三章
第三章 見知らぬ依頼書
「いっておきますけどね、僕はなにも知らなかったんだ」
ミルキーイエローのシーツのかかったベッドの上で、立てかけた枕の上に横たわったシュミレットが言った。包帯の巻かれていない左手に、ルーネベリの運んできた書類の束をもっていた。
バスルームとトイレにキッチン、ベッドにテーブルにソファ。素朴なアパートさながらの病室の床には、書類が散乱して、いつしか、積み重ねられていた。これも、すべて、ルーネベリが第三世界から運んできた依頼の書類だった。
シュミレットは書類を振った。
「昨日、君たちが塔の中に入って数時間ほど経ってからかな。癒しの塔で働いている時術師が戻ってきたのだよ。彼は、別の病棟で患者の移送の手伝いをしていたらしいのだけど。塔に人がのぼったことを知っていて、詳しい事情を話していたよ」
「空間移動装置……」
ルーネベリはシュミレットのベッドの脇で椅子に座り。顰めっ面で、膝を手で叩きだした。
「俺はともかく。他の治癒者たちも、階段をのぼっていました。装置があることを、誰か一人ぐらい教えてくれてもよかったじゃないですか」
「君の怒りはもっともだよ。いくら、君の祖先が剛の世界の人間でも、とてつもない数の階段をのぼらせて、無駄な体力を使わせてしまったのだからね」
「俺のことはいいんです。どうして、誰も言わなかったのですか?」
「そもそも、癒しの塔は、第十一世界の『叡智の書庫』を模してつくられた塔だそうだね。最新の設備を備えていることを、皆うっかり忘れていたそうだよ」
「忘れていたとは、なんですか」
ルーネベリは小さく眉をあげた。
「治癒者や奇術師が、忘れていたなんて。どれほど、この世界の人間は気が抜けているんですか」
「そうだね、おかしな話だよ」
シュミレットは書類を握ったまま人差し指を唇にあてると、クスリと笑い。書類をルーネベリに差しだした。
「この書類は、どこから持ってきたのですか?これは、エントロー宛の依頼のようだけれど」
書類を受け取ったルーネベリは、「そんなはずは」と、書類の内容をさっと読んだ。シュミレットが言ったように、宛名はアフラ・エントローになっており、依頼内容も奇術に関するものだった。ルーネベリは書類を見ながら顎を撫でた。
「何かの手違いでしょうか。この書類、日付が三ヶ月先になっています。しかも、治癒の世界からの依頼だというのに、管理者のサインがない」
「そうだよ。すべて、でたらめなんだ。君も、依頼の書類がアルケバルティアノの事務員によって仕分けされていることを知っているだろう?僕らの元に依頼書が届くのは、数日から数ヶ月はかかるというのに、これは、まるで未来からきたとでもいいたげで……まったく、ひどい悪戯だよ」
「悪戯?」
「大方、君が書類を運んでいる姿を見た者が、紛れ込ませたのだろうね」
そっぽを向いたシュミレットに、ルーネベリは言った。
「そういえば、今朝、書類を落としたと誰かに拾ってもらいました。俺に対する嫌がらせということですか?」
「先生だけじゃないな。ジェタノ・ビニエは、この世界にいる人間全員をからかっているんだ」
庭から深緑の表紙の分厚い本を抱えたザッコが、部屋に入ってきた。ザッコが庭まで来ていたことに、ルーネベリはまるで気づかなかった。
ザッコは本を抱えたまま、ベッドの傍まで歩くと、シュミレットに挨拶した。シュミレットは顔をザッコに向けて、「いらっしゃい」と微笑み、ソファに座わって寛ぐようにと和やかに言った。
薄ら寒さの感じるこの対応は面白半分なのか。シュミレットはルーネベリの教え子となったザッコを邪険するどころか、勉強するためならば、部屋を使っていいとまで言いだした。ルーネベリが教師面をするのを、見て、笑うつもりなのだろうか。とにかく、すでにそのことには諦めのついていたルーネベリは言った。
