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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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十二章



 第十二章 大都市アザーム





「世界が逆転するって、何ですか、それは……?」

傾いてゆく塔の頂上でなんとかバランスを取りながらルーネベリが間抜けな顔でそう聞き返すと、シュミレットは頷いた。

「言葉の通りだよ。説明する必要もないほど、地面が傾いているだろう。はやくあの街に移る方法を考えないと、このまま滑り落ちてしまうよ」

「えっ、考えるたって――」

 パシャルの隣で天主の黒い棺に掴まったルーネベリは焦った。足元の傾斜はどんどん大きくなっていた。ちょっとした坂道に立っているかのようだ。

 ルーネベリは塔の端から地面を見下ろした。すると、巨大な竜巻のような風は消えていて、殺風景なタイトゥームの村が見渡せた。村といっても、石の塊のような家と灰色の裸の木が点々と見えるだけなのだが。塔だけが傾いているのではなく、村ごと、地面ごと傾いていることに気づいた。シュミレットの言う「世界が逆転する」というのは、ルーネベリたちがいたタイトゥームという土地そのものが移動するということなのだろうか……。しかし、そのわりには、地面が傾いても、地震が起こっている様子もなく、タイトゥームの村は静かだった。これほど揺れているのに、どうしてだろうか。

 六人はまだ立ってはいられたが、このまま傾きつづければ、十分もしないうちに直角の崖のようになってしまう。何かいい策はないかと、ルーネベリは赤い髪を強く掻いた。

 逆さまの街がこちらへ近づくほど、足元が傾いていくほどに、シュミレットとアラとクワンの持つ三つのランプがずっしりと重くなった。まるで何十キロもの重りを一つずつランプに取り付けているかのようだ。シュミレットはわりとはやく、ランプの重さに耐えきれず、手を離してしまった。ランプは吸い付くように傾いた足元に落ちた。アラもクワンも、その数十秒後にはランプを落としていた。二人の体感した重みは、シュミレットの倍には達していたかもしれない。

重くなったはずのランプはたいした音もたてずに塔の床に落ち、転げることなく、傾く塔に垂直に立っていた。だが、誰もその違和感に注目はしなかった。足元の傾斜がどんどん進んでいたからだ。

 そして、逆さの街も急接近していた。

 もはや、六人は皆、何か捕まらなければ立っていられなかった。ルーネベリとパシャルとカーンは天主の棺に掴まり、シュミレットとアラ、クワンは咄嗟に足元に落ちた床に垂直に立つランプを握っていた。脆い木製の小さな格子のランプだと思っていたが、塔と一体化したかのように、思いの外、頑丈だった。木の格子を見ながらコンコンと格子を片手で叩いたり、爪で引っ搔いたりしたアラは何か閃いたのか、「剣だ」と叫んだ。

「剣だぁ?」と、パシャル。アラが頷いた。

「ランプに短剣を真っすぐに突き刺せ。塔には刺せないが、木には刺せる。後は鍛えた腕力で耐えろ」

「アラ、お前は無茶言うなぁ」

 シュミレットはクスリと笑った。

「なるほどね、重さは変わっても、ランプが木でできていることには変わらない。それに、垂直に短剣を刺せば、地面が百八十度傾いても、ぶら下がることができるね。ただし、相当な腕力がいるけれどね。――パシャル、僕のところにきてくれないかな?僕は短剣を持っていない」

 ルーネベリが「じゃあ、俺はクワンさんのお世話になりますか」と言ったので、アラが「カーン、来い」と言った。

 天主の棺桶から斜め下にパシャルからルーネベリ、カーンの順でランプの元へ滑り歩いた。

三つのランプに二人ずつ掴まった後、アラとクワンとパシャルは腰にぶらさげた短剣を取り出し、木製の格子の真ん中に突き立てた。アラの見立て通り、短剣は格子を貫き、ランプの灯を消した。不思議だったのは、短剣の先は火の灯っていた無色透明の古水の中に刺さってとまっていたということだろうか。

 短剣の柄を二人で交互に重なるように握り、足を坂の低い方へと向けた。ぶら下がる準備をしているのだ。足元が滑り始めると、腕に力を入れた。足を塔の床にひっかけようとしたが、塔の傾きが酷く、気づいた頃には足が浮いていた。遂に傾きは九十度になっていたのだろう。皆、手に汗をびっしょりとかいてはいたが、六人のそれぞれの腕力でなんとか耐えることができていた。やはり、ここは奇力の世界なのだろう。

