二十章
第二十章 学者たちの捜索
ルーネベリはカティエンに言った。
「本当ならこんなことはしたくないんですが。念のために中身を確かめさせてもらいます」
「やめろ、開けるな」
ジロルド・カティエンは怒鳴りながらバルローの腕を押しのけようとし、箱を開けようとするルーネベリに向かって一段と声を張りあげて叫んだ。
「頼むから開けるな!」
ルーネベリは指をかけて黒い長方形の箱を開けた。箱の中には折りたたまれた眼鏡が入っていた。ややレンズは小さめのようだが、黒く細い縁のとても質素な眼鏡だ。
「眼鏡?」
バルローの腕の中で暴れていたカティエンが「あっ」と声を漏らすと、途端に動きをとめて俯いた。どうしてこんなものを隠したのだろうと思い、ルーネベリは首を傾げた。箱の中の眼鏡を見て、バルローも同じことを思った。
「なんだ、眼鏡か。眼鏡なんか別に見られても困るものじゃないだろう。なんで隠そうとしたんだ?」
腕の中にいるカティエンにバルローがそう聞くと、カティエンは「もういいだろう、返してくれ」と小さな声で言ったが。けしてこちらを見ようとはしなかった。
今さらながら、ルーネベリは罪悪感にかられた。なんらかの理由で眼鏡を見られたくはなかったのだろう。いくら怪しい行動をとられたからといっても、根拠もなく疑ってしまった。もう少し慎重に行動にうつすべきだったと後悔した。
「すみませんでした。お返しします」
ルーネベリはカティエンに眼鏡を返そうと、箱を閉じようと、上蓋に手をのせたところ。眼鏡の右側のレンズがほんの一瞬、黄色と紫色に変化した。
ルーネベリはその一瞬の出来事に気づいて手を上蓋から離したが、レンズの色は変化しない。もう一度、上蓋に手をあてると、レンズが黄色と紫色に変化した。ルーネベリの手の影によって、レンズに映し出された僅かな色が明確に表れたのだ。
「これは……。そうか!」
この不思議な現象は何度やっても右側のレンズだけにしか起こらなかった。一枚のレンズによって引きこされる色の現象。ルーネベリはカティエンの方を向いて言った。
「この眼鏡の右側のレンズは、ルウエル・バリオーズさんの広範囲不可光線変換受容レンズ。どうして、あなたが?」
俯いていたカティエンが慌てて顔をあげた。バルローは言った。
「レンズって、なんだ?そのメガネにはバリオーズのレンズが入っているのか」
ルーネベリは頷いた。それから、眼鏡を箱からそっと取りだすと、箱は長机に置き、眼鏡の左右テンプルを開いて高くかかげた。
「バリオーズさんの説明では、失くしたレンズは空中にある不可視光線に色をつけて見ることができるというものだった。恐らく、眼鏡を着用した際には、色をはっきりと見ることができるのだろうが。正面から眼鏡をみた場合には影がなければ、映し出されている色が見えにくくなっているのだろう」
ルーネベリはかかげた眼鏡の上に手をあて影をつくった。そうすると、黒い影の下、右側のレンズにだけうっすらと赤や黄色が映った。バルローはレンズを見て嬉しそうに「本当だな。色が見える、すごいな!」と言った。しかし、カティエンは苦しそうに目をぎゅっと閉じ、小さく震えていた。ルーネベリは言った。
「ジロルド・カティエンさん。どういうことか説明してもらえますか。どうして、あなたがバリオーズさんのレンズがはめられた眼鏡を持っているんですか。……もしかして、あなたはオーギュレイの計画を知っていたんですか。知っていて協力をしたんですか?」
カティエンはかっと目を開き、興奮して叫んだ。
「僕を責めるな。僕は騙されたんだ!」
「騙された?」
カティエンは「放せ」と緩んだバルローの腕を払いのけ、窓の方へほんの少し駆けて行くと、頭を抱えて床に蹲った。カティエンは発狂でもしそうなほど髪を搔きむしり、大声で「もう、おしまいだ」と繰り返し叫び。ひどく取り乱していた。
ルーネベリはバルローと顔を見合わせた後、ゆっくりと蹲るカティエンに近付いて言った。
