20.仮説
午後 六時二十五分。
僕とナゾシンは、海岸沿いの舗装された道を歩いていた。
砂浜に寄せては返す、穏やかな波音が心地良い。
遥か海の向こう――水平線には夕日が浮かんで見える。海面に反射した幻想的な淡いオレンジの光線が、波打ち際まで真っ直ぐに伸びていた。
『ディグルスの地下砦』を出てから一時間ほど。
彼を捜すと意気込んで出てきたはいいものの……。何の手掛かりもない僕らは、アテもなく島を半周しただけに終わったのだった。
「……はあ、やっぱりそう簡単に見つからないか。一体どこに隠れたんだか」
歩きながら、僕は大きく伸びをして息を吐いた。
「それがわかれば、こんなふうに歩き回ったりはしない」
そりゃそうだ。けれど、このまま闇雲に歩き回っても意味がない気がする。
そろそろ潮時かな?
僕が歩みを止めると、ナゾシンが数歩遅れて立ち止まり、振り返る。
「どうした?」
相変わらず真顔で問いかけてくる彼に、僕は少し考える素振りをして、言った。
「ナゾシンさんは、どう思います?」
「……?」
小首を傾げるナゾシン。
「動機です。仮にフェイスさんが犯人だったとして……。クキ姉さんを殺す動機って、何だったんだろう……って」
僕は歩きながらずっと考えていた。どうして彼女は殺されたのだろう、と。
「ふむ。動機か……」
「考えたくもないけど、人が人を殺すなんて、よほどのことがない限り、ありえないと思うんだ」
僕は一旦そこで言葉を切って、海の向こうに目をやった。
「そりゃ、これまでネット上の付き合いだけで、実際の顔を合わしたのはつい先日のことだけどさ。……それでも、誰かに恨まれるようなことをする人にはとても思えなくて」
「……ふむ」
ナゾシンは小さく喉を鳴らして、
「同感だ」
「――え?」
僕は軽く驚いて、彼の顔を見た。彼は僕の目の前を横切ると、そのまま海の方を眺めて、眩しそうに目を細める。
「しかし犯人にはあったのかもしれない」
「……どういう意味です?」
「例えば……そうだな。一方的な恋愛感情とか」
「……えっと、ストーカー……ですか? いや、それはないでしょ」
僕は軽く手を振って、彼の意見を否定した。少なくとも僕の知っているフェイスは紳士的な、大人の男性だ。それでいて冗談も上手いから、女性の知り合いも多い。その彼がストーカーなんて――
…………ありえない話ではない……か……
現実のフェイスを思い浮かべてみて、僕はふと思った。
丸々と太った体型に、いかにもオタクですといった風貌。お世辞にもイケメンとは呼びがたい。……いやしかし待てよ。彼の場合だと、二次元にしか興味ないという可能性もあるが……
なんてことを、僕が真剣に考え込んでいると、
「例えばの話だ。他にも、殺人に快楽を覚える狂人という考えもある」
ぱっと、冷めた目のナゾシンと目が合った。
僕は急に少し恥ずかしくなって、
「え、えぇっと……。つまり、クキ姉さんではなく犯人の方に何かしらの動機があった……ってことですか?」
頬を引きつらせながら、早口に誤魔化そうとした。
「そうだ」
「…………はあ……まあ、可能性としてはありえるけど……」
そう言って、僕はうーんと唸り、首を捻る。何故か、僕はその答えに納得できなかったのだ。理由は僕自身にもわからない。ただ、何というか……しっくりこなかったのである。
「それに、ひとつ引っかかることがある」
「――引っかかること?」
僕がオウム返しに答えると、ナゾシンは一瞬だけこちらを横目にして、言った。
「プレートだ」
「…………プレート? プレートって、あの、墓地に落ちてた『Asmoday』のプレートですか?」
「うむ」
「えーっと……それがどうかしたんですか……」
と、僕はそこまで言いかけて、
「あっ!」
突如気付いたように大声を上げた。
「ああそうだ! プレート!」
興奮する僕に、ナゾシンは動じることなく、こくりと頷く。
そうだ、僕は重要なことを見落としていた!
『Asmoday』の墓標にあったメッセージ。そして、殺害現場に落ちていたプレート――
どうしてこんな重要なことを忘れていたのか。
やはり僕も、友人の死を間近に見て、動揺していたのかもしれない。
「『Asmoday』の墓標に刻まれたメッセージには確か、血を供えよ、とあったはずだ」
そう言うナゾシンに、僕はうんと力強く返事をした。
そう、確かにあったのだ。重要なメッセージが!
