22限目 西園寺さんとストップオーバー
「それじゃあ出発して頂戴、セバスチャン。」
西園寺さんの号令で、運転手のセバスチャンがアクセルを踏み、マイバッハは前進を始めた。さすが高級車、なんという安らかな乗り心地だろう。このまま眠ろうと思えば眠れるのだが、よだれでも垂らしてみろ、末代まで祟られるぞ。あ、そもそも僕が末代か。
ってそんな悲しい自虐をしている場合ではない。いま僕が抱くべき思考は、もっと他にもある。例えば、
「あの西園寺さん、これってどこに向かっているんですか?」
いたって単純な疑問だ。行き先も伝えられずに車に乗り込むなど警戒心の欠片もないと怒られそうだが、なかなかの権力者および命の恩人に「乗れ」と言われたら乗らざるを得ないということはご理解願いたい。
「どこって庶民久遠、あなたの学校に決まっておりますわ。」
「あ、これってあれですか、送迎してくれているんですか?」
「勘違いなさらないように、わたくしはあくまで命令するためにあなたを車に乗せたのです。送迎はあくまでついで。そもそもわたくしは用事がありますので。ゆえ、高貴なるわたくしからの粋な計らいと受け取って心から感謝なさい。」
ツンデレみたいな発言にも聞こえるけれど、西園寺さんに限ってそれはないと思った。そして次に、いまいち把握しきれていない『命令』について尋ねることにした。
「ところで、その命令というのは・・・?」
「そうね、それがメインでしたわね。ではあなたに命令いたします。あの憎き生意気な庶民の弱点を見つけてきなさい!」
命令されるということで、靴を舐めろとか、アサシンを排除しろとか浮き世離れしたことを強いられるのかと思ったが、全然違った。なんと弱点を暴いてくるだけの簡単なお仕事だった。なぁんだよかったよかった。てか、憎き生意気な庶民って・・・
「あ、安藤さんの弱点を見つければいいんですか。」
「あの庶民、安藤という名なのね。そう、その下級庶民安藤の弱点を見つけてくるのです!」
なんとなく合点がいった。僕が安藤さんの隣に座っていた生徒であると知った西園寺さんは、偶然助けた僕を駒として扱い、過去の恨みを果たすために弱点を見つけるよう命令してきたのだろう。非常に分かりやすい道理だが、その達成目標は途方もなく困難だ。
なにしろあの安藤さんだ。あの安藤さんに弱点などあるわけがない。シャトルラン300回だぞ、握力測定器クラッシュするんだぞ。たとえ弱点があっても、その脅威の身体ステータスをもって余裕で補えるほどだろう。
「どうしました庶民久遠。悩んだような顔をなさって。」
「いえ、ちょっと難しいと思いまして・・・。」
「ふむ。たしかにお友達の弱みを密告するというのは友情にヒビを入れうる行為であるがゆえ、思い悩むのは理解いたしますわ。」
いえ、そんなこと一切考えておりません。思い悩むも何もあの人の弱点が見当たらないのです。ちょっと考えの相違が起こっているな。ア〇ジャッシュかな。
「しかし、わたくし西園寺 夏澄の前においては、そんなもの関係ありません。友情だろうが努力だろうが勝利だろうが、わたくしの前には塵芥に等しい。これは命令です、あなたの意思など関係ないのです。」
西園寺さんが威圧的に言う。僕は少し顔を歪ませた。お腹が痛いとか、ジャイアンに殴られたとかそういうわけじゃない。その理由は、僕の中に生まれた不快さが表情に出てしまったことにある。
「な、なんですのその顔は。なにか不服でして?」
不服か。たしかに今の僕の気持ちを一言で表わすと、不服の2文字がもっとも相応しいように思える。その通り、僕の心は不服を申し立てている。
「僕らの友情なんて、あなたの前には無価値だとおっしゃるんですか。」
「へ・・・そ、そうよ。そう言っているのですわ。」
「ふ~ん・・・」
話のすれ違いとはいえ、彼女の発言にヘラヘラ笑って受け流せるほど、僕はお人好しじゃなかった。友情も努力も(ついでに勝利も)彼女の前では関係ない。それはつまり自分の欲求を満たすためならば、たとえ僕と安藤さんの関係が壊れてしまっても構わないと言っているのと同意義だ。それを黙って見過ごすなんて、男じゃない。
「・・・たしかにアンタは金持ちなんだろう。父親もホテルグループの経営者で強い権力を有している。でもだから何だ。」
「あ、あなた、誰に向かって口をきいて・・・」
「うるさいッッ!!!」
「っ!」
しだいに僕は、礼儀もへったくれもなく西園寺さんに叫んだ。だがそんなこと知ったことではない。これ以上彼女に見下されてたまるかよ。僕も、安藤さんも。
傲慢で自分本位な彼女の発言を撤回してほしいとか、謝ってほしいとかそんなことは思ってない。僕はもう彼女に関わりたくないのだ。ただそれだけでいい。
「セバスチャンさん、車を停めてください。ここで降ります。」
「お待ちなさい、話はまだ終わって・・・!」
「停めろ!!!」
僕は再び叫ぶ。それに威圧された西園寺さんは、それ以上なにも言わずに萎縮する。セバスチャンも僕の叫びに応じてゆっくりと車を停車させた。自分の荷物を持ち、僕はマイバッハを降りた。
「っ庶民久遠・・・、覚えておきなさい。こんな無礼・・・あなたもあの下級庶民安藤と同じように後悔させてやりますわ・・・。」
安藤さんに続いて僕にも無礼を働かれた西園寺さんは、恨めしそうな顔でその怒りを静かに絞り出した。そんな彼女を見て、僕は車外から言い放った。
「無礼を働き申し訳ありません。せいぜい庶民を見下して楽しんでください。」
僕は勢いよくドアを閉めた。そしてマイバッハに背を向けて歩いて行った。どこか清々しい気分だった。
角を曲がり、背後にマイバッハがいないことを確認すると、僕は膝から崩れ落ちた。
「こ、怖かったァ・・・」
ここで僕は正気に戻る。恐れ多くも権力者に口答えをした挙句、煽りの発言をしたのだ。その場のノリと雰囲気でやってしまった。まったく、わざわざ敵を増やすなんて、これじゃあまるで安藤さんと同じじゃないか。まぁ別に構わないんだけれども。
足の震えを抑えようとしても、緊張から解放された安堵でなかなか戻ってくれない。結局この日、僕は1時間目に遅刻した。