 横を見てみると、空がなくなり、逆さまだった街が大きな球体としてそこにあった。そこで、はじめてタイトゥームも球体世界だったということに気づいた。ルーネベリたちだけを取り残して、球が動いているのだ。浮いた足元には真っ暗な闇が広がっていたので、足元を見てしまった六人は震えあがった。あの闇が何なのか、考えたくもなかった。落ちてしまったら戻れなくなるのではないか……。

 浅く息をしながら、ルーネベリは少しの間、二つの球体世界を観察した。どうも、タイトゥームの世界と茶色い建物でできた世界は連動しているように思えた。束の間、向かい合った二つの球体世界が縦に並んだ後、傾きながら天にあった場所に逆さまのタイトゥームの世界が移動し、地の場所には茶色い賑やかな世界が移動していた。「世界の逆転」だ。

 短剣にぶら下がり、足元に広がる茶色い街は、次の瞬間には遠ざかりはじめた。いや、遠ざかったっていたのは、タイトゥームの世界の方だったのだが――、誰が知ることができただろうか。

ほとんど本能的にアラは皆に「飛び降りろ」と叫び、短剣から手を離して落下していった。アラが落ちると、カーン、パシャル、シュミレット、クワン、ルーネベリの順で茶色い建物の方へ落ちていった。とても高い場所から落ちたので、落下しながら着地のことを考えなかったことをルーネベリは後悔していたが、後悔先に立たず。落下しながら六人の意識は途切れた。




 黒く沈んだ意識の中にもやもやと白い煙が立ち込め、煙の中に文字が浮かんだ――。


                 挿絵(By みてみん) 

  

 言葉をはっきりと認識できた瞬間、パチンッと額をはじかれて、六人は目を覚ました。

 六人は茶色いざらざらとした地面に横たわっていた。小さな笑い声が頭上から降ってくるので、見上げると、丸坊主で、薄桃色の肌の紫色の瞳の子供たちが三十人ほど物珍しそうに覗き込んでいた。皆、薄い肌着一枚で寒くないのだろうか……。

誰かにはじかれた額を手で擦りながら、寝ぼけ眼で第一声をあげたのはパシャルだった。

「ここはどこだぁ?」

 子供たちはパシャルの一声で「喋った!」と大喜びした。沢山の子供たちの笑い声にうんざりしながら、もう一度、パシャルが「馬鹿言ってねぇで、ここはどこだぁ?」と言っても、子供たちは大喜びするだけで答えなかった。ため息をつきながら六人がのろのろと身体を起すと、子供たちはキャッキャと騒ぎながら後ろにさがって「動いた!」と言った。何が珍しいのか六人の行動にいちいち子供たちは驚いていたので、ルーネベリは首を傾げた。

 アラが呆れながら立ちあがると、長身のアラの頭は子供たちよりも五十~八十センチ以上も頭が高いところにあるので、子供たちはアラを見上げてまた「高い!」と喜んだ。

苛立ったのか、アラは子供たちにきつい口調で言った。

「お前たち、この街は何ていう名前の街だ?」

「アザーム」

 口を揃えてそう答えた子供たちはアラに向かってにっこりと笑った。パシャルが聞いても答えなかったのに、アラが聞くと素直に答えるだから、パシャルは渋い顔をした。

 戸惑ったのはアラの方だった。無邪気な笑みを向けられ、気まずく思ったアラは目線を反らして言った。

「お前たちの親はどこにいる?会わせてくれ」

「お母さんはあそこにいるよ」

 子供たちは皆、身体を半回転させて小さな人差し指を数々の茶色い建物の屋根の向こうを指した。そこで、ようやく六人と子供たちが建物の屋上にいることを知ったのだが、改めて驚いたのは、子供たちが指を指した建物だった。茶色い建物の密集した中に、黄金の矢印のような形をした建物が目立つように建っていたのだが、それにしても、美的センスの欠片もない、変な建物だった。

