大樹の塔(1)
【7】
「じゃあ――どうしよう?」
「はい。〈騎爵〉78の仰せのままに」
放課後から行方不明だったエトリだが、騒ぎを聞きつけたか、いつの間にか学園へ戻ってきていた。まだ家には帰ってはいなかったのか、未だ制服のままである。
「……」
その服装には乱れはなく、襟元も整っていた。漂ってくる香りにも不純の混じらない、いつもの澄んだまま。一片も男の存在を感じさせることもなく、何かしていたようには見えなかった。
――ああ、やっぱり。
そっちの進捗状況を尋ねてみたくもあったが、それは今やるべきことではない。ブライカはぐっとこらえた。
二人は空を見つめていた。その景色の中に存在する異質。巨大な〈大樹〉を。
まるで校舎を鉢植えと見立てるように、そこから出鱈目に絡み合い空へと伸びる暗色の群生。
突き出された枝は編むように。根付くように。それが刻む数多の樹皮は鱗のようですらある。
坩堝から湧き出た大量の枝と根が築いた渦巻く摩天楼。
この〈大樹〉を遠く離れた地で見たならば、巨大なドラゴンの首が町を睨みつけているように見えるかもしれない。
「……普通でいいよ。これは命令」
「では、仰せのままに」
ブライカは組んでいた腕を解いた。
「幻魔生物現象を見たのは初めてではないけど、ここまで大きくはなかった。……どう思う?」
空模様はうっすらと暗雲へと変わっていた。まさか天候を操る力まではないと思うが、果たして。
「どうって……。こっちはこれが初めて」
エトリたちはぐるりと校舎外郭を周っていた。今の所、内部からの反応はない。時折見える光の明滅は、町の警備兵たちの斥候だろう。
「前に見た時、その時はどうだったの?」
「ああ、いや……どうだったっけ? 忘れた」
「はあ」
しまった。愚問だった。
〝特殊な奇跡の発現〟である幻魔生物事件には秘匿義務がある。
今回の件も関わってさえいなければ、ブライカのような〈偵察兵〉クラスに知らされる情報は民間人のそれと大差がなかっただろう。だがそれが普通なのだ。
反対にエトリはその証に限定された数位を持つ。この機密の高い事件に対しても、主役として投入されるに申し分ない資格を持っていた。そして〈偵察兵〉であるブライカがこの場で介入という権利を行使できるのはエトリの指揮下に入っているからである。
「まあ、多分、そこまで必要じゃないんだろうけど……」
ランク違いの仕事に参加すれば、行動ごとに必要な報告書が膨れ上がる。ブライカは小さく肩を竦めると改めて起動している魔術に集中した。
定置観測。現場の状態をB〝外郭周辺には敵対行動は無し〟としておく。
現状、少なくともこの校舎を包む〈大樹〉それ自体にはそこまでの脅威はないようだ。
発生当初こそ、その成長の糧として周囲の魔力を喰らい尽くしたようだが、それはすでに収まっていた。だがその内部には避難が遅れ、そのまま囚われていると思わしき生徒や教師は大勢いると想定。結論として未だそこから脱出の動きが確認されないのは、この〈大樹〉の維持のために体内に囚われていると仮定されていた。
「安定値。プラス五、七。マイナス三……一。やはり外側は薄くなっている、けど内に向けて混沌値がマシマシ」
幻魔生物のみならず、魔力の暴走による災害の発生時。その対処のひとつは結界による魔力の遮断である。ただ今回のように範囲規模が広すぎた場合は、それが困難となる。
だが。確かに巨大植物が突如として出現したといえば驚愕すべき事態なのだろうが、これには源泉となる骨子を持ち得てはいない。どんなに高度な技術を用いて氷を作ったところで、環境の管理さえできなければいつか融解する。つまり魔術としては消滅は始まっているのだ。
故に幻魔生物。魔力が作り出したひと時の夢。
「体内に組み込まれている、か」
いずれ時間により崩壊が始まるだろう。それが今回のような場合、建物を丸々飲み込んだことで内部に魔力を生成することが可能な人間を多く取り込んでしまっている。それが維持の為の源となってしまい、消滅までの時間は何倍にも膨れ上がることは十分に考えられた。
「そう考えるのが妥当なところでしょうね」
魔術災害の対処として次にどうするか。一般的な事件や災害であればそれに対する機関が出張ることとなる。火事なら消防。犯罪なら警察といった具合に。
魔術災害であるならば、当然対処するのは魔術の力である。だが今回のような稀な案件には未だ対処法が確立されていないのだ。故に今回のように一度その内部へと進入しての調査が必要となる。
