九章
第九章 第八世界観光
ドロイア・イーフェスが頼んだ美味しい出前を四人で食べている途中、ルーネベリの元に小さな時術式が淡い黄色のカードを運んできた。ユアン・レガートからだ。手配した宿の名前と住所を送ってきたのだろう。ルーネベリはカードに書かれた文章を読みあげた。
「海岸通り一○○五番地、宿屋『イルミテア』」
ジョラムは大きな赤い甲殻類の刺身にかぶりつきながら言った。
「今晩はこの世界に泊まっていくのか。観光案内はしてやれないぞ。俺たちはこの後、お前が持ってきた新種の種を分析するつもりだからな」
「あぁ、気にしないでくれ。最初から頼むつもりはなかった」
ルーネベリは口元をハンカチで拭いているイーフェスに言った。
「ここから海岸通りにはどう行けばいいですか?」
イーフェスは言った。
「ここからはとても遠いですよ。ちょうど球体の真反対になりますから。一度、白亜の塔から第三世界に戻られてから、第九世界経由で向かれた方がずっと近いです。第九世界から海岸通り行きの直通の空間移動装置があるんです」
「はぁ、そうなんですか。ということは……結局、一度は第八世界を出なければならないんですね。どうせなら、研究所にも設置すればよかったでしょうに。出前もいいですが、たまには外に食べに行きたいこともあるでしょう」
イーフェスは両手を握り、にっこり微笑んだ。
「わかる人がいて嬉しいです。私も研究所に海岸通り行きの空間移動装置があったらいいなと思っていました。海岸通りは昼間も夜もとても素敵なところなんです。食事だけじゃなくて、ロマンチックなデートをするにもとっても良い場所なんですよ。はやく仕事が終わった日に、ちょっとだけでも行けたらいいなって」
「デート?」
ジョラムは金色の透明な粒卵を食べながら「装置を新たに設置する費用はない!デートがなんだ。はやく仕事が終わったら、俺なら農夫に会いに行くぞ。彼らは植物をいかにうまく育てるかを熟知しているからな。教えてもらうんだ」と言ったので、イーフェスは恨めしそうにジョラムを見つめ、ため息をついた。意味深なため息だった。ルーネベリはすぐにぴんときて言った。
「ジョラム。お前、鈍いにもほどが……」
イーフェスが慌てて首を横に振ったので、ルーネベリは渋々頷いて黙った。余計なお世話だったようだ。
ジョラムはルーネベリの言っている意味がわからないと首を傾げた。
「ルーニー、何が鈍いんだ?」
「いや、なんでもない。自分で考えろ。それよりも――」
ルーネベリはため息をついて、シュミレットに言った。
「面倒ですが、先生。一度、第三世界に戻りましょうか」
「戻る必要はないよ。僕は君の友人ほど鈍くはないのでね。はっきりと言ってあげましょう。僕は海岸通りに数回ほど仕事で行ったことがあるので、わざわざ第三世界へ戻る必要はありません」
ルーネベリは肩をすくめた。
「……そういうことは、先に言ってくださいよ」
「今、言ってあげたでしょう」
シュミレットがクスリと笑ったので、ルーネベリは「そうですね」とうんざりしながら頷いた。
ジョラムとイーフェスに別れを告げ、研究所から海岸通りへシュミレットとルーネベリは空間移動した。行きついた場所は海岸通りでもひときわ大きな宿屋の前だった。
丸いガラスの半球部屋が七列、一列に四十の計二百八十室もあった。部屋は空高く見上げる縦長い白い箱にすっぽりと収まるように詰め込まれ。ガラス球の部屋のいくつかは白くなっており、部屋に滞在している宿泊客が外からは見えないように閉めたのだということがすぐにわかった。
銀縁のガラスの戸口の前に、大きな金の立て札が建っており。立て札には「海辺の高級宿『イルミテア』」と刻まれていた。
ルーネベリは文字を読んでから言った。
「ここは、レガートさんが予約してくださった宿ですよね」
「そうだよ。僕も驚いたものだよ。この世界に来ると、僕はこの宿に泊まることが多くてね。まさか彼がこの宿を取ってくれるとは思わなかったよ」
シュミレットはそう言うと、戸口から宿の中へと入って行った。ルーネベリも後を追った。
