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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部三巻「聖なる魔術式」
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五章



 第五章 不審な贈物





 スヴファベッツは大きく頷いた。

「お知恵をお貸しくださり、ありがとうございます。今晩にでも時の置き場に行こうと思います。明日には、大勢の子供たちがやってくるのです。子供たちに元気のない顔を見せられませんから」

 シュミレットは口元を綻ばし、言った。

「将来、この地で学び。やがては優れた学者になっていくだろう子供たちだね」

「えぇ、私が泉の守り人になってよかったと思えるのは、泉の水を飲みに来る子供たちのおかげです。子供たちのあどけない笑顔を見る時が、もっとも幸福な時なのです。私の顔が曇っていたら、きっと子供たちも不安になることでしょう」

 湯が沸いたポットを二重に折りたたんだ湿ったタオルの上に置いたスヴファベッツは、キッチンの棚から茶葉と小振りの陶器ポットを取り出し、陶器のポットの中に茶葉を入れてしばらく蒸らした。ポットから柔らかな湯気と、ほのかに甘い香りが漂っていた。

 スヴファベッツは言った。

「チャーグ・キーデレイカの傍にいると、私の心は穏やかになります。朝、泉に迷い込んできた落ち葉を拾い、昼には目録を書いて、午後には子供たちが私を訪ねてくる。そんなゆるやかな毎日の繰り返しを愛おしく思っておりました。けれど、ある日、本を書いてみないかと声をかけられたとき、私は本など書いたことがないと何度もお断りしたのですが。何度も訪れて、書いてみなさいと諭されたのです。私はついには断りきれず、何日も夜を徹してあの本を書きました。私が知っている泉についての本です。なにを躊躇することもなく、すらすらと自分の話のように最後まで書き終えることができました。出来あがった本は、私が思っていたものよりもずっと立派なものに仕上げられました。本が出来たときは今のような気持はなく、純粋に嬉しかったのです」

「君の文才を見抜いたのは、一体誰なのだい?」

「私には文才などありません。ただ、私の目録を読んだ時術師が第九世界の文芸を扱う者に私の話をしたそうなのです。目録は本来、管理者である私がこの世界で知る記憶を他の者に知らせるために書き記しているもの。無意味に本などにしたせいで、私の心は荒んでしまったかもしれません。私はいつもあの泉のように清んでいたかった。このような恐怖心も以前は感じなかったのです。もしかしたら、泉が私に知らしめさせるためにこのような酷な事を……」

「考えすぎだよ。君自身が知っている通り、チャーグ・ギーデレイカはこの世界の知恵を掬っている。泡の数だけこの世界に知恵が生まれているのだよ。そして、その泡は泉にとけて、知識のつまった泉の水を人々が口にする。泉の水を飲んだ彼らはやがて新たな知恵を生む者になっていく。そうすることで、知識がより世に広まっていく。泉と同じように君は本にして君の持っている知識を世に広めたんだ。少々、慣れない事をしてしまって疲れてしまっただけだよ。やっていくうちに慣れていくさ」

 スヴファベッツはしばらくシュミレットを見てから少し俯き、柔らかに微笑んだ。

「賢者さんは変わられましたね」

「そうかな?」

「えぇ、角がとれたように、以前に増してお優しくなられました。移ろいゆく時は、いかなる人を変えるのですね。私自身も変わったのかもしれません」

 そう言って、スヴファベッツは食器棚からカップを二つ取りだして、ポットのお茶を注ぎ入れた。薄い紅色のお茶がカップに入れられ、おいしそうな香りが部屋中に広がった。

 シュミレットにお茶を出したスヴファベッツは、シュミレットと向かい合うように椅子に座った。シュミレットは出されたお茶に口付け、一息ついた。


 ゆっくりとお茶を飲む二人の間に沈黙がつづいた。しかし、その沈黙は居心地の悪いものではなく。外で吹き揺れる風の音や、さやさやと木々の葉が擦れる音が聞こえてくる、とても静かで心落ち着く沈黙だった。理の世界に訪れると、シュミレットはこうしてスヴファベッツの出すお茶を飲んで過ごすのだった。何かを多く語ることはなく、瞑想するわけでもなく、のんびりとただ時を過ごすのだ。疲れを含んだ溜息を吐くと、心身ともに静まり返り。なにもかも、すべてを忘れられる気がした。