「からかっているとは、どういうことなんだ。ジェタノ・ビニエとは何者だ?」
「奇術師だ」
「どういうことだ。奇術師が悪戯だって」
「腹いせじゃないか。遂に、最後の患者を取りあげられたらしいからな」
ザッコはソファに座ると、本をテーブルに置いて開いた。ルーネベリは立ち上がり、筋肉痛で痛む足を引きずりながら、ソファまで歩いてザッコの隣に腰掛けた。
「よくあることなのか?」
「いいや、よくあることじゃないが。ビニエは気が狂っているんだ。わけのわからないことを口走って、そのうち、若い治癒者たちをからかいだした。誰も、奴の話にのらなくなったものだから、今度は、患者の俺をだしにつかって騒ぎにしたてたんだろう。そろそろ、治癒の世界から追い出されるんじゃないか」
「気が狂った奇術師か。あの依頼書を紛れ込ませたのも、ビニエなのか……」顎に手をあて、首を捻ったルーネベリ。シュミレットがザッコに「君は、その奇術師の専門を知っているかい?」と聞いた。
「ビニエは重症患者を診ていた」
ザッコはそう言って、目線を向けた。絵画のように、治癒の世界の簡易地図が壁にかかっていた。
「今、俺たちがいるのは、総合治療が受けられる北東エリアだろ。北西エリアは治癒者の管轄で、西南と東南エリアは奇術師の管轄だ。ビニエは、重症患者のいる西南エリアにある病棟で、患者を診ていたんだ」
「なるほど、あそこか」
「治療機関エリア内は、すべて徒歩でいける距離だ。エリア外に、治癒者とか奇術師の学校と寮があるが。ほとんど、俺たちには無関係の場所だから、行くこともないしな」
「徒歩で移動できるのは便利だな。ところで、奇術師は、体内にある奇力をつかった治療をするというが。重症患者というは、どういった病気を患っているんだ?」
ルーネベリが言った。ザッコは、ルーネベリに目を向けた。
「俺のように、奇力に問題がある人間や。精神疾患者が多いな。ビニエは、精神疾患患者を診る奇術師だったから、治療しすぎて気が狂ったんじゃないか。――なぁ、先生。そろそろ、勉強をはじめてもいいか?」
見せるように本を引っ張ったザッコに、ルーネベリは勉強をみると約束していたことをようやく思い出した。
「あぁ、悪い」
ルーネベリはザッコの持ってきた本を見ようとテーブルの方へ身をのりだした。本を覗くと、本には鉱物について、含まれる成分などの詳しい説明が書かれていた。専門書のようだ。やはり、ザッコは球体について興味があるらしい。
ルーネベリは「何が知りたい?」と言った。ザッコは頷き、本に記された文字を口にだして読みながら指で追った。
夕暮れ時を過ぎ、夜になろうとしていた頃、ルーネベリはシュミレットの病棟を離れ。治癒者の治療を受けてから、徒歩で西南エリアに向かっていた。ルーネベリを今朝から悩ませていた筋肉痛が、治癒者からもらった薬を飲むと、急激によくなったのだ。ルーネベリは軽い足取りで、治癒の世界の通りを歩いていた。
治癒の世界では、患者と同じアパートに治癒者や奇術師が住んでおり。彼らにとって、職場が家でもあるのだ。必要のない術師たち専用の建物が建てられていないため、いくら歩いても、同じようなアパート形式の病棟ばかりに行きつく。たまに、公園のようなものがあるが、小さな広場に木々とベンチがあるだけ。いくらか歩いただけで、また、病棟群の中に入っていく。癒しの塔を省けば、北東エリアとまったく同じ風景だった。
そのせいか、ルーネベリはいつ西南エリアに入ったのかさえ、わからなくなっていた。だんだんと、空が薄暗くなり。「ここは、どこの辺りだろう」と、周囲をみまわしても、病棟の窓や、街灯の明かり点々とついているだけで、よく見えなくなっていた。
