよかった。僕は、棒を手元に引き寄せて、筒の上部を外した。ここまで来たら覚悟を決めなくてはならない。生ぬるく棒で戦っていてはもたないだろう。

 左右から襲いかかってくる衛兵たちをなぎ倒し、無駄に広い部屋を横断する。

 「待てっ! セイ」

 ヒョウが僕を呼ぶ声が聞こえた。そうか、やっぱ僕を疑ってたのか。当たってるけど。

 誰かがヒョウに、今日僕がアシュを連れ出すと教えたらしい。それは、誰だ? 

 僕も結構気を使って話していた。影蛇の人間とライウ以外にこの話を知りえる人間はいないはずだ。あとは、本人のアシュとか……。

 もう少しでアシュに手が届く。アシュがこちらに向かって駆けて来ようとしたその瞬間、僕等の間を誰かが阻んだ。ほっそりとした、女性にしては長身のその姿は、非常に良く見覚えがある。アシュの目が驚きに見開かれる。呆然としたその手をその女性、カナさんは有無を言わせないような激しさで引っ張った。アシュの髪がばさりと乱れる。カナさんはそのまま、するりとドアを擦り抜けて部屋を出てしまう___。

 廊下も屋敷の中も衛兵だらけだ。でも、僕には躊躇う暇さえない。アシュの後ろ姿を追うように部屋を後にする。一瞬だけ背後を見たら、ライウが大量の衛兵に囲まれていた。ごめん。絶対に助かってくれ……。

 廊下はある程度の幅しかないから、前後左右両脇を固められる事はない。対多人数戦では悪くない。そして背後でライウがある程度衛兵を抑えてくれているから背後からの襲撃はあまり気にしなくても良い。その条件が重なって、部屋の中にいるよりは、大分動きが楽になった。前から向かってくる衛兵は棒を使って跳ね除け、時には失礼と踏みつけて、僕は先を行くカナさんとアシュを追った。アシュも抵抗しているのか、思ったよりは早くない。

 でも、折り重なるように駆けてくる衛兵たちに視界を塞がれてはそれを排除する事を続けているうちに、二人を見失ってしまった。大かた衛兵を片づけてしまってがらんとした廊下で僕は途方に暮れる。

 どうしよう、どこへ行った!? こんなところでまごまごしていたら、背後を任せて来たライウにまたものすごい嫌味を言われてしまう事にもなりかねない。いやでも、あの速度だ。遠くへ行けている筈は絶対にない。とすれば、どこかに隠れている?

 周囲を見渡す。ここら辺に隠れるような場所はたくさんある。何度も通った屋敷なのだ、間取りだって覚えている。耳を澄ましてみると、一つの部屋からがたんという大きな音が聞こえた。何か、バタバタと暴れるような音。僕は慌てて音のする部屋を開けた。そこは、使われていない倉庫の様な一室で、鍵はかかっていなかった。そこから外に出られるような大きな窓もなく、小さな光取りの窓から差し込む薄い月明かりだけを頼りにした薄暗闇が広がっていた。僕が目を凝らすと、行き場を失ったカナさんは思いつめた顔でアシュをはがいじめにして、その喉元に向かってナイフを突き付けているのが見えた。その目は表情に乏しいカナさんには珍しく、明確に僕を睨みつけている。暗い中で、アシュの白いワンピースだけが浮き立つように清く見えた。

困ったな。なんで盗みに来た悪者の方が脅迫されてんだよ。

でも、ある意味この部屋はありがたい。声を出しても、聞かれるのはカナさんにだけだ。カナさん一人ならなんとでも丸めこめる。大勢の衛兵たちに僕がハレノ家の一人息子だと気付かれると拙いので、今まで一切喋れなかったけれど。

 「引き下がってください。ハレノ様。私、本当にアシュ様を傷つけますわ」

 いつも静かなカナさんに似つかわしくない、激しい口調だった。

 「そんな事をしたら貴族院にカナさんが罪に問われますよ」

 「万一殺してしまっても、新しい天気姫が生まれます。貴族院にとっては、賊の手に落ちる天気姫よりはそちらの方が有難いでしょう。むしろ、私は讃えられるかもしれませんわ」