「シャドー君。はじめて墓地に行ったときのことを覚えているか?」
「うん。覚えてる……。それに、クキ姉さんが死んでた時のことも、ちゃんと思い出したよ。ああ、もう! どうして忘れてたんだろ。あんな重要なこと、忘れるわけないのにっ!」
思い出した途端、僕はそれまでの自分に腹が立ってきて、つい声を荒らげてしまう。
「僕らがはじめて墓地に行ったとき、プレートなんてなかった! あったのは、墓標に刻まれたメッセージだけ。プレートを見つけたのは、姉さんの遺体を発見したときだ!」
「うむ。墓標に刻まれたメッセージと、クキさんの血で染まった墓標。偶然にしては出来すぎだ。今にして思えば、あのプレートの落ちていた場所――、妙だとは思わないか?」
彼に言われて、僕はもう一度クキを発見したときの光景を思い出してみた。
――プレートがあったのは、確か……
『Asmoday』の墓標の土台部分。うつ伏せに倒れるクキの脇に、さりげなく置いてあって……ん? 待てよ……
「もしかして……」
僕は囁き、
「あのプレート、犯人が置いていった……とか?」
真っ直ぐにナゾシンを見た。
「うむ。墓標に血を供えると、本当にプレートが出てくるという仕掛けが施されていたのなら、話は別だが」
しかしそんな仕掛けが施してあるとはとても思えない。どう見ても、あれはただの石の塊だった。
だったら、犯人がクキを殺害した後に置いていった、と考えるのが自然だ。
「それから、『深淵の入り口』で見たメッセージも思い出してほしい」
彼に言われて、
「『五つの災い集めよ。さすれば深淵の扉は開かれん』……でしたっけ」
僕は答える。
「うむ。……どうにも、嫌な予感がする」
「……予感って……?」
「…………」
僕が問いかけても、ナゾシンは何も答えようとはしない。それが返って不気味で、嫌でも僕にネガティブな考えを思い起こさせる。
「…………いや、まさか……そんな、冗談でしょ……?」
もしも、もしもだ――
『深淵の入り口』にあったメッセージが殺人予告だったとするならば……
その災いの数は、全部で五つ。
「……つまり、ナゾシンさんは、あと四人死ぬって言いたいんですか?」
恐る恐る声にする僕に、
「そうでないことを祈る」
ナゾシンは表情ひとつかえずに、短く告げた。
「…………そんな馬鹿な……」
これじゃまるで、ミステリ小説に出てくる殺人ゲームみたいじゃないか。
無人島という隔離された空間で、次々に人が死んでいくなどと、そんなものは架空の物語だから許されるのであって、現実にあっていいものじゃない。
――だけど。
現状はまるでそのミステリ小説そのものだ。
彼の仮説が正しければ、犯人はクキを殺害した後に、わざとプレートを置いて去ったということになる。となれば、残るプレートの数だけ犠牲者が出るのだと、容易に連想できる。
「ふむ。……あまりこういう言い方はしたくないが。ネットではいくらでも嘘をつけるからな」
そう言うナゾシンの口調からは、怒りではなく、なんとなく寂しさのようなものが感じられた。
「だとしたら、本当に殺人を楽しんでる凶悪犯って考えることもできるか……」
僕は溜め息をついて、ぼんやりと、虚ろな瞳で海を眺める。あのフェイスが凶悪犯? 彼は今も何処かに潜んで、その機会を狙っているのだろうか。
とてもそんな人には見えなかったけどな……。けど、そういう人に限って犯罪を犯すというし……
「それで、考えたのだが」
ぽつり、と。
ナゾシンの含むような物言いに、僕はぼんやりとした表情のまま彼を横目にした。
「もし、プレートが殺人と関わっているのなら。『Asmoday』の墓標のように、先にヒントの書かれた場所を発見することで、未然に防ぐことができるかもしれない」
「そっか……。場所さえ特定できれば、なんとかできるかも。……けど、なんかうまく乗せられているみたいで、いい気分はしないな」
僕は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「しかし、このまま闇雲に捜し続けても無駄ではないか? おそらく、彼は絶対に見つからない場所に隠れてるはずだ。少なくとも、自分が犯人ならそうする」
「それもそうか……。そもそもこの島を設計したのはフェイスさんだし、僕らが探して見つかるような場所にいるわけがない」
「うむ。おそらくだが」
「だったら、いっそのことみんなで固まってればいいんじゃないかな? そうすればあちらも迂闊に手出しできないだろうから。その間、僕らは迎えの到着を待ってればいい。それにもし犯人が痺れを切らして現れたとしても、六対一だ。取り押さえることだってできる」
「ふむ、そうだな。……だが、言ってるそばから一人で行動しているヤツがいるぞ」
「――え?」
意表を突かれて、目を点にする僕。ナゾシンは僕の後ろを見るよう、軽く顎をしゃくった。
つられて僕は振り返る。すると、舗装された道の向こうから、こちらに向かって手を振る人影が――
「おーい! 大丈夫かー!」
紅蓮だった。大方、帰りが遅いので捜しに出てきたのだろう。
彼は駆け足に僕らのところまでやってくると、
「どうやら無事みたいだね」
ふうと一息ついてから、爽やかな笑顔を僕らに向けた。
「そりゃ無事ですけど……って! そんなことより、紅蓮さんこそ何してるんですか!」
僕は思わず声を張り上げる。彼がここにやってきたということは、いま『ディグルスの地下砦』には、女性しかいないのだ。
紅蓮は困ったように頭を掻くと、
「それもそうなんだけどね。日暮れが近いのにまだ帰らないから、心配になってきてさ。まぁそれと……なんだ……」
続きが言いにくいのか、彼は僕らから視線を逸らす。
「もやしみたいな連中のが襲われないか、あたしゃそのほうが心配だよって、シエルさんにケツ叩かれてね」
「…………ははっ」
僕は引きつった笑みを浮かべ、渇いた声で笑った。……まったく、あの人は……
「ま! とにかく、無事で良かったよ!」
紅蓮は仕切り直すようにもう一度言うと、
「実は、二人に報告しなきゃいけないことがあるんだ。……悪いニュースさ」
真剣な表情に切り替えて、言った。
僕とナゾシンは、一瞬、顔を見合わせる。
「君らが出て行った後、メノウさんが警察に連絡しようと電話を使ったんだ。けど、電話が繋がらなくなっていてね」
「なんだって?」
僕は上ずった声で叫ぶ。
「もちろん電話だけじゃなく、ネットも繋がらなくなっていたよ。はじめは回線が切られたんじゃないかと疑ってたんだが。どうやらそうじゃないらしい」
紅蓮はそこまで言って、ふと空を見上げる。それから、僕らを見て言った。
「詳しい話は戻ってからにしよう。暗くなると危ないからね」




