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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部四巻「胡蝶舞う蔓畑」
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八章



 第八章 齟齬する時




 

 ルーネベリはジョラムの話を聞きながら、二年前の治癒の世界で見たキイベラを再度思い出していた。――そういえば、あの時、ルーネベリが風呂場のシャワーで駆除したキイベラは球根に戻り、その後、球根をどうしたのがルーネベリはまったく思い出せなかった。球根を誰かに渡す暇もなかった。ただ一つだけ、ジョタノ・ビニエがキイベラの種を誰かから貰ったと話していたことが頭に浮かんで、ルーネベリははっとした。

「もしかしたら、ジョラム、俺が種の在処を知っているかもしれない。紛失したものと同じものかは、確証はどこにもないんだが……」

 ジョラムは言った。

「どうしてお前が知っているんだ?」

「俺は二年前、偶然キイベラを見たんだ」

 ルーネベリの言葉にシュミレットも驚いた。

「君がキイベラを見たのかい。どこで?」

「治癒の世界です。ジェタノ・ビニエがキイベラに殺されそうになっていたんです」

「今、なんていった!」

 ジョラムは立ちあがって叫んだ。ルーネベリは言った。

「落ちつけ、大丈夫だ。俺がキイベラに水をかけて、どうにか助けたんだ。当時忙しくて、その後もやることが多くて、今のいままですっかり忘れていた。あれをどこにやったか……」

「よく思い出してくれ。もし、研究所で紛失したものだったら、種に肉眼では見えないほど小さな研究所の印が刻まれている。顕微鏡でなければ見られない」

「盗んだ者も気づかなかった可能性があるのか?」

「十分にある。印のことも、俺と亡くなった前責任者しか知らない。俺が盗んだとしたら、こんな話はお前たちにしないし。前任者が売るために盗んだのなら、出所を隠したかったはずだろう。とっくに俺の口を封じていたはずだ。俺の身が無事なのは、盗んだ犯人が印については知らないからだ」

 ルーネベリは言った。

「じゃあ、俺がお前に種を渡せば、研究所で紛失したものかどうかがわかるわけか。ちょっと待ってくれよ、思い出すから」

 ルーネベリは肩にかけたまま忘れていたリュックを木製テーブルの上に置いて、開いた。ルーネベリのリュックの中にはタオルと予備のシャツ、保存食用の銀色の缶、手帳とペン、煙草の箱とぐるぐる巻きにした茶色い革の道具入れ。蔓一本と二つの鉄ボール。そして、三つの空の小瓶に真鍮製の酒瓶が入っていた。

 ジョラムは真鍮の酒瓶を見て、顔を真っ青にした。

「お前、正気なのか。キイベラの種をこんなところに一緒に入れているなんて……」

「心配するな。中身は洗ったままずっと空だ。酒を持ち歩くことが最近はめっきりへっている」

 ルーネベリはリュックの中を漁り、キイベラの球根を探したが、少し探したぐらいでは見つからなかった。頭を抱えたルーネベリは言った。

「どこにやったかな。小瓶には球根が入らなかったから、別のところに入れたんだろうが……」

「第三世界の、君の部屋はどうだい」とシュミレット、ルーネベリは首を横に振った。

「いいえ、部屋には置いていません。俺の部屋には酒瓶がいくつも転がっているので」

 ジョラムは言った。

「冗談でもやめてくれよ。想像しただけでもぞっとする」

 ルーネベリは軽く笑い、リュックの中を覗き込んだ。

「手帳とペン、道具入れには球根は入らない。タオルに包むことは多分しないな。……と、なるとここしかないか」

 保存食用の銀色の缶を手に取ったルーネベリは蓋を外してみると、缶の中で球根がころんと動いた。缶を傾け、掌の上に球根を落とすと。ジョラムは「あぁ、キイベラの種だ!」と言った。ルーネベリは言った。

