十一章
第十一章 第二室
肩に腕をまわされたシュミレットは、迷惑そうにバルローを見上げた。
「君の協力は仰いでいないのだけれどね」
「堅苦しい事は言うなよ。俺たちの仲だろ?」
バルローは下手なウインクをしてそう言った。シュミレットはさらに迷惑だといいたげに首を横に振って、バルローの腕を払った。手までイヤイヤと振った。
クーはそんな二人を見て言った。
「なんだ、顔見知りか?」
「いいえ」と、シュミレット。けれど、バルローの方は「あぁ、そうだ」と明るく頷いた。
二人はまるで正反対の返事をしたので、クーはおろか、シュミレットの助手であるルーネベリでさえ戸惑った。
シュミレットは昨日から一度もダネリス・バルローを前々から知っているのだとか、知り合いだとかは言っていなかった。ところが、ダネリス・バルローとシュミレットのやり取りをみていると、二人からはどこかしら親しみのようなものを感じ取ることができた。ルーネベリの知らない交友関係なのだろうか。
バルローは嫌がるシュミレットを見て、笑いながら言った。
「まぁ、この賢者のご友人さんは、俺の知っている人とはちょっとだけ違うんだけどな」
シュミレットはぷいとバルローから顔を反らし。黒い学者服を着た老人、ヴィク・シャットの方を向いて言った。
「君が第二室の監査長だね。ベッケル・オーギュレイの研究室までご一緒させてもらいたい」
「えぇ、ぜひに」
優しそうにシャットは微笑んだ。その話を聞いて、「やいやい」と、ますます変に顔を顰めたデューは言った。
「なにを勝手に決めているんだ。第二室の室長である私の同意はどうなる!」
クーが言った。
「彼らが調査に加わることを勝手に決めたが、修理費は第一室が出すんだ。第一室の監査の代わりだ。彼らがこの件に関わることに文句はないだろう。もともと、ルーネベリくんはうちの学者なのだからな」
「それはわかったが、同意ぐらい求めたらどうだ!私を置いて、話を進めるなんてあまりに理不尽だろう」
「同意なら今求めただろう!」
手を横に振ってクーはデューに「もういい、私は第一室に戻る。請求書は第一室にまわせ」と言って、幕の外へ出て行った。クーが出て行くと、ステージの上にいた第一室の監査長クライト・ブリンもなにやら隣にいた老人に話しかけると、その場にいた全員に軽く会釈してステージを下りていった。結局、ブリンは昨晩会ったばかりのシュミレットに話しかけず。最後にステージの下にいたルーネベリに会釈すると、あとは素知らぬ顔で去って行ってしまった。
ルーネベリはシュミレットの方を向いて「どういうことでしょう?」と首を傾げた。それに、シュミレットは「さてね」と首を傾げ返した。
クライト・ブリンはどうやらシュミレットと面識があることをあえて周囲に知らせたいわけではなさそうだった。それが一体なぜなのかはわからないが、シュミレットは楽しげにクスリと笑い。デューに言った。
「僕らも、もう行っていいですか?ベッケル・オーギュレイに会わなければ」
デューは首を横に振り、やれやれといった顔で言った。
「あぁ、行きたまえ。行きたまえ。好きなだけ調べなさい。ただまえもって言っておく。魔術式の紛失の件について君たちはオーギュレイ氏の自作自演と言っていたが、私はこれっぽっちもオーギュレイ氏を疑ってなどいない。どう考えても、そんなことをする人物ではない。しかし……」機械の修理費を第一室が出すのだからしょうがないと言いたげにデューは途中で言葉を切り、咽たような咳を二度した。
「調べることに関しては了承したが、くれぐれもオーギュレイ氏に失礼のないようにしてくれたまえ。――シャット君、オーギュレイ氏の研究室まで案内しなさい。なにかあったら、通話機で連絡を。私は夜まで第二室の貴賓室にいる。昨日会うはずだった賓客がいるんだ」
「わかりました。なにかわかりましたらご連絡差し上げます」
穏やかにデューに会釈したシャットはシュミレット、バルロー、キートリー、バリオーズを連れてステージから下りてきた。