 お茶を飲み終わると、シュミレットは席を立った。

「そろそろ行くよ」

「もう、ですか?」

「しばらく滞在するつもりだから、また君に会いにくるよ。大研究発表会会場で助手が待っているのだよ。助手が君によろしく伝えてほしいと言っていましたよ」

「賢者さんの助手といえば、ルーネベリ・L・パブロくんが帰ってきているのですか。彼はお元気ですか?」

「とても元気だよ。僕はしばらく彼について会場をまわるつもりなのだけれど。彼のはしゃぎようを見ていると、おもしろくてね。公演を聞くどころじゃないときもあるんだ」

 クスクスと、シュミレットは楽しそうに笑った。スヴファベッツは言った。

「学者たちは皆そうです。今年は新しい研究発表がいくつあるのでしょうね。今年も何事もなく、発表会が終わってくれればいいなと思います」

「君は今年も行かないのかい?」

「私が行っても、研究についてはよくわかりませんからね。家で仕事をするだけです。まだ目録も書き終わっていませんから」

「それなら、次に来るときはお土産代わりにルーネベリを連れてくるから、彼から話を聞くといい。確か、君と彼は年が近かったね」

「三つ違いだったと思います。私の方が年上だとは思えないほど、彼はしっかり者です」

 シュミレットは笑いを隠すように、口元を押さえて言った。

「そうだね、彼は本当にしっかりしている。彼と話をすると、少しは君も気晴らしになるのではないかな。彼はお茶よりお酒の方が喜ぶけれどね」

 スヴファベッツは頷いて、「以前に頂いたものがあったはずですから、探しておきます」と言った。

「そうしてくれると彼も喜ぶよ。僕の方はお茶で結構だからね」

 シュミレットはお茶の礼を言って、スヴファベッツの家を出ていった。

 見送りは必要ないと告げてからさっさとシュミレットが行ってしまったものだから、スヴファベッツは扉を閉める必要もなくなり。しょうがなくカップを横に置くと、テーブルの上に置かれた透明な板を手に取って、仕事のつづきでもしようかとペンに手を伸ばした。

 薄茶色のレンガの上を歩くシュミレットは黒いマントをなびかせながら、いつもと同じ異常な早さで来た道を引き返えしていた。静まり返った泉の傍を歩いていると、向こうに見える空間移動装置のある小屋から黒く長いマントを着た、青い目の二人の男が裏手にまわって歩いてきた。スヴファベッツの客だろう。一人は二十代後半ほどの若い男で、栗毛でとても細身だった。もう一人も同じ年頃だろう、うねうねとまがりくねった天然パーマの黒髪を持つ長身の男だった。二人はなにやら話しこんでいる様子で、スヴファベッツの家から歩いてくるシュミレットの姿には気づいてはいなかった。

 細身の男が言った。

「用事って何かと思えば、お使いかよ。こんな魔術も使えない場所に来るなんて、はじめてだぜ俺は」

 長身の男が言いかえした。

「シフルは馬鹿だから、勉強する場所とは無縁だ」

「ヤンゴル、おめぇも一緒だろうが!」

「シフルよりは魔術学校での成績はよかった。優秀賞をもらったことがある」

 他愛のない話をする二人の男とシュミレットが道の途中ですれ違った。長身の男、ヤンゴルと呼ばれた方の男が目の端で背の低いシュミレットの黒いフードをちらりと目にした。マントを着ていることはわかったが、顔は少しも見えなかった。ヤンゴルよりも素早く二人の顔を一目したシュミレットは、そのまま何事もなかったように小屋の入口の方へ歩いて行った。

