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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部四巻「胡蝶舞う蔓畑」
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二章



 第二章 でたらめな行き先




 第八世界行きの空間移動室に入ってみると、第九世界行きの部屋とは打って変わって一際、人が少なかった。いや、少ないのではなく、人らしき者は一人しかいなかったので比べようもないといったほうがいいだろう。

 たった一人の利用者は、壁際に立っていた。六十代後半だろうか、白髪交じりの髪に小洒落た焦げ茶色のコップのような帽子をかぶり、オレンジや白の柄の異なる生地を継ぎはぎして作った服を着ていた。黒いズボンの腰には細長い象牙色の笛をはさんでおり、笛を握りながら部屋に入って来たシュミレットとルーネベリを見て軽く会釈した。

 シュミレットとルーネベリが会釈し返すと、老人はそのまま何事もなかったかのように遠くの壁を見て、ぼんやりとしていた。

 老人の横を通り過ぎた二人は、部屋の中央へと歩いた。

ルーネベリは歩きながら空間移動室を見渡した。部屋の丸い床に茶色い塗料でとても大きな時術式が描かれていた。天井を見上げてみると、ドーム状の天井にも時術式が描かれ、まるで部屋全体が時術式のようだった。

 部屋の中央、床に描かれた時術式の中で立ちどまったシュミレットは、ルーネベリに言った。

「君、ユアン・レガートに連絡をとったのかい?」

「取りましたよ。農作業している最中だったそうですが、迎えにきてくださるそうです」

「そうかい」

「そもそも、俺は農地がどこにあるのかさっぱりわかりませんからね。先生には言っていませんでしたけど、第八世界に行くのは今回がはじめてなんですよ。親友が植物学者で、第八世界の植物学研究所に勤めているんですが。訪ねたこともないので、実は楽しみなんですよね」

「第八世界にも研究所があるのかい?」

「先生も知りませんでしたか。ここ七年の間に、理の世界から移設したんですよ。今は第八世界の管理者ヴェレーラの家のすぐ近くにあるそうなんですが。ヴェレーラの家がどこにあるのかさえ知らないので、行きようもないんですが」

 シュミレットは言った。

「ヴェレーラの家は森の中にあるのだよ。十数年前に何度かヴェレーラに会いに行ったことがあるけれど。彼はいつも留守でね。どういったわけか調べてもらったら、彼は寝袋一つ持って森の奥地で気ままな放浪生活を送っていたのだよ。十二人いる管理者の中で、ヴェレーラほど幸せな者はいないのではないかな」

「放浪生活ですか。良いですね。俺もいつかはしてみたいとは思いますが……」

 ルーネベリがそう言いかけたところ、部屋の中に若い男性の声でアナウンスが響き渡った――。

『第八「食」の世界行きをご希望の方、第八「食」の世界行きをご希望の方。只今から五分間、時術式を発動します。ご希望の方は時術式の中へお入りください』

 アナウンスが終わると、壁際に立っていた老人が時術式の描かれている床の方へ歩きだした。

「そろそろだね」とシュミレットが言うと、床の時術式が光り、天井の時術式も光った。床と天井の術式を繋ぐ黄色い光の柱ができあがったとき、すでにシュミレットとルーネベリは第八世界へ空間移動していた。






 眩しい光で目を閉じていたルーネベリは、コツコツと誰かが歩く足音に目を開けた。白い壁にぽっかりと開いたような幾つものある戸口の一つへ老人が歩いて行く音だった。シュミレットとルーネベリは「行こうか」と声を掛け、老人と同じように戸口の方へ歩いて行った。

 戸口まで歩くと、第八世界の景色が目に飛び込んできた。

 栄養豊富な黒い土と若い緑に恵まれた畑が整然と地平線まで広がり、のんびりと優しい風が吹いていた。空は銀の球体と白黒二つの球体が見えるほど晴天にもかからず、至るところで霧状の雨が降っていた。温かく少し湿気を含んだ「温湿季」と呼ばれる季節にさしかかっているのだろう。外でうとうとするにはとても良い季節だ。

