18.他殺
『ディグルスの地下砦』を飛び出した僕とナゾシンは、『ストゥーム墓地』まで、真っ直ぐに走って向かった。
数分もしないうちに、墓地が見えてくる。入り口の鉄柵扉は開きっぱなしだった。
僕らはアーチ状になっている入り口をすり抜けて、なかの敷地に足を踏み入れる。
「姉さん!」
僕は大声を出して辺りを見渡し、クキの姿を捜した。しかし、僕の呼びかけに応じる声はなく、人の気配すら感じられなかった。
「捜そう」
ナゾシンが短く告げる。
僕は頷くと、彼と手分けするかたちでクキの姿を捜して回った。
それからすぐに、墓地中央の大きな墓標の前で、うつ伏せに倒れている人物を見つけた。
僕は急いでその人物に駆け寄り、そして――
「うわぁぁぁああっ!」
殆ど悲鳴に近い絶叫を上げた。
「どうした!」
ナゾシンがすぐに駆けつけてくる。それから、彼は眼前の光景に、声を失った。
中央の大きな墓標――『Asmoday』の墓標――その土台部分に、這うように上体を乗せて倒れている女性。
彼女の喉元あたりからは、おびただしい量の血が。ペットボトルの水をどぼどぼと流したみたいに、墓標の土台部分には、血の水溜りが出来ていた。
ナゾシンは息を呑んで、ゆっくりと、女性に――クキに近付く。
僕は、もうどうしたらいいのか判らなくなっていて、ただそれを見ているしかできなかった。
ナゾシンがクキの肩に片手を置いて、小刻みに揺らす。……反応はない。
それからクキを仰向けにしようと、彼女の両肩に手を置いてから、ナゾシンはぴたと動きを止めた。
「…………冷たい」
その一言に、僕の頭の中は真っ白になった。強烈な脱力感が全身を襲う。
クキが……クキが、死んでる? そんな、まさか……。何かの冗談じゃないのか?
実は、これは演技で、数秒後には、「嘘でしたー」なんて言いながら、嬉しそうにケラケラと笑ったりするんじゃないのか。そんなことも考えた。
しかし、目の前にいる彼女はぴくりとも動かない。人形にしては、あまりにも出来すぎていた。
暫くの間、僕らは呆然としてその場から動けずにいた。
キィッと、入り口のほうで鈍い金属音が鳴って、僕は振り向く。
紅蓮だ。
彼は鉄柵扉を閉めると、僕らの存在に気付いて声をかけた。
「おや? チーム『アサシン』じゃないか。君達もここを調べてたのかい?」
紅蓮はいつもの調子で、陽気な笑みを浮かべていた。しかし、僕らの様子がおかしいと感じた彼は、
「何かあったのか?」
と、やや眉を吊り上げて言った。
僕は声に出して伝える気にはなれず、それはナゾシンも同じらしかった。かわりに僕らは、中央の大きな墓標を見るように、視線で促した。
紅蓮は表情を曇らせて、早歩きにやってくる。それから『Asmoday』の墓標に目をやると、
「……っ!」
彼は絶句したまま、ナゾシンを見た。ナゾシンは、力なく首を横に振った。
「おいおい……嘘だろこんな……っ!」
紅蓮は明らかに動揺していた。続いて彼は、はっと気付いたように、僕らに呼びかける。
「そ、そうだ、とにかく止血して、それから、人を呼んで来よう! まだ間に合うかもしれないっ!」
しかし、僕らはそれに応じることはなく、無気力に目を伏せているだけだ。
「そんな……どうして、こんな……」
ややあって、紅蓮が、奥歯を噛み締めながら漏らした。
「とにかく……」
僕は言った。
「砦に戻って、皆に伝えよう」
「咽喉に切創……。死因は多量の出血と、それから呼吸困難による窒息死……」
シエルはクキの身体を調べながら、その状態を淡々と、ひとりごとのように呟いている。その姿はさながらドラマに出てくる検死官のようだった。