「誰もあなたを責めてなどいませんよ。あなたとオーギュレイさんの間に何があったのかを知りたいだけなんです。どうして、あなたがバリオーズさんのレンズを持っていたのか、教えていただけないですか?」
「そうやって、責めているじゃないか!僕の口から言わせたいんだろう。僕が盗んだって。そう、本当の事だ。僕が盗んだ。僕がレンズを盗んで眼鏡を作った。でも、そうするしかなかった。僕はオーギュレイに脅されたんだ」
「脅された?」バルローは腰に手をあて、首を傾げた。カティエンは自身の頭を両手で鷲掴みにして言った。
「僕はもうおしまいだ。僕には外で作った借金が沢山あるんだ。賭博好きで、好きでやめられなかったんだ。軽い気持ちで借りた借金がどんどん膨らんでいった……。借金を返しきれなくて困っていた時に、オーギュレイに魔術式研究の協力を持ちかけられて、つい魔が差したんだ。出来上がった魔術式を盗んで闇商人に売りさばいて、膨大な謝礼金をもらって借金を返そうって思っていた。誰も知らないはずだったのにオーギュレイは僕の計画を知って、脅してきた。取引に応じなければ、クーに借金について話すって……」
「なんで借金のことを室長さんにばらされたらまずかったんだ?」
バルローが聞くと、カティエンは涙ぐんで言った。
「研究費も横領していたんだ。クーに知られたら研究室を追い出されてしまう」
ルーネベリもバルローも情けない理由に呆れてしまった。
「どうしてまた、そんなことを?」
「僕は研究向きの人間じゃなかった。両親が学者だったから、僕も学者になっただけだ。賭博だけが僕の生きる楽しみだった。少しだけやるつもりが、あんなに借金が増えるなんて思わなかったんだ。もうおしまいだ」
泣きながら自業自得の行いを嘆くカティエンに対して、なんと言えばいいのかもわからず、ルーネベリは咳払いして言った。
「……話を戻しますが。カティエンさん、オーギュレイさんが持ちかけた取引きというのは、バリオーズさんのレンズを盗みだす代わりにオーギュレイさんの魔術式をあなたに渡すというものだったのですか?」
カティエンは頷いた。
「ルウエル・バリオーズという神秘学者の持っている眼鏡から色が見えるレンズを盗み出し、眼鏡に作りかえて、今日ここで魔術式と交換する約束だった。でも、眼鏡を持って来てみたら誰もいなかった。僕は借金を返す当てがなくなって、どうしようかと悩んでいたら、あんたたちが来たんだ」
厄介な人たちだとでも言いたげに、カティエンはルーネベリとバルローを見ていた。
「昨日、あなたがオーギュレイさんに怒鳴っていたのは、今日、魔術式を受け取れないかもしれないと思ったからですね」
「あんたの言うとおりだ。オーギュレイに魔術式のことを聞いたら、取引なんて知らないと言いやがったんだ。僕は眼鏡が欲しいなら、魔術式を寄こせと脅したけど……」
カティエンは話し終わる前に、しょんぼりと肩を落とした。
「もうどうやって借金を返したらいいのか、わからない。僕はきっと金貸しに殺されるんだ」
あまりにも嘆くので、見かねてバルローが言った。
「どうしても困っているっていうなら、俺の仲間に相談してみるか?金銭面の問題には結構強いんだ。俺の紹介っていえば、学者さんの借金や横領した金の返済について相談にのってくれるはずだ」
「誰でもいい、連絡先を教えてくれ」
たった一言の救いの言葉にカティエンは闇雲に飛びついた。
バルローが友人の連絡先をカティエンに教えている間、ルーネベリは眼鏡を折りたたみ、レンズを見下ろしながら少し考え事をしていた。
オーギュレイはどうして、カティエンにバリオーズのレンズを盗むように言ったのだろうか。しかも、大研究発表会の最終日に作った眼鏡を届けように仕向けていた。ルーネベリは先ほど聞いた警報を思い出した。外では何かが起こっている。オーギュレイは大研究発表会の最終日を何らかの計画の予定日とあらかじめ決めていたのかもしれない。しかし、眼鏡がわからなかった。
「この眼鏡で何を……」
