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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部第五巻「天秤の剣」
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三章



 第三章 代行社の広告本





 アーティーはなにやら頷いた。

「パブロの旦那さん、アルケバルティアノ城で収入変更の届けを出していないんですね」

 ルーネベリは額に手を当てた。

「……届けは出していないと思う。とすると、研究所で働いていた頃の所得の四割が毎年自動的に引き落とされていたのか。それは空になるわけだな。かれこれ九年もよくもったほうだよな」

 アーティーは鞄からペンを取り出して、ノートにすらすらと書き込んだ。

「旦那さんの現在のご職業を何ですか?」

「今は研究員じゃなくて、賢者の助手をやっている」

 顔をあげたアーティーは微笑んだ。

「うわぁ、賢者様の助手だなんて、旦那さんはすごいんですね。でも、助手様はお給料でないんですか?」

「あぁ、給料はでない」

 首を横に振ったルーネベリにアーティーは驚いた顔をした。

「賢者様の助手なのに?」

「あぁ、そうだ。助手になった当初はそれなりに貯えがあったから、

給料が出ないと言われてもいいと思っていた。……届けを出さなかったのは浅はかだったな。研究費の遣り繰りは得意なんだが、研究上の出費には税はかからない。収入税のことなんかまったく忘れていた。どうにかならないか?」

 ルーネベリは顎を気まずそうに掻いた。アーティーは言った。

「パブロの旦那さん、心配はご無用です。こういうときに代行社があるんですよ」

 茶色い布鞄の中をあさったアーティーは小さくて白い四角いカードを五つ取りだした。

「代行社は百五年前からキエヌの管理の他に職業斡旋も行っています。病気を患いながらも働きたい意志のある方、身体や奇力に障害をお持ちの方、本業があるけれど小遣いを稼ぎたい方、借金をされている方にも気持ちよく働いていただけるように、お客様の状況に応じた仕事をご紹介しています」

「俺の状況だとどういった仕事があるんだ?」

「パブロの旦那さんは賢者様の助手というお仕事もされていますから、空いた時間にできる手軽なお仕事か。日常生活の中でできるお仕事がいいと思います。以下の条件から調べてみます」

 アーティーは五枚の白いカードを重ねてソファの上に置き、全部のカードの角を押した。カードは科学道具だった。角を押した順に、ソファの上に三十センチはあろうか分厚い本が五冊も積み重なっていた。表紙には黒字で五桁の数字しか書いてなかったが、全部、求人情報書なのだろう。

 ルーネベリは言った。

「その中から探すのか。多すぎないか?」

「すぐに見つかりますよ。僕らにはこれがありますから」

 アーティーは布鞄から銀色の眼鏡ケースを取りだした。ケースを開くと、錆びた銅のフレームのとても小さな黄色いレンズのついた眼鏡が入っていた。アーティーはその眼鏡を取りだして、鼻の上にかけた。右のレンズの上部のフレームに、操作ボタンが横並びに三ついていた。

「牽引の眼鏡です。これを使えば、どんなに沢山の書物でも、数十秒で検索できます」

 ルーネベリはその眼鏡を見て言った。

「叡智の書庫の時術師がかけているのを見たことがある。そんな名前がついているとは知らなかったが」

「第十一世界に収めている眼鏡商から、広告代のかわりにうちにも収めてもらっているんです。壊したら僕らの給料から差し引かれるので、あんまりケースから出したくないんですけどね。仕事ですから」

 アーティーはそうぼやいて、五冊の分厚い本の上に手を置いて、眼鏡の操作ボタンを押した。アーティーの胸元に奇術式が浮かんだ。

 牽引の眼鏡は、名もない魔術師がつくった眼鏡を模してつくられた科学道具だ。組まれた時術式で空間をとらえ、魔術式で空間の中にあるインクの文字の形を把握し。奇術式によって探しだしたい文面の位置を把握する。別の奇術式によって把握した場所はページ数に変換され、最後に魔術式によってページの情報をレンズの裏側に表示される。牽引の眼鏡をかける者だけが知りたい情報を得ることができるのだ。特殊な眼鏡ではないが、高価な眼鏡だ。

