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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部四巻「胡蝶舞う蔓畑」
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四章



 第四章 貴族の屋敷





「本当に伸びましたね、先生」

「そうだね。だけど、引っこ抜けないのは困ったものだね……。燃やしてはみたのかい?」

 ユアンは首を横に振った。

「蔓畑を燃やそうとすると、薄桃色の蝶のようなものが沢山飛んできて、マッチの火も松明の火も消えてしまうんです。鋏で切ろうとしても、蝶に鋏を吹き飛ばされてしまうありさまで。危ないのでやめたんです。それで、知人に頼んで家畜を連れてきて食べさせようとしたんですが、嫌がって食べようともしないんです。お手上げです」

「――蝶?」と、シュミレットは首を傾げた。ルーネベリは言った。

「俺だけが見えていたわけではなかったんですね。安心しました」

「君たち、何のことを言っているのかな。『蝶』なんてどこに飛んでいるというのですか」

「えっ、先生には見えないんですか。あれですよ、先生。あちこち畑の上を飛んでいるやつです」

 蔓畑の上を浮遊する半透明のひらひらと飛ぶ蝶のような、桃色の薄いベールのリボンのようなものをルーネベリが指差した。けれど、シュミレットはまた首を傾げるだけだった。どうもシュミレットには見えていないようだった。ルーネベリは赤い髪を掻きあげた。

「じゃあ、逆にお聞きします。先生の目にはこの畑はどう見えているんですか?」

「蔓畑全体が靄に覆われているように見えている……なるほどね。僕の見えている靄と、君たちの見えている『蝶』は同じ蔓畑から派生しているのだね。ということは、土でなく蔓がこの状況を作り出しているようですね」

 シュミレットは何が面白いのかクスリと笑い、右手の指先をはじいて一つの魔術式を発動させた。ユアンはシュミレットが発動した魔術式を見て、びっくりして後ろに飛び退いた。はじめて魔術式を見たようだ。 

 ユアンの驚く様などまったく気にしないシュミレットは魔術式を畑の方へ移動させた。そうすると、ルーネベリとユアンの目には畑の上に飛んでいた無数の蝶が大急ぎで畑の上空へ侵入してきたシュミレットの魔術式に体当たりしていったのが見えた。その一方、シュミレットの目には濃い靄がシュミレットの魔術式を追い払ったように見えていた。

 畑から追い出され、行き場を失った魔術式がしょんぼりしたようにシュミレットの手元へ戻ってきたので、シュミレットは魔術式を一瞬にして消し去った。

「蔓が魔力を使って畑を守っているようだね。奇抜な形に変化する植物や本来の生態から随分と逸脱した植物は見たことがあるけれど、魔力を利用する植物がこの世に誕生するなんて胸が躍るね」

 シュミレットはまたクスクスと楽しげに笑ったが、ルーネベリはまったく喜べなかった。シュミレットの魔術式さえ追い出されたのだ。魔力によって守られた蔓畑から、どうやって蔓を引き離すのだろうか。今度ばかりは、賢者様に考えあるようには思えなかった。

 ルーネベリはどうしたものかと蔓に近づき、二枚の葉に触れてみた。蔓の葉は厚みがあり、脂肪のようにぶよぶよとしていた。白い茎の方を触ってみると、ぶよぶよの中に何かうごめくものを指先に感じ、ルーネベリはぎょっとして手を引っ込めた。

「な、なんだ。今のは……」

「どうかしたのかい?」

「今、何か茎の中で動いたんですよ」

 シュミレットは蔓の茎に触れた。ルーネベリと同じように指先にうごめくものを感じても、シュミレットは茎に触れつづけた。

「確かに動いているね。これは一体、なんだろうね……。触れた感触では丸いものように感じるけれど。いくつもあるように思えるね」

「丸いもの?」

 ルーネベリは口元に手をあてて考えた。

 茎は根から吸い上げた水や養分を植物全体に運ぶ役割を果たしているが、養分などを貯える場所ではない。仮に、突然変異を起こし、茎に養分が丸い形状のものとなって貯えられているとしても、生命体ではない養分の塊が茎の中で動いているとは到底考えられない。他の仮定は一つしか思い浮かばなかった。だが、その仮定もまた信じられないものだった。