この学園には実戦を経験した魔術師は多くいるが、それでも今回のような事件に対処が許される程の証を持つ者は少ない。エトリを含む数名の生徒に、教師を入れても十名にも満たない。
そうしてエトリがその役割を志願し、ブライカはその補助として各種観測数値を記録しながらその後ろを歩いていた。
「これ以上の観測は必要ないかな」
「ここから潜ってみる?」
エトリは頷いた。逡巡さえしないエトリにブライカは一瞬言い淀む。
――私も行く。
当然それは願望であり、我が儘である。それは弁えている。それでもそう伝えればおそらく彼女は容認するだろう。だがら、それは選んではならない。
重要なのは、いつか共に歩ければいい。それを忘れないこと。そのための努力を怠らないこと。
「その前に、少し揺らしてみる。ブライカ、なるべく下がっていて」
エトリが剣を抜いた。ブライカは彼女がその剣を携えた姿を何度も見たことがある。それが意外にも実際に抜く機会を垣間見たのは数えるほどしか記憶にはなかった。
静謐な刃である。未だ人を斬ったことがないかのような鏡面の抜き身。剣としての装飾は抑えられ、ただ実用的にあるがままの鋼の刃。
剣を振りかぶるエトリと一瞬視線が合ったが、ブライカは頷くことでそれを拒否した。
莫大な魔力がエトリを介し、掲げる剣へと収束するのをブライカは感じた。
自身の内なる力のみならず、周辺から魔力を束ねることは高等技術である。これは魔術が単純な意味で、ただそこに在るエネルギーではなく、人の意思というものが源となっていることがその理由である。
莫大な魔力の流れは、エトリを包み、一瞬の幻影のようにその姿を霞ませた。
「――たぁっ!」
単純にその剣と〈大樹〉の質量とを比べるならば、ただの一振りで何かの期待を抱くのは愚かしいといえる。だが――
その一撃は末端といえど〈大樹〉という巨大質量に対して確かな痕跡を刻みつけていた。
外皮を叩き、その内側を巡る体内に届きうる亀裂を走らせた。完全に表面を砕き穴を穿つことはかなわなかったが、ただの剣の一振りがここまでの損害を与えることはまさしく奇跡に等しい。
「対応、在り、背後!」
ブライカが叫んだ。外を這う虫たちには無関心だったが、さすがにその体内へ食い破ろうとする害虫には反応を示すのだろう。
上からは淡く明滅する葉を降らせ、周囲からは瞬時に伸ばされた枝の槍がエトリに襲い掛かっていた。
「伏せてて」
今度はブライカも従った。返事よりも先に全力でその場に這いつくばった。
「――はっ!」
エトリは横薙ぎに剣をふるった。その一撃が光の放射を生み、放たれた白い極光が周囲に迫るものすべてを消し飛ばした。
「これでよし」
〈大樹〉末端はその二振りで完全に表面を破壊され、内部へつながる巨大な空洞をのぞかせていた。一撃目はわざとその表面を傷つけるだけに留め、大樹の防衛能力の確認を行う。威力偵察も兼ねていたというわけである。
観測結果に注釈を加えながら、ブライカは思わずため息をついていた。
この〈大樹〉も驚異的だが、それさえも易々と砕いて見せたこの女生徒こそ、この魔術というものが在る世界では驚異ではないだろうか。
「……」
かと思えば、それが今は十代の少女の顔で〈賢盤〉に指を這わせているのだから。
力も美貌も才能も、このすべてを持っているような不公平。
もしこの顔からすべてを奪い取ったらどのような表情をするのだろうか。
「……」
泣くのか、笑うのか、妬むのか、閉ざすのか。
彼女が今連絡を取っているのはおそらく彼にだろう。あの男が、すでに死んでいたのなら、エトリはどうなるのか――
「……っ……!」
そこまで考えてブライカは目を閉じながら頭を振った。
「やはり瘴気が漏れてきている。早くここから離れて」
内心までは悟ってはいないだろうが、冷静な声でエトリは言った。心配そうな顔でブライカの顔をのぞき込んでいた。
「連絡は……通じた?」
「いいえ。けど、どうやらこの中ね。微かな反応があった」
恋人が囚われているかもしれない。そう語るエトリの横顔に、怒りや焦りという感情が含まれているかということをブライカは読み取ることができなかった
「……行くんでしょ。気を付けてね」
ブライカは務めて明るく、掠れる喉でそう絞り出すように言った。確かに何か急激に体調が悪くなったような体の重さを感じていた。
「では行ってくる……なるべく早くにここから離れていて」
やはり彼女は心から心配している声で、そう言った。




