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クッキーフレンド  作者: 加護景
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クッキーにも処方箋を

 平日の朝だからだろうか。病院はやけに空いている。うとうとと眠りかけているお婆さんや構ってほしいのか看護師にちょくちょく話を振ろうとするお爺さんなど、平和そのものだ。しかし、そののんびりとした光景が僕を苛立たせる。僕はこんなところでゆっくりしている場合ではないのだ。


 誰に聞けば三枝さんの情報が手に入るのだろうか。妙案はない。じっとりとした汗が僕の頬を伝う。その嫌な感触が余計に焦りを感じさせる。考えても仕方がない。とにかく、誰かに聞かなければ。


「あの」


「診察券はお持ちですか」


 声をかけると、カウンター越しから定型文が返ってくる。


「いえ、診察ではないんですけど」


「……では、どういったご用件でしょうか」


 作ったような笑顔で答える。心の中では面倒くさいと思われているのだろうか。


「三枝さんってご存知ですか」


「どなたでしょうか」


「ここで薬を受け取っていたはずなんですが」


「残念ながら、存じ上げません」


 そう言って眉を顰める。


「誰か知っているを知りませんか。彼女は今大変なんです」


「そう言われましても」


「診察を受けてんなら診察医がいるんじゃねえか。その人を呼んでもらえないねえかな」


 遠野が口を挟む。助け舟を出しているつもりなのだろう。


「あのですね。そういったことは当病院では対応しておりません。三枝さんという人のことを知りたいのなら、他の所を当たって下さい。こちらも暇ではないんです」


「見た感じスカスカで暇そうじゃねえか」


「他のお客様の迷惑になりますので、用が済んだのであれば早くお帰り下さい」


 ふと、後ろを見るとお爺さんが嫌そうな目をしながら立っている。これ以上粘っても何も得るものはないだろう。焦る気持ちを抑えつつ、僕は遠野の裾を引き、この場から立ち去る。


「こっちが困ってるんだから教えてくれたっていいのに。あれか、最近話題の個人情報の保護っていうやつなのか。全く窮屈な世の中になったもんだぜ」


 遠野みたいに個人情報が垂れ流しにされているのもどうかとは思うが。


 とはいえ、このままでは三枝さんの手がかりを何も掴むことができない。このままでは、もう二度と、三枝さんに、会えなくなってしまう。何とか、何とかしないと。


 でも、一体どうすればいいのだろうか。


「あのう」


 呼びかける声。パッと振り向くと、その声の方向には看護師が一人、ファイルを抱えて立っている。


「君たち、三枝さんのお友達……なのかな」


「そうだ」


 即答する遠野。遠野はそこまで三枝さんと交流なんてしてないと思うのだが。


「あなたは?」


 僕の質問にその看護師は嬉しそうに微笑む。


「三枝さんとはちょっと知り合いでね。あの子に薬を渡しているのは私なの。あの子ってちょっと変わってるから、受付じゃなくて私が直接渡すようにしているのよ。あっ、でもこれは内緒ね。バレると色々と怒られちゃうから」


 そう言ってそっと人差し指を唇に添える。


 なんて、なんて幸運なのだろうか。こんなにもあっさりと三枝さんに繋がるなんて。まだ、まだ間に合うかもしれない。まだ僕は三枝さんに会えるかもしれない。


「それで、三枝さんがどうかしたの? あの様子だとただ事じゃなさそうだけど」


「それは……」


 どこまで話してしまってよいのだろうか。記憶が持たない、なんて話してしまってよいことなのだろうか。そもそも、その話を信じて貰えるのだろうか……


「いやあ、どこ探しても見つかんなくて。行方不明って奴ですよ」


「あら、それは大変ね。でもそれって、どこか旅行に行っているだけなんじゃないの?」


「それが、下宿先も引き払っちゃってるみたいで。連絡も全然着かないんですよねえ。それで心配になっちゃって」


「確かに、それは心配ね」


 考えている内に話が進んでいく。これで良かったのかもしれない。きっと僕だけでは空回りして、不審がられていただけだっただろう。遠野を連れてきて本当によかった。この時だけは遠野に惜しみない感謝を捧げた。多分、一生分ぐらい捧げていると思う。だから、もうこれ以上遠野に感謝することはないだろう。こんな僕を許して欲しい。