 ルーネベリは大きく伸びをして言った。

「あぁ、仕事がなければのんびりしたいところですね」

「長期間滞在すれば、君の希望もいくらかは叶うのではないかな。後で依頼書の束から、第八世界からの依頼書は他にもないか調べるべきだね」

「わかりました。探してみます。一応、仕事は仕事ですからね」

クスリと笑ったルーネベリとシュミレットは戸口から一階下にある白い石造りのバルコニーに通じる階段を下りた。

 バルコニーには白亜の噴水や布を広げた男性の石像、長椅子が人々の憩いの場として設けられたようだが。しかし、第八世界に来ても人の姿はなく。遠くの方にあのコップのような帽子をかぶった老人の後ろ姿が見えているだけだった。

 シュミレットは言った。

「――それで君、ユアン・レガートとはどこで待ち合わせをしているのかな?」

「ここ、第三世界行きの空間移動装置のある白亜の塔で待ち合わせのはずなんですが。誰もいませんね」

「困ったものだね。彼が迎えに来るまで待つしかないじゃないか」

 白亜の長椅子に座り、依頼主を待つことになった。

 最初、とめどなく流れる噴水を眺めながら二人は軽い話をしていたが、途中からシュミレットは鞄から本を出して読みだした。ルーネベリも依頼書をまとめた本を鞄から取り出し、第八世界からの依頼書はないかと探し出した。そうして、かれこれ一時間ほど待っていると、戸口へ通じる階段の上に時術式がぱっと黄色い光を放ちながら現れた。

 突然現れた光に気づき、本から顔をあげたシュミレットとルーネベリはその様子を見て驚いた。 

地面と宙の二つの時術式を繋ぐ光の柱から若い男性が飛び出てきたのはいいが、不安定な階段の上に降り立ったため、男は階段を滑り落ちた、白亜の床に大袈裟に転んだのだ。

「いたたた」

 若い男は地面にぶつけた頭を押さえていた。見たところ、二十代後半といったところだろうか。よく焼けた小麦色の肌、茶色の髪に灰色の瞳。ベージュのシャツの上に黒い革のベストを着込み、下には焦げ茶色のズボンと黒い長靴を履いていた。 

 ルーネベリは本を持ったまま、男に駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 若い男はルーネベリを見上げて、「こんくらい、平気です」とおっとりとした口調で言った。

「親切な御方、ここがどこか教えてくださらんですか。第八世界の空間移動装置のある白亜の塔に向かいたいんです」

「えっ?もう着いていますよ。ここがそうですよ」

「ここ?」

 ルーネベリは白亜の床を指差してそう言うと、若い男は周囲を見まわし、遠くに畑を目にした途端に飛び起きた。

「やっと着いた!何回もへんてこなところばかり着いちまうんで、どうなることかと思った。やっぱり、新しい物を買っておくんだった」

 若い男はルーネベリの方を向いて言った。

「ありがとうございました。それじゃあ、急いでいますんで」

 片手をあげて階段をのぼりはじめた男はとても古そうな金色の短い棒を握っていた。恐らく、金色の棒が時術式を発動させたのだろう。見たことがないタイプのものだが、科学道具の一つのようだ。

 ルーネベリは立ち去ろうとする男に言った。

「ちょっと待ってください。もしかして、ユアン・レガートさんですか?」

 若い男は階段の途中で、振り返った。

「はっ、もしかして……」

「ご挨拶遅れました。先程ご連絡した、賢者の助手のルーネベリ・L・パブロです。あなたがなかなか来ないのでどうしようかと思っていました」

 ルーネベリの名前を聞くと、ユアンはぎょっとした。

「おっ、おっ、賢者様の助手様。そうすると、向こうに上品にお座りになっとるお方が賢者様ですか?」

 ルーネベリは長椅子に座って何事もなかったように本を読んでいるシュミレットの方を向き、苦笑いした。

「えぇ、上品かはわかりませんが、そうです。魔術師の賢者様です」

「賢者様!あぁ、感激です」

 大声あげてそう叫んだユアンは階段を駆け下り、ルーネベリの両手をがっしりと掴んだ挙句、大柄なルーネベリの胸に躊躇なく抱きついて、背を軽く叩いた。初対面にしては、あまりにも親しげな挨拶だ。

