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灼熱の銀の球体  作者: 佐屋 有斐
第一部二巻「楽園の使者」
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二章



 第二章不治の男





「この声は、ブリオ・ボンテだわ」

 耳を押さえたメリアは言った。

「大変だわ。誰かが、あの高い塔にのぼったのね」

「何ですが、これは?頭痛のする声が……」

 痛むこめかみを押さえたルーネベリは、慌てて立ちあがったメリアを半分閉じた目で見上げた。メリアに押された椅子が後ろに傾き、カタカタ鳴ってから元に戻ったところだった。

「席をはずしますわ、賢者様」

 別れの挨拶のために膝を軽く曲げ、メリアは足早に庭を駆けて、隣の戸の奥へと消えていった。あっという間のことで、話もろくに聞けなかった。メリアが去った後、ルーネベリは痛みを感じなくなったこめかみを撫でて言った。

「さっきの声は、一体?」

 黙って目を閉じていたシュミレットが、ゆっくりと両目を開けた。

「奇術だね。どうも、緊急を告げるもののようだよ。慌てすぎて、送る相手を特定するのを忘れたようだけど。誰かが、塔の上に立っているらしい」

「それは、頭が痛くなるほど、俺にも聞こえていましたよ。どこの誰が塔の頂上なんかに立っているんでしょう」

「誰だろうね、僕も気になるよ。見にいってみようか」

 ルーネベリはシュミレットの思いつきに「はい?」と聞き返した。

 シュミレットは呆れて言った。

「なんですか。見にいくと言ったぐらいで、驚いて」

「いえ、先生も興味がおありなんですね。野次馬をしたいだなんて」

「君は興味が沸かないのかい?塔の頂上に立って、騒ぎを起こしている人物に」

 そう聞かれて、ルーネベリは顎に手をあて、少し考えた。塔で何をしているのか知らないが、どこの誰がわざわざ塔の上に立っているのだろう。飛び降りるつもりなのだろうか。シュミレットと同じぐらい、ルーネベリの好奇心を煽るのに、十分すぎる出来事だった。少しぐらい見に行ってもいいかもしれない。

 ルーネベリは観念し、両手をあげた。

「見に行きましょう」

 ルーネベリは、クスクス笑う右腕の不自由なシュミレットに黒いマントを着せ、フードまで丁寧に頭にかぶせると。病室を出て、騒ぎになっている塔の方へとむかった。シュミレットの病室のある病棟から癒しの塔は、東の方へ徒歩で歩いても三分ともかからず。遠くはなかった。だが、塔の頂上に人が立っていると聞きつけた患者たちが病棟群から出てきて、道を塞いでいた。

 すっかり、混雑した街道。塔の真下に着く頃には、塔周辺は野次馬にきた患者と、治癒者でいっぱいになっていた。邪魔にならないように、道の端まで追いやられた患者たちに紛れ、シュミレットは腕を庇いながら、ルーネベリの脇に立った。二人が駆けつけたとき、癒しの塔の近くでメリアが、なにやら若い治癒たちに指示をしているところだった。若い治癒者たちは頷き、癒しの塔の中へ入って行った。メリアたち治癒者は、大忙しのあまり、こちらにはまったく気づいてはいないようだった。

 背の高いルーネベリは、治癒者たちの入っていた、癒しの塔を何食わぬ顔で塔の頂上を見上げた。

 地上からまっすぐ雲の方へ伸びている、三百六十度、半透明の窓ばかりが並ぶ塔。まるで、塔全体が硝子のような、この最新型の塔の頂上に、人が立っているなんて、どうやって見つけたのだろうか。それほど、塔は高く。頂上は雲の中に埋もれて見えもしなかった。ルーネベリはその人より、二個分、頭が高いとこにあることを生かし、周囲の声に耳を傾けた。けれど、あちらこちらで囁かれる言葉は、どれも統一性がなく。「治癒者だろうか?」と、疑心にしかすぎなかった。やはり、ルーネベリたちだけでなく、その場にいる全員が、この状況で、誰が立っているのか知るのは難しかったのだ。