 シフルはむきになって言った。

「そんなものを貰って喜ぶな」

「あの人――」と、ヤンゴルは立ちどまり、後ろを振り返ったが、その時にはすでにシュミレットの姿はなく、小屋が見えているだけだった。

「あの人ってなんだ。誰かいたのか?」

「いた。見なかったのか。今、すれ違ったんだ」

 シフルは振り返って周囲を見渡したが、「誰もいやしねぇぜ」と言った。

「すれ違ったのなら、俺も気づいたはずだろう。気のせいじゃないか」

「そんなはずない。たしかに黒いフードをかぶった人がいたんだ」

「魔術師でもいたのか」

「よくはわからない。フードとマント以外、何も見えなかった。でも、なんだろう。あの人、どこか不思議な感じがした……。誰なんだろう、気になる」

「不思議?俺にとっちゃ、お前の方がよっぽど不思議なんだがね」

 ヤンゴルは目を細め、シフルに冷たい視線を送った。

「そんな顔するなよ。時々、おかしなこと言うお前が悪い。すれ違った奴のことより、姉さんとスヴファベッツがどういう関係なのかを考えろよ。匿名でこれを渡せって言われたけど、中身は何だろうな」

 シフルは長いマントの下、腰にぶら下げた鞄から薄ピンク色の包装紙に包まれた箱を取りだして、乱暴に揺さぶった。中身がカラカラと鳴った。ヤンゴルは言った。

「デルナ姉さんのものだから、勝手にあけるなよ」

「わかってらぁ。でもよ、お前。ちょっとぐらい、中身が何なのか知りたいとおもわねぇのか」

「すこしも思わない」きっぱりそう言うと、ヤンゴルは箱を掴んで先に行ってしまった。

「嫌な奴だな。なんで、わざわざあんな不愛想な奴と組まなきゃならないんだ……」

 ぼやいたシフルは、嫌々、ヤンゴルの後を早歩きで追いかけた。

先に行った、箱を手に持ったヤンゴルとて、本心ではデルナ・コーベンから預かった箱の中身が少なからず気にはなっていたが、開けることだけは考えられなかった。

 コーベンがスヴファベッツに渡せと言ったのだから、渡せばいいだけだ。何も聞かされていないのだから、詮索していいことは何もない。コーベンにはコーベンの考えがあって、ヤンゴルやシフルに箱を渡すよう頼んだのだ。――コーベンに頼られているのだ。不満に思うことは何もないだろう。そう自身に言い聞かせて、ヤンゴルは箱を大事そうに両手で抱えた。やがて、シフルはヤンゴルに追いつき。スヴファベッツの青い屋根家の前に辿り着いた二人は、家の戸を強く三度叩いた。

 スヴファベッツの家を囲んだ美しいチャーグ・キーデレイカの中で、人知れずぼこぼこと無数の泡が生まれた。知恵という泡は小さな泡たちを飲み込み、大きな泡となって水面へのぼっていった。理の世界のどこかで新たな知恵が生まれたのだ。知恵の誕生を祝うこともなく、泉はゆっくりと大きな泡を取り込み、静寂を保った。





 

 空間移動装置を使い、大研究発表会の会場のあるドームに辿り着いたシュミレットは、その俊足を活かし会場という会場を歩きまわり、助手の姿を探した。やはり助手の心配はまったくといっていいほど必要なかったようで、シュミレットは三十分ほど会場をぐるりとまわって、赤い髪の男を早急に見つけることができた。数人の白い上着を来た学者たちに混ざっていたにもかかわらず、長身のルーネベリは群を抜いて目立っていたのだ。見逃すこともなかった。

 どうやらルーネベリは知り合いらしき学者たちと話に耽っているようだった。だが、学者たちは時々、周囲を見て落ちつきがなかった。昨日のルーネベリ同様、聞きたい講演でも探しているのだろう。軽い集まりは誰かが口を開いて少し話をした後、しばらく沈黙がつづき、また誰かが二言三言、言葉を紡いでなんとか成り立っているようなもので、すぐにでも解散してしまいそうな雰囲気だった。

 シュミレットはすっと、ルーネベリの背後に立ち言った。

「君はまだここにいるつもりかい?」

「先生!」

 ルーネベリはシュミレットの声を聞いて振り返り、シュミレットを見下ろした。

「よく見つけられましたね。こんなに会場は広いのに」

「たやすいことだよ。君の容姿は特別目立つからね、どこに行っても、自然と目がいってしまう」

「この髪のおかげというわけですね」

「そういうことにしておこう。ところで、学者たちが集まっているのを見ると、微笑ましいと言いたかったのだけれどね。よくよく見てみれば、皆だんまりを決め込んでいるじゃないか。こんなに静かな集まりにとどまって、何の意味があるのだい」

