五章
第五章 夢見る植物
お茶を飲んだ後、シュミレットが持参した本を読みだしたので、ルーネベリは一人で屋敷を探索することにした。単なる好奇心だ。
肖像画たちが飾られた妙に居心地の悪い応接間を出て、廊下の向こう側の木扉を開いた。そこは客間だった。やや落ちついた色調の草木の壁画に沿って長く白い羽毛のソファが壁際に並び、同じく長い黒いテーブルの上に上品な白の籠に入った色とりどりの果物たちが置かれていた。自由に手に取って食べてもいいようだ。籠の隣には小さな銀製のナイフが三本横に並べられ、青い皿まで三枚重ねてあった。
ソファとテーブルの反対側には暖炉があり、暖炉の右隣には「ネーチェル」という丸い木の輪に十四本の弦が張られた撥弦楽器が五つ、楽器を固定させるくねくねと折れ曲がった木枠に天井から床へ向かって斜交いに設置されていた。五つの木の輪はそれぞれ色調が異なっており、一つの輪の弦が鳴っている間、別の輪に張られた弦の音色が変化する。極めて音色が安定しない気紛れな楽器だった。ネーチェルの奏者は両手の指先で器用に弦を弾き、偶然に響く音を幾重にも重ねてゆく。不調和音と協和音が複雑に絡まり合う奇跡の音楽と呼ばれるが、ネーチェルを弾きこなす者はそう多くはない。音楽的センスと高い技術力が必要だからだ。
ネーチェルの、楽器の傍には、奏者用の背凭れのない椅子と。二段ほど高い台が置かれていた。大方、歌い手用のステージといったところだろうか。客間は音楽を楽しむ場のようだった。
ルーネベリは隣の部屋へ通じる扉の方へ歩いた。黒い両開きの扉を開くと、今度は長く背の高い赤茶色のテーブルとテーブルの傍にずらりと椅子が十脚以上並んでいた。食堂のようだ。思ったよりも簡素な食堂だ。右手の奥に別の扉が見えていた。
「今晩の夕食はここで食べるのだろうな」などとルーネベリは考えながら、テーブルのまわりをぐるりと歩いた。高い天井にはダイヤモンド型に光る照明がゆらゆらと浮かび、食堂の真正面の茶色い壁には大きな家系図が刻まれていた。
首を傾げながらルーネベリが壁に近づいてゆくと、深く刻まれた小さな名前の数々が見えてくる。名前は洒落た木の葉の枠の中に歴代のシスケイル家一族の名前が男女共に事細かに記されていた。一体いくつあるのだろう。ぱっと見た限りでは数えられそうにないほど膨大な数だった。
ルーネベリは家系図の一番下に刻まれたもっとも新しい名前を見下ろした。ちょうど、名前はルーネベリの膝の位置に刻まれていた。
「ローディア・シスケイル……。彼女はまるで今でもこの屋敷の主のようだな」
壁に手をつき、ルーネベリは家系図を見上げた。シスケイル家一族を築いた初代当主の名前は誰だろうと思ったのだが。あまりにも高い位置に刻まれているうえに、文字が小さすぎてまったく見えなかった。早々に諦めて、食堂のもう一つの扉を開けると、廊下に戻ってきた。
ルーネベリは、今度は廊下の反対側に行くことにした。応接間や客間、食堂のある廊下からまっすぐ突き当りまで行くと、左右の壁にひとつずつ木扉があった。レガート家の一階の部屋はこれで最後のようだ。
右手の扉の黒い取手をまわした。扉を開いて覗き込んだ部屋は広間だった。つるつるとした灰色の石床に見事な翼人の女性の絵が描かれ、天井には散乱する羽のようなオブジェが浮かんでいる。壁は真っ白で、縦長の窓には深緑のカーテンが閉じられていた。ダンスや宴会などをするには最適な部屋だろう。二百人はゆうに入れるのではないかと思うほど広い部屋だ。しかし、今は何もない空っぽの部屋同然だったため、ルーネベリはすぐに扉を閉めて、左手にある扉を開けた。
左手の部屋は書斎だった。背の高い大きな本棚に囲まれ、古い茶色の机がぽつりと置かれていた。
本棚に少しのずれもなく均一に並べられた本たちを見て、ルーネベリは「ここまで揃うと書庫のようだな」と声を漏らした。
政治学、経済学、科学、医学、文学、芸術学、発展技術学。まだまだ他にもありそうだが、幅広い分野の本が所蔵されているのには違いなかった。本は分野ごとにきちんと分けられ、丁寧に名前順に並んでいる。どの本も一流の専門書なのだろう、格式ばった題がつけられていた。それに、とても古い本のようで、ルーネベリが見たことのない科学の本も多々あった。