 時々、三大賢者と讃えられる賢者様を見て過敏な反応を示す人たちもいるが、ユアン・レガートのように悪気もなく、助手に抱きついてしまうほど喜んで出迎えてくれた人はいなかったので、ルーネベリは思わず笑ってしまった。どうやら、ユアンという男は賢者様が来てくれることを相当、心待ちにしていたようだ。偶然とはいえ、今回の依頼を選んで正解だったようだ。

 ルーネベリの笑い声を聞き、ユアンはルーネベリからさっと離れた。

「おっ、おっ、失礼。あまりにも不作法でしたね。感極まってしまって……」

「いいえ、大丈夫です」

「本当に来てくれるなんて感激です。連絡をもらったときには夢かと思いました。賢者様に依頼書を送っても、ほとんど文章の返事しか返ってこないと聞いておったんでまったく期待していなかったんです」

「はぁ、そうでしたか」

 ルーネベリは思い当たることが多々あったので、目線を反らして苦笑った。

「本当は家族全員で賢者様を出迎えたかったんですが。父が急病で、治癒の世界で療養中でして、母と妹も看病のために留守にしとるんです。今はわいしかおらんのですが。十分にもてなしてもらいますんで」

「あっ、いやそんな。もてなして頂くためにこちらに来たわけではないので。あくまでも仕事ですからお気遣いなく」

「そういうわけにゃいきません。レガート家は代々、由緒正しいお家にお仕えしてきた家柄です。粗末なものでも、十分にもてなさせてください。でなきゃ、後で両親に怒られます」

 ユアン・レガートはそう言い、満面の笑みを浮かべた。

ユアンの話では、どうやらレガート家は元貴族シスケイル家とは縁のある人物のようだ。シスケイル家が没落してからとてつもない年月が経ったはずだが、未だに彼らに仕えたことを誇りに思っているようだった。シュミレットから聞いた話では、シスケイル家はあまり良い印象がなかったのでとても意外だった。

 ルーネベリはユアンに「あなたは……」と言った。

「――君たち、もう話は終わったのかな。いつまで待てばいいのだろう」

 いつの間にかシュミレットが隣に立っていた。フードを深く被り、腕を組み。いかにも不機嫌そうな声だった。のんびり立ち話をしている場合ではないようだ。ルーネベリは言った。

「あぁ、そうですね。そろそろ、向かいましょう。お願いします、レガートさん」

 ユアンは黒いマントに身を包んだ小柄な賢者をじっと見つめ、急におどおどしだした。今度はどうみても、賢者様に会えたことが嬉しいからではなさそうだ。少し俯き、古そうな金色の短い棒を握りしめて冷汗をかいていた。ルーネベリはユアンに聞いた。

「どうかしたんですか?」

「……なんでもありゃしません。賢者様と助手様を我が家へお連れします」

「えぇ、お願いします」

 ユアンは冷汗を拭い、作り笑いをした。そして、黙っていてはどうしようもないとでも思ったのか、ルーネベリにべったりと身を寄せ、賢者様には聞こえないように小さな声で言った。

「助手様。どうしましょう。何回、機械を押せば家に帰る時術式が出るのかわからないんです」

「えぇ?」

「さっきも言った通り、ご連絡があるとは思ってもよらなかったんです。五十年前に祖父さんの使っていたものを物置からひっぱり出してきて、使ってみたものの、たまたまこちらへ移動できただけで。ここまで来るまでは、別の世界を行ったり来たりしていたんです。

どうしたらよいのでしょうか?ここから家までは、徒歩で帰ったとしても五時間はかかってしまいます」

「五時間ですか……」

 ルーネベリはシュミレットに目を配らせ、首を横に振った。

「それはまずいですね。他に空間移動する術はないんですか?」

「第九世界に、畑と繋がっている輸出用の時術式があるっちゃ、あるんですが。市場にあるんで、そこまで一度向かってもらわないと……」

 こそこそルーネベリとユアンが話し合っているのを見て、シュミレットは溜息をついた。

ユアンはシュミレットの溜息を聞いて、慌てて「只今、ただいま、お連れしますから」と顔を引き攣らせながら微笑んだ。ルーネベリもほとんど同じように、苦笑いするしかなかった。来た道を戻りましょうとしか言えないのだ。シュミレットが嫌味を言うに違いないと思ったのだ。けれど、思いのほか、シュミレットは怒ってはおらず、ただ眉を顰めながらもマントの間から小さな左手を差しだした。