 ルーネベリは傍に立つシュミレットに言った。

「まだ、なにも現状を掴めていないようですね」

「無理もないよ。こんなにも高い塔じゃあ、人が立っていても、誰だとはわからない。なんにも見えないのですから」

 空高いところを、目を細めて見ていたシュミレットは、人に押し潰されそうになりながらも、必死に左手でフードを手繰り寄せていた。器用な人だ。

ルーネベリは言った。

「治癒者も大変ですね。ここまで高い塔の階段をのぼるなんて」

 この塔をのぼるのには、さぞ苦労するだろうなと、他人事のようにそう言ったルーネベリ。シュミレットは言った。

「でも、君は行ってきてくれますよね」

「えっ、はい?」

 なぜだか、おかしなことを言われた気がして、ルーネベリはシュミレットを見下ろして言った。

「先生。今、行くと仰いましたが。どういう意味でしょう?」

「意味もなにも。僕たちは、ほら、滞在していることを管理者にも秘密にしてもらっているだろう。メリアに恩を返すには、いい機会だと思うんだ」

 ルーネベリは耳を疑った。とても、正論には違いなかったが――ルーネベリは塔を立てた親指で指さした。

「恩を返すというのは、先生。まさか、俺に塔をのぼって、塔をのぼった誰かを助けに行けといっているのですか?」

 シュミレットは頷き、包帯の巻かれた腕を軽くあげた。

「僕はこんな腕だからね。塔の頂上にいる、彼だか彼女だかを、誤って突き落としてしまったら大変だよ。君がいってくれたら、

僕は大いに助かるんだけどなぁ。助手くん」

 ルーネベリは力なく肩をおとした。先に、気づくべきだった。このシュミレットが、野次馬するために重い腰をあげるなんて、おかしいとは思ったのだ。恩を返すだなんて、律儀なことをいうのは、助手を苛めたいからなのだろうか。

 ルーネベリはまた塔を見上げた。今までにないほど、高すぎる建物だった。何階建てなのかさえ、数えきれない。

「この塔の階段の数は……」

 にっこり微笑むシュミレットに、ルーネベリは口を閉じた。階段の数などで、断れるようなものではないと、わかったのだ。

「ルーネベリ、急いで行ってきてくれないかい。治癒者や奇術師に先を越される前にね。だけど、君が助手だってことは言ってはいけませんよ」

 罵りの言葉も言えず。ルーネベリは哀れにも、シュミレットに頷くことしかできなかった。






 白っぽい黄緑色の額に、薄茶色の濡れた前髪がかかった。安らぎの塔の頂上は雲の中、よれよれの白い長袖と、こげ茶色の長ズボンが雲の水滴にやられ、びっしょりと湿っていた。それでも、塔の頂上までやってきた人物は縁に座り、きつく吹きすさむ風に煽られる防水ノートを片手で押さえ、この悪条件を耐えていた。

 ピンク色染みたの瞳は、とろんとして眠いのか、元気がなかった。目の下のくまも、青黒く、ひどいものだった。しかし、男は精悍な顔つきで空を見上げ。寝巻きの左胸ポケットからとりだした短い鉛筆を口に銜えて、かれこれもう何十時間も動かないでいた。

 その人物は何かを捉えようと、幾度となく、白い霧のような雲に遮られながらも、空を見上げて目を凝らしつづけていた。


 屋上への扉を開けた。両足の筋肉がつるほど、汗水たらして、億単位の階段をのぼりきったルーネベリは、動かない男を見つめ、風に乱され暴れる髪を押さえ、「誰が、立っているなんて言ったんだ」と呟いた。

 たった三時間で、この高い塔の頂上までのぼってきたルーネベリの激しい呼吸はいつまでたっても、治まらなかった。それほど、安らぎ塔の屋上まで階段をのぼる競争は、とてつもないものだったのだ。数十人の治癒者や、奇術師たちがリタイアしていくなか、誰よりも先を行くため、普段、使わない体力を存分に使い切り。疲労困憊で、倒れてしまいそうだった。