 シュミレットは茎から手を放し、ルーネベリの方を向いた。ルーネベリは赤い眉を寄せていまにも唸り出しそうな難しい顔をしていた。シュミレットは言った。

「その顔、君も同じことを考えているようだね。茎を切り裂いてみなければわからないけれど、おおよそ、この蔓たちの茎の中には種が入っていると思うのだよ」

「先生もそう思いましたか。ですが、おかしいですね。突然変異を起こしたとしても、どうして茎の中に種があるんでしょう。種子散布するにはあまりにも不都合な場所にありますよね」

「植物にも感情や思考があるというからね、蔓にも何か考えがあるのかもしれないね」

「蔓の考えですか……」

「もしかしたら、蔓畑の前を妊婦が通りでもしたのかもしれないよ。妊婦を見た蔓が、妊婦の姿に憧れたのかもしれない」

「まさか!」

「ないともいいきれませんよ。――ただ、今、確実に言えることは、僕らには何もできないということだよ」

 シュミレットの言葉を聞いたユアンは狼狽えながら言った。

「賢者様、蔓畑をこのまま放っておくんですか?」

「そうだよ。放っておいても種はいずれ、外にでてくるはずだから。しばらくここに滞在して、様子を見ようと思います」

「滞在を?あぁ、驚いた。このまま帰られてしまわれるんかと……」

「そうしても僕は一向にかまわないけれど。魔力汚染した植物を放っておくと、後々面倒な事が多いからね」

 ぼそりとシュミレットが「アルケバルティアノの事務員たちにまた依頼書を増やされてはかなわないよ」と言ったので、ルーネベリは「そうですね」と苦笑った。

 ひとまず、畑の件が解決するまでは滞在すると聞いてほっとしたユアンは言った。

「しばらく滞在されるなら、ぜひ、わいの家にお泊りになってください。お部屋はすぐにご用意できますから」

「いや、でも……」と言いかけて、ルーネベリはレガート家のあの立派な屋敷を思い出した。外装だけしか見えていないが、屋敷の中もさぞ立派なものなのだろうと思うと、遠慮する気が急に失せてきた。誰でも一度は豪華な屋敷に泊まってみたいと思うものだ。元執事の屋敷だ。もてなしも相当なものだろう。ルーネベリは古い暖炉の傍にある赤いソファの上で上等な酒の入ったグラスを片手にふん反りかえっている姿を想像し、期待を膨らませていた。

 ルーネベリがしばらく黙ったままだったので、シュミレットが言った。

「気を遣わなくても結構だよ。僕らは僕らで、宿を……」

「いえ、先生。折角、招待してもらっているんですから。お言葉に甘えましょう」

「だけど、君……」

 急に態度を変え、わざとらしい笑みを浮かべたルーネベリは間髪入れずにユアンの両手を握りしめた。 

「よろしくお願いします」

 ユアンもにっこりと微笑んで、握られた両手を振って頷いた。

「精一杯、おもてなしさせていただきます」

 ルーネベリとユアンが楽しそうに今晩の夕食の話をはじめるのを聞いて、シュミレットは眉間に皺を寄せたが、特別反対はしなかった。うんと年下の助手があまりにも乗気なので折れることにしたのだ。だが、実際のところ、折れるとは聞こえがいいだけで、些細な事をとやかく言うのが面倒になったというのがシュミレットの本音だろう。要は、泊まれればそれでいいのだ。

 そうこうしている間に、レガート家の屋敷に引き返すことになり、丘をくだろうとしたとき、ルーネベリがふと巨大な畑の六つ向うに小さな森があるのに気がついた。よく見てみると、小さな森の傍に湖があり。その湖の畔にレガート家の屋敷とよく似た白い屋敷が建っていた。

 ルーネベリはユアンに言った。

「向こうに見えるお屋敷もレガート家のお屋敷ですか?」

「あぁ、あちらのお屋敷はロルコ・ザベル様の別荘ですよ。シスケイル家御一家の所有地は六つ向うの畑までで、その隣からずっと向うまではザベル様の所有地なんです」

「ロルコ・ザベル?」

「由緒正しい魔術師の貴族の家系の方で、今も家名を引き継いでいらっしゃいます。昨年、あのお屋敷で結婚式が行われたんですよ。父がお祝いのために訪ねたんですが、花嫁さんはブロンドの美しい女性だったそうですよ」

