揺るがぬ想い 〜正妃の決心〜
エリリーテはぼんやりと、寝台の上で横になりながら、夢に出てきた故国での過去の出来事に想いを馳せていた。
嫁ぐ前に、特別に許可されて、母が自分を産んだと言われる修道院を訪れた。
それは、王宮から馬車に揺られて5日も旅をしなくてはならない辺境の地の小さな修道院だった。
身重の母の移動は、徒歩だったはずだった。
どれほど苦労して、この地に辿り付いたのだろうかと、どこをどのようにさまよったのだろうかと、寂しい景色を目にして、エリリーテの心は痛んだ。
自分を宿したことを、父上に出会ったことを、本当に母は後悔していなかっただろうか・・・。
母の墓にはその名の下に「愛に生きた女性ここに眠る」と墓石に刻まれていた。
修道院の院長はかなりの高齢だったが、エリリーテが生まれた時の話しをしてくれた。
「女神様をこの手で取り上げられて、幸せだと思いましたよ」と・・・。
そして、母の遺品だと一通の手紙をくれた。それは、生みの母、エリンファリアから、エリリーテに宛てた手紙だった。
「エリリーテへ
この手紙があなたに届く頃、たぶん、私はあなたの元には居ません。
私があなたの側に居られる時間は、たぶん限られた物になるでしょう。
でも、私は決して後悔してはいません。あなたのお父様と出会えて、そうしてこの身にあなたという尊い命を授かった。
それが、私が生きてきた人生で、一番しあわせな出来事だったから。
あなたを無事に産むことが出来た。それが、私の誇りです。
ここから歩むあなたの人生は、決して平坦なものではないでしょう。
それは、あなたの持つ特別な姿ゆえのことです。でも、あなたにその姿を与えて下さったのは私の愛する方、あなたのお父様です。私たちが強く愛しあい、そうしてあなたを授かった。ただ、お父様である方は、あなたの存在を知らないのです。それは、私もそれを知る前にあなたのお父様とはお別れしたからです。
愚かな母を許して下さい。最後まで見守ることは出来ないと分かっていても、どうしてもあなたを産みたかった。私と、あの方の愛の証であるあなたを。
いずれ、あなたには神殿から迎えが来るでしょう。あなたは「神の御子」として生まれてしまったのですから。その時が私との別れの時です。
でも、分かって欲しくて、この手紙を修道院の院長に託します。あなたが成人したときに、この手紙が無事にあなたに届きますように。
私に残されている時間は僅かですが、それでも、私があなたを愛していた証をここに残したいと思います。
愛しています。私の愛しい娘、エリリーテ。
どうか、どうかしあわせに。
エリン」
あの手紙を読んだ時、生みの母の姿が見えた気がした。
私に子守歌を歌ってくれたのは、たぶん生みの母だった。
私は、どうかしら・・・トシェン様と出会わなければ良かったと、そう思う?エリリーテは自分の心に問いかける。
この縁談がなければ、たぶん、エリリーテは国内の貴族の誰かと家庭を持つことになっただろう。
「神の御子」が国外に出るのは本当に稀なのだ。
出会わなければ良かったかという自分への問いの答えはすぐに出た。
「いいえ」と・・・。
今の状況が辛くないと言えば嘘になる。でも、それでも、トシェンと出会えて良かったと、心から思えるとエリリーテは自分の中にあるトシェンへの想いを再確認した。
「きっと、お母様も、こんなお気持ちだったのでしょうね」
エリリーテが離宮から帰ってから寝込んでいると、侍女頭から報告を受けたトシェンは、公務を早めに切り上げると正妃の間へと足を運んだ。
あらかじめトシェンが行くことは先触れに伝えさせていたからか、エリリーテは寝台の上であったが、上体を起こし、クッションに埋もれるように座ってトシェンを向かえた。
「寝込んでいると聞いたが、大丈夫か?」
そうトシェンが聞くと、白い夜着の上から薄紫色のショールを羽織ったエリリーテがショールの前を握りながら、恥ずかしげに俯いた。
「このような姿でお出迎えしてしまって申し訳ありません。ご心配をおかけしてしまって・・・皆が大げさなのです。私はもう大丈夫なのですが・・・」
そう言いながら微笑むエリリーテだったが、顔色はあまり良くないとトシェンも感じた。
「離宮で・・・あのようなダリューシェンの姿を見て、驚いたんだろうな・・・」
トシェンは気になっていた事を聞いてみる。
エリリーテは瞳を揺らがせた後、目を伏せて首を横に振った。
本当は、もう一つ聞きたいことがあったが、何故か聞く気になれずに、トシェンは戸惑った。
私を愛しい夫であった兄上と、エヴァンスだと思っていたダリューシェン。だから彼女をしあわせにしたくて抱いたというのは、自分勝手な言い訳に過ぎないだろうなと、トシェンは苦い思いを噛みしめる。
「正気ではなかった彼女を妻とし、抱いた私を卑怯者だと思うか?私を・・・軽蔑するだろう?」
一言そう聞いたトシェン。
すると、エリリーテは弾かれたように俯かせていた顔を上げた。
「軽蔑なんて・・・そんな、そんなことしません!」
エリリーテは激しく首を横に振った。
それが目眩を呼んで、エリリーテは目を閉じるとクッションに埋もれるように、背をもたれかからせる。
「どうした?・・具合が悪いのか?!」
慌てるトシェンにエリリーテはやっとの事で微笑みを浮かべて答える。
「・・いいえ、大丈夫です・・・」
心配そうに覗き込むトシェンの瞳を見つめながら、エリリーテは泣きそうになる。
