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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部一巻「針の止まった世界」
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八章 二つの羽根



 第八章 二つの羽根




 

 桂林は穴の中へと走った。シュミレットは魔術式を発動させたまま桂林の後を追いかけた。侵入者は灯りもともさずに、真っ暗な穴を通り、球体の核部へと下りて行った。桂林は実体のない過去の記憶を引きとめようと、手を伸ばした。

「桂林様、無駄です。それは過去に起こった出来事です」

「どうにもできぬのか!」

 シュミレットは首を横に振った。

「これからあの人物は時を止めるのでしょう。様子を見ましょう」

 歯痒そうに頷いた桂林と、シュミレットは侵入者を追跡した。侵入者はなおも黙々と歩きつづけ、闇を抜けてほのかに明るい平地へと辿り着いた。

 ――そこは時の置き場。溶けた金属だろう、銀色の池の真上に、欠片のような大きな岩が浮いている。時の石だ。

 左側の一部が消えた目盛りような幾重もの円と紋様が描かれ、その上の五つの針が不規則に動いていた。針が指し示すものが何なのか。時の石を見ても誰にもわからなかった。管理者である桂林も、やはり同じだった。

 球体、最大の謎が目の前で浮んでいた。

 侵入者は躊躇することなく、金属の池に入り、濡れるローブの懐から二枚の羽を取り出した。黒の羽根と白の羽根だった。

「あれはなんじゃ」

 侵入者は二枚の羽根の軸を交わせ、時の石の真下に浮かべ。金属の池がじりじりと焼けてゆく。侵入者はそれを見つめ、枝のような細い手を出した。そして、その手が時の石に触れた。途端、時の石の一本の針が止まり、止まった衝撃で生まれた波動が空気を振動させた。侵入者は振動する空気に当てられると、煙を出して消え去った。

 シュミレットはそこで記憶を止めた。侵入者が消えたのと同時に、置いた二つの羽根が金属の池の中へ沈もうとしていたからだ。 

 桂林は時の石へ駆け寄った。

 シュミレットは言った。

「桂林様、時の石に近づいてはいけません」

「なぜじゃ、あの者は平気じゃったぞ」

「あの人物は魔術式で作られた媒体にすぎません。傷一つ、つかないでしょう」

「なんじゃと。媒体じゃと?」

「えぇ。過去の出来事とはいえ、生体がまったく感じられません。呼吸や瞬きもどこか不自然です。水竜の態度がいい証拠です」

「なるほど。竜たちが騒がなかったのは、そのためなのじゃな」

「驚いたぞ」と、桂林は肩をすくめた。

「しかし、どうやって媒体を作ったのじゃ。魔術師の姿など、どこにもなかったではないか」

「助手のルーネベリ・パブロが調達してくれた情報によると、二年ほど前、この世界にやってきた魔術師の身なりをした人物たちが不審な行動を繰り返したそうです」

「二年前?そやつらの行動と媒体は関係があるのか」

「おおいに関係があるのでしょう。人々の記憶に残るということは、それだけ頻繁にこの世界に訪ねてきたということです。一年もの歳月を費やせば、彼らには十分なはずです」

「十分とは、何がじゃ」

「準備ですよ。時の置き場に近づくことのできない彼らは球体の内部にもっとも近く均一な場所を探り当て、魔術式を発動させて媒体を作りあげたのでしょう。それも一体の媒体ではありません。何人もの魔術師がまったく同一の媒体を作りあげた」

「さぞ、骨を折ったことでしょうね」と、なぜかクスクス笑うシュミレットに、桂林は頷いた。

「そなたには、あやつらの考えていることが手に取るようにわかるようじゃな」

「どうでしょうか」

 シュミレットが曖昧な返事をすると、桂林が言った。

「じゃが、媒体というものならば、時の置き場へ立ち入れるというのか?」

「桂林様の仰ったとおり、時の置き場へは管理者以外は立ち入ることができません。女王に仕える三大賢者を除き、その例外はありえないでしょう。……ですが、お忘れですか?」

「忘れておるじゃと」

「えぇ」

シュミレットは、侵入者が二枚の羽根を浮べたところまで時間を戻し。そして、言った。

「桂林様。かつてはあの闇すらも恐れなかった支配者たちを、お忘れになっていませんか?」

 桂林はあっと口をあけ、思いもつかなかったと溜息をついた。

「あの羽根は、翼人のものなのじゃな」

 シュミレットはゆっくり頷いた。

「間違いなく、本物の翼人の羽根でしょう」

「本物の羽根か……」

「ご存知の通り、翼人が体内に生まれながらに持つ冰力は、水竜の二十倍といわれています。一枚の羽根だけでも、その威力は永久に衰えません」

「そうか。翼人の話など、今や伝説となって語られるぐらいじゃと思うとった。盲点じゃった」

「僕も、正直驚いています。まだ羽根が出回っているなんて考えもしませんでした。数少ない羽根は、僕の生まれる以前に高値で取引され、長い間、表舞台には出ることがありませんでしたから」

