4-3 消炭
「――最終試合、開始!」
超速攻は失敗した。
しっかり受け止められたので、レオナルドとの試合を見ていたのかもしれない。
一度見ただけで対応できるのもおかしな話なのだが、マキナならそういうこともある。
剣を押しあって、力を抜いて、少し距離ができる。
息を吸って、剣を振り切って、もう一歩踏み込む。
かんかんかん、と細かく捌く。
隙を見て足を狙えば、わずかにマキナがバランスを崩すが、ざっと距離を取って建て直される。
――さすがに強い。
体力もある。対応力もある。
今度は、マキナが踏み込んできた。
がつん、と剣がぶつかり、至近距離で目線が合う。
意識的に呼吸を整えながら、ゼドもマキナの剣に集中して、それに応じる。
これまで、いくつの試合をマキナとしてきただろうか。
負けない。負けたくない。いつも、マキナとの試合はぎりぎりだった。
ふ、とマキナが少し笑ったように見える。
彼の顔の筋肉が笑顔を作ったわけではないのに、なぜかゼドにはそう思えた。
「……なに」
「いえ」
剣を弾き飛ばし、攻撃を繰り出す。
何度も。
何度も。
何度も、剣と剣がぶつかって、耳障りだがどこか心地よい音が響く。
これまでの模擬戦とは、違う。これは、勝負が決まるまで延々に続く試合だ。
歓声ももはや耳には入らない。
どのくらい、時間は経っただろうか。
しばらくして、これまでにないほどの、打ち合いの数になってきたことを感じる。
がッッッ、と剣がぶつかり、ぎりぎりと音を立てた。
マキナと目線が交差する。
「……まだです」
「……もちろん」
マキナがくるりと体をひねり、力の均衡が崩れる。
ゼドも力を抜いて軸足を置き換え、足を蹴り上げ横腹を狙う。
マキナはそれを甘んじて受け入れ、だがそのまま剣を握った手を握りこんで、拳を振るってきた。
――受け入れるのか。
予想外のマキナの対応に、自身の身体が吹っ飛ぶ。
どうにか体勢を立て直す。
その途端に距離を詰めたマキナが、剣を振る。
瞬間、手から剣がはじかれる。
「……!」
マキナの力に、手が負けたらしい。だが、まだ負けの判定では、ない。
どうにか懐に飛び込みたい。その一心で、機会を伺う。
絶え間ない刺突を、よく見て丁寧に避ける。
足に力を入れる。
一瞬距離ができれば、マキナが突撃の勢いのまま、剣を振りかぶった。
予想通りの動き。みぞおちに向けて拳を振る。
だが、逆に腹に衝撃を受けた。
後ろに倒れ込んだ。
マキナの体が、ゼドに一気に迫る。
決まった、と、きっと見ていた観客は思っただろう。
だがしかし、残念なことに、ゼドは元来負けず嫌いであった。
剣が強くなったのは、彼が何より負けず嫌いだったからである。もちろん、父のようになりたい気持ちもあった。でもそれは、父のようになれないことが、悔しかったからだ。
――負けたくない。
ふと手のひらに馴染みのある、物理的な重さを感じた。
そのまま、ほとんど本能的に”それ”を振り切った。
聖剣、クラウ・ソラス。
マキナが、さすがの反射神経で反応し、後ろに飛び退った。
ゼドは、ゆっくりと立ち上がる。
聖剣クラウ・ソラスが、傾き始めた太陽の光を浴びてきらりと輝く。
高揚感が、体を駆け巡る。体中の血が沸騰するような、そんな感覚に、思わず口元がゆるんだ。
くるりと剣を振って、荒れた呼吸を一旦整える。
聖剣は、使っていない時でも、いつも突然にこうやって現れる。
来るときと来ないときがあるから、多分聖剣も気分というものがあるんじゃないか、とゼドは思っている。
ただ、ゼドが負けたくないときには、聖剣は必ず来てくれた。聖剣は、それだけ信用に足る剣だった。
そうして来てくれたときには、どれだけ使っていなくても自分の剣は聖剣なんだと、そう思わされた。自分の能力を1.5倍にも引き延ばしてくれるような、そんな剣を使うときの快感といったら、とにかく半端ないのだ。
