27.『Scorpion King』
午後 四時二十六分。
『ディグルスの地下砦』の玄関扉を開いた僕とナゾシンは、丁度玄関ホールを歩いていた件の女性。メノウと、目が合った。
「あら、おかえり。早かったでつね」
メノウはいつもの口調で僕らを出迎える。どうやら、倉庫に食料を取りに行っていたらしい。
彼女は缶詰や野菜の形に膨らんだ、手提げのバッグを片手に下げていた。
僕とナゾシンは目を合わせてから、ふぅっと息を吐く。彼女が無事で良かった。
「ん? あれ? 確か、シャドーはシエルと一緒に出たはずじゃなかった? ナゾシンくんも」
メノウが僕らに尋ねた。
「さっき、墓地で一緒になったんだよ。それで、姉さんがあんたたちは地下砦に戻って、メノ姉さんの様子見てこいって」
「私の? どうしてでつか?」
不思議そうに僕の顔を覗き込むメノウ。
「どうしてって……。そりゃ、ひとりだと心配だからに決まってるでしょ……」
僕の口調はどこかぎこちない。自分で言っておいて、恥ずかしくなってしまったのだ。
「ああ、なるほど」
ポンッと、メノウは手の平を叩いた。それから、ニッコリと笑みを浮かべて、
「そういえば、私いまひとりでつね」
「そういえばって、何をいまさら!」
僕は危うくずっこけるところだった。天然にもほどがあるだろ!
「ふふふ。冗談でつよ。心配してくれてありがと」
メノウは柔らかな笑みを僕に投げかける。どうやら、僕は彼女にからかわれただけのようだ。
「でも、私は大丈夫。それに、いまから夕飯の支度をしないといけないから、二人は休んでていいでつよ」
「うーん……。ナゾシンさん、どうします? とりあえず、メノ姉さんの無事は確認できたし、このまま食堂までついて行ってもいいんですけど……」
僕は言って、ナゾシンの返答を待った。
「この建物の中なら、もし何かあってもすぐに駆けつけることができるはずだ」
と、ナゾシン。
「……そうですね。それなら、もう一度、ここを調べてみませんか?」
僕の提案に、ナゾシンは眉根を寄せた。
「地下砦をか? しかし、ここはもう十分に調べたはずだ」
彼の言う通り、昨日、僕は彼と二人で十分に建物内を探索した。しかし……
「まだ、調べてない場所があるんです。昨日は無理だったけど、いまなら調べられると思う。――姉さん、客室のマスターキーって、ある?」
「…………え?」
メノウは意表を突かれた顔で、僕を見た。
二十分後。
僕とナゾシンは、ある客室の前に立っていた。
玄関ホールの階段を上がって、左手の通路の突き当りの部屋――つまり、玄関ホール入り口側の角部屋にあたるこの部屋を使用していたのは、フェイスだ。
僕はメノウから預かったマスターキーを使って扉を開けると、フェイスの部屋に踏み込んだ。
「…………そのまま……ですね」
僕は部屋を見回してから、率直な感想を述べる。
ふれられた様子のないデスクと、一度も使用されていないベッド。その他、小物類も同様に使用された痕跡はない。
「ふむ。彼が消えたのは初日だった。部屋がそのままなのも不思議ではない」
そう言われてしまうとそれまでなのだが……
「やっぱり、はじめからどこか別の場所に隠れる予定だったのかな……」
フェイスの部屋に入れば、何か手掛かりが掴めるのではないか。そう思っていたのだが……
――いや。諦めるのはまだ早い。
「……? 何をしている?」
「何か手掛かりはないかと思って」
僕はベッドの掛け布団を剥いだり、床に何か落ちていないか目を凝らしたり、それから、デスクの引き出しを引いて――
「えっ……?」
一瞬、僕は我が目を疑った。なんで? どうしてこんなところに、こんなものが……!