ルーネベリは眼鏡から長テーブルの上で適当な紙にメモを取るカティエンと、綴りを教えるバルローの方を向いた。長いテーブルには機材の姿はなくなっていたが、資料やノートなどがまだ置かれたままだった。カティエンはそれらを脇によせて、小さなスペースをつくり、そこで文字を書いていた。カティエンが押しのけ、積み重なった資料の束の上に布地の見えた巻物が表紙のようにかかっていた。その様子を見て、ふと、ルーネベリの脳裏にあの本が浮かんだ。
「おい、バルロー。ハロッタ・トーレイの本をどこにやった?」
クーとデューの方へ高速で飛んできた薄いガラス入りの魔術式は、二人の頭上を通って巨大ドームの中へ入って行った。まだドーム内にいた人々は驚き、叫びながら外へ一気に駆けて行った。クーとデューは人混みを避けるために脇に移動し、流されまいと扉にしがみ付いた。デューの後ろにいたクーは叫んだ。
「いくつなかに入った?」
「わからない、見えなかった」
デューが叫んでそう答えると、クーは「心配だ。展示会場もあるんだぞ。魔術式が展示品を壊しでもすれば、被害額が心配だ……」
「大丈夫だ」
「なにが大丈夫だ!」
「展示会場で使われているガラスケースはオーギュレイ氏が作ったものだ。あれは魔術式を通さない設計になっている。私が設計図を見て作るように指示したから、確かだ」
「君が?魔術式を通さなくとも爆発が起ったらどうなる」
「外部からの衝撃で表面にはヒビが入るかもしれないが。なかに入っている展示品の方は大丈夫だろう。ガラスは特別な技術で作られている。千八百度までなら耐えられる。――そろそろ入るぞ」
扉にしがみついていたデューとクーは強風のように正面から走ってくる人混みに押されながら、無理やりドーム中に入って行った。苦戦しながら中に入ってみると、入口付近に先に中に入っていたクライト・ブリンが立っており、彼は天井を見上げていた。
「どうした?」
クーが聞くと、ブリンは天井を向いたまま言った。
「……あぁ、クー。今、お呼びしようと思っていたんです。あれをご覧ください。天井を……」
二人が見上げると、ドーム内に入った魔術式が天井高くに集まっていた。しかし、ただ集まっているだけではなく、魔術式は回転をはじめ、短時間でまた数を増やしていた。クーもデューも言葉が出なかった。
再び広いドームの天井いっぱいに魔術式が増えていた。さながら空を覆う黄色く光る雲のようだ。大量の魔術式はやがて回転をとめて、ゆっくりと下降してきた。下りてきた薄いガラス入りの魔術式は、虫のように不規則に、自由気ままに飛びまわっていた。
十分前までドーム内は人でごったがえしていたが、今では薄いガラスに入った無数の魔術式が我が物顔で会場内を占領していた。床には観客や学者たちが落としていった書類やペン、ハンカチなどがごちゃごちゃと散乱していた。ドームの外がどうなっているかはわからないが、通話機になんの報告もなかったので、第三世界への観客たちの移動は問題なく行われているようだ。幸いだった。今報告を受けても、なにもできそうにはなかった。ドーム内にいる者たちは誰も身動きがとれなかった。数を増やした魔術式は人が近くにいることなど気にもせずに、平気で飛びまわっていた。肩の傍を素通りしてゆくガラス入りの魔術式。じっと棒のように立ち尽くすしかなかった。万が一にでも、魔術式に攻撃でもされてしまえば、防御服も着ていない身ではひとたまりもないだろう。
クーとデュー、監査たちはじっと動かずにドーム内を飛びまわっている魔術式の観察に徹した。
しばらく観察をつづけていると、奇妙なことに気づいた。魔術式はふらふらと何も考えずに飛んでいるようだが、魔術式は必ず、壁や床などに沿って飛んだ後、一旦、一メートル半ほど宙に浮きあがり別の場所へ移動するのだ。目に見える範囲のものしかわからないが、ほとんどすべての魔術式はその不思議な行動を繰り返していた。
十五分とちょっと立ちつづけた監査の女性が一人、貧血を起こして床に倒れてしまった。だが、浮遊する魔術式は、特別攻撃などをしかけてくる様子もなく、たまたま近くを飛んでいた魔術式もすっと飛び去って行った。別の監査の者が貧血で倒れた女性の元へ駆け寄ったが、その時も、魔術式はこちらに注意を向けるわけでもなかった。もしかしたら、こちらが見えていないのではないだろうか。クーが試に手を振ってみたが、魔術式は近付いても来なかった。ようやく動いても大丈夫そうだとわかり、ほっとしたクーとデューは大きくため息をついた。