「キイベラの種って球根なのか?」

「球根そっくりな種なんだ。はやく俺に渡してくれ。お前が持っていると不安でしょうがない」

 ジョラムはルーネベリから球根を恐るおそる両手で受け取った。身体を震わせながら両手の中の悪魔のような植物を見つめ、イーフェスに言った。

「イーフェスくん、一緒に来てくれ。防護服を着て実験室で確認する」

「はい、先生」

「あぁ、あと、防護服を着る前に化粧はすべて落としてくれないか」

「はい、先生。大丈夫です。私はいつも何もつけていませんから。お肌を手入れしている時間があるなら睡眠を取ります」

「それならいいよ、いこう。手に持っているだけでも不安だ……」

 声を小さくして、ジョラムはルーネベリとシュミレットに「ここでしばらく待っていてくれ」と言って、研究所の中へイーフェスと共に小走りして行った。

 

 ルーネベリはシュミレットに言った。

「大袈裟な奴ですね」

「多分、彼の反応こそが真っ当というものなのではないかな。君が変わっているのだよ」

「そうですかね」

 赤い頭をごしごし掻いたルーネベリは缶をリュックにしまい、リュックの口を閉めると、座っていた椅子の後ろに置いた。シュミレットは言った。

「君、そういえば、二年前にジェタノ・ビニエがキイベラに殺されかけたと言っていたね」

「はい。仕事、仕事で先生にお話しする暇もなかったんですよ」

「そのことは気にしていないけれど。ジェタノ・ビニエがどうしてキイベラに襲われたのだろうと思ってね」

「あぁ、それは、ビニエさんが何者かに種をもらった後、部屋で大量の酒を飲んだことが原因なんです」

「貰ったというのは?」

 人差し指を額にあて、ルーネベリは眉間を寄せた。

「確か、ビニエさんは種子を集めるのが趣味だとか。それで、もらったと言っていた気がします。……爆発が起こって、その辺りはあまり覚えていないんですが。誰にもらったかまでは教えてもらっていないような。治癒の世界に行って確かめた方がいいですか?」

「君が確かめたいなら、どうぞ。僕は結構だよ。きっと、聞いても、彼は面識のない人物からもらったとしか言わないと思うからね」

「どうしてそう思われるんですか?」

 シュミレットは「紛失した時期だよ」と言った。

「研究所で紛失したと発覚したのが去年の年末だったね。ジェタノ・ビニエが種を入手した時期は二年よりも前。時期が合わない」

「やっぱり、俺の持っていた種と紛失したものは同一のものではないんですか?」

「そんなことはないと思うよ。同じものだろうね」

「えっ、でも、それはおかしいですよ。ビニエさんが種を入手した頃、種はまだ研究所にあったはずですから。同一のものであるはずが……」

「そう、一見、同一のものであるはずがないと思う。面白いものだよ」

 クスリと意味深にシュミレットは笑ったが、ルーネベリは返事に困り、唇とぎゅっと結んだ後に言った。

「先生、なにか察しがついているんですね。教えてくださいよ」

「考えることは何もないよ。時術師の仕業だよ。それも、ただの時術師じゃない。過去と未来を行き来きできる限られた時術師のね。だけど、一般的には、時をはやめたり遅くしたりすることはあっても、こういった未来や過去を変える行為は、僕の知るところでは時術師はしたがらないはずなのだけれどね」

「『限られた時術師』っていうのは何ですか?」

「君、治癒の世界でイスプルト・マシェットに会ったかい?」

「会いましたよ。まさか、彼がそうだと言うんですか」

「そうだよ。彼がまさにそうだよ。時を遡り、時を進む。彼のような時術師が治癒の世界で雇われていること自体が意外だったのだけれど。誰しも、職を選ぶ権利があるからね」

「もしかして、時術師は暗闇のような場所を行き来きしているんですか?」

「君、知っているじゃないか」

「いいえ、知っているかどうかもわかりません。ただ――」

 ルーネベリはメリア・キアーズやジェタノ・ビニエ、ブリオ・ボンテと一緒にマシェットによくわからない真っ暗な場所へ連れ去られたことを思い出した。シュミレットは言った。

「とにかく、マシェットのように過去と未来を行き来きできる時術師は数が少ないのだよ。一万人に一人か二人いるかどうか。アルケバルティアノ城でも、限られた時術師はユノウと助手主席のリィク・ガボール、次席のセリー・フリガ、三席のラディア・スコレの四人だけだったはずだよ」