「……まだだ、まだ、やれる」
思わずそう聖剣に話しかければ、まるで呼応するように光った。
眼鏡を投げ捨てる。聖剣が現れてしまえば、もうこの黒い瞳を隠す必要はない。
青い世界から解放されて、ゼドは色鮮やかな世界に戻ってくる。
マキナと目線が絡む。
その表情に、わずかな違和感を感じる。しかしそれは一瞬で、彼は仕切り直しだというように、黙ったまま剣を構え直した。
ゼドも同じように無駄な動きなく、聖剣を正眼に構える。
お互いに、間合いを保ったまま見つめあう。
同時に地面を蹴る。聖剣と、マキナの剣がぶつかって、金属音が響いた。
だが、その途端。
ゼドは、――ザク・ツキシマは、その違和感の正体を、理解した。
◇
『ザク、立て』
目の前に、真っ黒な刃が突きつけられた。何度も負けるのが嫌すぎて悔しくて、目から涙が出る。
泣きながら、ザクは剣を手放さなかった。
『……』
『負けて悔しいなら、剣を振れ。諦めたら、そこで終わりだ。諦めるなら、もうお前に剣は教えない。お前はただ指をくわえて、何もできない無力感を噛みしめていればいい』
『……やだ』
『だったら、ザク。立て。俺を倒したいなら、剣を振れ』
ひゅん、と黒い刃が視界から消える。
身体中が、痛かった。
剣を握る手に、たくさんのマメができて潰れて痛い。包帯を巻いていても、痛みはなかなか和らぐことはない。その痛みから気を紛らわすために、右手の甲を少し撫でる。
――立たなくては。立ち上がらなくては。
地面に肘をつき、膝をつき、手をつき、身体を起こす。
黒い刃を構えた男が、一切の隙なくただ立っていた。
『……ッ!』
そのまま地面を蹴り、剣を振り切った。
かん、っと黒い刃と自分の持つ剣の銀色の刃がぶつかった。
そのまま黒い刃に押し切られ、ザクは身体ごと後ろにひっくり返る。
足が地面についたのと同時にもう一度剣を横薙ぎすれば、また黒い刃に防がれる。
かちかちかち、と刃と刃がぶつかる音。
瞬間、するりと黒い刃から力が抜け、ザクはそのまますっころんだ。
『うわ!』
耳元でざっと黒い刃が地面に刺さる音。ザクは目線だけを背後に向け、余裕で立ったままの男を睨む。
すると彼は、左の口角をくいっと上げた。圧倒的な力の差を、見せつけられた気分だ。
『……ひどい』
『これでお前は死んでいる』
ザクは、もう一度剣を振る。だが、呆気なくそれも受け止められた。
奇襲のつもりだったが、全く効かなかったようだ。
『甘い』
そのまま腹を蹴られて、ザクは地面に転がった。ごろりと背を地面につけて、青い透き通った空を見上げる。
太陽はもうすでに、西の山のてっぺんにかかり始めていた。
『……』
どうやったら、この男に勝てるだろうか。ザクの動きを全て捉える彼を、どうやって欺こうか。
男が黒い刃を腰の鞘にしまう音が耳に届いて、ザクは身体を起こす。
今日の訓練は、終わりらしい。
男はザクの横にしゃがむと、ザクの右手を持ち上げ、その手に握られていた剣を取って横に置く。
そうして、ザクの右手に巻かれていた包帯をくるくると解いて、もう一度丁寧に巻きなおす。
剣を振っているうちに、緩んできてしまっていたようだ。
『……ありがとう』
ほら、と無言で差し出された剣を受け取り、鞘にしまう。
そっと、包帯を巻きなおした右手の甲を撫でる。マメが治ったわけではないのに、包帯を巻いてもらっただけで、なんとなく痛みが減った気がした。
ふと声が聞こえて家の方を見れば、妹のユズを背中に背負った母親のレンが、野菜の入った籠を左腕で抱えて村の女性と話していた。
ご近所さんである。村の畑から、ちょうど帰ってきたところらしい。
男は立ち上がってレンのもとへ向かい、その籠を横からすっと取る。
