三章
第三章 大研究発表会
「あぁ!その手がありましたね」
ルーネベリは嬉しそうに笑った。酒飲み友達に支援を頼むことなど考えたこともなかったという風に、こっくりこっくり首を縦に振っていた。
シュミレットは演説をつづけるプリメルを見て言った。
「彼女の研究所は?」
「俺と同じ第一研究所です」
「君と同じなのだね。第一室はどういった研究をしているのだい?」
「第一室は自然科学ですね。物理学、化学、生物学、時間学、空間学、地学などなどです。第二室は非自然科学なので、工学、経済学、民族学、神秘学といったものですが……。先生、珍しくご存知ないんですね。確か、先生も理の世界の大学ご出身ではなかったですか?」
「僕は試験しか受けていないのだよ。父の影響で入学はしたものの、魔術大学にも通っていたものだから時間がなくてね。まとなに講義を受けたこともありません。賢者になってからも理の世界には三十回ぐらいしか来たことがなくてね、そのほとんどがスヴファベッツの家だったから、研究所の方には散歩しかしたことがないのだよ」
「そうだったんですか。その貴重な散歩の途中、俺は先生をお見かけしたんですね。今でもはじめて先生の術式を見たときの光景が忘れられませんよ。凄かったです」
「君と出会ったかどうかは覚えてはいないけれど、理の世界で術式を使った日のことは覚えているよ。研究ドームで爆発が起こったのだよ。爆発と同時に機械が壁を突き抜けて通りかかった学者を襲おうとしていたのでね、僕は人助けだと思って術式で機械を破壊したのだけれど、そういえば、あの後かな。理の世界の路面に塩の砂で作られたレンガが敷き詰められたのは……」
突如、ルーネベリは声を低くして言った。
「先生、その話はあまり大きな声でなさらないでください。その一件については理の世界では謎のままにされているんです」
「謎?」
「ほら、先生は足がお速いでしょう。魔術師に機械を壊されたという学者の訴えがあってデュー・ドランスが大変激怒したんです。現場で過去再現しようとしたんですが、一瞬の影しか映らなくて。時術師に依頼までしようとしたんですが、なぜか誰も依頼を受けたがらなくて。結局、デュー・ドランスはクー・ボルポネと相談して塩の砂で作ったレンガを路上に引き詰めて魔術式を使えないようにすることで事態を収めたんです。今更、そのことを蒸し返すのは……」
「なんだか、気の毒な事をしてしまった気がしますね」
たいして悪びれることもなくそう言ったシュミレットは、ふと言った。
「もしかしたら、僕の宛ての招待状はその件についてなのかな。だけど、あの文面を読んだかぎり、僕を非難しようとしているというより何か話があるような気がしたのだけれどね」
「あぁ、なんとなく俺もそう思いました。先生に招待状を送ったのはクライト・ブリンでしたね。俺の知る範囲では、監査長が招待状を送るなんて聞いたこともありませんが」
ゴホンと前にいた学者が咳払いした。少々声が大きかったようだ。
ルーネベリはお詫びのつもりで学者に軽く頭をさげ、シュミレットと共にソリンダ・プリメルのブースから離れた。
隣のブースでは違う講演が行われていたが、ルーネベリは立ちどまらず、会場の通路を歩いてあちらこちら顔を傾けていた。シュミレットはルーネベリの後ろを歩きながら、周囲のブースを眺めていた。五時間ほど講演会場をまわった後、ルーネベリはシュミレットをブースとブースの間に置かれた空間移動装置の元へ連れて行った。空間移動装置の前には、後ろで手を組んだ紺色の襟付きのコートをきた時術師が立っていた。ルーネベリは時術師に挨拶し、言った。
「展示会場へ、お願いします」
「わかりました。どうぞ、お乗りください」
短くそう言うと、時術式が発動した。天井と床に術式が浮かび光の柱が光っていた。シュミレットとルーネベリが乗り込むと、すっと二人は会場のある西へと空間移動した。