淡い水色の輝石の床に足を踏み入れた途端、奥から長身で面長の従業員が小走りで近寄ってきた。金縁の眼鏡、黒い髪を後ろに撫であげて上品な黒いスーツと黒いシャツを着こなし、胸元に金の羽のブローチ型の通話機を身に着けているところを見ると、総支配人か、宿の所有者か。どちらにせよ、宿のお偉いさんの誰かに違いなかった。息ひとつ乱さずに、従業員は言った。
「いらっしゃいませ、ギルバルド様。お待ちしておりました」
シュミレットは片手をあげた。
「今回もまたしばらくお世話になります。予約をしたのは別の人物ですが、僕の名前はこれまでと同じように伏せてもらえますね」
「当宿ではお客様のご要望はすべて承っております。お客様については外部に漏れることは一切ございません。ご安心くださいませ」
「それならいいのだけれどね。僕らが滞在する部屋番号を教えてくれますか?」
「はい、いつものお部屋をご用意しております。奥の空間移動装置をお使いください。お部屋番号六○六でございます」
「わかりましました。ありがとう」
従業員はお辞儀をし、シュミレットとルーネベリが空間移動装置に向かうのを見送ると、新たに戸口から入ってきた客の接客に向かった。
シュミレットは歩きながらルーネベリに言った。
「たった今、どこで漏れたのかがわかったよ」
「えっ?」
「昨年、僕が第七世界に行った件だよ。君の名前で宿を取ったせいだよ。うっかりしていたよ。宿に口止めをするのを忘れていた」
「あぁ、そういえば、そうでしたね」
「……七老者たちがほくそ笑む姿が思い浮かぶよ。すべて君のせいだからね。君という助手を傍に置いたから足がついたんだ」
「まぁ、俺が悪かった部分もあるかもしれませんが。先生、それは八つ当たりっていうんですよ」
「僕だけじゃなくて、君にも気を付けてほしいと優しく言っているつもりなのだよ」
「そういう風には一向に聞こえませんが」
天井、二つの左右側面、床、そして、真正面に七色の光沢のある白い五つの板とそれらを取り囲む金枠の手摺り付きの円柱型空間移動装置に辿り着くと、二人は装置の奥にある金のプレートの二百八十個のボタンの中から「六○六」を見つけると押した。すると、突然、シュミレットの胸元に黄色く光る奇術式が現れた。
「どうして奇術式が?」と、ルーネベリ。シュミレットは言った。
「高級宿ではごく普通のことだよ。部屋の鍵は宿泊者の奇力。他人はけして入れないのだよ。支配人と室内メイドは別だけれどね」
数十秒、シュミレットの胸元で光った奇術式は本人確認すると消え去り。空間移動装置が自動的に発動し、気づいた時には二人は半球の部屋に移動していた。
ルーネベリはぽかんとした顔で部屋を見渡した。淡い水色のベットシーツがかけられた二つの大きなベッド、真っ白い壁際には宿にしては珍しく絵が一つもなく。大きな書斎机と赤いクッション付きの椅子と空の棚が置かれていた。衣装箪笥がその隣に置かれ、クリスタルのような星形のランプが箪笥の隣で浮いていた。レガート家で見たものよりも多少貧相ではあったが、それでも十分華やかに思えた。
奥の壁は外から見た通りの一面ガラスの半球で、ガラス壁の傍には外の景色が見渡せる絶好の場所にチャコールグレイの小洒落たテーブルとイスが二つ置かれていた。羽の彫刻の施された、アンティークのようだった。
ガラスの半球に近づいたシュミレットはルーネベリに言った。
「この部屋はなかなかいい部屋でね。外を見てごらん」
ルーネベリはシュミレットの隣に立ち、半球の外を見てみると鮮やかなシアンブルーの海が広がっていた。
「……うわぁ、これは第十四世界とはまた異なった美しさですね」
穏やかな海流のためか、波立っている様子はほとんど見受けられず、絵画のような静けさがあった。こんな光景なら、いつまで見ていても飽きないかもしれないなとルーネベリは思った。
「こういった場所に研究室を構えることができれば、言うことないんですがね」
「僕もここなら長く住んでもいいなと思うけれど。あまり長く滞在するとアルケバルティアノ城から催促状が届くからね。たった一年さえのんびりできないのだよ」