『わ、リュウ。ありがとう』
男――リュウは肩をすくめて、それからご近所さんに少し頭を下げる。
『お疲れ様です』
『お疲れ様。今日は良いお野菜がたくさん採れたから、野菜スープがいいよ。レンちゃんに作り方教えようと思ったけど、リュウさんがいるから』
『私もちゃんと、作り方覚えますから!』
『リュウさんの料理の腕前に追いつくなんて無理だから、諦めなさい』
たしなめられて、レンはぷうっと少し拗ねる。それからご近所さんは、こちらにも笑いかける。
『ザクくん、またお父さんと稽古していたのね。偉い偉い』
レンも、偉いねというように、ザクの頭を撫でてくれる。
『じゃあ、今日もお疲れ様。レンちゃん、また明日ね』
『はい。また明日もよろしくお願いします』
手を振って曲がり角を曲がったところで、レンがリュウを見る。
『商人が来ているの? さっき、他の人から聞いたの』
リュウは、籠を持って家に入りながら答えた。
『ああ、昼くらいに来たらしい』
『珍しいね』
こんな辺境の村に、商人が来るなんて珍しい。ザクも、少し気になってくる。
その様子に気づいたのか、レンがちょっと覗いてみようか、と言い出した。
『……いいの?』
『いいよ。リュウも行こう』
『野菜の仕込みだけ、先にしたい』
そう言いながら、リュウは手際よく籠の野菜を選り分けはじめる。
彼は、料理が上手い。昔、長く一人旅をしていたようで、身の回りのことは一通りこなせるのだ。
リュウはあまり自分の話はしたがらなかったが、レンがそんなことを言っていた。
仕込みだけ簡単に済ませ、家族そろって村長の家に向かえば、村人がたくさん集まっていた。
村長がこちらに気づいて、リュウとレンに挨拶をする。
リュウが抱っこするユズは、興味深そうに村長の顔に手を伸ばしていた。
ザクは人と人の間から、置かれている商品を見る。
ブレスレットやネックレスなどの装飾品や、他にも綺麗な食器類や衣類が並んでいる。
――剣はないのかあ。
『ザク、何か気になるものはある?』
少しして背後から腰をかがめたレンに話しかけられ、ザクは素直に首を横に振る。
『……剣が、ない』
『ふふ、リュウみたいなこと言うね』
レンはころころと楽し気に笑う。
それから、おい、とリュウの声がすぐに聞こえて、レンとザクは振り返る。
『どうしたの?』
『帰るぞ』
ザクはリュウを見て、それからレンを見る。なぜかぴりっとした空気が、2人の視線に含まれていた。
毎日一緒にいるザクがようやくわかるくらいの、ほんのわずかなものだ。
リュウは、こちらに背を向けてさっさと歩き出す。レンは仕方ないなあ、というようにザクに微笑んで、行こっか、とザクの肩を抱いた。
ザクも素直にそれに従って、帰路についた。
家に帰ってから、夕食を作って食事を済ませた。
ザクは剣の手入れをしてから、妹のユズと並んで寝室で横になった。おやすみ、とリュウとレンと言い交わしたはずが、なんとなく眠れずに、ごろごろと寝返りを打つ。
ぼんやりと、妹のユズの横顔を見る。
髪の毛はふわふわ生えているが、レンとゼドとは違い、薄い色をしていた。
2年前に生まれたばかりなのに、おなかがすいたときとうんちしたとき以外は泣かない、大人しくて賢い赤ん坊だった。今もすうすうと寝息を立てている。
ゼドは妹というものは、かわいいものだと感じていた。あまり発語はないが、人差し指を出せばきゅっと握ってこられると、どこか暖かな気持ちになった。
『……そういえば、お昼の商人、なにかあったの』
レンの母国語が聞こえたのは、夜も深くなったころか。
寝室の少し開いたドア越しに、居間で両親が会話をしているのは聞こえてきていたが、ずっとアオイ語で話していたのだ。小さい頃は母国語での会話が多かったが、最近は2人で話すときも、ほとんどアオイ語だった。