 黙ったアーティーは三十秒後、メガネのレンズに映る文字を見ながら口を開いた。

「幾つかご紹介できるお仕事を見つけました」

 積み重なった求人情報書の上二冊と一番下の本を重いだろうにアーティーは膝の上に重ねた順に置いて、上の本のページをぺらぺらと捲り、お目当てのページを開いた。

 開いたページに記述された文面を読みながら、アーティーはルーネベリに言った。

「一つ目はとても簡単なお仕事です。新しい商品を継続して食べてもらうお仕事です。お仕事の期間は一年。体調の変化や奇力の状態も調べるための科学道具が募集元から支給されるので、毎日食べて、科学道具を身に着けるだけでいいみたいです」

「食べるだけでもなんだか心配だな。健康食か何かか?」

「お仕事の募集元は……ゴドロ商、中堅の食品商です。ゴドロ商は最近、第四世界にも進出した健康志向の高い商です。栄養学の観点から新商品を考案し、毎日の食事から病気になりにくい身体をつくることを標語にしています。僕はゴドロ商の主人をよく知っているので、安心してお仕事を勧めることができます」

「なるほど、そうか」

 ルーネベリが腕を組んだのを見ると、アーティーはゴドロ商の募集が載った本をソファに置いて、二冊目の本を開いた。

「二つ目と三つ目のお仕事を紹介しますね。寝具を取り扱っているゲルフェン商の枕を一定期間試すお仕事と、調理器具専門のガラロ商のお鍋の……」

 アーティーが説明している途中で、ガチャリと音が鳴り、黒い寝間着姿のシュミレットが自室から出てきた。

「朝から騒々しいね。お客様が来ているのかい?」


 シュミレットがソファに座るアーティーを見て、二人は目が合った。アーティーは黄色いレンズ越しにきょとんとしたが、すぐに自分より少し背の高いシュミレットにお辞儀した。

「お邪魔しています、旦那さん。ラジューラ社のアーティーです」

 シュミレットは頷いた。

「そうかい。アーティー、代行社がこんなに朝早くに訪ねてくるなんて、失礼ではないかな」

 冷ややかなシュミレットの言葉を聞いて、アーティーは膝の上の本をさっと抱えて立ちあがり、小さな体を震わせた。

「申し訳ございません」

 ルーネベリは慌てて言った。

「先生、アーティーを責めないでやってください。俺がなかなか捕まらないから、こんなに朝早くに来てくれたんですよ」

 シュミレットは黄金の瞳をルーネベリに向けて言った。

「それでは、君を責めることにしようかな」

「えっ、先生。ちょっと待ってくださいよ……」

 怒っているのかと思えば、シュミレットはクスクスと笑い。「冗談だよ」と言って、白い花のレリーフの椅子に座った。シュミレットの愛用する椅子だ。

 ルーネベリはため息をついて、額に手を当てた。

「脅すのはやめてくださいよ。寝不足の心臓には悪いです」

「何を言っているのかな。脅すということはね、こういうことだよ。――アーティーくん、君が僕の静かでとても貴重な朝のひとときを邪魔しにきた理由を聞かせてくれるかな。ここは僕の家だから、ルーネベリの個人情報を守ろうとするのは君のためにはならないよ」

 シュミレットは指差をくるりとまわして、小さな魔術式を発動さしてみせた。

「だ、旦那さん……」

 まさか、朝早くに家を訪ねただけで魔術師に脅される日がくるなんて誰が思うだろう。アーティーは戸惑い、小さな悲鳴をあげて分厚い求人情報書を手落としてしまった。本がアーティーの小さな足と足の間に重々しく落ちた。

 賢者様はやはり機嫌が優れないようだ。意地悪をして楽しんでいる。

 ルーネベリは言った。

「あぁ、もう!先生、言いますよ。言えばいいんでしょ。俺が代行社に置いているキエヌが空になったんですよ。だから、アーティーが仕事を斡旋してくれようとしていたんです」