「スコレさんもそうだったんですか。驚いたな。そんなにすごい人に無茶を言っていただなんて……先生の話が本当なら、その『限られた時術師』が今回関わっていることになるんですよね。でも、違法だからという理由じゃなく、未来や過去を変えたがらないっていうのはどういうことなんですか。未来や過去を変えると、何か起こるんですか?」

 シュミレットは頷いた。

「時間を進めたり遅くしたりするのと違って、未来や過去を変えると、元いた時間に戻ってこられないようだよ。畑違いだから、僕も詳しくはわからないのだけれどね。僕が賢者になる前、老いた時術師賢者が言っていたのだよ。未来や過去を変えると、時の流れが変わって聞こえる音が変わるとね。音が変わると、どこから来たのかがわからなくなり。わからなくなった者は時に呑まれ、時と一つとなる。……恐らくはこの世から消えてしまうのかもしれないね。未来や過去を変えて、元にいた時間に戻ってくることのできる者がいるとするなら、ミドールの血を濃く受け継ぐ者と滅びた一族だけだと言っていました」

「滅びた一族?」

「僕に教えてくれた時術師はその後すぐに賢者を引退して、亡くなったのだよ。僕は古い本を散々探しまわったけれど、その一族についての記載はどこにもなかった。歴史上に存在していなかったようにね。今まで時術師に沢山出会ったけれど、誰も滅びた一族のことは知らなかった。だから、現代では誰もその存在すら知らないのではないかな。――いずれにせよ、限られた時術師がキイベラの種を使ってジェタノ・ビニエを事故死にみせかけて殺害するつもりだったのなら、ビニエを助けようとした君をなんらかの方法で邪魔をするなり殺害していたはずだけれど。君は誰かに命を狙われたことはあるのかな?」

「いいえ、ないはずです」

「それなら、犯人は君の存在を知らなかったことになるわけだね。君の友人、ジョラムの時とまるで同じだね」

「あぁ、確かにそうなりますね。行動を起こしているわりには詰めが甘いというか。ビニエさんを助ける人物や、種子管理に携わっていた第三者ジョラムの存在までは気にかけていない。まるで焦って行動し、見落としたかのようですね。……どうしてビニエさんを殺そうとしたんでしょうか」

「僕もぜひ知りたいところだね。あの時、ジェタノ・ビニエには何らかの命を狙われる理由があったのだろうね」

「気になりますね。昨年、お会いした時に聞けたらよかったんですが」

「どちらにしても、時術師を相手にするならユノウに相談したほうがいいかもしれないね。僕は時術式の知識は多少あるけれど、実際のところ理解できないのだよ」

「えっ、先生が理解できないなんてことあるんですか?……いや、すみません。悪い意味で聞いたわけじゃないんですが。あまりにも意外で」

 ルーネベリがそう言うと、シュミレットは頷いた。

「君が言いたいことはわかっているよ。魔術師は魔力以外について本当の理解はできないのだと僕は思っているのだよ。上辺をすくっても、肝心なことはそのずっと奥底にある。一を知っただけで十を理解できるなんて愚かな考えだと、僕は心底思い知ったのだよ」

「先生、それはどういった……」

 話の途中で、頭部をすっぽり覆う薄い特殊ガラス玉がついた白い防護服を着たジョラムがバルコニーに走ってきた。


「ルーニー、お前の持っていた球根に研究所の印があったぞ!俺の探していたキイベラの種が見つかった」

 ルーネベリは咄嗟に頭の切り替えがうまくできず、ぼんやりと「そうなのか」と言った。ジョラムは言った。

「もっと喜んでくれよ。これで心配事が一つ減った。お前のおかげで今晩はぐっすりと眠れそうだ」

「それはよかったな。俺もとりあえずは安心したよ。種の出所がわかって」

 ジョラムは両腕を大きく広げ、掌を空に向けた。

「あぁ!こんなに嬉しいことは幻の花シュビラの種子を見せてもらったとき以来だ。ルーニーと小さなお友達。このまま帰るとは言わないでくれよ。感謝の気持ちを込めて、俺が久しぶりに料理の腕を振おう」