ほら、この人は、こんなにも優しいのだと。
だから、自分のしたことに傷つき、自分を責め続けているのだろうと。
トシェンは本当にダリューシェンを愛しているのだ。たとえ、その想いが受け入れられなくても、それは揺らぐことはないのだと。その悲しい一途な想いに、エリリーテの心は震える。それは、どれほど辛いことだろう。
少しでも・・・この人の支えになりたい。
エリリーテは改めてそう思う。
そして、覚悟を決める。
拳を握りしめて、落ち着いてと、自分を励ました。
脳裏にある人の面影を思い浮かべる。
どうか、あなたのように立派に振る舞えますようにと、祈るような気持ちで息を整える。
「トシェン様」
落ち着いた声で、エリリーテはそう呼びかける。
「しっかりして下さいませ」
そう、凛とした声で伝える。
「エリリーテ?」
驚いたようにトシェンはエリリーテを見つめる。
「トシェン様がそのように弱気になられていたら、誰がダリューシェン様やティカーン王子をお守りするのですか?」
「エリリーテ・・・」
「薔薇の騎士は、どんな困難な状況でも諦めず、勝利を勝ち取るために僅かの可能性でも躊躇わず勝利を手にしたのですよね」
「・・・」
戸惑ったまま、トシェンはエリリーテの話しに耳を傾けている。
「トシェン様、それが正しかったと思われるのであれば、それしか道がなかったとお思いでしたら、泣き言などおっしゃらずに胸を張って下さいませ」
エリリーテに突然、そう強く言われて、トシェンは戸惑う気持ちを隠せなかった。
「過ぎたことは元には戻せません・・・起こってしまった出来事は元に戻せないのです」
「そうだが・・・」
「ここから、どうなさるのか、それが大切なのではございませぬか?」
「ここから、何をするか・・・」
ハッとしたようにトシェンが顔を上げる。
「まずは、長老方にティカーン様の立太子を認めさせなければなりません。そのためには、この国内の安定を揺るぎない物にする必要がございます」
トシェンはじっとエリリーテを見つめて、黙って話しを聞いている。
「不穏な動きを見せているグラードの動きも気にしなければなりません。やることは山積みで、迷ったり立ち止まったりする暇など無いのではありませんか?」
「エリリーテ・・・」
「私は・・・形ばかりの正妃ではありますが、きちんと公務をこなします。私だけでなく、クリアージュ様もきっとトシェン様の支えになられるでしょうし、他にもあなたを支える方はいらっしゃるでしょう」
「エリリーテ、あなたは・・・」
エリリーテはそっと微笑んだ。
「薔薇の騎士の物語が、私の憧れでした。だから・・・その大好きな物語を無惨な形で終わらせたくはありません。そのお手伝いがしたいのです」
トシェンは瞬きもせず、じっとエリリーテを見つめている。
「ダリューシェン様が目を覚まされた時に、変わらず向かえてあげて下さいませ。そこで私の役目が終われば、私は・・・正妃の座をダリューシェン様に譲ります」
「エリリーテ・・・私は・・・」
トシェンはそう言うと、顔を伏せてしまってその表情は読み取れない。
言い過ぎてしまっただろうか・・・この心優しい人に、自分が言った言葉がつぶてのようにぶつかって、傷を作ってはいないだろうか。エリリーテはそれが気になった。
よく見れば、トシェンの肩が小刻みに震えている。
もしかして、泣いて・・・そうエリリーテが思った時に、グッとその腕に抱き寄せられていた。
ああ、この方は・・・今まで、誰にも言えずに、たった一人で色々な事を耐えてこられたのだとエリリーテは思った。
エリリーテの肩に顔を埋めて、トシェンは涙を零した。
ずっと、誰かに聞きたかった「私のしたことは間違っていたのか?」と。
後悔し続けていた。正気ではなかったダリューシェンを妻としたことはティカーンを王位につけるために仕方がなかったとしても、彼女を抱いたことは・・・。
そして、今、ここに「あなたのしたことを正しいと思うなら胸を張れ!」と叱咤し、「ここから何をするのかが大事だ」と諭し、「お手伝いをします」と励ましてくれる人が居る。
ただの美しいだけの姫君ではない、そこには凛とした強さも秘めた神々しいまでに美しく優しい正妃の姿があった。
しかし、嫁いできた彼女に自分は「白い結婚」を強いている。彼女ならもっと良い嫁ぎ先があったかも知れないのに・・・。
「私は・・・あなたに何も返せないのに・・・何故・・・」
そう、トシェンが涙声で言うと、そっとエリリーテはその背を抱きしめてくれる。
「何も・・・望みません。憧れの物語の登場人物になれて、憧れたお二人のことを助けられるならそうしたいと、それが私の願いですから・・・」
この人を守りたい。
そう、エリリーテは強く願った。
お母様!と、エリリーテは心に浮かぶ面影に呼びかける。
それは、故国の正妃エメリリアの姿だった。
お父様を支え続けたお母様。私もあなたのように、トシェン様をお支えすることができるでしょうか?
どうか力をお与え下さいと、エリリーテは正妃エメリリアに祈る。
トシェンを叱咤激励したのは、エメリリアならそうするだろうと、そう思ったからだった。
私は・・・お母様の娘です。エリリーテは、トシェンを抱きしめながら、そう強く思った。
何とか、それほどお待たせしないでの更新となりました。
エリリーテ、健気に頑張ります!
作者も負けないように頑張りますので、応援よろしくお願いします!
雨生