「キヌエが空に?」

 シュミレットはぽかんとした後、クスリと笑った。

「君、大きな借金でもしたのかい?」

「いいえ、ただ税金が毎年引かれていたので空に……」

「無駄遣いしたというならわかるけれど。税金が引かれても、さして問題はないでしょう?」

「いいえ、問題は大ありなんですよ。給料を貰っていないので、引かれる一方ですから」

 シュミレットは首を傾げた。

「どうして貰っていないのです?」

「助手は給料がでないと先生が言っていたじゃありませんか!」

「僕はそんなこと言った覚えはありませんよ」

 しれっとした顔でシュミレットがそう言ったので、ルーネベリは反論した。

「いや、思い出してくださいよ。はじめて先生の助手にしてほしいと頼みに行ったとき、断るついでに先生が言ったんですよ。賢者は貧しいから助手には給料がでない。当時、俺は二十二歳でしたが。給料がでないと聞いて、そりゃもう、どうしようかと……」

「僕がもし、そんなことを言ったのなら、当時、僕は君に助手になることを諦めてもらうつもりだったのだろうね。だけど、賢者が助手に給料を支払うことなんてありえないと現在の君ならわかるでしょう。賢者に関わることはすべてアルケバルティアノ城の事務が手配している。給料の出所は僕じゃなくて、アルケバルティアノ城。しいて言うなら、僕らが解決した依頼書の依頼料から賄われている。

 アルケバルティアノ城から給料がでないとするなら、ユノウの大勢の助手たちはどうやって生活をしてきたのだと思っていたのかい?彼らの中には既婚者も大勢いるはずだよ」

 ルーネベリは赤い髪を掻いた。

「……あぁ、迂闊でした。じゃあ、俺は今まで給料を貰い損ねていただけなんですか?」

「そういうことだね。でも、がっかりすることもないよ。魔術師の助手は、他の助手よりも収入が高いのだよ。危険なことをすることが多いからね」

 ルーネベリは今までの様々な出来事を思い返した。いつも問題を解決することに必死だったのであまり考えたことがなかったが、確かに死んでもおかしくないような状況はいくつもあった気がした。ルーネベリは魔術師ではない。体力が少しあるだけのただの学者だ。襲ってくる魔術師に勝てるわけでも、自然現象に抗うこともできない。そう思うと、よく頑張ってきたなと我ながら思った。

 シュミレットは言った。

「アルケバルティアノで手続きさえすれば、これまでの収入の総額を支払ってもらえるだろうね」

 ルーネベリは「今までの総額ですか?」と聞き返し、顔がにやけた。一体幾らかはわからないが、腹の底から笑いがこみあげてくるのを堪えるのは大変だった。九年の分の給料が一度に手に入るのだ。シュミレットの言い方ではルーネベリの貰える額は相当なものかもしれない。考えれば考えるほど期待が膨らんだ。

 話を聞いていたアーティーは頭の中であれこれと計算し、「うん」と頷いてから言った。

「ルーネベリの旦那さん。旦那さんは忙しいと思いますから、僕が手配しますよ!代行社は代理申請することを認められています」 

「おぉ、そうか?」

「今日中に手配しておきますから、よければ、ラジューラ社の発行する新しい広告本をご覧ください。魔術式で加工された冊子になっていますから、持ち運びにも便利です」

 アーティーは牽引の眼鏡を外して壊れないようにそっと眼鏡ケースに戻した。ケースを腰の茶色い布鞄にしまってから、五冊の求人情報書の角に触れて小さな四角いカードに戻すと、それらもすべて鞄にしまい、別の緑の小さな四角いカードを一つ取りだした。

 緑のカードの角に触れると、五十センチもの厚さの本になった。けれど、緑色の本を持つアーティーはまったく重そうにはしていなかった。魔術式の加工のおかげだろうか、見た目に反して軽いのかもしれない。

アーティーは緑の本をソファの前のテーブルの上に置いた。

「この広告本には日常品から購入可能な土地まで様々な商品が載っています。何かをご購入されるときは、この本をご活用ください」

 あどけない顔をしていても、やはりアーティーは代行社の者だ。大金が入る予定のルーネベリが買い物をすることを見込んで広告本を渡してきたのだ。客が広告本を利用して物が売れば売れるほど代行社は儲かる。加盟店は利益があるほど、宣伝費を多く出すからだ。