本棚を見れば、持ち主の趣向がよくわかるというが。所蔵されている本の統一した傾向からして、代々、この本棚に収まるに相応しい著書を厳しく選別されてきたのではないだろうか。食堂につづき、ここにもシスケイル家の息遣いが残っている気がしてならかった。
ルーネベリは興味深い本ばかりが並んでいたので、題名を読みならゆっくりと本棚の前を歩いた。三十冊ほど科学の本の列の最後の題名を見終わった後、ルーネベリは【貴族名鑑】という変わった本を見つけた。あまり見たことのない本だったので、手に取ってみようと本から抜き出した。
【貴族名鑑】の表紙は赤い革製だった。一体、いつ頃の本なのだろうか。ニページほど開くと、インクで文字が書かれていた。
贈物にしては不思議な文章だった。貴族名鑑に名が載らないということは、貴族から除外されるということだろうか。なんらかの意図があって何者かが書いたようだが、名が載らなくなるというのにどこか誇らしげな文章に思えるのはなぜだろうか。ルーネベリは首を傾げ、本の次のページを捲った。
【貴族名鑑】の一番はじめに載っていたのは、「グルート」という一族だった。第三世界出身の、このグルート家の一族は七老者を数多く輩出している名門貴族のようで、貴族の中でも最も高い地位に位置づけられているようだった。
本の中では、どういう経緯で七老者が誕生したかまでもが綴られていた。
要約すると、――大昔、七人の賢い老人たちが翼人のなかでもとりわけ高い地位にいる者と命を懸けた勝負をしたそうだ。当時、翼人は十三世界の住人たちを無能だと見下しており、奴隷以下の扱いを受けていた。七人の老人たちは人間としての尊厳とゆるぎない地位を得るために、翼人と知恵比べと物づくりの腕比べをしたそうだ。翼人は長命で強い力を持ってはいたが、七人の老人よりも器用さに欠け、知識にも疎く、忍耐強くはなかった。そのため、あっさりと勝負に負けてしまった。翼人は面子を保つため、七人の老人に特別な権限を有する「七老者」という地位を与えた。
よくある話だが、権力者に対しての命懸けの賭けをするのは相当な勇気がいったことだろう。老人たちの勇気が、今日の七老者という政治家たちの上に立つ者たちの地位を確立したのだ。ザーク・シュミレットが聞いたら、「迷惑な話だ」と言うに違いないとルーネベリは思い、笑った。
ページを十ページほど捲ると、「パティーナ」という貴族の名前が出てきた。グルート家につづく名門貴族のようだ。パティーナ家の記述がグルート家と同じく十ページほどつづき、その次には「エブカ」という貴族の名前が出てきた。
知らない名前ばかりが出てきたので、ルーネベリは四番目の貴族の名前を見る前に、本の半分ほど先を開いてみた。出てきた名前は「スサドローア」という一族の名前だった。また知らない名前だ。溜息をつき、スサドローア家の記述のあるページの十ページ前を見てみると、「ザベル」という貴族の名前がでてきた。
これは知っているぞと、ルーネベリはユアンが「由緒正しい魔術師の貴族」と言っていたことを思い出した。【貴族名鑑】に載るほどならば、ザベル家は確かに古く、立派な貴族の血筋なのだろう。
けれど、血筋の優劣など深く考えたことのないルーネベリにはなんの感動もなかった。ただ、古くからあるお家というのは、家を守るためにしなければならない多くの習わしがあるだろうし、それなりの財産も必要だろう。周囲との付き合いに対しても大変な苦労があるのではないかと思った。
一学者であるルーネベリは経験することのない人生だ。どういった人生を歩んできたのか、一度話だけでも聞いてみたいものだ。
ルーネベリがぼんやりとそんなことを思っていると、誰かが開いたままの扉をノックした。扉の方を見てみると、ユアンだった。
ユアンは言った。
「助手様、お部屋のご用意ができました。よろしければ、ご案内しようと思っとるんですが。後にしたほうがよろしいですか?」
ルーネベリは【貴族名鑑】を閉じて、言った。
