首跳ねの歓迎会2
アズトが囚われの身となったのは、あの焚き火の問答から七日を経てからである。
妖が支配している土地のひとつ。人間にとっては禁足地のひとつ。アズト達は予定通り、妖の中でも特に妖狐それにまつわる妖達が多く棲まうという[葉明岐尾千]へと踏み入ろうとしていた。
葉明岐尾千は夕凪の生まれ故郷だと聞いている。つまり、目指してきた終着点。
近づくに連れて周囲に漂う妖気が濃くなっていくのが手に取るようにわかる。
今進んでいる暗く茂った森の囁きにも似た木々のざわめきがほんの少しだけ喧しく感じられる。
道中、その地に暮らす妖の点々とした気配を感じることはあったけれども、警戒していた夕凪の暗殺を目論むやつには出くわしていない。
だけど用心に越したことはない。襲撃に注意を払いながら進む。
「…近づいて来る、妖だ」
相手から死角になる木影の合間からアズトは指をさした。
鬱蒼とした暗い森の中でぼうっと白い色が1つ。人魂のように、ゆらりと浮かび上がっている。
それは本物の人魂などではなくて灯りが点っていない白い提灯だった。
その提灯を妖狐が持って歩いてる。人の姿には化けておらず狐姿のまま二足歩行で歩いている。尾の数は一尾。
体の大きさは夕凪よりかなり小さい子柄な体をしている。
これの他に何かが潜んでいる気配は感じない。
あの妖狐は敵なのだろうか。だが、それにしては行動がそれらしくない。
例え敵でなくとも警戒するに越したことはない。怪しい行動をみせれば即座に先手を打とう。
アズトの思考が伝わったのか白築がアズトを制するように前へと立ち塞がった。
「警戒しなくてもいい。あの野狐は俺が手配した従僕だ。俺が出る。お前と…兄上はそこで待機していてください」
「白築、お願いします。アズト様、私もあの者が弟に仕えているのを知っています。今は弟に任せましょう」
「問題がなければ片手をあげて合図を出す」
「あった場合は」
「故郷には戻らず遠方の地にて兄上を匿う」
白築はアズト達にそう言い残して従僕の方へと合流しにいった。
野狐は白築を認識すると、一つ尾をピンっと立ち上げてそそくさと早足で駆け寄った。
「若様お待ちしておりました!」
「手筈は整っているのか」
「はい、射野さまから若様が旅立つ前に手配されていたご指示は全うしているとのこと。報告を記した封書を預かっております。ささ、どうぞ、ご確認を」
野狐の従僕は提灯を持っていない方の手を自らの尻尾に突っ込みゴソゴソと何やら分厚い一通の封を取り出して白築へと手渡した。
尻尾に収納している。妖狐の尻尾ってそんな使い道があったのか。てっきり妖力の貯蔵の役割と力を象徴を意味するものだけかと思っていた。
「そうか、ご苦労」
白築は従僕が手渡された封書の封を持つとその封書ごと狐火で包み込んで燃やした。
「あれには妖術による封が施されております。指定された受け取り手がああやって自らの妖力を用いて解除する必要があるのです。ほら、見てのとおり封書は無事でしょう」
説明どおり白築の手元にある封書は、狐火が収束しても焦げめひとつ見当たらない。
自らの爪を鋭く尖らせて封書に切り目を開け中から取り出した書状に白築は素早く目を通している。
一通り目を通し終わった白築が片手をスっとあげて合図をこちらへと送ってきた。夕凪と共に野狐の前へと立つ。
「おぉ、これはこれは若様の兄君さま!生きていらっしゃったのでございますね!」
夕凪の姿を目にした野狐は飛び上がり尾をぶわっと元の太さの2倍近く膨らませて驚きを表していた。
「見てのままだ。生きている」
「我ら皆、兄君さまの生死につきましては一様に心配されておりました。ええ、ええ。こうしてご無事な姿をみれば安心いたしましょう!…ところでいつの間にか隣にいる、その人間はいったい」
隣りに立つアズトの存在に気づくと夕凪の前でしていた仰々しい態度を一変させる。目を細めてアズトの頭の上から足の爪先下まで見て、ジロジロと値踏みが入り混じった視線でアズトを見ている。
「慎め、私はこの御方に命を救われた。無礼は許さぬ」
「やや、そうでしたか!これは失礼。良くぞ人間、かように幼げな子が妖を助けましたな。さぞ恐ろしかったのでは」
「別に恐くはない。助けたのはただの成り行き。それに、こちらの事情もあった」
「妖を恐れた様子をひとっつも見せやしない!なんとまぁ肝が据わった子だこと!」
「……」
お喋りな個体だな。
褒める言葉とは対照的に目を細め牙を覗かせた口で、しかしと続ける。
「しかし麗しい容姿は大変好ましいですが、ちょっと面白みがなくて残念ですねぇ。人間は我らを怖れ喰われてこそ、なんぼでしょうに」
「…お前、敢えてこの御方を貶める言葉を」
「あぁあ、どうかお許しを!つい、口が滑ってしまいました」
自らの口を手で塞ぎ込み、おろおろと慌てた振りをして誤魔化している。それを夕凪が声を低くして睨みつけている。
やがて威圧に耐えきれなくなったのか、少しの間を置いてから頭を低く落として謝罪の言葉を口にした。