 シュミレットは顔をあげた。

「そういえば、三百年前、収集家たちが羽根を魔道具に加工して、道楽に使うという流行がありましたね。結局、数年後には完全廃止されましたが。懐かしい出来事です」

「ほぉ、廃止されるとは相当なものじゃったのだな」

「えぇ。子供には見せられないほど、悪趣味なものだったそうです」

「そんなものがよく流行ったものじゃの」

「収集家には富豪層が多いですからね。よっぽど刺激を求めていたのでしょう」

 桂林は関心しながら白髪を白い衣の左肩から垂らし、腰を下ろした。

「しかし、そこまでわかっているのならば、今回の件、そなたはどう考えるのじゃ?」

 シュミレットは言った。

「媒体を作りあげた魔術師たちは、媒体に翼人の羽根を持たせ、球体内部まで潜り込ませたのです。媒体は実体が限りなく存在しないに近いですからね、可能でしょう。内部まで到達した媒体は、時の石の力を封じるため、羽根を池に沈めた。石に触れたのは、媒体を通して魔力を注み、時を止めるためだったのでしょう。時を止めた時点で媒体が消えたのは、空間移動の時術でも仕込んでいたと考えるのが筋でしょうね。いつまでもこの世界にいれば、身の安全は保障がありませんから。

 ですから、世界中くまなく探しても、残っているのは、魔術式を発動させた痕跡のみ。もう魔術師たちの姿はないでしょう」

「そやつらを野放しにするつもりか?」

「いいえ、外の世界に逃げた魔術師の追跡は、第三世界の時術師に任せます。彼らの専門分野ですからね」

 桂林は頷き、口を開いた。

「それでは、シュミレット。時を元に戻すにはどうすればよいのじゃ」

「時の石の力を封じる、羽根を取り出すしかありません」

「それは時間がかかるのか?」

「羽根がどのくらい沈んだのかによります。ですが、せいぜい二日はかかるとお考えください。もちろん、取り出す作業の途中でやめることができないので、二日間徹夜でしょう」

「二日もここにおるのじゃな」

「はい。羽根を取り出した後は、そのまま時を元に戻す作業に移るので、管理者である桂林様には付き合ってもらうほかありません」

「わらわならば、かわない。一刻も早く時を戻したい」

「わかりました」

 シュミレットの盾のように浮いていた魔術式を消え、過去再現の術式の発動までも解かれた。

「ですが、一言言っておきます。時間が進みはじめたら、桂林様のお体にも何らかの変化が起こるはずです。僕の身体も同様です。あまりに無理をするのは賢明ではありません」

「あい、わかった。じゃが、わらわの身に何か起こうっても、そなたがなんとかしてくれるじゃろう。それに、ルーネベリという男もなかなかよい男じゃ。そなたたち二人は実に頼もしい」

「見目麗しい桂林様にそう仰ってもらって、彼なら喜びぶでしょうが、僕には負担でしかありません。僕の力を過信なさらないでください」

 桂林が囁くように笑った。

「そなたがおなごに世辞を申すようになるとはな」

 シュミレットの青白い顔が薄っすらと赤くなった。

「話の論点がずれています」

「堅苦しいことはそなたに任せるゆえ。しかし、ルーネベリの影響かの。喜ばしいことじゃ」

「僕だってお世辞ぐらい言います。いい大人なんですから」

「そうじゃの。わらわより遥かに年を重ねておる。昔から尊敬すべきだとわかっておるが、じゃが、そなたはいつも老けることがない。身も心も、いつも少年そのものじゃ」

「外見に騙されないでください!」と、きっぱり言ったシュミレットに、桂林はまた笑った。

「それほどまでに声を荒立てて言わなくともわかっておる。そなたはほんにかわいいのぉ」

 真っ赤になったシュミレットは、居たたまれずに黒い髪を掻き毟りマントの襟を叩いた。そして、落ち着きを取り戻すべく、咳払いして言った。

「とにかく、作業にとりかかろうと思います。気分が悪くなったら、目を閉じて安静になさってください」

「それは先ほど聞いたぞ」

「もう一度、言ったのです」

 早口でそう言ったシュミレットは、時の石を取り囲むように、外円三つの魔語が異なる魔術式を八つ発動させた。すると、黄色く光る四つの魔術式から触手のようなものが現れ、二つに別れて解け合いだした。そうして、五本と五本の指を持つ両手ができあがったのだ。

「これが媒体です」

 シュミレットは、金属の池に媒体である両手を入れはじめた。魔術式がガタガタと宙で震えたが、シュミレットの身には何も起きなかった。金属の池に両手を入れて数秒後、突として魔術式が薄くなりはじめた。それをあらかじめ見込んでいたのか、シュミレットはつかさず新しい術式を古い術式の背後に重ねて発動させた。古い術式が燃えたかのようにポッと音を立てて消えると、新しい術式が媒体を支えたのだ。両手が時間をかけ、じっくりと金属の池の底へと伸ばされようとしていた。

 シュミレットは術式を何度も作っては、池の中へ伸ばした両手で沈んだ羽根を探していた。大量の魔力が外へ飛び出ては、シュミレットの体内へ戻っていく。体力の消費が激しかった。