「あぁ、先生がいらっしゃる前から、そろそろ行こうかと思っていたところなんです。必要な情報はすでに交換し終わっていますからね、理の世界の状況をいくつか教えて頂きました」

「なにか面白い話はありましたか?」

「えぇ。昨日言っていたベッケル・オーギュレイの講演日には第九世界から記者がつめかけてくるそうです。しかも、他の講演は縮小されるそうで、講演ができないと何人の学者が不満を漏らしていましたよ」

「それだけベッケル・オーギュレイという学者の研究発表に熱を入れているのだね」

「そのようです。当日はデュー・ドランスが会場を全面的に取り仕切るようなので、ボルポネに会うこともなさそうで俺としてはほっとしていますが。ただ、知人友人に何人か会ったので、すでに俺が帰ってきていることをボルポネの耳に入っているかもしれませんが……」

「いっそのこと、クー・ボルポネに見つけてもらえばいいのだよ。きっと彼は君の帰還を喜んで、捕まえて離さないだろうけどね。そんな君の様子を遠くから眺めるのも、幾分と滑稽だと思うのだよ」

「あなたね、仮にも俺が捕まって先生のことをボルポネに話せば、あなたもとっぱっちりを受けるんですよ」

「いいや、仮なんてものはありませんよ。賢い君は言わないさ。それに、万が一にも君の考えているとおりに事が悪い方向へ進んだとしても、僕はボルポネに文句の一つも言わせないつもりなのだよ。なぜかっていうとね、僕は彼の大事な学者を五体満足の無傷で返すのだから。文句ではなく、礼を言ってもらいたいのだよ」

「まったく、嫌味もほどほどにしてください。仰ったそのままのことをボルポネにも仰りそうで怖くなります」

「なにか間違ったことを言ったかな?」と言ったシュミレットに、赤い髪を撫でたルーネベリはひどく苦笑いした。そして、手前にいた学者たちに言った。

「先生方、連れの者がきたので俺はここで失礼します」

「あぁ、行ってくれ。私もこんなところで長居していられない」と、慌ただしく髪の薄い一人の学者は立ち去った。すると、別の、白髪の学者がゆったりとした口調で言った。

「私はもう少しここにいようと思う。話したい人がいくらか向こうにいてね、講演が終わるのを待っているのだ。私に構わず行ってくれたまえ」

「えぇ、それでは」

 軽く頭をさげたルーネベリはシュミレットと共に、学者たちの輪から離れて講演会場を歩いた。首を動かしながら、ルーネベリはシュミレットにスヴファベッツが元気にやっているのかどうかを聞いた。シュミレットは言った。

「彼、少し疲れていたよ。時の置き場に行くように勧めておいたけれどね。それでもよくならなかったら、エントローを呼ぶ必要があるかもしれません」

「酷いのですか?」

「管理者の不調はよくあることだから、それほど心配はいらないよ。ただ、彼はまだ若いからね、奇力の問題もあるかもしれないと少し思っているところだよ」

「また奇力ですか?」

「チャーグ・ギーデレイカは奇力に属するものだからね、一時的に彼の奇力を狂わせることもあるかもしれない。数十年と管理者をやっていれば、自然と奇力と調和できるのだけれど。彼は管理者になってから十六年あまりだからね。そろそろ体質が変わる転換期に入ったのかもしれない」

「初耳ですね。管理者は体質が定期的に変わるのですか?」

「もとは普通の人間だからね、少しずつ管理者という存在に変わっていくのだよ。各々の世界の管理者によって症状は個人差があるからね、その辺りはエントローに任せるしかない。

そうそう、近々、またスヴファベッツに会いに行こうと思っているのだよ。今度は君も一緒に来るといい。彼も息抜きになるよ」

「えぇ、そうします。俺も彼に会いたいと思っているんですが、講演も捨てがたくて」

「それなら、彼に会いに行くのは大研究発表会の終日にしよう。今日は昼食をとった後なら、どこへでもついて行きますよ」

 ルーネベリとシュミレットは一旦会場を離れ、会場外の北側に仮設されたレストラン街で昼食をすませると、また会場に戻ってから夜遅くまで学者たちの講演を聞きまわった。









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