 「お仕事熱心ですね。ヒョウに告げ口したのも、カナさんですよね? 僕等の話、盗み聞きしてましたか」

 「あなたは甘いんですわ。周囲を警戒する事なんて、考えもしないご様子でしたものね」

 ライウにもルルにも甘い坊ちゃんだと言われた事があるけれど、まさかここでもそう思われていたとは。

 「カナさんは最終的にアシュの味方だと思ってました。僕に、アシュの後をつけるように背中を押してくれたのはカナさんだったし……アシュの事を心配してくれているんだと」

 カナさんは嘲るように目を眇めて僕を見た。

 「そうですね。確かに私はあなたを後押ししました。でも、それはこんな事を望んでの事じゃありません。あなたが状況を理解して、もう少しアシュ様と親密になれば良いと思ったからです。こんな、大それたことをやらかすなんて思っても……」

 僕は理解できずに首をかしげた。

 「アシュをあの状況から救いたかったんじゃないんですか?」

 「状況が少し好転するならば、その方が良いと思いましたけど、ここからアシュ様が出て行くだなんて想定外でしたから。それは、私は困るんです」

 困る? どうして? アシュの付き人をお役御免になったらまた元の貴族の娘として暮らせるじゃないか。我が侭娘に付き合わされる事もなくお嬢様生活ができる。今回の事はカナさんの過失では有り得ないんだから、家が罰される事もないわけだし。どうしてこんなに苦しげなのか、意味が分からない。

 「カナ、あなたヒョウ様が好きなのね?」

 今まで無言だったアシュが突然口を開いたと思ったら、そんな事。何コイツ? なんでこんな状況でそんなぶっ飛んだ話を始める!?

 呆れて口を挟もうとしたのに、意外にもカナさんが動揺したようにびくりと震えた。

 「だから、わたしがいなくなって、ヒョウ様とお会いできなくなるのが嫌なんだわ。あなたの家の格では、このお役目を離れてしまえばヒョウ様とは親しくできないものね」

 アシュは醒めたような声で淡々と語る。対して、普段冷静な筈のカナさんの顔がどんどん青褪めてわなわなと体が震えだした。

 「セイに後押しするような事をしたのだって、万が一ヒョウ様と私が恋仲になるような事がないように、セイかライウ様かどちらかと親密にさせておこうってところでしょう」

 「あなたに、何が分かりますか!」

 突然、激昂したかのようにカナさんが叫んだ。大声を出すカナさんなんて、初めて見た。

 「いつもいつも天気姫だとちやほやされていたあなたに、わからないでしょう。あの方だけなんです。あなただけではなく私も気にかけてくれていた方は。常に貴方の影にいた私にも気軽に話しかけてくれた方は、あの方だけなんですよ。その方と、少しでも長く一緒にいたいと思っては駄目ですか? 私だって女です。少しでも好きな人の側に……」

 「分かるわよ」

 きっぱりと、アシュは言った。当たり前だと言うような口調で。

 「分かりすぎるくらい分かるわよ。それが、私をこの屋敷に縛り付けていたものだもの。本当はもっと早くにライウ様が手を差し伸べてくれていたのに、ずっと迷わせていたものだもの。私だってずっと一人ぼっちだったから、その人しかいなかった」

 でも、とアシュは言葉を噛みしめるように続ける。まっすぐ僕を見ている目が強く輝いていて、綺麗だなと思った。

 「その人に叱られてしまったから、私は行くの。私の我が侭で多くの人を苦しめるわけにはいかないから。だから、ごめんね」

 ごめんね、と言った瞬間、アシュは思い切り腕を振り上げた。油断してカナさんの手が緩んでいたのだろう。腕を二つ折りにして、勢いをつけて後方に繰り出すと、見事にその肘はカナさんの鳩尾にヒットした。どうしてお前はそこが好きなんだ……。

 暴力的な事など人から受けた事のないであろうカナさんは、衝撃に耐えられずに一度咳をしてから床に腹を抱えて蹲ってしまう。アシュはその腕の中から逃れるとすぐに僕の所に駆けてきて、僕の腕を掴んだ。

 「行くわよ。騎士様」

 アシュさん僕の出る幕ってやつは?

 とはいえ拗ねてはいられないので、僕はその手を引っ張って駆け出す。


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