街道を歩いている人は、服に色々な形の発光ブローチをつけて歩いていた。近頃、第三世界で流行している機能性のあるファッションだ。ルーネベリは翌日の朝に出直そうかと思い、体の向きを変えた。ちょうど、後ろから歩いてきた誰かにぶつかりそうになった。
小さく声を発したのは、年老いた老人だった。老人は持っていたランタンを危うく落としそうになり、前屈みなった。
「すみません、よく見えなくて。お怪我はありませんか?」
ルーネベリは謝り、老人の体を支えるために手を貸した。すると、老人はにこやかに言った。
「いや、どうも。夜は視界が悪いですからな。私の方はこれっぽちも、心配ありませんよ。それより、そちらの方が心配だ。こんな暗い夜道を、灯りも持たずに歩かれ」
片手を振った老人は、ランタンの中に入った皿の上に塩の砂を盛り、それに火をつけて灯りにしていた。ルーネベリは首を撫でた。
「ちょうど今、帰ろうかと」
「帰られる?ということは、別エリアから来られたのですか」
「はい。北東エリアから来たのですが、この暗さでは」
「北東エリアから!こんな時間に出歩いて、お体に障りませんかな?」
「あぁ、俺はなんの病気もしていませんからね。師事している先生が、治療を受けているもので。お世話をするために、通っているだけです」
老人はあっと口を開けて、なるほどと頷いた。
「そういうことですか。だったら、近くの病棟に入って、空間移動装置にのるといいですな。一度、第三世界に寄らなければいけませんが、迷子にならなくてすみます」
「えぇ、そうさせてもらいます。親切にどうも、ありがとうございました」
お辞儀をして、ルーネベリは来た道を戻ろうとした。老人もまた、どこかに向かい歩きだしたが。数歩あるくと、なにかを思いついたように老人は振り返り、「もし」と言った。
ルーネベリが何事かと顔を振り向かせると、老人がせかせかと近づいてきた。
「どこかに向かわれているというなら、私が連れて行ってさしあげましょうか?」
一瞬、驚いて言葉に詰まった。
「ですが、それではご迷惑に……」
「かまいませんとも。どこに行かれるつもりだったのですか?」
老人が高くかかげたランタンの灯りが、ぼんやりと老人の顔を暗闇に浮かびあがらせた。短く刈り込まれた白っぽい髪、下がった目尻や頬の皺のたるみといい、気のよさそうな顔をしていた。親切を買ってでくれているのだろうか。ルーネベリは言った。
「はぁ……。場所というよりも、人に会いにいこうかと。その人物というのが、奇術師なのですが、どこに住んでいるのかも見当もつかないもので。もう、すっかり夜になってしまいましたしね。別の日でもかまわないのですよ」
「まぁ、そういわずに。思い立った日に会いにいくべきですよ。私は奇術師のことはわかりませんが。餅は餅屋に聞けというでしょう。奇術師に聞くのが早い。この辺りの病棟にも、奇術師が住んでいるはずです。訊ねたら、きっと教えてくれるでしょう」
老人はなにを聞こうとしているかのように、片手を耳に添えた。ただ、数十秒、その格好をしていただけだったのだが、老人は一人頷き。真横に建っていた病棟にランタンの灯りをむけた。
「奇術師はこの病棟の三階、四号室にいるそうですよ」
「四号室?そこに行けば、奇術師がいるということですか」
「そのようですな。どうぞ、行ってご覧なさい。外で待っていてくださるそうです」
ルーネベリは老人と病棟を見返した。なにをどうやったら、そんなことがわかるのだろうか。顎に手をあててルーネベリに、老人は「それでは」とだけ言って去ろうとしたので、ルーネベリは慌てて礼を言った。
老人に言われたとおりに、目の前にあった病棟の階段をのぼって三階までにいくと、階段をのぼった正面に、眼鏡をかけた男がルーネベリを待ちかまえるように立っていた。