 しかも、そうでもして、塔をのぼってきたというのに、見つけた男は、悠長に空を見上げてじっと動かないでいる。なにをしているのやら。呆れたルーネベリは言った。

「よくもまぁ、こんなところにいられたものだな」

 その言葉に、男が「球がよく見える場所は、ここだけだ」と答えた。

 耳はどうやら、いいらしい。ルーネベリはその辺にあった台に腰掛けて言った。

「こんなところで、観測でもしているのか?」

 男は銜えていた鉛筆を左手にとり、頷いた。

「夜は見られないからな。前から今日、見ようと思っていた」

 ルーネベリは首を傾げた。

「はぁ、どの球体を見ているんだ」

「あの銀の球体だ」

 男が空を指さした。手でかざし、ルーネベリも空を見上げた。晴天の空に、白い球と黒い球。そして、二つの球にはさまれた、銀色の大きな球体があった。不可思議にも、時折、その球体が持つ「灼熱の銀の球体」という異名のように、赤々と燃えているように見える。ルーネベリは言った。

「おたくも、新世界主義なのか?」

 男は、ぱっとルーネベリを振り返った。

「おれはザッコだ。新世界とは、何だ?」

 興味を持ったように、男はルーネベリの目を見て言った。

「いや、違うならいいんだ」

「何だ?」

「あんたはザッコというんだな。とにかく、そこは危ないからこっちに来なさい」

「まだ、おわっていない」

「観測か?ザッコ、銀の球体の何を観測しているんだ」

 ルーネベリはザッコが手で押さえていたノートに目をむけた。なにやら、文字がびっしりと書き込まれている。観測しているのは、どうやら、本当のようだった。ザッコは言った。

「時々、銀色の球が赤く燃えているのに。誰もおかしいと思わない。おれは、あの赤が何なのか知りたいんだ」

「燃えている?」

 ルーネベリは空を仰いだ。

「あぁ、あれは残像だな。実際には、千年前に銀の球体の発火はとまっている」

「残像?」

「球体の存在している闇は特殊な強波があって、光が伝達するのが遅い。だから、今でも、千年前のように、燃えているように見えるときもある。だが、燃えているわけではないんだ」

 ザッコはノートを見下ろし、鉛筆でさっとルーネベリの言った説明を書き込んだ。

「詳しいな。それじゃあ、あの赤はなんだ?」

「あの赤はニルリムといって、灼力の元素だ。銀の球体の全九十八パーセントはニルリムできている。しかしだ、球が銀色なのは、別物質の影響だといわれているが、正確に確認されたことはない」

「まだ、わかっていないのか?」

 ルーネベリはザッコに頷いた。

「灼熱の銀の球体に行ける存在は、翼人だけだからな。だが、その翼人も、今では白と黒の球体に閉じ込められている。歴史上では、銀の球体に行くことができるのは、リゼルという人物だけだな」

「禁忌のリゼル」

 ノートをパタンと閉じ、ザッコは言った。

「子供たちがその話をしてくれたことがある。十三世界に平和をもたらした翼人がいると」

「あぁ、歴史ではそうなっているが……。そのリゼルという翼人も、銀の球体を支配した後、行方知れずという。俺はその話はどうもね。世の中には、色々と考える人間はごまんといるが。球体よりも、強い力を持った人がいる時点で、実話とは到底思えない」

 ザッコは言った。

「リゼルの存在を信じていないんだな」

「そうだな、確証のないものを信じるのは難しいものだ」

 ルーネベリは片手をあげた。

「それより。ノートを閉じたってことは、もう下りる気になったのか?」

「おれのことが気になるのか」と、ザッコは言った。ルーネベリは頷いた。

「俺はあんたを無事、地上に連れていかなければいけないものでね。大人しく、言うことを聞いてくれると助かるんだが」

 ザッコはノートを持った手で口元を押さえた。どうしたのか。急に気分でも悪くなったのかと、片膝ついたルーネベリ。しかし、ザッコは肩をくいとあげて、声を押し殺して笑っていた。ルーネベリは、やるせなく頭を掻いた。