「いや、もう読み終わったところです。案内の方、お願いします」
閉じた本を本棚に戻し、ユアンが待つ扉の方へ歩いた。その後、ルーネベリは【貴族名鑑】についてはすっかり忘れてしまっていた。忘れてよかったのか、それとも悪かったのか――。本棚に戻った【貴族名鑑】は人知れず、その姿をふっと消していた。
応接間で読書していたシュミレットを呼び、ユアンが二人を客室へと案内した。蔓畑の一件が片付くまで寝泊りする場所だ。ルーネベリはやや心配していた。沢山の肖像画に囲まれながら寝るなど苦痛でしかない。
空間移動装置で三階へあがり、右手の長い廊下の奥まで歩いたシュミレットとルーネベリの部屋は廊下をはさんだ両向かいだった。
ルーネベリが案内された部屋は、幸い肖像画の類はなく、線と点で描かれた奇妙な風景画が緑の壁に一枚と、黒いキャビネットの上の四角い箱から風に揺れる花の立体映像が映し出されているだけだった。
ダークグリーンの絨毯、黒い木製テーブル、椅子、質素な洋服ダンスと本棚二つ。エメラルド色の布製のソファ、白い傘をつけた足の長い照明。ベッドルームの隣に広々とした浴室もついていた。六つも重ねられた枕と、白い無地の洗いたてのシーツで整えられたベッドはなかなか寝心地がよさそうだったのでルーネベリは安心した。
部屋を出て、ルーネベリはシュミレットの部屋を訪ねた。
シュミレットの部屋もルーネベリの部屋と似たり寄ったりの部屋だった。唯一異なっているのは映し出される立体映像で。シュミレットの部屋の映像は、花ではなく白い大木だった。
椅子に座りシュミレットは本のつづきを黙ったまま読んでいたので、ルーネベリはすぐに部屋に戻った。
その日の夕食は、ユアンお手製の豪華な夕食だった。食前酒の淡いルビー色の酒が銀の足を持つ小振りのグラスに注がれており、飲み干す頃には前菜がやってきた。
深い藍色の海藻を白いクリーム状のソースで頂くのだ。また、このソースが絶品だった。コクがあり、ややある癖が海藻とよく合うのだ。まるで新鮮な蕪のポタージュを飲んでいるかのようだった。
前菜の後、副菜がでてきた。ローバンという鹿によく似た生き物の肉を柔らかな若緑の葉で包みじっくりと煮込んだ料理だった。
次に主菜が運ばれてきた。ぎょろりとした黒い目が横並びに四つ頭にある、平らな青身魚のステーキだ。見た目はなかなか神秘的ではあったが、口にしてみると途端に溶けてしまった。新鮮な魚の甘味と、塩の味がじわりと舌の上で広がった。
ルーネベリは唸りながら、テーブルの傍で腕を後ろに組み真っ直ぐ立っていたユアンに言った。
「どれもすばらしいお料理ですね。頬が落ちそうです」
「ありがとうございます」
「これほどの腕なら店を持てるんじゃありませんか」
ユアンは笑った。
「お気に召していただいたようで、とても嬉しいです。わいは学生時代、レストランの厨房で働いていたことがあるんです。腕が衰えていないようなので、シェフに頼めば、また雇ってもらえるかもしれませんね」
軽い冗談をユアンは言ったつもりだったが、ルーネベリは感心してしまった。
「農業だけでなく、料理もなさるんですね。いや、驚きました。この屋敷にいると、まるで貴族シスケイル家のお宅にお邪魔しているようで……あぁ、失礼。余計な話でしたね」
「いいえ。助手様がなにを仰りたいのか、わいもよくわかっとります。わいも十代の頃はよく思っていました。我が家には今でも、執事として教養を身につけなければ、レガート家を名乗る資格はないという古臭い考えが残っとるんです。屋敷の中をご覧になっていらしたので、よくおわかりになるかもしれませんが。肖像画や家系図、書斎などはすべて焼けた屋敷にあったものなんです」
「それはどういうことですか。燃える前に移してきたということですか?」
「そうできれば、いくらかよかったのでしょうが。すべて記憶から再現したものなんです。少しお話をお聞きいただけますか?」
「もちろんです。お聞かせください」
「ありがとうございます。