広々とした会場へ辿り着いた二人は光の柱から出て、周囲を見渡した。二人が降り立った展示会場には重厚なガラスケースにはいった品物の数々が展示されていた。会場には無口な学者や、カラフルなフリペという碗部がドレープ状になったドレス着の女性たちや、七分丈のジャケットとズボンスタイル、ボルティとよばれる私服に身を包んだ男性たち。そして、紫色のワンピース、ローブや紺色のコートを来た様々な人々がゆっくりと展示品を見ていた。
シュミレットは言った。
「ここはどういった物を展示しているんだい?」
「こちらは新しい研究の展示会場なんです。さっきいた公演会場とは違って、こちらでは展示のみになっているんですが……」
ルーネベリはシュミレットに説明しようと、会場の奥へ案内し、髪につけるキラキラと光るピンが展示されたガラスの箱の前に立って言った。
「展示品についての情報はガラスに触れると出てくるんです」
ルーネベリが指でガラスに触れると、白い学者の装束を身にまとった老学者の立体映像が飛び出し、もくもくと展示品の説明をしだした。シュミレットはそれを見て大いに面白がった。
「触れるだけで説明が聞けるのだね。最新技術なのかな」
「いいえ、先生。実はこれはそれほど新しい技術でもないんです」
「そうなのかい?」
「この技術は前からあったのですが、素材によって使えるものと使えないものがあったんです。ですが、ある学者のおかげで使用できる素材を問われなくなったんです」
「ある学者?」
「ベッケル・オーギュレイという第ニ研究所の工学者なんですが、彼は近代では最も注目を集めている工学者の一人なんです。ここ数年では、発行ブローチとよばれる暗闇を照らすブローチを開発して、第三世界で爆発的に流行しているとか。――あぁ、そういえば、他にも空間移動装置の更新も彼がしているらしいですね。第四世界の癒しの塔にあった空間移動装置のように、時術師がいなくとも装置が使えるようになったのは彼のおかげかもしれません。
せっかく、大研究発表会に来たので、先生に彼の展示品をお見せしようかと思ってお連れしたんですが」
ルーネベリは展示会場を見まわした。
「初日からの展示ではなさそうですね。新作の発光ブローチでも出ているかと思ったんですが……」
シュミレットは展示品をさっと見て、言った。
「気にすることはないよ。あと四日は理の世界に滞在するのだから、そのうち展示されるでしょう。それよりも、君は他にも見たいものがあるのではないかな。ここには君の興味をそそるものが沢山あるように思われるのだけれどね」
ルーネベリは嬉しそうに小さく笑った。
「はい、少しだけいいでしょうか」
「少しとは言わず、好きなだけ付き合うよ」
それから二人はさらに二時間ほどかけて展示会場を歩きまわった。
ガラスケースに収まった一見置き飾りにしか見えない真鍮の皿、木製の机や椅子。寝心地のよさそうなベッド。ソファ。ライトと一体型になった音響機器。ペン、測定器。クリップ。色とりどりの綺麗なアクセサリー類など、日常で使用するものから高級品まであらゆる物が展示されていた。しかも、それらすべて科学道具で、術師でなくとも奇術・時術・魔術まで使用することができるという優れものであった。
シュミレットが展示品について尋ねると、ルーネベリがひとつひとつ丁寧に解説をしながら製作者した学者についての小話をはさんだ。面白い冗談をまじえたルーネベリの話を聞きいっていると、あっという間に会場をひとまわりして入口に戻ってきていた。
さすがに疲れてきた頃だろうとルーネベリがシュミレットの顔色を伺ったが、賢者様は疲れを見せるどころか、「次はどこに行くのかな?」などと言いだした。少なからず、大研究会を楽しんでいるようだ。ルーネベリとしては嬉しくてしかたがなかった。
ルーネベリは言った。
「そうですね、他には実験を体感できる会場や展示品を購入できる会場もあるんです。あと、新しい研究を依頼できる会場もあるんですが。そろそろ時間も時間なので、先に宿も取らなければいけませんね」
「僕はプライベートで宿を取ったことがないのだけれど、大丈夫なのかい?」
「大丈夫です。理の世界では俺自身が身分証明のようなものなので。簡単に宿も取れますし、割引もききます。俺に任せておいてください」