――なんで突然、話す言葉を変えたんだろう。
逆に気になって、耳をすます。
レンの母国語はゆっくりであれば多少はわかるが、普通の会話のスピードとなると全部聞き取るのは難しい。
『あの商人、嫌な感じだった』
『どうして?』
『なんだろう。……わからないけれど、目をつけられたくない』
『そうなんだ。確かに村長も、あまり気に入ってる感じではなかったもんね』
『ああ。それに、一緒にいた◾️◾️、たぶん、普通じゃない』
『◾️◾️がいたの?』
知らない単語が出てきて、ザクはより集中して会話を聞く。
『全然気づかなかった。どこにいた?』
『屋根の上だ』
『ええ、そんな場所にいたの?』
『普通じゃないだろ?』
『……。昔、リュウも、屋根の上から降りてきたことがあるよね』
『レンはあのとき、"倒せばいいじゃん"と言っていた。それよりは、よほどましだと思うが』
『え? そうだっけ?』
ふっとリュウが笑う声が聞こえる。続くレンの笑い声も、楽し気だ。
『そういえば、ザクって貴方にそっくりよね』
『そうか?』
『うん。剣にしか興味ないの』
『俺は、それがいいのか悪いのか、正直わからねえが』
『ザクが好きなら、いいんじゃないかな。私から見ると、ザクはリュウと剣を交えている時が、一番楽しそうに見えるよ』
『レンがそう言うなら、いいんだろう。俺は父親がどういうものかわからないから、こういう風にしか接することはできない』
『大丈夫。リュウはちゃんと、お父さんしているよ』
『……』
『あ、照れてる!』
ころころと小さな笑い声が聞こえる。
こういう話をしているのか、とザクはなんだか新しい発見をした気分だった。
リュウとレンは仲がいい、とザクは子ども心なりに思っていたが、レンの母国語だと、2人は口数が増える。会話のテンポが、アオイ語のときの1.5倍くらいだ。
そのまま布を被りなおして、天井を見つめる。
2人の間に入るつもりは、なかった。2人の声を聞いているだけで、安心して眠れそうな気がした。
だがしかし、急に、天井が暗転した。
全てが一瞬の事だった。
ドアの隙間から漏れる居間の光が消えたんだ、と気づいたときには、もう遅かった。
『きゃああああああああ!』
レンの悲鳴に、ザクは跳ね起きる。
そのまま、寝室のドアを開く。暗闇の中、目が慣れずに何も見えない。
が、何かが動いた。それは、わずかな星明りを反射した、刃だった。
どさり、と何かが落ちる音。
――え?
『ク、ソ……!』
ひどく苦し気な声が聞こえる。
『リュウ! 待って、リュウ、リュウ!』
レンの声。何かが一瞬で、レンのほうに向かう。
机が裂ける音。
コップの割れる音。
何かが倒れる音。
見れば、人間の形をした見知らぬ何かが、床にばたりと倒れていた。その左足首には、リュウがへばりついている。
人間の形をしたそれが、右足でリュウの顔面を蹴りつける。リュウは、足首を離さない。
手慣れたように、次は、リュウの左肩あたりを狙って踵を落とす。
『……ッ!』
リュウの力が弱まった機を逃さずに、人間の形をしたそれは、リュウの拘束を逃れて体を起こす。
そして流れるように、リュウに向かって腕を振りかぶる。
きらり、刃が光った。
やられる、と思った。
リュウは剣を持っていない。家の中にいたのだ。当然である。
もちろん、ザクだって。
リュウが殺されると、そう思った。
『……!!!』
無意識のうちに、身体が動いていた。
そして、刃を殴るように、右手を振り切っていた。
がきん、と金属と金属のぶつかる音が響いて、小さな火花が散った。
白い髪が、白い光を反射する。
グレーの瞳と、目が合う。
ザクはそのまま押し返し、もう一度右手を振る。白い光が、空間を切り裂いた。