わいのご先祖様、シアン・レガートは最後のご当主様、ダウレア・シスケイル様にお仕えしとりました。ダウレア様は屋敷が燃える少し前、長く仕えた礼にとわいのご先祖様に土地を譲渡してくださろうとなさったのですが、主人の所有していた広大な敷地を頂くことはできないと、申し出を断り。その代りに、借人として主人が戻られる日まで土地を守るという約束を交わしたんですが、屋敷は燃えてしまい。ご先祖様のシアンは新しく建てた屋敷に少しでも昔の面影を残そうと、奇術師と時術師に頼み、記憶から燃えた屋敷とそっくりの屋敷を建てたんです」
「それがこのお屋敷ということですか」
「新しい屋敷を建ててから四千年以上は経っているかとは思いますが、シスケイル家御一家が所有なさっとったものは今もまだすべては揃えられていないんです。肖像画に関しては画家に複製画を描いてもらい、壺なども陶芸家に頼んで制作してもらったんですが、一番の難点は本なんです。老舗の古本屋や収集家も所有していない本が多くて、本棚はほとんどご先祖様シアン・レガートが過去に見た本棚の立体映像で補っているんです。御先祖様が開いていない本の中身は欠けているものが多いんです」
「立体映像?」
ルーネベリは少しぞっとした。書斎で本を開いて読んだがはずだが、どういうことだろうか……。なんだか聞くのが怖くなったので、ルーネベリは別のことを言った。
「では、四千年以上もの間、約束をずっと守られてこの地にとどまっているということですか?」
「主がいつでも帰ってこられる場所を守るのは、執事として当然のことです。――と恰好の良いことを言ってはみたものの、わいも、わいの家族もこの生活を楽しんどるんです。お嬢さんは長期休暇には屋敷を訪ねてくれますし。大昔からの執事仲間との縁が今でもつづいているので、時々、執事の息子や娘の世話をしたり。農業をしながら、色んなことができるので毎日充実しています。いずれこの家を継ぐ日はそう遠くはないと思とったんですが、父は独り身のわいにこの家のことを任せるには早いと思うとるようです。良い嫁さんでも傍にいてくれりゃいいんですが」
にっこりと微笑んだユアンは軽くお辞儀をし、空間移動装置から厨房へ戻り、すぐに二つ目の主菜を運んできた。
ユアンはシュミレットとルーネベリが食事中、食卓には一度たりとも腰かけることはなかった。立ったまま給仕するユアンとの会話が終始つづいた。
レガート家に滞在してから毎日のようにシュミレットとルーネベリは蔓畑に通った。膨らんだ茎は日々、大きくなり。まさに妊婦に憧れているのではないかというシュミットの言うとおりかもしれないとルーネベリは思いはじめていた。滞在してから二週間目には、白くふっくらと膨らんだ茎の中で種たちが動いているのが、触らずとも目で見てわかるようになった。
ユアンの十分なおもてなしが快適になってきた頃、ちょうどレガート家での生活が三週目に突入した頃だ。蔓畑に異変が起きた。
シュミレットとルーネベリ、ユアンが蔓畑を見に行くと、今にも茎は張り裂けんばかりに大きく膨らんでいた茎に真っ直ぐな亀裂が生じていたのだ。
茎の亀裂を見たシュミレットは言った。
「もうすぐ茎から種がでてくるようだね。畑の上にあった靄が晴れてゆくよ」
そういえばと、ルーネベリは薄桃色の半透明な蝶を探したが。どこにもあのかわいらしい姿は見当たらなかった。どこにいったのだろうと思っていると、ユアンが言った。
「あっ、茎が割れてゆきます……」
茎の亀裂がすっと裂けて、蛹から羽化する蝶のように、茎の中で眠っていた薄桃色のしぼんだ羽を持つ種たちがよろよろと外へと出てきた。その姿はまさに蔓畑の上空に飛んでいたあの蝶そのものだった。
羽を持つ種たちはしぼんだ羽が開ききるまで数分ほどじっとしていたが、羽がぴんと立つと、大量の種が一斉に飛び立った。
「いよいよだね」と呟いたシュミレット。ルーネベリは何事かと見てみると、シュミレットはいつの間にか片手に鉄のボルトを持っており、魔術式を発動させると、一瞬にして巨大な鉄の虫取り網に変化させた。そして、鉄の虫取り網をルーネベリに押し付けて言った。
「君、早く全部捕まえなさい。魔力を含んだ種が遠くに飛んで根を張ったら大変な事になる」
「えぇ!」