ルーネベリは胸に手をあて自信ありげに頷いた。普段聞き慣れない「割引き」という言葉に思わず賢者は小さく笑った。
「しっかり者の君に任せるよ。僕はこの世界ではまるで役立たずだからね」
「そんな、先生」
すぐに眉を寄せたルーネベリにシュミレットは言った。
「本当のことだよ。僕が楽しめているのは君のおかげだよ。一人で来ていても、これほどまで楽しくはなかっただろうね。なんだか、子供の頃を思い出すよ。よく父が学者たちの将来が楽しみだと言っていたけれど、僕も今同じことを思っている」
シュミレットは穏やかな顔で会場を見ていた。賢者の父親がどういった人物かはルーネベリにはわからないが、シュミレット同様、学者たちに期待を込めた目を向けていたのだろう。
賢者の目には子供の頃とさほど変わらない光景が写っているのかもしれない。けれど、それでも日々、科学は進化しているのだ。どんどん生活が便利になっていく一方で、不便になりつつ事柄も増えている。けして良い事ばかりではないが、三百年以上も生きている賢者はそんな科学の矛盾を否定することもなく、違う角度から学者たちと同じ未来を見ている。矛盾を越えた先にも、まだ先があるのだと告げているようだった。
ルーネベリは身引き締まる思いに駆られた。
世界が形づくる様々な問いには、真理という答えがあるのだと学者たちは信じている。終わりのない探究を何世代にも渡って追いつづける学者たちを滑稽に思うどころか、賢者は楽しみだと言った。これ以上の賞賛の言葉があるだろうか。賢者を大研究発表会会場に連れてきた甲斐があったというものだ。
ルーネベリはにわかに微笑んだ。
「おや、その赤い髪はルーネベリ・L・パブロくんではないかな」
振り返ると、小さなレンズがいくつも連なった眼鏡をかけた男が立っていた。見たところ五十代だろうか、艶のあるこげ茶色の髪は小奇麗にセットされていたが、疲れているかのように目の下には濃いくまがあり、頬はわずかにこけていた。白い学者服を着た男はたいそう驚いた顔でルーネベリを見ると、次にシュミレットを見下ろした。
「いやぁ、やはり君ではないか。久しぶりだね。いつ帰ってきたのかな。いやぁ、失敬。その前にそちらさまはどちら様で?」
「あぁ、バリオーズさん」ルーネベリは笑みを浮かべると、バリオーズという学者と熱い抱擁を交わした。
「あなたとこんなところでお会いするなんて!」
「いやぁ、私も驚いているよ。すごく驚いているんだ」
ルーネベリの抱擁から解放されると、バリオーズは何度もシュミレットの方をちらりちらりと見て言った。
「心から君との再会を喜んでいるところなんだが、お隣にいらっしゃる紳士が一体誰なのか気になって、君に別の質問ができないところなんだ」
「これは失礼しました。こちらレヨー・ギルバルド先生です。えぇと、俺が師事している賢者様のお友達です」
「はぁ、なるほど。私はルウエル・バリオーズ、神秘学者をやっております」
バリオーズが手を差し出したが、シュミレットは一歩後ろにさがり軽く首を傾げただけだった。バリオーズは唇を舐めて手を引っ込めた。
「おや、挨拶の仕方を間違えたかな。他の世界の人々の挨拶の仕方はよくわからないのでね。とりあえず、よろしくどうもと言いたいところです」
ルーネベリは慌てて説明した。「魔術師は一歩後ろにさがるのが挨拶なんです。俺もはじめて見たときは驚きました」
「なるほど、なるほど。私はたいてい研究室に篭っているので、魔術師にはめったにお目にかかりませんからね。あなたにとって手を差し出すのが失礼でなかったのならいいのですが」
シュミレットは「大丈夫です」と丁寧に言った。バリオーズは微笑んだ。
「感じの良さそうな方でよかった。しかし、賢者のご友人なら、さぞ立派な方なんでしょう。デュー・ドランスを通したほうがよかったかな」
「いいえ、僕はどこにでもいる魔術師です。しかも、彼のお供にすぎません。大研究会を楽しみに来ただけなので、お気遣いなく」