「先生の一年と、俺たちの一年では重みがきっと違うんですよ」
シュミレットは不満げに首を傾げて赤いクッション付きの椅子に腰かけた。数分ほど沈黙がつづいた。ルーネベリがシアンブルーの海を眺めていると、突如、背後のチャコールグレイの小洒落たテーブルの上に二つの時術式が現れた。
「何かが届いたようだね」
シュミレットの声にルーネベリが振り返ると、時術式の光の柱から二つ折りのパンフレットと広告が三枚ひらりと飛び出て、テーブルの上にすっと落ちた。
一番上に置かれたパンフレットの表紙には「レベールズ号の素敵な旅」という大きな文字と、大きな遊覧船の絵が色付きで描写されていた。名のある画家が描いたものかもしれない。ひどく興味がそそられた。船首と船尾にカラフルな飾り布が横ではなく縦一列に並び、船の中心にはガラス張りのくびれた丸い二階建ての小窓付きの展望台があり。船底にもまたガラス張りになった空間が二つあった。船首側には操縦室。船底の中央から船尾にかけては数多くのテーブル席が設けられていた。動力は船の後ろに取り付けられた科学道具の大きなプロペラ一つのようで、プロペラを覆う白い安全柵まできっちりと描写されていた。
ルーネベリはパンフレットを手に取り開いた。二ページ目から三ページ目にかけては船内の案内が詳しく載っていた。船の飾り布は暗くなるとライトのように光るようで、水を吸わない特殊な繊維で織られているということや。船内には買い物施設、子供専用の娯楽室、酒屋や賭博場もあり。船底のテーブル席のある大きな空間は、船内レストランだということがわかった。「船内レストラン『アトゥール』」と書かれていた。
「アトゥールというレストランは遊覧船でも営業しているんですね」
「そうなのだね」
シュミレットの返事の短いところをみると、あまりレストランには興味がないのだろう。特に気にせず、ルーネベリはパンフレットを読みつづけた。
夜の船旅では、日によって船内レストランのステージで楽団の演奏や小さな芝居が行われるようだ。船は潜航し、第八世界の海を一周するようだ。潜航するコースにもよるようだが、海底に停泊して、海底散歩もできるオプションもあるようだ。だいたいかかる時間はおおよそ三時間から四時間。時間がある時にはちょうどいい旅だ。
ルーネベリは言った。
「先生、せっかくなので、この遊覧船に乗ってみませんか?一つ仕事は終わりましたし。夜までまだだいぶ時間がありますから」
「君が遊覧船に興味があるのなら、僕はかまわないよ。行くなら、はやくいこう」
シュミレットは素早く黒い鞄から茶色の鬘とチョビ髭、青いガラスの眼鏡を取り出すと、素早く身に着けてフードを深く被り直した。お手軽「レヨー・ギルバルド」氏の完成だ。
ルーネベリの「それらは身に着けないといけないものなんですか?」という問いに、シュミレットは「もちろんだよ。君には茶番にしか見えないだろうけれど。知らない人が見ると、まるで別人に見えてしまう。僕には好都合なのだよ」と答え、空間移動装置の方へ歩いて行った。
シュミレットはルーネベリを連れ、宿を出て海岸へ向かった。
砂のない、一センチほどの青白い草に覆われた海岸には若い男女たちや家族連れの多くがリスタという遊びをしていた。誰か一人が空気よりも軽いボールを空高く投げ、科学道具を応用して作られた空気を踏むことのできる高機能靴を履いた数人がボールを空まで追いかけ取りに行くというごくシンプルな遊びだ。
当然、ボールを取った者が勝ちになるわけだが。リスタの一番面白いところは、ボールが真っすぐ飛ぶとはかぎらないことと、ボールの色が白一色しかないため、隣で遊んでいるグループのものと区別がつかなくなることだ。空でぶつかる場合も多く、うまくかわさなければならない。そのうえ、空気を踏むことはできても、空にとどまることはできない。注意力、集中力、動体視力と反射神経、判断能力が鍛えられるため、十三世界の運動選手はこの遊びをよくしているという。