「でもごめんね。君たちの力にはなれそうにないわ。実は、私も三枝さんと連絡が着かなくて困っているのよ」


 そう、なのか。すっと視界が暗くなる。これで三枝さんに辿り着く手がかりがなくなってしまった。やはり、そう都合のいいことなんて起こりはしないのだろう。ここが僕の限界。冴えない人生の終着点なのだろう。奇跡なんてこの世には存在しないのだ。


 僕の頭の中が白く塗り潰されていく。もうダメだ。頭が真っ白になって何も考えられなくなる。


 そんな僕をよそに、看護師は袋を一つ、僕達に見せるように取り出した。


「これなんだけどね。三枝さんの常備薬なの。本当は昨日渡す予定だったんだけど、連絡が着かなくってね。渡しそびれちゃったの」


「それって、何の薬なんですかね」


「うーん、言っていいのかなあ」


 勿体ぶるように話す看護師。うーん、うーんとひとしきり悩んだ後、決心がついたのかそっと口を開く。


「これはね、睡眠薬なの」


「睡眠薬?」


 意外な言葉に思わず声を上げてしまう。


「彼女、不眠症なの。なんでも、満足に眠れない日がよく続くって言っていたわ」


「へえ、そうは見えねえけどなあ」


 遠野の言葉に看護師はそっと首を振る。


「人には人の悩みがあるものなの。一見そうは見えなくても、彼女にだって、きっと悩んでいることがあるのよ。人には言えないような、ね」


 人は見かけによらない。誰にだって隠し事の一つや二つは抱えているはずなんだ。超然としている三枝さんだってそうなのだ。今の僕にはそれは痛いほど分かる。


 でも……どうして睡眠薬なのだろうか。今の僕にはその言葉が引っかかっている。何かが、おかしい。それでも、僕はその違和感の原因に気づくことができない。僕以外の人なら気づくことができたのではないのだろうか。僕にはそれが悔しくて堪らない。自分の能力のなさが憎くて堪らなかった。


「でも、あなたはそんな風には見えないわね。悩みも、嫌いなものもなんにもないって感じね。これまでたくさんの患者を見てきた私が言うのだから間違いないわ。例外中の例外、オンリーワン、ってやつね」


 暗い空気になることを嫌がったのか、看護師が遠野を茶化す。


「俺だって悩みぐらい持ってるぞ。嫌いなものもたくさんあるし。まず、勉強だろ。それからレポートに本……でも、一番嫌いなのはやっぱり成績証かな。大抵嫌なものを見るハメになるからな」


「お前は大学生だろ。勉強が嫌いでどうする」


「嫌いなものは仕方がないだろう。人には得手不得手っていうもんがあるんだよ」


「そんなんでよく入学できたな」


「忍耐力が違うんだよ。鬼畜なゲームを延々とすることで散々鍛えられたからな。人並みだと思ってもらっちゃあ困るぜ」


 胸を張る遠野。ゲームで自慢をされてもなあ。僕は思わず苦笑いを溢す。まあ、でも実際に入学はできているのだからあながち間違いではないのかもしれないけど。


 僕らのコントみたいなやり取りに看護師は、ふふっ、と小さく笑う。


「そうね。嫌いなものぐらいはあるわよね。ごめんなさいね」


 あっ、と看護師は何かを思い出したかのように声が出る。


「そういえば、三枝さんから嫌いなものを教えてもらったことがあったわ。好きなものと嫌いなもの、その違いは何でしょうかって話だったと思うけど」


 哲学的な質問だ。如何にも三枝さんらしい。


「何でも、好きなものっていうのは我を忘れて夢中になれるもののことらしいわ。それは確かにそうよね。私もラテアートをしている時はそのことしか考えられなくなっちゃうもの」


「俺もゲームやってる時はゲームの事しか考えないな」


 好きなものに没頭する。それはきっと幸福な時間だろう。三枝さんにも好きなものはあるのだろうか。


「それじゃあ、嫌いなものはっていうと、まあ、単純にやりたくないもののことよね。それでもしないといけないってなると、嫌だ、嫌だ―、って頭の中が埋め尽くされちゃう。それが嫌いなものだって言ってたわ」