「君たちが何を話し合っているのかはだいたい予想がつくよ。早く渡しなさい。これ以上、手間をかけさせないでくれないかな」

 ユアンはどうすればいいのかと、ルーネベリを見た。ルーネベリはシュミレットが何を言わんとしているのかをすぐに察して、ユアンに「機械を渡してください」と言った。

 ユアンは言われたとおり、古い金色の短い棒をシュミレットに手渡した。棒の先に一つのスイッチのついた、何の変哲のない金の棒だ。

 金色の棒を受け取ったシュミレットは、右手をくるりとまわした。そうすると、棒の機械から時術式が三十二個飛び出してきた。いつも見るような、地面と床の二つの時術式ではない。魔術式のように一個ずつ空中に並んで浮かんでいるのだ。

 三十二個の時術式を見たユアンはルーネベリに言った。

「ありゃ、なにをしていらっしゃるんですか?」

「さぁ、俺にもよくはわかりませんが。まぁ、見ていればわかりますよ」

 シュミレットは三十二個の時術式を前に手をかざし、左から右へと大きく手を振り上げた。その動作と同じくして、時術式が光り、三十二個の時術式それぞれに色がついた。――赤、橙、黄橙、黄、黄緑、緑、緑青、青緑、青、青紫、紫、赤紫、茶、白、黒、灰色。十六色の濃淡で、三十二色の色の違いを表していた。

 もう一度シュミレットが手をかざすと、それぞれの色をもつ時術式から宙に向かって、光を放つ、とてつもなく長く大きな透明なパイプが現れた。

 三十二本のパイプは高い空の果てへ向かって四方八方のびるものと、地平線へ四方八方のびるもの、様々だった。ただ濃い黄色のパイプの一本だけが、ユアン・レガートが空間移動してきた場所、白亜の階段の上にうっすらと浮かんだ時術式と繋がっていた。

 シュミレットは空に伸びる別の世界と繋がった時術式の発動を解除し、地平線へ伸びるパイプと繋がったいくつかの時術式を残した。

「君の家は、ここからどの方向なのかな?」

「東です」

 シュミレットは東へパイプの伸びる時術式を残し、後は消し去った。そうやって、ユアンの話を聞きながら時術式を消去してゆくと、たった一つの時術式が残った。淡い青に色づけられた時術式だった。

「君の家はこの時術式と繋がっているようだね」

 シュミレットは金色の棒を宙に放り投げ、魔術式を二つ発動させた。一つ目の魔術式は時術式を順番どおりに並べ、金の棒へ戻した。二つ目の魔術式で金色の棒の形状を少し変化させた。棒の先にあったボタンを取り去り、棒の側面に三十二個の小さな金のボタンを横八列縦四列、適度な間隔で取り付け。現在地とユアン・レガートの自宅の二つだけ、ボタンの上に行き先を刻んだ。物質を変化させることのできる魔術式にしかできないことだ。

 出来上がった棒をシュミレットはユアンに返した。

「二カ所だけ、行き先を刻んだけれど。他の場所は、時術師に調べてもらうのだね。僕がしてあげられるのはここまでだよ」

「ありがとうございます。感謝します」

 ユアンは沢山ボタンのついた棒を嬉しそうに眺めた。ルーネベリはシュミレットに言った。

「先生、あの筒のようなものは何だったんですか?」

「『時力のルート』と呼ばれるものだよ。僕らには見分けがつかないからこそ、色づけしたのだよ。行き先が同じ世界の中なら、方角だけわかっていれば、だいたいわかるものだからね」

「時術師は肉眼でとらえていないんですか?」

「彼らは音を聞いて判断しているのだよ。時術師の聴力は恐ろしいものだよ。――さぁ、彼の家に行った後、畑に行こうじゃないか。早く仕事を片付けて、僕はゆっくりとお茶を飲みたいのだよ」

 ルーネベリは肩をすくめた。










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