先ほどまでの動きが嘘のように、目の前の何かは、速やかにその身を引いた。
ザクは、倒れこむリュウと彼に駆け寄るレンを守るために、その前に立つ。
なぜか手元に馴染む、白い剣を構える。
『くるな!』
剣を振る。
何かが、一歩下がる。
もう一度剣を振る。
何かが、もう一歩下がる。
すごく、長い間だったようにも感じる。
”それ”は、突然、言葉を発した。
『……なぜ、私は』
瞬間、その影は消えた。
物音を聞きつけたのか、すぐに村人が助けに来てくれたらしい。
小さな蝋燭の光の中で、必死でリュウの止血をしてくれている。レンは、リュウの心臓にただ手を寄せていた。手が真っ赤に染まっていた。
ザクは、ただ少し遠くに立って様子を見ていた。真っ白な剣を、握りしめて。
ザク、と村の人たちがこちらを振り向いて呼び、リュウの周りから捌ける。
リュウは、身体を起こした。レンがその背中を支える。
左胸からは、血が流れていた。的確に、心臓を一突きされていたようだ。
来い、と手招きされる。リュウの前に座り、白い剣は自分と彼の間に置いた。リュウは小さく、息を吐くように呟いた。
『クラウ・ソラス……』
聖剣の名前である。
ゆらり、剣が優しい光を揺らめかせる。まるで慰めているか、泣いているかのようだ、とザクは感じる。
リュウは真っ白な顔をしており、蹴られた右目は潰れていたが、左目には強い光があった。
とてもゆっくりと、その手が伸びてくる。ザクは右手を出して、その手を握る。ぎゅ、と骨が折れそうな程の力で握られる。
最期の言葉だと、ザクは理解した。
『ザク。強くなれ。ちゃんと生きろ』
『はい』
リュウの目をしっかりと見て、ザクは頷く。手が離れていく。
ザクはそっと、右手を守るように左手で撫でる。いま感じた暖かみを、決して忘れたくなかった。
リュウはそのまま、レンを振り返る。レンの大きな目からは、涙があふれていた。
リュウがふっと口角を上げて、それを拭う。
『レン。ありがとう』
『リュウ』
――リュウの瞳から、光が消えた。
村の人がすすり泣く声が、少しずつ部屋を満たしていく。
ザクは白く輝く剣を――聖剣を持って立ち上がり、そのまま外へ出た。
『……ッ!』
しばらく歩き、村の外にある木に聖剣を振りかぶる。切れ味良く、切れ込みが入る。
ザクは、苦しかった。失ってから気づいたのだ。
ザクは、リュウを心底敬愛していた。
『……!』
ざっざっざ、と聖剣を振る。
初めて振ったのに、まるでしっくりと手になじんで、もう数十年も振っているかのようなそんな錯覚を覚える。
しばらく力任せに振って、ふと目の前にあった岩に向けて聖剣を振り下ろす。すっぱりと割れて、ザクは少し驚いて、その断面を見る。見事に割れていた。
すごい切れ味らしい。少し拍子抜けして、気持ちが落ち着いてくる。
夜空を見上げる。今日は月はない、星だけだ。
『……父さん』
初めてザクは、父を父と呼んだ。
ぽっかりと、心に穴が開いた。瞳から、何かが流れ出た気がした。
◇
剣を押すまま、ゼドは勢いよくマキナから距離を取った。
ゼドは、マキナの顔をじっと眺める。
いつも見ている無表情だったのに、いま初めて、その姿をよく見た気がした。
短くさっぱりと切りそろえられた白い髪。
透き通ったグレーの瞳。
「……嘘、だろ」
――俺は、なぜこんな重要なことを忘れていたのだろうか。なぜ俺は、気づかなかったんだろうか。
聖剣を振って、それが受け止められて、たった一撃のその感触で、すべてを思い出した。
そうだ。
マキナの剣は、合わせる剣だ。
精鋭部隊に入隊してから、今この瞬間まで、ゼドは聖剣を一度も使っていなかった。
剣の振り方が聖剣の時とは異なるから、だからマキナの受け止め方も違くて、それで気づかなかったのだ。