 ルーネベリはぎょっとした。

「ジョラム、いくら嬉しいからといっても、それだけは勘弁してくれ。お前の野草料理はまずくて食えたもんじゃない」

「ルーニー、お前は昔から好き嫌いがあったな」

「好き嫌いの問題じゃない。ジョラム、お前は味覚音痴だ。いい年なんだから、そろそろ自覚しろ。お前の料理を食べた後、数日間は酒までまずく感じるんだぞ」

「お前、普段から酒を飲み過ぎなんじゃないか。健康になった証拠だろう。控えるためにもいいことじゃないか」

「よしてくれ。お前の料理のせいで味覚音痴になりたくない」

 これには後から歩いて来た防護服を着たイーフェスが深く頷いた。

「先生、お客様が病気になられたら困ります。私がおいしい出前でも取るから、諦めてください。第八世界は『食の世界』として名高いんですよ。料理とは名ばかりのものをお出しするなんて、人としてどうかと思います」

「イーフェスくん、俺にたいして失礼じゃないか」

「失礼じゃありません。事実です。私が先生の助手になったばかりの頃に、先生が歓迎会で作ってくださった料理を覚えていますか?」

「覚えているよ。あれは上出来だったじゃないか」

「先生の料理を食べた後、私は五日も高熱で寝込んだんですよ。治癒者に診てもらったら、食中毒の一種じゃないかと言われたんです。他の研究所の先生方も高熱の原因はヨナソン先生の料理だろうと口を揃えて言っていました。どうしてもお料理なさりたいなら、きちんとした料理教室に通うべきです。被害者を増やさないでください」

 ジョラムは心底驚いた様子で言った。

「毒をもっている野草は使っていないはずだぞ。多少、珍しい植物の葉も入れてはいるが。問題はないはずだ」

「他人を巻き込まずに、ご自分一人でやってください。今から私が出前を取りますから。先生はここでお客様とお話していてください」

 イーフェスはジョラムを無理やり納得させると、通話機のある研究室へ戻って行った。ジョラムは両腕を組み、「植物学者が野草料理を作って何が悪いんだ」とぶつぶつ呟いていた。

 シュミレットはクスクスと笑い、ルーネベリに言った。

「彼女のおかげで不味い料理を食べなくてすみそうだね」

「先生ははじめから食べる気はないでしょう」

「君の友達のものはともかく、彼女が頼んでくれる出前は食べるつもりだよ」

「やっぱり、俺に押しつけるつもりだったんですね」とルーネベリが言うと、シュミレットは首を軽く傾げた。

 一人呟いていたジョラムはふと言った。

「つい、聞きそびれていたが。ルーニー、今日はどういった用でここに来たんだ?」

 ルーネベリは言った。

「あぁ!そうだ。忘れるところだった。実は魔力で突然変異した種を引き取ってもらいたいんだ」

「種?何の種だ」

 ルーネベリはリュックをまた開いて、蔓一本と二つの鉄の網ボールをジョラムに手渡した。

「このボールの中に大量に種が入っている。蝶のように羽がついていて、飛びまわるから窓や扉はくれぐれも閉めておけよ」

「蝶のように飛ぶ種なんて聞いたことないぞ。新種じゃないか!」

 ジョラムは溢れんばかりの笑みを浮かべた。シュミレットは小さな魔術式を一つ作った。魔術式はジョラムの手の中にある鉄のボールに近づくとすっと消えた。

「網を開けたいときは、指を鳴らしてください。摩擦音で元の大きさに戻ります」

「わかった、そうするよ。今日はなんて嬉しいことが重なる日なんだ。ルーニー、お前は幸福の使者を連れてきたな」

 ジョラムはシュミレットににっこりと微笑んだ。

「魔術師の少年、君のことだ」

「おい!」とルーネベリが言う前に、ジョラムは研究室の方へ走っていき、向こうの部屋にいるイーフェスに「豪華な食事を頼む!今日はお祝いだ」と叫んだのが聞こえた。

 シュミレットはクスリと笑った。










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