海岸の一部にはリスタ専用の科学道具、緑の安全ネットが敷き詰められ、落下した者は地面の中にのめり食い込むようにネットに捕われるのだ。それもまた面白くてたまらない様子で、若い男女や子供たちがケラケラと笑っていた。
一際大きな男女のグループがリスタを応用して、四つの組に別れ、細い煙の線で区切った空間の中でくるくると空中リレーをしていた。リスタの遊び方は多様のようだ。
海岸をずっと南に下って行くと、白い箱型の一階建ての建物が見えてきた。入り口には扉はなく、誰でも気軽に入れるようだった。建物の看板には「遊覧船 乗り場」と書かれていた。
二人がその建物に入ると、同じように乗船しようと待っている客が十組ほどいた。ここもまた、家族連れやカップル、一人旅の男性や女性の姿もあった。シュミレットとルーネベリにその列に並び、乗船時間まで待つことにした。
ルーネベリは言った。
「そういえば、乗船料金を支払えばいいんですかね?」
「どこだろうね」というシュミレットの言葉の後に、若い女性の明るい声が聞こえてきた。
「ようこそ、レベールズ号へ。ご乗船ご希望ですか?」
短い丈のシャツと、白いポーチ付きの白い長ズボンを穿いた女性がどこからともなく颯爽と現れた。灰色の髪を後ろで丸め、ピンクのリボンを結んでいた。制服だろうか。
ルーネベリは頷いた。
「はい。こちらで搭乗料金を支払っても?」
「承ります。オプションはお付けになりますか?」
「あぁ……」シュミレットの方を見ると首を横に振ったので、ルーネベリは「いいえ、結構です」と答えた。受付係の女性は頷いた。
「それでは、大人二名様で一万二千キエヌになります」
受付係の女性はポーチの中から空の透明な容器と、容器の蓋から管でつながった先にいくほど細くなっていく特殊合金の銀の筒を取り出した。蓋にプッシュ式のポンプが付いたトクークという機材だ。
ルーネベリもまた黒いズボンのポケットから透明な丸い容器を取り出した。丸い容器の中にはまた丸い容器が十個、中心にある大きな丸い容器に沿って並んでいた。容器の六つはピンク色の液体で満たされていた。容器は財布で、中の液体こそが液体通貨「キエヌ」だ。
ルーネベリが財布を差し出すと、女性はトクークの合金の筒の先を財布に挿し、ピンク色の液体が詰まった容器まで達すると、プッシュボタンを一度押した。そうすると、ルーネベリの財布の中央の容器に日付と「レベールズ号乗船料金一万二千キエヌ 支払い済」と表示され、女性の容器の方にピンク色の液体が少量溜まった。
女性は微笑み、言った。
「ありがとうございます。もう間もなく船が到着します。しばらくお待ちください」
お辞儀すると、女性の足元と空に時術式が現れて一瞬で消えていった。どうやら、客が来たときだけ現れるようだ。
女性が言ったとおり、五分も経たないうちに船が水中に浮上してきた。あのカラフルな飾り布をつけたレベールズ号だ。小さな子供は船を見て大はしゃぎし、カップルたちは四角や星形の、二センチほどの大きさの小箱を空に投げた。映像を立体に撮るためのカメラだ。カメラは持ち主の手の動きに合わせて、上や下、右斜めから左へゆるやかに空中で移動しながら持ち主を自動で追いかけていた。彼らはそうやって観光の映像を記録しているのだ。
シュミレットは彼らのカメラに映らないようにルーネベリの巨体の後ろに隠れた。いつの間にか、ルーネベリの後ろにも行列ができていた。
レベールズ号が建物の傍に着くと、二つの時術式が現れた。先ほどとは別人だが、まったく同じ格好をした案内係の女性が光の柱から出てきて、大きな声で叫んだ。
「レベールズ号が到着いたしました。下船のお客が優先となりますので、乗船お待ちのお客様は左手にお寄りください」
船に乗っていた沢山の乗客たちが一斉におりた後、ほかの乗客たちとレベールズ号に乗り込んだシュミレットとルーネベリは、さっそく船の展望台にのぼった。
乗船時間は約二十分後で、船長の歓迎の挨拶の後、船はゆっくりと潜水しはじめた。大量の泡を放ちながら沈んでいく様を二人は見上げた。