「つい最近までは地獄にいたからよくわかるな……」


 遠野が呻くように呟く。期末テストで散々苦しめられた記憶がまだ抜けていないのだろう。まあ、勉強が嫌いな遠野らしいといえばらしい苦しみだが。


「でもね、その二つは根本的には同じらしいのよ。だってほら、好きなものも嫌いなものも、どっちもそれしか考えられなくなるでしょう。だから、三枝さんはその違いは何なのか私に問いかけてきたのよ」


 頭の中で一杯になる、という点では確かに同じ意味のように思える。嫌よ嫌よも好きのうち、というのもあながち間違いではないのかもしれない。使い方は違うけど。


「うーん、あんまり同じだとは考えたくないけどなあ」


「そうよねえ、私も感覚的には同じだって思えないから、その答えを一生懸命考えたわ」


「それでなんて答えたんですか」


 気になって僕が尋ねる。すると、ふふん、と自信ありげな表情で看護師が答える。


「そんなの簡単よ。幸福か不幸かに決まっているじゃない。好きなものを考えている時は幸せ、嫌いなものの時は不幸せ、たったそれだけのことなのよ」


 酷く単純な答えだが、それも一つの正解なのだと思う。幸か不幸か、好き嫌いはその関係とよく似ている。


「それでね、私もその時三枝さんに尋ねたのよ。三枝さんは好きなものはあるのってね。そうしたら三枝さん、好きなものはありませんが嫌いなものならあります、なんて言って私に教えてくれたのよ。ねえ、三枝さんの嫌いなものって一体何だと思う」


「人間、とかじゃねえのか」


 ブブー、と看護師が戯けた声を出す。


「残念不正解。いや、本当は正解かもしれないけど、三枝さんはそんなことは言ってなかったわね。正解はね……」


 ピン、と人差し指を突き出す。


「クッキーでした」


 は? 僕と遠野は二人して気の抜けた声を出していた。クッキーが嫌い? そんなことはあり得ないはずだ。


「クッキーが嫌いな女の子ってなかなか珍しいわよねえ。あっ、でも三枝さんならありえるかも、って気持ちにさせられるから不思議よねえ。彼女甘い性格じゃあなさそうだし」


「ちょっと待てよ。それは絶対におかしいぞ」


「えっ、どうして? 確かに女の子の中にクッキーが嫌いな人ってそんなにいない気がするけど」


「だって、俺達は三枝の提案でクッキー作りをしてたんだぞ。クッキーが嫌いならそんなふざけた提案するはずがないだろ」


「でも、本当に嫌いって言っていたのよ。世界で一番嫌いってね」


「いいや、それは絶対に有り得ない。何なら羽田の魂を賭けたっていいぜ」


 遠野の言うとおりだ。嫌いなものを自ら提案して、試食し続けるなんて、そんなのただの拷問じゃないか。クッキーが嫌いだなんて絶対に間違っているはずだ。


 遠野の意見に全面的に賛成だが、それでも、人の魂を勝手に賭けるのは止めて欲しい。


「うーん、そこまで言われると私も自信がなくなってきちゃうかも。もしかすると三枝さんに遊ばれてたのかも」


「そうそう、遊ばれてたんだよ。看護師と患者、所詮それだけの関係だぜ」


「そんな! 酷い! 私はこんなにも三枝さんのことを思っていたのに。あの時交わした会話は、情熱的な言葉は全部嘘だったって言うの?」


「お熱だったのはあんただけだったみたいだぜ。本当に残念だったなあ」


 ははは、と大げさに笑う遠野。僕には二人の茶番劇をただただ見守ることしかできなかった。


「でもそうねえ、三枝さんの行方が分からないとなると確かに心配ね」


 看護師は唐突に話を戻す。そうだ。脇道にそれてしまったが、問題はまるで解決していないのだ。


「ごめんなさいね。力になれなくて」


「いえ、こちらこそ、お話を聞かせていただいてありがとうございました」


「もし、三枝さんに会ったら伝えて欲しいの。薬はいつでも取りに来ても構わないから大丈夫だって」


「はい、それは……もう」


 急に元気がなくなるのを感じる。看護師の話は確かに興味深い内容だったが今欲しいのはそれではないのだ。


「――さん」


「あっ、はーい」


 看護師を呼ぶ声がする。


「ごめんね。仕事があるから、またね」


「いいってことよ。話面白かったぜ」


「そう、それはよかったわ」


 そういって看護師は僕らの元を離れていった。


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