「心配はないようだ。魔術式は我々には眼中がないらしい」と、デュー。クーは言った。
「目がないから、大方見えていないんだろう。――ブリン君、椅子と机を用意してくれ。あと、通話機を持っている者は皆後で出してくれ。どうせ、外も魔術式だらけだろう。ここでこれからについて指示を行う」
「わかりました」
監査たちは魔術式の動きに警戒しながらブースから椅子や簡易机を運んできて並べ、クーとデューを椅子に座らせると、持っていた通話機をすべて簡易机の上に置き。他のブースに地図やペンを探しに行った。いくら監査の者たちが動いても、やはり、魔術式は何かしてくるわけでもなく。ただ飛びまわっていた。クーの言うように、こちらの様子はまったく感知されていないようだ。
理の世界の地図を持ってきた監査たちは、通話機を避けて、簡易机の上に広げた。
「君が待てと言うから待ったけれど、時間を無駄にしてしまったよ」
不意に声が聞こえて顔を上げてみると、会場の奥から第二室の監査長ヴィク・シャットがレヨー・ギルバルドこと、ザーク・シュミレットを引き連れきた。いや、逆だったかもしれない。とにかく、ご機嫌斜めのシュミレットは、クーの隣にある椅子に座るなりシャットを責めると、「申し訳ありません」と、シャットは笑顔で謝った。
二人が思っていないところから登場したので、デューは驚いて言った。
「君たちどこにいたんだ?」
「私たちは特別講演のあった場所にいました。ユサ・ヤウェイくんと他の若い子たちもそこにいます。ご連絡した後、幕の外へ出ようとしたら、魔術式が現れて驚きました。ギルバルドさんに少し様子を見ましょうとお話ししたら、怒られまして」
デューはシャットとシュミレットを見て笑った。
「君が怒られたのか?明らかに君の指示に従うのが……」
「今、そんな話している場合か!」
クーが怒鳴った。シュミレットはマントの上で腕を組んだ。
「そのとおりだよ。問題は魔術式の方だよ。考えなくともわかるけれど、この会場を飛びまわっている魔術式はベッケル・オーギュレイのものだろうね。魔力を持たない学者がたった一つの魔術式でここまで数を増やすなんて、良くも悪くも彼の才能の賜物のようにしか思えないよ。彼もまた、天才と呼ぶべき一人だったのだね」
シュミレットの言葉にクーは険しい顔した。
「クー、デュー!」
また声が聞こえてきた。今度はドームの入口の方からだ。振り返ってみると、そこには白い学者服の学者たちが大勢詰めかけてきていた。若い学者から老いた学者まで何十人もがクーとデューの元に集まってきたのだ。
「僕たちに何かできることはありませんか」
「私たちも手伝います」
学者たちは皆、重い機材を抱えながら協力の意図を伝えようとしていたけれど、デューは頭ごなしに怒った。
「君たち、何をやっている!各自の研究室に戻るように指示したはずだ」
「これほどの騒ぎになっているのに研究室でじっとなんてしていられませんよ。僕たちは理の世界の学者です。僕たちはそれぞれがその道の専門家です。なにかできることがあるはずです」
クーは彼らの一人一人の目を見つめ、腕に抱えている機材を見て深く頷いた。
「……君たちの覚悟はわかった。今すぐに情報網を整えよう。誰か、通話機を連携させるために必要な装置を持っていないか?」
「クー!何を勝手な事を」
「今は皆が団結すべきときだ。オーギュレイが天才だったとしても、我々が団結すれば解決できない問題はないはずだ。我々はずっと努力してきたんだ。才能は努力あってのものだ!それを証明する」クーは強くそう言うと、「通話機を連携させる装置を持っていないか?」と繰り返した。すると、最後の方に会場入りした女性学者が手をあげて叫んだ。
「私が持っています。今、連携させる装置を持っています」