 パシャルは変な建物に大笑いし、カーンも笑っていた。

「あれに住んでいるのか……?」とアラが聞くと、子供たちは上下に頭を振って頷いた。

 手前にいた小さな坊主の女の子が言った。

「お城なの。私たちのお母さん、アザームの王なの」

 驚いたルーネベリは片手をあげて言った。

「ちょっと待ってくれ、お前たち皆、血の繋がった兄弟なのか?」

 子供たちは皆、一様に頷いた。そして、小さな女の子に隣にいた少し背の高い男の子が言った。

「この街にいる子供は皆、お母さんの子供。僕たちだけ皆、一緒に住んでいる」

「えっ、街の子供たち全員が?一体、何人いるんだ……」

 子供たちは笑って、肩をあげて「知らない」と答えた。きっと、数えられないほど兄弟がいるのかもしれない。ルーネベリは驚きのあまり口をぽっかりあけてシュミレットの方を向くと、これまた坊主の別の男の子がシュミレットの黒いマントを掴んでいた。男の子はシュミレットに「僕たちと同じ、子供」と言ったので、ルーネベリは笑ってしまった。

 シュミレットは不機嫌そうに男の子の手を払い、咳払いした。

「君たちにはわからないかもしれないけれど、人は見かけにはよらないのだよ」

 手を払われた男の子は小さな手を開いた。見てみると、なんと、男の子の手には指が七本もあったのだが、男の子は指を一本だけ曲げて言った。

「いくつなの?僕は六歳」

「僕は……三百七十歳は越えているね」

「嘘だ。三百年も生きられない」

「嘘ではないよ。君たちよりもずっと長生きの人種なのだよ」

「人種ってなぁに?」

 かわいく首を傾げた男の子に、シュミレットはそんなこともわからないのかと大人気なくむっつりと押し黙った。すると、男の子の隣にいた坊主の男の子、いや、彼はもう少年というべきだろう。十三歳ほどの坊主の少年が叫んだ。

「嘘つきだ。ベネムと一緒だ」

「ベネム?」とルーネベリが聞き返すと、子供たちは「嘘つきベネム~。嘘つきベネム~」と、一斉に歌をうたいはじめた。ベネムが何なのかわからないが、明らかに侮辱的な言葉のようだった。

ルーネベリがシュミレットの方を向くと、ひきつった顔で怒っていた。これはいけないと、ルーネベリが慌てて子供たちをやめさせようと口を開くと、先にアラが「嘘つき」と叫んだ少年の左頬を容赦なくぶった。少年はぶたれた反動で、床に倒れ込んだ。

 アラは怒鳴った。

「人を平気で嘘つき呼ばわりしていいと、誰に教わった!」

 子供たちは歌うのをやめて、恐怖の滲んだ顔でアラを見上げた。

「何も知りもせずに、集団で人を傷つけるような言葉を吐くなんて卑怯者のすることだ!お前たち、横に一列に並べ。私がお前たちのねじ曲がった根性を叩きのめしてやる」

「アラさん、落ち着いて」と、クワンがアラを諫めようとしたが、アラはカンカンに怒っていたので、パシャルとカーンがアラを後ろから抑え込んでとめようとした。

 ぶたれて床に倒れた少年は左頬を腫らして泣きながら「ごめんなさい」と言った。少年が泣くと、子供たちも全員泣きながら謝ったのだが、あまりにも子供たちがわんわんと騒がしく泣くので、アラはさらに腹が立ったのか、「泣きやめ!」と叫んだ。

 そうすると、どういうことか、子供たちはぴたりと泣き止んで、涙を滲ませた目でアラを真っすぐに見つめた。どうやら、子供たちはアラの言うことは聞くようだ。

 パシャルとカーンで抑え込またままアラは子供たちに言った。

「泣けば、何でも許されるわけじゃない。本当に悪いと思っているのなら、傷つけた相手と真向から向き合って心から謝れ。人に謝ることもできない大人になるな!」

 子供たちは涙を拭きながら頷いて、シュミレットの方をぞろぞろと向いて「ごめんなさい」と謝った。

 シュミレットはひきつった顔を少し緩め、「もういいよ」と片手を振って答えた。子供たちは許されたとわかった瞬間、ぱっと顔を明るくしてアラの方を向いた。きちんと謝ることができたと言いたいのだろう。アラは「それでいい!」と、気持ちいいほどきっぱりとそう言った。もう怒ってはいないようだ。