五人のうち最初に下りてきたヴィク・シャッドを見て、やはりルーネベリは「あれ?」と声を漏らさずにはいられなかった。どこかで会った気がするのだ。けれど、どこなのかが思い出せずにぼうっとシャットを見ていると、シャットはにこやかにルーネベリに笑いかけた。
「治癒の世界ではどうも。お目当ての奇術師には会えましたかな?」
「奇術師……。あぁ!」
パチンと指を鳴らし、人差し指を振ったルーネベリは言った。
「あなたは、あの時の方ですか。その節は親切にしていただいて」
「たいしたことはしておりませんよ」
「そういえば、あの時、確か……」
微笑んだシャットはその表情とは裏腹に、そそくさと「ベッケル・オーギュレイ氏の研究室にご案内します。ついてきてください」と言った。もう少しだけシャットと話がしたかったが、そう急かされてはルーネベリも頷かないわけにはいかなかった。
六人はオーギュレイの研究室に向かうことになった。
大研究発表会の行われているドームから大通りを歩いて第二室の研究ドーム群へ向かう途中、ヴィク・シャットは筒型の緑色の屋根の小屋へと皆を案内した。数日前、シュミレットが利用した、空間移動装置の置かれた小屋だ。
シャットの説明では、ベッケル・オーギュレイの研究室はドーム群の一番奥のドームにあり、空間移動した方が早いというのだ。
さっそく透明な扉を開けて中に入った
身体の大きすぎる大人一人、すっきりした身体の大人が四人、小柄な大人一人が入ると、さすがに小屋の中でぎゅうぎゅう詰めになっていた。一人で入った時とはまるで大違いだ。ルーネベリの腹元に額をくっつけるしかなかったシュミレットは、思っていたよりも小屋が大きくなかったのだとはじめて思い知らされた。
どうにか小屋からはみ出さずに全員が入っているのがわかると、シャットは壁の銀色のプレートの「工学研究室行き」のボタンをさっと押した。地面から光が走り、時術式が発動して光の柱が現れると、あっという間に時術式は消え去った。皆は第二室の研究ドームの一番奥まで移動していた。
小屋の扉に一番近かったキートリーが扉を開けて、外に飛び出した。どうも、キートリーは呼吸をとめていたようだ。勢いよく空気を吸い込んだせいで咽ていた。
小屋に外に出ると、シャットは小屋の右奥に立っていたドームを指差した。
「このドームの最上階です。あともう一度だけ空間移動しますが、大丈夫ですかな」
中腰になっていたキートリーが片手をあげて頷くと、バルローが「狭いところが苦手なんだ」と言った。
三人がそんな会話をしている最中、ルーネベリはシャットが指差したドームを見上げていた。そのドームの左隣り、西へとずらりと横に並んだ第二室のドームたちはどれも同じに見えた。数えきれないほど多くの窓があり、外装は白く、半球形をしている。ただドームが第一室のドーム群と同じで六つしかないので、居場所を覚えるのは簡単だなと思った。
隣に歩いてきたシュミレットがルーネベリに話しかけた。
「何を見ているんだい?」
「あぁ、いいえ。せっかく来たので、居場所を覚えておきたかっただけですよ。第二室の方にはあまり来ませんからね」
「君の口ぶりでは、あと何回かはここに来るみたいだね」
「そうならなければいいのですが……。念のためですよ」
複雑な気持ちでルーネベリがそう言うと、シュミレットは「そうかい」と相槌を打った。
キートリーの調子が落ち着くと、シャットはドームの中へ五人を案内した。一歩中に足を踏み入れると、そこは潔癖なまでに白い床と壁が広がっていた。唯一不自然なものがあるとすれば、大きなクリスタルのオブジェだろうか。天井近くまであるオブジェは、やってきた六人を出迎えた。
細長い長方形の先端に二つの点のようなものが彫られ、オブジェの表面はピンク色のような紫色のような色で輝いていたが、それがなんなのかはさっぱりわからなかった。
バルローは腰に手を当てて、オブジェを見上げて言った。
「このへんてこな石はなんだろう?」
ずっと静かだったバリオーズが口を開いた。