「まったく商売上手だな」とルーネベリが褒めると、アーティーは無邪気に笑った。

 アーティーはその後、ルーネベリにキエヌの管理の継続手続きと代理申請に必要なサインを求め、幾つかの世界の物価について話をした。五分ほどの短い話だったので、シュミレットがまた嫌味を言う前に、別れの挨拶をして、アーティーは時術式で空間移動して帰って行った。

 

 アーティーがいなくなると、急に部屋が鳥の囀りが聞こえる静かに朝に戻っていた。シュミレットにとってはいつもの朝だが、ルーネベリにとっては肌寒いだけの早い朝だった。

 すでに眠気はなくなってしまっていたルーネベリはキッチンで湯を沸かしていた。アルコールが身体から抜けきっていなかったので食欲はなかった。後で少し眠ろうと考えていると、白い花のレリーフの椅子に座っていたシュミレットが、立てばいいのに小さな魔術式を作ってテーブルの上の広告本を手元に引き寄せた。

 魔術式を消し、シュミレットが開いた広告本の最初のページには、長い剣を持った天を仰ぐ女性の黒いシルエットと、でかでかと黒い太文字で「百年に一度輝く、天秤の剣現る!」と見出しが書かれていた。広告の右端には催しの参加者の募集と、一般の観客席の券が残りわずかとあった。

 シュミレットは言った。

「マーシアは随分と人を大袈裟に集めているようだね」

キッチンから紅茶と白湯の入ったカップを二つ持って歩いてきたルーネベリに、シュミレットは開いたままの広告本を差しだした。

ルーネベリはカップの一つをソファ近くのテーブルに、もう一つはシュミレットの傍の一本足のテーブルに置いてから、本を受け取り、広告の文面を読んだ。

「そうみたいですね。にしても、剛の世界には不思議な名前の剣があるんですね。俺が生まれる前まで、俺の両親は剛の世界に住んでいたそうですけど。天秤の剣なんて聞いたことがありませんでしたよ。天秤の剣は……」

 本から顔をあげると、きらりとシュミレットの傍でなにかが光った。

 光に気を取られていると、一本足のテーブルの上に二つの黄色く光る時術式が現れ、術式を繋ぐ光の柱から二つの手紙が送られてきた。ルーネベリの視線に気づいたシュミレットは、紅茶の入ったカップの隣で重なって置かれていた手紙を見て、手に取った。

 シュミレットはまず二つの手紙の送り主の名を確かめた。

「一つはマーシアから、もう一つはアルケバルティアノのエントローからだね」

 ルーネベリは言った。

「どうしてマーシアからお手紙が?」

「天秤の剣の公開は、三大賢者の正式行事に含まれているからね。大方、行事には必ず出席してほしいという趣旨の手紙でしょう。百年前と、そのまた百年前にも同じような手紙を貰ったよ。代々、マーシアの家系は見栄っ張りだから、賢者を引っ張り出して管理者の権威を示したいのだよ」

「えっ、三大賢者にも正式行事があったんですか?」

「僕はあまり出席していないけれど、面倒なことが幾つかね」

 シュミレットはマーシアからの手紙ではなく、エントローの手紙の封を切った。封筒の中には二つ折りの紙が二枚入っていた。その手紙を開くと、几帳面な文字が数十行に渡って書かれていた。賢者の助手や事務員のものではなく、エントロー本人の筆跡だと見てわかり、シュミレットは重要な要件だと察した。

 文面を読むほどに、シュミレットの顔が苦々しいものとなっていくので、ルーネベリは聞いた。

「どうかしたんですか?」

「昨晩、アグネシア女王がお倒れになったそうだね。心配はいらないようだれども……。謁見してほしいとのことだよ」

「女王陛下が?」

「朝食をすませたら、アルケバルティアノ城に寄るよ。僕が帰るまで仕事はしなくていいから、ひと眠りしておきなさい」

 シュミレットは手紙を一本足のテーブルに置き、カップを手にゆっくりと紅茶を飲んだ。

 ひどく落ち着いた様子なのに、ルーネベリにはなぜかシュミレットが悲しんでいるように思えた。どうしてだろうか……。








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