「はぁ、そうでしたか。そうでしたか。ここにいるということは、展示会場に来たばかりですかな。それとも、見おわったばかりですかな」
「今、戻ってきたところです。せっかくなので、ベッケル・オーギュレイの新作でも見ようかと思っていたのですが、別の日に展示されるようですね」
「ベッケル・オーギュレイ?」
「えぇ、ご存知でしょう」
「もちろん。彼についてならちょうど朗報がありますよ。彼は新しい研究発表を三日後に、七月数十に発表するんですよ」
「三日後ですか。少し遅いですね」
「恐らく、準備が遅れているんでしょう。あれほどまで驚くべき結果を出しただけでもすばらしいのに、彼は我々にもわかるように原稿まで書きなおしている!いやぁ、彼ほど器用ならいいんですが、私はどうも説明下手、話し下手、表現下手でね。彼の研究に私が一役かっているというのに、私は自分の研究結果もろくに発表できなかった。いやぁ、展示はさせてもらっているんですが。君も多分、見ていないだろうね。あんな壊れた機械なんて……」
ルーネベリは首を傾げた。
「どういうことですか。バリオーズさんはオーギュレイさんに協力なさったんですか?」
「正しくは協力したわけではなくて。私が開発した機械がたまたまウェルテルという空中にある物質を一度認識してね。どうやら、それは大発見だったらしくて。機械はそれっきり壊れて動かなくなってしまったのに、デューがまたとない機械だと絶賛して展示会場に展示されることになったんだ。展示会場の奥の、そのまた奥に展示されているから、会場を知り尽くしている学者以外はほとんど人目につくことはないんだろうが。でも、私は気になって日に何度も見にいっているんだ。あの機械は壊れている。修理しなくてはならないのに、ガラスケース越しに見ることしかできない……」
シュミレットが言った。
「ウェルテルと言いましたか?」
バリオーズは頷いた。
「えぇ、ウェルテルです。なんでも、翼人しか目視できないという物質の一つで、十三世界の人々の目には見えないものだとか。どうして私の機械がそんなものを認識したのかはまだわかりませんが、私の機械がウェルテルを発見した後、ベッケル・オーギュレイがやってきて、私の機械を見せてくれと言ったんだ」
「ということは、バリオーズさんの発見から新しい研究が行われたということなんですか?」
「そうともいえるが、そうともいえない。私は機械が認識した結果だけ彼に見せただけですからね。そもそも、私はウェルテルについてよくわかっていない。私の研究とはまったく関係のない物質で、やはり、なぜ機械が認識できたのかもわかっていない。三日後、彼の研究結果を聞けば、少しはウェルテルについてわかるかもしれませんが。今はなんとも言えないところです」
バリオーズの話の途中から、シュミレットは少し視線を反らして考え事をしていた。黙り込んだシュミレットの様子を見てルーネベリは、すぐに賢者はウェルテルという物質について何か知っているのだろうということに気がついたが、ルーネベリはあえて賢者に聞くことはしなかった。
束の間、考え事が終わったのか、シュミレットは目線をバリオーズに戻して言った。
「三日後の発表が楽しみだね」
「えぇ、楽しみです。よければ、ご一緒したいところなんですが。しばらく研究室と会場を行ったり来たりしているので、お会いできるかどうか……。通話機はお持ちですかな?」
ルーネベリは手を振った。
「いいえ、先生も俺も持っていないんです」
「それは残念だ。通話機があれば、簡単に連絡が取れるんですがね。借りるという手もありますが、あれは馬鹿高い。当日、お会いできれば、お会いするということにしましょうか。どうせ、会場は絞られますからね」
「そうですね、そうしましょう」
「そういえば、今晩の宿はもうお決まりになったんですか?ルーネベリくん、君は確か理の世界のアパートを引き払っていたよね」
「ちょうど、今から宿を取ろうと思っていたところです」
「ほう、それならいい宿を私が探そう。どうだろう、宿の件は私に任せて。今晩、私の家で夕飯はいかがかな。妻の手料理は絶品でね。ぜひ家にご招待したい」