「ナ、ナゾシンさん…………。プ……プレート……! プレートだ! プレートが置いてある!」
僕はデスクの引き出しに入っていたプレートを取り出して、ナゾシンに突きつけるように見せた。
彼はまじまじとプレートを見つめてから、ゆっくりと、プレートに刻まれた文字を読み上げる。
「……『Scorpion King』…………」
『Scorpion King』。蠍の王。確か、教団を追われた異教徒たちが復讐のために呼び出した、巨大な蠍のボスモンスターだ。
「……なんで、こんなところにプレートが……? もしかして、ここで誰かを殺すつもりだったのかな。……それとも、誰かを殺したあとに、ここから持って行くつもりだったのか……」
「それはどうだろう。建物の中を歩き回れば、誰かに見つかる可能性が高い。それに加えて、ここは通路の一番奥にある角部屋だ」
「そ、それもそうですね……。それじゃあ……他に残っている可能性は……――」
その瞬間、心臓が大きく跳ね上がる。
「まさか、フェイスさんはもう……死んでる……とか?」
僕は引きつった笑みを浮かべて、続ける。
「なわけ、ないですよね……。そんなこと、あるわけない……」
そうだ。そんなことあるわけがない。もしフェイスがすでに死んでいるとしたら、これまでの殺人は、誰か別の人物の仕業だということになるじゃないか!
「まだ結論を出すのは早い」
僕はナゾシンの声に反応して、彼の顔を見やった。
「一旦、落ち着いてから、もう一度よく考えるべきだ」
「…………そうですね……」
彼の一声に、僕は落ち着きを取り戻す。
……僕は、一体何を焦っていたんだろうか。まだフェイスの部屋でプレートを発見しただけであって、彼が死んだという確証は何ひとつないのだ。
僕はどっと押し寄せてくる疲労感に耐え切れず、ベッドに腰を落とした。
「はぁ……。まだ、よくわからないけど」
疲れた口調で、僕は続ける。
「とにかく、ひとつだけわかったことがある。……プレートを発見できたってことは、つまり……僕らは犯行が行われるより先に、はじめてヒントを得たってことだ」
「彼が被害者でなければ、だがな」
「…………」
それからまた、二十分後。
僕とナゾシンは、玄関ホールの大階段を下りていた。メノウの様子を見るために、食堂へ向かっているところだった。
階段を下りる足取りは重い。僕らの気分は、すっかり沈みきっていた。
『ふむ。ひとつ、提案があるのだが』
ふと、ナゾシンの言った言葉が、僕の脳裏に過ぎる。
――十分前の出来事だ。
『このプレートは、持ち出さず、このままもとの場所に戻しておかないか?』
彼は言った。
僕らがプレートを先に発見したことを、フェイスはまだ知らない。となれば、次に犯行が行われる時。彼は、何らかの手段を持って、『Scorpion King』のプレートを取りに来るはずだ。
あるいは、彼の部屋が犯行現場となるのか……
どちらにせよ、フェイスを取り押さえる絶好のチャンスとなるのは間違いない。そしてそれが、彼の犯行を未然に防ぐことになる。
僕はナゾシンの提案に乗った。反対する理由もなかったからだ。食堂へ向かうのは、そのことをメノウにも知らせるためでもあった。
階段を下りきったところで、僕は立ち止まり、ズボンのポケットから携帯を取り出す。
「む? どうした?」
「ちょっと、いま何時かなって」
携帯の待ち受け画面には、五時十八分と表示されている。なんだかんだで、『ディグルスの地下砦』に戻ってきてから、一時間近くが過ぎていた。
僕は窓から外の様子を伺う。夏場で日暮れが遅いとはいえ、そろそろ暗くなってくるころだ。
「姉さんたち、まだ帰ってこないな……」
ぼんやりと、僕は呟いた。
「心配しているのか?」
「……まあ、少しは……。でも、よく考えたら、シエル姉さんって、殺しても死ななさそうな人だから、大丈夫な気がしてきた」
「ふむ。それもそうだな」
ナゾシンが軽く鼻で笑う。こんな話、彼女が聞いたら怒るだろうな。なんてことを考えながら、二人が笑い合っていた時だ。
玄関ホール入り口の扉を、誰かがノックした。
「噂をすればなんとやら、だな」
と、ナゾシン。
扉に鍵は掛かっていない。扉をノックした張本人もそれに気づいたのか、ガチャリと扉が開かれる。
――紅蓮だ。
「あ、紅蓮さん、丁度いいところに。いま二人の話をしてたところだったんですよ」
「すまない、シエルさんは戻ってないか?」
「…………えっ?」
紅蓮の突拍子もない質問に、僕は面食らった。どういうことだ? 二人は一緒だったはずじゃないのか?