「……マキナ、お前――俺の父さんを――」
かろうじて言葉を紡ぐ。
マキナは少し黙って、それから頷いた。
いろいろな言葉が浮かぶのに、それが繋がらない。頭が真っ白になるとは、こういうことらしい。
いつも通り、右手の甲を左手で撫でる。
誰よりも厳しかったが、ここに包帯を巻いてくれるのは、いつも父だったのだ。
心臓を失いかけても大切な人を守ろうとしていた父の姿が、脳裏に思い返される。
「……なぜ、母さんを、狙った」
言葉を絞りだす。マキナは、淡々と答える。
「当時私は、レモン家の護衛でした。レモン家頭首の依頼で」
「……なぜ母が」
「黒髪黒目の女性は、珍しい。レモン家の頭首は、珍しいものを集めるのが好きだったのです」
「……」
腹の中の感情が暴れはじめる。
これを暴れさせては、駄目だ。だから、右手を握る左手に、力を込める。
身体中から理性をかき集めて、ようやくかろうじて、ゼドはここに立つことができていた。
「……いつから、俺のことに気づいていた」
「初めて、同期として紹介された時から」
「なぜ、言わなかった」
「聞かれなかった、のも、ありますが……」
しばらくマキナは黙る。
「なんだ」
「……ゼド、貴方と剣を交えるのは、楽しかった、のだと思います。――身勝手な、理由だと思います」
地面を蹴った。
激しく金属音が鳴った。
聖剣は軽くて振りやすい。
普段使っている剣とは、取れる戦略が変わってくる。スピードがでやすいので、フェイントをかけたり細かい技の繰り出しをすることが、容易になる。
ゼドの戦い方が変わったので、マキナとの試合は、一旦リセットされたようなものだ。
驚くほど、ゼドは冷静だった。
ゼドは、マキナに勝たなくてはならなかった。だからこそ、ゼドの脳はクリアだった。
向こうの剣を避け、こちらも剣を振る。軽くて小回りの利く聖剣であれば、ひとつとれる方法があった。
マキナの動きに、こちらが合わせるのだ。
身体への負担の少ない聖剣なら、できる限り体力を消耗せずに持久戦ができる。その中で、動きのほつれを見つけて、刺すのだ。
聖剣をくるり一回転させて振りかぶり、攻撃を誘う。
予想通り、マキナは空いた胴を狙ってくる。それに合わせて、剣を下げて受け取める。
突く。
振り下ろす。
横に薙ぐ。
マキナの動きを見ながら、剣の動きを合わせていく。
ものすごい集中力が必要だ。
マキナの動きは複雑で、しかも緩急をつけた攻撃を仕掛けてくる。予測に予測を重ね、正しい受け身を取り続けるためには、脳をフル回転させなくてはならない。
かんかんかん、と攻撃を捌きながら、隙を伺う。
が、ふっとマキナが剣を左下に構える。攻撃のリズムが変わり、シンプルに素早い強打を投げつけてくる。
反射的に、こちらも強く跳ね返した。
ざっと、距離がまた出来る。息を吐いて、軽く腰を落とし白い聖剣を構える。
マキナも無造作に、今度は脇に剣を構える。全く隙が見えない。
あのときの白い影、そのままだ。
なぜ忘れていたのか、不思議なくらいである。
じっとそのグレーの瞳を見る。
「……ねえ」
ほとんど無意識的に、呼びかける。
「はい」
「……マキナって、なんで剣を振っているの」
外野の音は、なにも耳に入らない。マキナの言葉だけを待つ。
「私は」
「……」
「……いえ、私にとっては。……剣を振ることが当たり前なのです」
淡々と、何を考えているのかわからない表情のまま、マキナは言葉を紡ぐ。
「ゼドさんは、なぜそれを私に聞くのですか」
この男は、人々に求められるがままに、ただ剣を振っている。
ただこの男は、誰かに求められる声にその強さで以て応える。それだけだ。
――やっぱり、彼は英雄だ。
少なくとも、英雄たる聖剣使いに意志は不要である。個人的な理由で誰のために剣を振るのかを選ぶことも、個人的な理由でその良し悪しを判断することも、不要である。