「どこが笑い所だったのか、まったく、わからないんだが?」

 人を見て笑うザッコに、ルーネベリが不快な顔をした。笑いながらザッコはルーネベリの胸を指さした。

「黒いマントに、黄金の瞳を持つ魔術師の少年。その少年に言い負かされて、この馬鹿高い塔をのぼってきたんだろう?おまけに、メリア・キアーズ長上も見える。おれのせいで楽しい談話を、邪魔をしたようだな」

 ルーネベリは数度、瞬きした。

「驚いたな。それは、この塔に来る少し前までの出来事だ。話した覚えはないんだが。俺の中を覗いたとでもいうのか?」

 ザッコは首を横に振った。

「覗いたというより、見えたんだ」

「見えただって?それは、奇術でも使ったのか」

「おれはただの患者だ。奇術なんて使えない」

「だったら……」

 よれよれの長袖の腕を捲り、ザッコは腰をあげた。

「ごめん、勝手に見るのは礼儀知らずだった。先生の言うとおり、地上までおりるから、怒らないでくれ」

「先生?」

「学に優れた人を、先生と呼ぶと聞いた」

 病的なまでにもやつれた中年男ににっこりと見つめられ、ルーネベリは困惑した。どうやら、ザッコはルーネベリを先生だと言っているようなのだ。よろよろと、ザッコはルーネベリの元まで歩いてきた。ルーネベリは立ちあがった。

「おれの知りたいことに、あなたは答えてくれた。皆、病人のおれのいうことは、どうしようもない戯言だと聞いてもくれなかったのに」

 白っぽい黄緑色の手がルーネベリの手を握った。体温がないのかと思うほど、冷たい手だった。ザッコのピンク色がかった瞳がルーネベリを真剣な眼差しで見上げた。

「随分と、年を食ったからな。もう遅いかもしれない。でも、今からでも学びたいと思っている。おれの見たところ、あなたは学識に富んでいるようだ。この世界にいる間だけでもいい、無知なおれにあなたの学をわけ与えてほしい」

「それは、勉学をしたいということなのか?それなら、理の世界に……」

「おれはこの世界から出られない。出たくても、許可がおりない。だから、理の世界にも行けないんだ」

「それほど、重い病を患っているということか?」

 ザッコは目を伏せ、心苦しそうに頷いた。

「今まで、やりたいことはたくさんあった。でも、病気を理由に、すべて諦めてきたんだ。一つぐらい、やりとおしてみたい。世界のためにならなくてもいい。おれはこの世界について、勉強したいんだ」

 ルーネベリの手を放し、ザッコは頭を下げた。ルーネベリはそんなザッコを見ながら、腕を組み、ため息をついた。

「ザッコ。あんたの気持ちはよくわかったが、俺の滞在時間はあまり長くない」

「それでもかまわない。あるだけの時間でいい」

「そうか。だが、俺も師事している身なものでね。黄金の目を持つ先生に相談しなければいけない」

「……あの少年が、あなたの先生?」そんな馬鹿げた話はあるだろうかという、不可思議そうな顔をしたザッコに、ルーネベリは手を差しだした。

「俺はルーネベリ・パブロだ。ああ見えて、あの先生は三百年以上も生きている賢人だ」

「三百年も?」

「きっと、あんたの事を話すと、大喜びするだろうな。とても、いい性格をしている先生だからな。――さぁ、さっそく。あの恐ろしい階段をおりようか。あんたのおかげで、今晩はよく眠れる」

 ルーネベリが太ももを叩いた。ザッコはルーネベリの足元に目を向けた。ルーネベリは、いい運動となったといわんばかりに、ズボンの下でパンパンに張っていると言っていた。

「本当に知らないで、あの階段をのぼってきたのか……」

「階段以外に、どうやってここまでのぼる方法があるんだ?」

 ザッコはルーネベリの背後の方を指さした。

「あそこに時術がある。この塔は高いから、各階に時術式があるそうだ」

 ルーネベリは振り返った。ルーネベリがのぼってきた階段のある建物の隣に、小さな円柱状の透明な建物があった。そして、その建物の上部と下部ともに、光を放ち、光っているものがあった。ルーネベリはもちろん、その光を覚えている。それは間違いなく、空間移動の時術式だった。









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