もちろん、彼女は検死官などではない。が、それに近い存在でもあった。
シエルの職業は、看護士なのだ。
時には、助手として手術台に立つこともあるのだと、彼女は言う。だからこんな状況でも彼女は冷静でいられるのかもしれない。
僕らがクキの遺体を発見してから、三十分後の現在。
遺体を発見した三人と、新たにシエルを連れて、僕らは再び墓地に戻って来ていた。
メノウと白夜の二人は、白夜がまだ精神的に不安定な様子だったので、共に『ディグルスの地下砦』に残ってもらうことにしたのだ。
シエルは目を閉じて、諦めたように大きく息を吐き出すと、立ち上がった。
「残念だけど……」
「そんな……ありえない……」
紅蓮は抜け殻のように息を吐いた。
「それと、あまり言いたくないんだけど」
シエルはそこで一度言葉を切ってから、続けた。
「これ……他殺だわ」
それを聞いた瞬間、僕の心臓が大きく跳ねた。
「た、他殺? じゃ、じゃあクキ姉さんは……!」
「落ち着け」
うろたえる僕に、シエルが冷めた目で言った。
「お、落ち着けって……だって、他殺って……誰かが殺したってことでしょ? 人が殺されたのに、冷静でいられるほうがおかしいよっ!」
「だから落ち着けッ!」
シエルが僕を睨みつける。
「アンタがうるさいから、あたしのほうが冷めちまったよ」
吐き捨てるように言うと、彼女は潤んだ瞳を隠すように俯いて、うつ伏せに寝ているクキに視線を落とした。
「……ごめん」
僕は謝罪の言葉を口にして、目を伏せた。
考えてみれば、僕よりも、シエルのほうがクキとの付き合いはずっと長い。冷静を装ってはいるが、本当は辛いに決まっている。
重苦しい雰囲気が漂うなか、
「こんな時に言うのもなんだが……」
ふと、ナゾシンが口を開いた。彼は墓標の土台を指差して、続ける。
「そこに落ちているのは、プレートでは?」
「……え?」
僕は墓標の土台部分に目を向けた。
墓標の土台――這うように上体を乗せている遺体の脇に、長方形のプレートがさりげなく置いてあった。僕は遺体にばかり気を取られていて、その存在に全く気付いていなかったようだ。
僕は墓標に近付いて、プレートを拾い上げる。それから、プレートに刻まれた文字を読み上げた。
「『Asmoday』……」
読み上げた瞬間、背筋が凍りついた。
――血を供えよ さすれば望みの物を与えてやろう――
僕は墓標に刻まれているメッセージを見て、震えた。
血を供えよ。……血? 血だって? そんな、ありえない……!
「『Asmoday』? なに、どういうこと?」
シエルが僕に目を向ける。僕は説明しようと口を開きかけたが、
「気になるが、それより今は……」
ナゾシンの声によって中断され、メンバーの視線は、彼に集中した。
「彼女をどうする? よくは知らないが、なるべく動かさないほうが良いのでは?」
殺人現場は、警察が来るまでそのまま保存しておくべきだと言いたいのだろう。彼は冷静だった。
「けど、このままここに置いておくのは……」
紅蓮が言う。
そうだ、このままクキを放っておくなんて出来ない。それじゃ、あまりにもかわいそうだ。
「警察なんか呼んだって、すぐに来ちゃくれないよ。……だから、運ぼう」
シエルが言った、最後の『運ぼう』という言葉には、切実な響きがあった。
彼女の言葉に後押しされ、僕らはすぐに動き出す。
クキの遺体は『ディグルスの地下砦』の倉庫にあった台車を使って運ばれた。彼女の首の傷は、シエルが包帯を巻いて、綺麗に隠した。それから、彼女は彼女の自室のベッドに寝かされた。