パシャルとカーンがアラから離れると、アラはぶった少年に近づいて、しゃがみ込んで腫れた左頬に優しく振れて言った。

「叩いて悪かったな。でもな、お前がやったことは私と同じことだ。言葉でも人を傷つけることができると、お前たちにわかってほしかった。心は血を流さないが、心につけられた傷は消えない。その人はずっと苦しむんだ」

 少年は頬に触れるアラの手を握って言った。

「ごめんなさい。もう嘘つきなんていわないよ」

「そうしろ。良い子だ」

 アラは少年を包むように抱きしめ、背中をぽんぽんと軽く叩いた。傍から見ると、それはまるで母と子のような姿だった。子供たちは皆、羨ましそうにアラと少年を見ていた。

「私もしてほしい!」と、親指を咥えた小さな女の子がアラの方へ駆けていくと、「僕も!」と男の子たちは叫んだ。子供たちは皆、我先にとアラに抱きついた。

大勢の子供たちに抱きつかれて座り込んだアラは押しつぶされそうになって慌てたが、パシャルとカーンは大笑いしていた。


「お姉ちゃん、僕たちのお家に来て。僕たちのお母さんになって」

 アラに抱きしめられていた少年がそう言うと、子供たちも一斉に「お母さんになって!」、「なって!」と言いはじめた。

 アラは抱きついてくる子供たちを片手で押し戻しながら言った。

「お前たちにはもう母親がいるだろ」

 少年も子供たちも皆、「ベネムにとられた!」と叫んだので、アラと子供たちから離れたところに立っていたルーネベリは言った。

「ベネムって人なのか?」

「うん」と、子供たち。少年は言った。

「ベネムがよその国から来たせいで、お母さん、僕たちを城から追い出して、僕たちに会ってくれなくなったんだ」

 アラは言った。

「ベネムという奴のせいで……。お前たちの母親を取り戻せばいいのか?」

「お母さんを取り戻してくれるの?」

 アラが頷く前に、少年は他の子どもたちに「離れて」と言うと、小さな子供たちはアラから次々と離れていった。ルーネベリはこの少年が子供たちのリーダー的役割なのではないかと思った。

子供たちが離れると、アラも少年から離れた。少年はすぐに立ちあがり、座り込んだアラに手を差し伸べた。

「僕、ノジム。僕たちの家に来て。ミムに会わせてあげる」

「ミム?」と、アラは少年の手を掴んで立ちあがった。

「僕の八つ子の一番下の妹。最初から薬を飲んでいなから、賢いんだ。来て」

 少年ノジムはアラの手を掴んだまま建物の屋上の端へ小走りした。少年が動くと、子供たちも二人の後につづくので、さらにその後をルーネベリ、シュミレット、パシャル、カーン、クワンも早歩きでついていくことにした。

 ノジムはアラを連れて屋上の端にある階段をおりて、一階まで下って行った。ぞろぞろと一行がその後につづくのだが、茶色い建物の外に出ると、大きな通りに行き着いた。露店街とでもいうのだろうか。道端で男か女かもわからない白い服の坊主頭の商人たちが服や靴、宝石や絨毯など様々な商品を布の上に広げ、通りを歩く沢山の坊主頭の大人たち相手に商いをしていた。一見すると、非常に活気のある街だった。あちこちから商人が客を呼び込む声が聞こえていた。

 アラが歩きながらノジムに言った。

「ここにいる連中もお前の兄弟か?」

 ノジムは首を横に振った。

「ここにいる大人たちは、よその国から来た人たち。皆、アザームにいたいから、僕たちが話しかけても無視するんだ」

「どうして無視をする?」

「全部、ベネムのせいなんだ。僕たちはここにいるのに、いないことになっているんだ。ベネムがアザームに来てから、僕たちに話しかけてくれたのは、お姉ちゃんたちだけだよ。怒ってくれたのも、お姉ちゃんたちだけ。僕は嬉しかった。抱きしめてくれて嬉しかった。僕たちがちゃんとここにいるんだって、無視しないでちゃんと僕を見てくれた」

 小さな少年の背中を見ながらアラは何も言えなかった。

ノジムは大通りを歩き、五度も角を右左に曲がって行商街を抜けた。露店街の次に行き着いた場所は立派な茶色い土づくりの噴水のある広場だった。お祭りの準備をしているのか、色とりどりの植木が噴水の傍に置かれ、噴水の隣で大勢の坊主の大人たちが見慣れない細長い黒い楽器を円状に並べていた。









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