「はぁ、そうなんですか。結婚式とはおめでたいですね」

「ザベル様はとってもいい方ですから、きっとお幸せになられるでしょうね。わいにはまだお相手すらいないので羨ましいかぎりです」

 ルーネベリは白い屋敷に住む貴族たちの幸福な結婚生活を思い浮かべた。


 




 レガート家に戻ってきた三人は、豪勢なレガート家の屋敷の黒い鉄製の扉の前に立っていた。当初は屋敷の中まではお邪魔するつもりはまったくといっていいほどなかったが、客人として招かれた今となっては、ルーネベリは屋敷に入るのが楽しみでしょうがなかった。

 ルーネベリの隣に立っていたシュミレットといえば相変わらず屋敷には無関心で、早く椅子に座りゆっくりとお茶が飲みたいと思いながら気難しそうに袖口をぱたぱたと振っていた。

 ユアンは対照的な二人の顔を見てひそかに微笑み。黒い革のベストの左ポケットから鉄の長い鍵を取り出し、鍵穴にさした。そして、扉を開けたユアンは「我が家へ、ようこそいらっしゃいました」と屋敷の扉を大きく開いた。

 重い鉄の扉が開かれると、上品な花の芳しい香りが漂ってきた。

「お邪魔するよ」

 軽く首を傾げ、シュミレットはレガート家の屋敷に足を踏み入れた。

すこし歩いても扉が閉じる気配がなかったのでシュミレットが振り返ると、ユアンは扉を開いたまま、突っ立った屋敷の玄関に見とれているルーネベリを待っていた。

 ルーネベリが「……はぁ、思っていたよりもずっとすばらしい」としきりに首を横に振っていたので、シュミレットはクスリと笑った。

 踏むのもためらうほど細密に織られた幾何学模様の青緑の絨毯が床を飾り。正面で大きなガラス細工の花と葉が青紫色に輝きながら微かに動き、玄関に入ってきたシュミレットを避けた。どうやら装飾電灯型の科学道具のようだが、芸術品にしか見えなかった。ガラス細工の花と葉からは微かに動くたびに優美な音楽が聞こえてきた。

「ルーネベリ」

 シュミレットに呼ばれ、ルーネベリは扉を開けたまま待ってくれていたユアンに片手をあげた。

「失礼」

 玄関に入ったルーネベリは先を歩きだしたシュミレットの後につづいた。

 装飾電灯を通り過ぎると、正面に漆黒の壁が見えてきた。壁には黄色い水晶が惜しげもなく埋め込まれ、何かの物語を描写しているのか、ゆるやかに踊る綺麗な顔をした男とも女ともわからない人々が刻まれていた。壁にはほかに、透かし扉が三つ漆黒の壁についており、それぞれ透かし扉のガラスから各階に通じているのだろう空間移動装置が見えていた。一つの屋敷に高価な装置が三つもあるなど、なんて贅沢だろうか。

 まだほんの屋敷の入口だというのに、日常生活を送るにはあまりにも不向きに思えるほど、完璧な美の空間が広がっていたのだ。期待はしていたものの、ルーネベリは屋敷の古めかしくも気品漂う雰囲気に圧倒されていた。

 ユアンは足音も立てずに二人の前まで歩いてきて、腕を左へ伸ばした。

「左手の奥の部屋へどうぞ。お茶をご用意します」

 なんの躊躇もなくシュミレットは青緑の絨毯の上をずかずかと歩いて、案内された奥の部屋へ歩いて行った。ルーネベリも歩いてはいるが、なるべく絨毯を汚さないように慎重に歩いて部屋へ向かった。

 ユアンに案内された部屋もまた恐ろしく美に溢れた部屋だった。

 深緑の壁には彫刻の施された棚が埋め込まれ、そこにはなかなかお目にかかれない光沢のある古美術品たちが小奇麗に置かれていた。古美術品の隣には肖像画が二、三十枚はあるだろうか。絵の中の淑女、紳士たちがまるで生きているかのようにこちらをじっと見ていた。お世辞にも居心地の良い部屋とはいえなかった。

 シュミレットは壁など見ず、まっすぐに部屋の真ん中にあった古い黒の木製椅子に座った。これもまた高そうな椅子だった。座席と肘掛けの部分には細やかな刺繍が施され、くるりとまがった椅子の足は金でできていた。同じ椅子がもう一脚、少し背の高いテーブルの隣に置かれていたので、ルーネベリはその椅子に座り、どこか落ち着かない気持ちを抑えるように、腕を組んだ。

