25.ギルドマスター
午後 二時二十六分。
透き通る青空に、ギラギラと輝く太陽が目に眩しい。
僕は、シエルと二人で崖下の岩道を進んでいた。
今日は波が荒いせいか、大きな岩に打ち寄せる波のしぶきが頬にまで飛んでくる。
「姉さーん。大丈夫ー!」
『深淵の入り口』へ向かう途中。僕は振り返って、シエルに呼びかけた。
「大丈夫じゃねぇ! 手伝えっ!」
彼女は足場の悪い岩道に苦戦していた。へっぴり腰で綱渡りしているような、見るからに危なっかしい動きだ。それにしても、とても助けを呼んでいる人間の台詞とは思えないな。
「手伝えって言われてもなあ……」
僕は困ったように言うと、
「うん。ゆっくりでいいよ! 先に行ってるから!」
爽やかな笑みを顔に貼り付けて、大きく右手を振った。踵を返して歩を進める。
「ちょっ! おいコラッ! 置いてくな!」
背後で何か声がしたような気がするが。僕は気にせず洞窟の入り口まで行くことにした。
――現在から遡ること、二時間。
僕らは大食堂で『Paroxysm』のプレートを発見した。そして、プレートの裏面には『ノリナは死んだ』というメッセージカード。
僕は、ナゾシンと立てた仮説が正しかったと認識すると同時に、激しい混乱に襲われた。
ノリナとは一体誰なのか? 何故、フェイスはそんなメッセージを残したのか?
メノウは言った。『ノリナは、私たちの元ギルドマスター』なのだと。
彼女の話によれば、ノリナとは……。僕たちが現在所属しているギルドの、二つ前のギルドマスター。つまり、最初のギルドマスターなのだそうだ。
僕がギルドに入団したときは、メノウがギルドマスターだった。その頃にはもう、ノリナという人物はもうギルドには存在せず、クキも、シエルも、白夜も紅蓮もフェイスもみんないて……。唯一、ナゾシンだけが僕よりあとに入団したのだった。
――どうりで僕が知らないわけだ。
ギルドの古株である、姉御三姉妹ならともかく。僕とさほど入団時期のかわらない紅蓮やナゾシンが知っているわけがない。なにせ、これまで一度もノリナという人物について語られたことはなかったのだから。
「はぁ……はぁ……。疲れた…………」
僕は背後に気配を感じて、振り返った。シエルが両手を膝の上にのせて、ぜぇぜぇと苦しそうに呼吸をしている。
「姉さんって、意外と運動音痴だね」
「う、うるさいわっ!」
怒鳴るシエル。しかしへばっているせいか、迫力に欠けている。彼女の声は、そのまま洞窟の奥へと吸い込まれてるように消えていった。僕は、暗闇の洞窟を眺めながら、「ほー」と、感心したように声を漏らした。
「よし、それじゃ行こうか」
僕はズボンのポケットから懐中電灯を取り出し、点灯する。
「ちょ、ちょっと待って……。休憩させて……」
シエルは手頃な大きさの岩を見つけると、岩の上に腰掛けて、空を仰いだ。
「えー……。あんまりゆっくりしてると、日が暮れるよ?」
僕は露骨に嫌な顔をして、言った。
「まあまあ、そう言わず! お姉さんの隣に座りなよっ!」
シエルは作り笑いを浮かべながら、岩をぺしぺしと叩く。
「…………いや、別に立ったままで――」
「あん? なんだって?」
「……なんでもないです」
結局、少し休んでから進むことになった。
真っ暗闇のなか、ジャリっとライターの擦る音と同時に、小さな火が灯った。
シエルはタバコに火を点けると、深呼吸するみたいに紫煙を吐き出した。
「んで、これがそうなの?」
彼女の視線の先には、懐中電灯の明かりで照らされた、鉄製の扉があった。
扉には、家の表札くらいのくぼみが五つ。
中央にひとつと、それを囲むように四つ、四角形に配置されている。
「うん。たぶん、この扉にプレートをはめ込めばいいんだと思う」
『深淵の入り口』。五つのプレートを収める場所。この扉の奥には、何が隠されているのだろうか?
シエルは扉のくぼみを指でなぞって、
「なるほどねぇ……。どれも同じように見えるけど、微妙に凹凸があるわ」
「やっぱり、プレートが鍵になってるのかな」
「ま、そうとしか考えられないでしょ。あーあ、しまったなぁ……。プレート持ってくればよかった」
彼女はひとりごとのように呟くと、悔しそうに舌打ちした。
「持ってくる必要ないって言ったの、姉さんでしょ?」
「むっ。アンタはひとこと多いんだよ。そんなんじゃモテないよ?」
よけいなお世話だよ。僕は胸中で呟いた。
シエルは扉から離れると、他の場所を調べはじめた。僕は彼女が調べやすいよう、後ろから懐中電灯で照らしてやる。
「ところで、ノリナさんって人のことなんだけどさ」
壁のタペストリを眺めるシエルの背中に、僕は声をかけた。
「どうして、ギルドを出て行ったの?」
僕の質問に、シエルの動きがほんの一瞬だけ止まった。
彼女は僕に背を向けたまま、言う。
「ノリナは、ギルマスを辞めたんじゃない。『UoE』を辞めたんだよ」
「……え?」
「ある日突然、あの子は『UoE』から消えた。メノ姉さんにギルマスを譲ってね」
「…………」
「ああでも、突然って感じでもなかったかな。そんな予感はしてた。まさかアカウントまで削除するとは思ってなかったけどね」
シエルは鼻を鳴らして、肩をすくめた。
「予感って……。何があったの?」
「ベツに。……ただ、あの子は真面目過ぎたんだよ。だから、みんな少しずつ彼女から離れていっただけ」
「それってどういう――」
僕がそう言いかけたとき、シエルは唐突に振り返って、
「どうもこうも、そのままの意味だよ。そんなことより、どうしてフェイスがノリナのことを知ってるかのほうが問題」
言いながら、彼女は僕の前を通り過ぎて、反対側の壁を調べはじめた。
「ノリナは死んだ……。あれって、本当なのかな?」
「んーなの、わかるわけないでしょ。ノリナはメノ姉さんにギルマスを譲ったあと、アカウントを削除して『UoE』から完全に消えた。それだけじゃないさ、メッセンジャーのアカウントも、ブログも、ぜーんぶ綺麗さっぱり消えてた。連絡手段がないんじゃ、どうしようもないでしょ」
「……でも、フェイスさんは知ってた……」
僕はささやくように言って、続ける。
「ずっと気になってたんだ。動機が。どうしてフェイスさんがこんなことをするのか。けど、なんとなくわかった気がする。あの『ノリナは死んだ』っていうメッセージ。意味もなく残したわけじゃない。たぶん、フェイスさんはそれを僕らに伝えたかったんじゃないかな」
「よーするに、復讐って言いたいんでしょ? んなこと、言われなくてもわかってるっての。アイツが現実世界でノリナとどういう関係だったか知らないけどさ。だからって、人殺ししていい理由にはならないね」
シエルは苛立ち混じりに告げると、『深淵の入り口』から洞窟の方へ歩いた。
「さ、もうここに用はないし、さっさと出るよ」
シエルはこちらに振り向きもせずに言った。後ろから懐中電灯で照らせという意味らしい。
僕は彼女の後ろについて、『深淵の入り口』をあとにした。