シュミレットがこめかみに汗を流す中、時の置き場は、黄色い光に満たされていた。




 水竜の作った道を通り、藁の島にあがったルーネベリとミース、ガーネは島に着くなり静かに手を合わせだした侍女を見つめていた。

 遠くから見たところ、景色と一体化してわからなかったが、藁の島には見上げるほど大きな水滴玉が乗っていた。この水滴玉こそが瞳心の神殿らしい。紫水に会いに行くには、この水滴の中に入らなければならないそうなのだが。侍女は何かをひたすらじっと待つように手を合わせていた。

「何をしているんですか?」

 痺れを切らしたミースがルーネベリに聞いた。

「俺にはさっぱりわからん」

「祈っているの?」とガーネが言った。

「何を祈るのですか?」

「竜神様?」

「俺に聞かないでくれ」

 ちょうどルーネベリが手を払う仕草をしたとき、侍女が合わせた手を下ろして言った。

「お待たせしました。それでは、まいりましょう」

 ミースが首を傾げて小さく呟やいた。

「今のは、一体何だったのでしょうか」

「彼女に聞いてくれ」

 侍女は頭を下げて、水滴玉の中へ入っていった。つづいて、ルーネベリはガーネの手を引いて入り。ミースは大きく息を吸い、そのまま息を止めてから入って行った。ルーネベリの予想以上に広い水滴玉の内部は、重複する水の膜に隔たれた奇妙な構造になっていた。外からの光が膜に反射して明るかったが、かえってその明るさに、方向感覚が奪われていた。

 けれど、侍女はただ一点を目指して歩きつづけた。水の膜が行く手を阻もうと現れても、侍女が通ると泡のように消えていった。そのうち、ルーネベリは水の膜の奥に、水辺があるのに気がついた。瞳心の神殿の外と同じような水が一面広がっている鏡のような水辺。そこに一人の青年が立ち尽くしていた。

「紫水様」

 侍女の呼びかけに、青年は振り返った。白い衣をまとい、盲目ではないことを除けば肩まで伸びた白髪や顔立ちは姉桂林のものと瓜二つだった。翡翠のような瞳がルーネベリたちを見据えた。

「待っていた」

 若々しい、よく通る声が反響した。

「お初にお目にかかります」と、ルーネベリが頭を下げると、紫水が手で制した。

「そなたたちのことは、円城から聞いおるのだ。楽にしてくれ」

「円城様といえば」

「ウケイ一、財を持つ者にございます」と侍女が言った。

「そうでした。円城様は紫水様と親しい間柄なのですね」

「円城のご令嬢、天音様は紫水様の婚約者であられるのです」

「そうなのですね」

「いや、まだ恋人だ。正式な婚約は済ませておらぬ」

 侍女は侘びるように頭を下げた。紫水は嘆くように溜息をついた。

「世継ぎは嫌じゃ。何事も私の意志を聞かぬうちに話が進められ、勝手に決められる」

「紫水様、お客様の手前でございます」

 紫水がルーネベリの目を向けた。

「そなたも気にするのか?」

 紫水の言葉にリーネベリは戸惑った。紫水は言った。

「シュミレットの助手をやっていると聞いた。あの変わり者がどのような者を付き従えたかと思えば、そなたのような者だったとは」

「賢者様をそのように仰られるのは、よくないことでございます」

「どういう意味でしょうか?」

 ルーネベリが言った。

「私は驚いているわけでも、貶しているわけでもないのだ。私とシュミレットは似ている節が多い。子供の頃からそう思っていた。だからこそ、今そなたを見て、そなたのようにおもしろそうな男ならば、シュミレットも退屈せずに賢者をつづけられると思い、羨んでいるのだ」

「はぁ」と、頷いたルーネベリ。紫水は微笑んだ。

「私もそなたのような者が欲しい。この世界の者は、皆、過保護なうえ、政のことばかり話す。つまらぬのだ」

「紫水様」

「瑠菜、本当のことだろう。私が帝になれば、二度とこの世界から出られなくなる。なのに、皆、私が世界から出ることを反対ばかりする」

「紫水様の為にございます」

「そんな話は聞きとうない。皆の魂胆など目に見えている……」

「ところで、私に何用だ?」と、問いた紫水に、リーネベリは言った。

「昨日から、約一年前かそれ以前に、おかしな出来事がなかったか聞きまわり調査しているのですが。ご協力願えますか?」

「あぁ、私にわかることならば」

 頷いた紫水に、ルーネベリは手に持ったままだった魔道具ライターを握り締めた。

「紫水様、時が止まる以前、何か不審に思った出来事はなかったでしょうか。報告書や都人の話だと、滝が止まったり、気温の変化が著しかったそうですが。他に何か……。魔術師の姿などは見ませんでしたか?」

「魔術師?」

「はい、魔術師です。一人二人ではなく、何人も」

「記憶にないな。魔術師のシュミレットとよく似たマントを着る者たちのことだろう。見た覚えはない」

「そうですか」

 ルーネベリは見当違いかと、額を描いた。











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