求められる声に、応える。英雄とはそういうものであって、それ以上でもそれ以下でもない。
マキナの表情はぴくりとも動かない、無だ。息を整える。重心を動かす。
「……俺にとっては」
「……」
「俺にとっては、重要だからだ!!! ふざけんな!!!」
自分が剣を振るのは、失わないためだ。だから、強くなりたいのだ。
――俺に、大切な人を、守らせてくれ。
――こんな、英雄みたいな奴に殺させないでくれ。
剣を突き出す。攻撃に転じる。
マキナはしっかり反応した。剣と剣がぴったりとちょうどよいところでぶつかって、衝撃が上手く吸収された。一瞬力を抜いて、振り切って、また剣がぶつかる。
刃を返して、突きに持ち込む。
マキナは無駄ない動きでそれをかわす。そこに剣を振り入れようとして、金属音が響く。
気持ちよいほどに正確に受け止められ、流される、聖剣。
外界との接点が、研ぎ澄まされていく。
不要な情報は全て削ぎ落され、ゼドの世界のエッジが研がれていく。
マキナの予備動作、剣の動き、全てがゼドの目と耳と皮膚を通して伝達される。
お互いの動きが、呼応する。
限界は、とっくに来ていた。体力も、脳みそも、たぶん限界を超えていた。でも、そんなことは全然感じない。
マキナは無表情だ。でも、ゼドは、剣でわかる。
彼も、ぎりぎりの紙一重だ。
苦しい。
苦しい。苦しい。
白色の剣と鋼色の剣が交わる。軌道が見える。
剣と身体とが一体となり、ゼドとマキナの動きも連動する。
お互いの限界を超え最大値を発揮して剣をぶつけることは、とても苦しい。どちらも苦しいのだ。
それでも。
――絶対に勝つ。
ゼドは、ただそれだけを考えていた。
大抵、チャンスというのは流れに乗じて唐突に訪れるものだ。
剣と剣がぶつかって、スライドして足が振られたその僅かな瞬間に、ゼドには筋が見えた。
それに従って、すっと剣を差し込む。マキナがそれを避け、こちらにわずか背を向ける。
剣を引いて、首に向けて背中側から振った。
「……!」
ただただ振った。確実だった。確実に、これはゼドのものだった。
なのに。
ぐっと聖剣が重くなった。聖剣が瞬く。
「……っ!」
音のない驚きの声が、口から出た。
素早い動きで、マキナが振り返る。澄んだグレーの瞳が、一瞬で近づいてくる。
耳元で、ざくっとひどく冷たく無情な音が鳴った。
剣が刺さる音。
背中が固い。
地面だ。
馬乗りになるマキナと、無言で見つめあう。無表情だが、彼も少し驚いているように見えた。
自分の呼吸音が、嫌に体中に響いていた。
「……」
しばらくしてマキナはゆっくり立ち上がり、地面から自身の剣を引き抜く。ゼドから視線を逸らし、じっとゼドがまだ握っている聖剣を見る。
ゼドも、起き上がる。聖剣を持ち上げても、もう何の違和感もない。これまで通りの軽さとフィット感。
――さっきのは、何だったんだ。
聖剣も、落ち着かない様子だ。周りから見ても聖剣に何も変化はないが、ゼドにはわかった。
「……勝負、あり!」
ティムの声が響く。
「優勝は、西側、マキナ!!!」
周囲の歓声は、ゼドの耳には全く届かなかった。
【いくつかキーワード振り返り】
レンの母語:
ゼド(ザク・ツキシマ)の母レンは、アオイ語とは異なる、不思議な言語を母語としています。
(4-1ディープブラック参照)
【本文で触れられていない補足】
アオイ語、アカイ語、キイロ語、ミドリ語は、違う言語だけれど同じ語族です。光ノ帝国が分割されて生まれた国たちなので。
レンの母語は別の語族になり、かなり違います。つまり、レンの母国は……。
なお、トットは、アオイ語、アカイ語、そしてキイロ語を話していました。
(2-4カナリーイエロー参照)