 蔓畑にいた時とはまるで別人のように、背筋をのばしたユアンがテーブルの前に立つと、いつの間にかテーブルには薄ピンク色の花が絵付けされたカップが二つとポット、皿に盛られた一口サイズの焼き菓子が現れていた。どうやったのだろうか。

 ユアンはカップにお茶を注ぎ入れた後、きびきびと言った。

「ユクスの黄金の茶葉を熟成させたお茶になります。焼き菓子のほうは、レラフという苦味と甘味のバランスの程よい菱形の紫の果実を細かく刻んで練り込んだ特製の焼き菓子となっております。しばし、お茶をお楽しみください」

 ルーネベリは驚いてカップに注がれたお茶を見た。土色にくすんだ砂金がカップのなかで光りながらまわっていた。

「黄金の茶葉?数グラムで家が一軒買えるというあの高価な……。最近はよく出まわっているのか……?」と、呟いたルーネベリ。ユアンは言った。

「助手様、よく知っていらっしゃいますね。都心に庭付き二階建ての広い家を建てるのも夢じゃないほどのお値段で取引されている茶葉です。価値が高い分、育てるのはとても容易じゃありませんが。ユクスは農家泣かせの植物です」

「詳しいようですね。もしかして、育てた経験が?」

「わいは希少植物栽培資格を持っているので、時々、ユクスの茶葉の手入れの手伝いに砂の世界へ行くんです。ユクスのような育ちにくい植物を育てられる農家は少ないですから、わいたちのような農夫は非常に大事にされとるんですよ。手伝いに行っているかぎり、屋敷にかかる維持費が免除されるうえに、熟成用の茶葉はとても安価で購入できるんです」

「ほぅ、それは良い事尽くめですね」

 ルーネベリはカップを見て、「熟成用ものと、熟成用ではないものには何か違いでもあるんですか?」と聞いた。ユアンは言った。

「ユクスはとても腐りやすい植物なんです。早く採取して少し加工すれば、問題ないんですが。採取時期も難しくて。腐りはじめる前に採取できるのは、一パーセントにも満たない量なんです。一パーセント未満の貴重な茶葉は最高級品として市場に出まわりますが。腐りかけの茶葉は加工もできないのでうまく熟成させないと完全に腐ってしまうだけなので、市場では取引きされていないんです。わいら、ユクスを育てている農家はそういった茶葉を昔ながらの特別な方法で熟成させて飲むんです。腐りかけのものを熟成させると聞くと、皆嫌がりますが。飲んでみると深みのある味わいがあります」

 もうすでに一人でお茶を飲んでいたシュミレットが言った。

「そうだね、僕もこちらのほうが好みだね」

「先生」と、ルーネベリ。ユアンは微笑んだ。

「賢者様のお口に合ってなによりです。熟成させたユクスのお茶はお嬢さんも好きなんですよ。いつも沢山、持って帰られるんです。喉にいいからといって……あぁ、お嬢さんといえば、お手紙を書かなくては。蔓畑の事をとても心配しておられたんです」

 ユアンはぺこりと頭をさげた。

「わいはそろそろさがります。賢者様と助手様のお部屋をご用意し後、お嬢さんにお手紙を書いてきます。屋敷の中ではご自由になさってください。どの部屋に行かれても結構です。夕飯までごゆっくりなさってください」

「ありがとうございます」ルーネベリがそう言うと、ユアンはもう一度軽く頭をさげて部屋から出て行った。

 部屋の扉が閉められ、シュミレットと居心地の悪い部屋で二人きりになると、ルーネベリはさっそく椅子の背凭れにもたれかかり、肘掛けに腕をのせて深いため息をついた。カップを手にお茶を飲んでいたシュミレットが言った。

「どうしたのかな?」

「――あぁ、いいえ。ちょっと気疲れてしまっただけです。俺はどうも宝に囲まれた家とは相性が悪いようです」

「そうかい。だけど、君がよく行く大舞踏会の会場もよく似たようなものではないですか。派手で、煌びやかで……」

「城は社交の場ですから、気になりませんが。家は寛ぐ場所ですよ」

 ルーネベリは部屋中をみまわし、特に肖像画たちを見て言った。

「こんなに視線が多くては、落ち着くものも落ち着きません」

「君に僕の気持ちがわかる日が来ようとはね」

 シュミレットの皮肉にルーネベリは言い返せなかった。









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