「太古から理の世界にある女神の像です。もともと、チャーグ・キーデレイカの傍に立っていたんですが、野ざらしのままだといつ壊れてしまうか心配だったので、ここへ皆で運んできたんです。美しいでしょう。このクリスタルはセケラ鉱石とよばれる石で、鉱石のままだと紫色なのですが。削ると脆く、白銀の粉末のようになることから、『地中の雪』と呼ばれているんです。理の世界の時の置き場付近でしか取れない貴重な石なんですよ」
ルーネベリが「あぁ、なるほど」と言った。
「これが『地中の雪』と呼ばれている粉末の原石なんですか。確か、スヴファベッツの額の入れ墨はこの『地中の雪』だそうで。治療するには効果的だとか」
「理の世界の古い治療法にはそういった類のものもありますね。いやぁ、民俗学には疎いのですが。隣のドームにはそういう話を沢山知っている友人がいるんですが」
「そういえば、やけに像について詳しいですね。バリオーズさんの研究室はこのドームなんですか?」
「えぇ、ここです」
「俺が理の世界にいた頃は、民族学者と同じドームだと聞いた気がするんですが」
「ルーネベリくんが第三世界に行った後、移動になったんですよ。僕の研究をあまり思わしく思っていない学者たちがデューに訴えたみたいです。神秘学は年々衰退するばかりで、ただでさえ肩身が狭いというのに……」
バリオーズはため息をついて、うなだれた。研究室が工学研究室に移されたことや、レンズ紛失の件で疑われたことも相当堪えているようだった。バルローが近づいてきて言った。
「あんまり気にしなさんなよ。なにもしちゃいないなら、堂々としとけばいいんだ。ほら、監査長さんよ。とっとと、研究室に行こう」
シャットは頷くかわりに微笑み、オブジェの左脇にあった白い筒型の小さな建物を指差した。
「あちらにある空間移動装置で最上階まであがりましょう」
空間移動装置にのって、最上階へやってきた六人は一階と同じ白い廊下に出てきた。
バルローは長い廊下を左右に見て、キートリーに言った。
「どこを見ても殺風景なところだな。下にあった像の模型でも置けばいいのに。ありゃ、なかなかのセンスだと思うな。こんな何もないところに長いこといたら、俺は息が詰まりそうだ」
「よく言うよ。君は一時だって同じ場所にいたためしがないだろ。部屋を借りたって二日として居つかないんだから、そんな心配いらないだろ」
シュミレットはクスリと笑うと、バルローも同じく笑った。
「キートリー、本当のことを言うなよ。冗談だよ、冗談」
シャットは右に曲がり、一同を長い廊下の先へと案内した。
ベッケル・オーギュレイの研究室は長い廊下の一番右奥だそうで、きょろきょろと落ち着かないバルローが研究室に着くまでべらべらと話をやめなかった。長い廊下を歩くよりも、バルローの話を聞いているほうが疲れる。
随分、おしゃべりな男だなと思いながらルーネベリは隣を歩いているシュミレットの方を見ると、シュミレットは時折、聞こえてくるバルローの話を聞いてひそかに笑っていた。やはり知り合いに違いないのだろう。どうせなら、紹介ぐらいしてくれればいいのにとルーネベリが思っていると、シュミレットが顔をあげてルーネベリを見上げた。
「どうかしたのかい?」
「いいえ、なにもありませんよ」
澄ました顔でルーネベリは首を横に振った。シュミレットは「そうですか」と言い、バルローをちらりと見た。
「君、彼をよく見ていなさい。目を離すと、なにかしでかすのではないかと少し心配なのだよ。手伝うなんて言いだして、どんな気紛れなのだろう。放っておいても心配。傍にいても心配。まったく、嫌になるよ」
「えっ?」
さっきまで笑っていたというのに、なぜかシュミレットはいらいらしていた。ルーネベリはその理由を尋ねようとした。そのとき、ちょうど一同が立ちどまった。ベッケル・オーギュレイの研究室に着いたようだ。
白い壁に、縦に細長い扉がついていた。壁と同じ色をしていたため、よく見なければ見分けがつかなかっただろう。シャットがノックしようと手をあげたところ、扉がほんの一センチほど内側に開いているのに気がついた。最後まで扉を閉めるのを忘れていたようだ。