「何かあったのか?」
ナゾシンが紅蓮に尋ねる。
「くそっ……! やられたよ。オレの不注意だ……」
紅蓮は呻くような声で言った。見れば、彼は辛そうに顔を歪め、左手を首筋に当てている。
「やられたって……。まさか! そんな! 一体何があったんですか!」
僕は声を荒立てた。紅蓮のただならぬ様子に、嫌な想像が膨らむ。
「どうやらオレは、彼女と一緒に崖下の洞窟に入ったところで襲われたらしい。視界が悪くて、背後の気配に気づくことができなかった。おかげでこのありさまだ」
紅蓮は早口に言って、僕らに首筋が見えるよう、首を曲げて見せた。彼の首筋は赤く腫れ上がって、青あざができている。
「じゃ、じゃあ姉さんはっ!」
「わからない……。気がついた時にはひとりだった。もしかしたらと思って、ここに戻ってきたんだが……」
「いや、シエルさんは戻っていない」
ナゾシンの答えに、紅蓮は歯噛みする。
「そうか……。くそっ! 無事だといいんだが……」
「捜そう!」
僕は言った。
「しかし、一体どこを捜す?」
「……え?」
ナゾシンの一声に、僕は、自分が勢いだけで言ったことに気づく。
「そうだ、シャドー君。アテはあるのかい? もう日暮れも近い。日が落ちれば、こちらの身も危なくなる」
紅蓮の言うことにも一理あった。一刻も早くシエルの無事を確認したい。そう思う気持ちが強すぎて、僕は冷静さを失っていたようだった。
「けど、だからと言って……このまま待ってるわけには…………」
僕はイラつきながらも、必死に考える。……そうだ。まずは、状況を整理しよう。
そもそも、紅蓮が襲われたあと、どうしてシエルだけが消えてしまったのか?
その答えは簡単だ。
フェイスは紅蓮を狙ったのではなく、シエルを狙っていた。だから、邪魔者である紅蓮を背後から襲って気絶させた。
紅蓮は気がついたらひとりだったと言っていた。……なら、シエルはどこか、別の場所に連れていかれたはずだ。
……それは、どこだ?
彼がシエルを連れて行った先の終着点。――それは、殺人現場に他ならない。
となれば、これまでに発見したプレートは、『Asmoday』、『Paroxysm』の二枚。そして、先ほど発見した『Scorpion King』の三枚。
よって、残るプレートは二枚。うち一枚は検討もつかないが、ひとつだけ、その可能性のありそうな場所があった。
「もしかしたら――」
「『Gigas』」
僕に声に被せるように、ナゾシンが言った。彼も僕と同じことを考えていたらしい。
「うん! 急ごう!」
僕はすぐさま出発しようと声をかける。
「すまない。オレも行きたいと言いたいところだが……」
と、紅蓮がすまなさそうにこちらを見やった。
「大丈夫です。紅蓮さんは怪我をしてるから、ここで待っててください。それに、メノ姉さんをひとりにするわけにもいかないから」
「本当に、すまないね。二人とも気をつけて」
「はい。紅蓮さんは、メノ姉さんをお願いします!」
「ああ、こっちは任せてくれ。もうこんなヘマはしないさ」
紅蓮は鼻で笑ってみせる。それを聞いて僕は安心した。
「それじゃ!」
僕は紅蓮に別れを告げると、ナゾシンとともに、『ディグルスの地下砦』を飛び出した。