「ボクは気にしていない」
「ですが」
「気にしていない。だから、それやめろ」
夕凪はアズト様がそう仰るならばと引き下がったが、顔には不満の色が浮かんでいる。
野狐の従僕はその様子をみて安堵よりも嘲りを帯びた息をふっと吐いている。あれはアズトを普通の人間だと思っている。
全ての、までとは言わないが妖は弱肉強食の傾向が強い。
だから妖である夕凪が唯の人間相手にかしこまった態度で接しているのが可笑しく思えたのだろう。
「ここまで一緒に来たのは君を無事に送り届ける為だ。それが終わればその子狐ともお別れだ。二度とあわないかもしれない」
「こ、子狐」
「違うの」
「子狐、違いますぅ」
子狐と言われた野狐の従僕は抗議の声を上げたが先程、睨まれた手前である。その声は控えめだった。
「兄上、そろそろ参りましょう。そやつには俺からも後で処罰を下しておきます」
「ひぃっ」
「しなくていいよ。アズトは気にしてなんていない」
「そうもいかん。お前は我が兄上の命を救った。すなわち俺にとってもお前は恩人足り得るのだ。それに兄上の身を案じて長い旅路にも同行してくれた。無下にはできん」
「白築、是非ともしっかりとそのお調子者を教育してください」
白築の言葉を受けて野狐の従僕は夕凪に睨まれたときよりも更にしょぼくれていた。
一つ尾もくったりと垂れ下がってしまっている。その尻尾を少し持ち上げて摘んだ。すると手の中で勢い良く毛がブルブルと震えながら逆立っていた。
「ややっいきなり、何をなさいますかぁ!?私のもっふもっふ、ふっさふっさの自慢の尻尾になんて酷い!」
「そんなに力込めてないよ」
「結構痛かったのですがぁ。うぅっ無礼を働いた仕打ちとあらば甘んじて受け入れます」
「仕返しじゃなくて尾にどうやって荷物を隠しているか気になったから」
「罰とはいえ、どうかお加減を。毛を毟りとることだけはご勘弁願いますれば!私、毎日このもふもふ、ふさふさ具合!そして毛艶を維持するのに毛繕い頑張ってるのですよう」
聞いていない。震えてじっとしている。都合がいいのでそのまま指で長い毛並みを掻き分けて探ってみる。大きな筆を触っているみたいだ。
妖狐の力を象徴する存在だけあって少し多きめの力を感じる。もし、このまま尾を引き抜いたら妖力不足で死んでしまうだろうな。
「単純です。妖力で尾の内側に付着させているだけです。アズト様、妖狐の尾を知りたいのであれば、私の尾をお触りくださいませ。どうぞ、心ゆくまでお好きなだけ。喜んで私の尾を貴方様に委ねます。…ですので、今すぐに、その手の中にあるモノは離してくださいませんか」
「急にどうした」
横から伸びた夕凪の手が一尾を探っているアズトの手を中断させるように上から被せられていた。
あまりにも不機嫌なので望まれた通りに手の中にあった尾は解放した。
尾の代わりに夕凪の手がするっと滑り込み、その手を握らされる。ついでに五つの尾も押し付けてきた。軽く圧迫感がある。
「お前、伊野の報告を届けると同時に迎えの役割も担っているだろう」
野狐の従僕の耳元で低く囁かれた声には強い怒りが込められている。
「はっ!左様でございますれば!」
電撃でも喰らったのかと思ってしまうほど、大きく身体を震えあがらせて腹からしぼりだすように声をだして返事をしている。
「疾く、務めを果たすがいい」
「かしこまりましたぁあ!ささ、皆様。こちらでございます!この私、藺草がご案内いたしますゆえ!」
野狐の従僕元い藺草は大慌てで白い提灯をかざして先導に躍りでた。その後を夕凪と並んで歩く。
「アズト様の浮気者」
「だから、急にどうした。浮気ってなんだ」
「私というものがありながら、他の妖狐の尾を弄るだなんて。節操なしと見做されてしまいますよ。目の前であれを繰り広げられた私の気持ちがわかりますか?」
「アズトが分かるわけないだろ」
なに、謎の対抗意識を燃やしているんだ。
なにかあれば即座に動ける体制を取っておきたい。繋がれたままになっていた手を軽く振って、解いた。
「全く、ひどいかた」
解かれた手をみて夕凪は苦笑を浮かべていた。
「…若様」
「なんだ」
藺草は冷や汗をかきながら、後ろに悟られないように傍にやって来ては小声でそっと白築へと訊ねた。
「あのアズトという、人間の御仁は、いったいどこまで同伴されるのでしょう」
「葉明岐尾千の境までだ」
「承知しました。それから、失礼ながら若様の兄上さまは、その…あの様な性格でいらっしゃったのでしょうか。私共はあまり関わりがございませんでしたから…」
「……」
「若様?」
白築は何処か遠い目をしていた。
「……どうなのだろうな」
一泊の間をおいて、ぽつりと。静かにその呟きだけが従僕の元へと返ってきた。
もうすぐ、森の中心部へと辿り着く。そこに葉明岐尾千へと続く境目がある。
怪しく恐ろしき妖たちが統べる地。書物や言い伝えによれば人の世とは異なる法則で維持され、それ故に人の手が及ばぬ地であるとされている。