わずかに開いた扉の奥から大きな男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「知らないなんて言わせないぞ、オーギュレイ!」
一同が戸惑い、顔を見合わせた。誰かがベッケル・オーギュレイに対してどうしようもない怒りを露わにしているようだった。怒鳴り声に対して、部屋の中で小さく低い声がぼそぼそと聞こえた。オーギュレイが何か言ったのだろう。その言葉に反応して、怒鳴り声がこう言った。
「僕はこの実験にすべてを賭けていた。講演の日まで何度も、何度も確かめた。失敗などするはずがなかった。消えるはずなどなかった。こうなったのは、あなたがなにかしたとしか考えられない」
また、ぼそぼそと声が聞こえてきた。それに対して男が言った。
「そんな話は聞きたくない!名声はすべてあなたのものにしていいと言ったが、あの魔術式だけは別だ。いいか、明日までに魔術式を見つけるか。まったく同じ魔術式を作れ。さもないと、僕はあなたをけして許さないからな」
椅子が乱暴に後ろへ引かれた音が聞こえてきた。もしかしたら、倒れたのかもしれない。怒鳴り声を発した人物の、怒りを込めた足音が扉の方へ近づいてきた。扉がぱっと内側に開いた。外に出てきた男は部屋の前に立っていたシャットやルーネベリたちを見て、一瞬驚いた顔をした。
男はクライト・ブリント同じように金髪を後ろに撫であげ、四角い眼鏡をかけていた。左下の口元にあるほくろが特徴的だった。男は話を聞かれたとでも思ったのか、ばつの悪い顔をした。
シャットが男に言った。
「ジロルド・カティエンさん、どうしてここに?」
「どうぞ、僕の用は終わりました。失礼します」
カティエンは冷たくそう言うと、バルローとキートリーの脇をとおり廊下を歩いて行った。バルローが「なんだか嫌な感じだな」と呟いた。
シャット首を傾げ、今度こそはと扉をノックして研究室の中へと入った。
「オーギュレイさん。第二室の監査長、ヴィク・シャットです。入りますよ」
一同がベッケル・オーギュレイの研究室に入ると、そこは沢山の白い枠ぶちの窓から光が差し込む、とても明るい部屋だった。
細長いテーブルの上には多くの機材と資料が置かれ、書きかけのノートが開いたままペンとともに置かれていた。机のいたるところには飲みかけの、色や形の違うカップが何個も置き忘れられていた。お世辞にも整理ができているとはいえないテーブルには、設計図が書かれた巻物も何本か置かれ。広げられた一本には何度も訂正された魔術式が描かれていた。
この場所で魔術式を研究していたのは明らかだった。
長テーブルの奥に小さな簡易キッチンがあり、透明なヤカンが一つ置かれていた。簡易キッチンの右隣には丸く底の深い水槽が置かれ、そこから植物が青い葉を何枚も外へと伸ばしていた。植物の隣には壁と一体化したソファベッドがあった。赤と紫色を基調にした艶やかな毛布は隅のほうに寄せられ、同じ布地の枕は壁側に立てかけてあった。
反対側の研究室の壁側には、長テーブルとは異なる木の机が置かれ。壁にはポスターや地図が貼られていた。幾つものメモも貼られているなかに、一枚だけ女性の絵が描かれた色紙が飾られていた。女性の絵の下には「プニエコルテ」というサインが走り書きされていた。
この部屋の持ち主、ベッケル・オーギュレイは窓際に杖をぶらさげ、茶色い革の椅子に座り込んでいた。白い学者服の上に青いガウンを着たオーギュレイの顔はまだ青白く、瞼が重そうに目を覆っていた。ひどいショックを受けたせいか、とても疲れ果てているようだった。
その様子からは、オーギュレイが昨晩、魔術式を消すという大掛かりな自作自演をしたようにはとても思えなかった。
2013年、今年も「灼熱の銀の球体」をお読みくださり
ありがとうございました。
書くペースが遅く、誤字・脱字も度々あり
読みずらいことも多々あるかもしれませんが。
来年も精一杯、この物語を書きつづけたいと思いますので
どうか、よろしくお願い致します。
2013.12.31
佐屋 有斐