首を隠すほど長い襟に、長袖、脛まである長いロングスカート。紫一色のワンピース仕立ての服に、右肩から左わき腹へ、暗い灰色のショールを巻いていた。時術師の仕事着だ。手に茶色いボールのようなものを持って手遊びしていた奇術師は、やってきたルーネベリに言った。
「老人が言っていた客人とは、君のことだろうね。奇術師を探されていると聞きましたが、誰に御用かな?」
「ジェタノ・ビニエという奇術師に会いにきたのですが。どこに、行けば会えるでしょうか」
「ビニエ?」
奇術師は目を見張り。眼鏡のフレームを顔に押しあてて、周囲深くルーネベリの全身をくまなく観察した。そして、ルーネベリの顔色がまともだとわかると、奇術師は「ビニエに人が会いにくるとはね、夢でも見ているようだな」と冷笑った。
「あと一日だけでも君の訪問が早ければ、会えたかもしれないが。あの男は、昼間に副管理者とともに査問委員に連れていかれたっきり、戻ってきてはいないよ」
「査問委員に連れて行かれた?それじゃあ、今晩はもう戻らないんですか」
「どうかな。昨日の騒ぎで――昨日の騒ぎを知っているかな?」
「昨日のことなら」と、ルーネベリが頷くと。奇術師も頷いた。
「それに、以前のこともあって、ビニエへの追及は避けられないだろう。運が悪ければ、奇術師の資格も剥奪されるかもしれない。気が狂う前までは、悪い男ではなかったんだが、人に好かれるような人間もでなかった。複雑だね」
ルーネベリは言った。「ジェタノ・ビニエとは、そもそも、どういう人物なのですか?」
「なんと、知り合いではなかったか。ビニエの知人だと思って、驚いていたころなのに」
「えぇ、知り合いではありませんね。ただ、俺の方で聞きたいことがあって訪ねてきただけです」
「それは、それは。知り合いでもないのに、特別ビニエに知りたいことがあるというのは。君も変った趣味の持ち主なのかな」
「変った趣味?」
「あの男は気が狂うより以前から、元々、おかしな男だった。とにかく、悪い男ではなかったのだが。薬の空瓶を集めて、そこに気味の悪い植物の種を植えて育てていた。収集癖のある変わり者だ。人に害を加えたりはしないが、陰気で、いつもボソボソと話す。あの男のといても、あまりにいい気分にはならなかった」
ボールを握り潰しながら奇術師は「でも、患者との付き合い方は、不思議とうまくいっていたようだ」と眉を下げて言った。ルーネベリは相槌を打った。
「ジェタノ・ビニエが平常心を失ったのはいつ頃なんですか?」
「二週間前か、三週間前そこらか。考えてみれば、それほど、経っていないな。夜中にビニエの家から奇声が聞こえてきて、徐々にといった風に、おかしくなっていってね。副管理者のトゥナート・ワール先生が心配なさって、ビニエの患者を代わりに診るようになってから、ビニエの悪質な行いは、さらにひどくなっていった」
「患者を取りあげられて、ひどくなった……。その他のことで、ビニエの身に何が起きませんでしたか。誰かと会っていたとか、何かおかしな出来事に巻き込まれたとか。ありませんか?」
「君も変った人だ。ビニエに興味を持つなんて」
奇術師はボールを地面に投げ、ボールが奇術師の手の中に戻った。
「そうだな、おかしなことだらけだが。あえていえば、夜中に楽園の使者が来たとビニエが叫んでいたことが、私には気になったかな」
「楽園の使者?」
「なんなのかねぇ。この辺に住んでいる人間は、ほとんど、『楽園の使者が舞い降りて、死者の屍の上を歩く』と、叫ぶビニエの声を耳にしている」
「楽園の使者が舞い降りて、死者の屍の上を歩く……?」
けったいな言葉をくりかえしたルーネベリに、奇術師は言った。
「韻を踏んだ言葉遊びのような、戯曲のような科白だろう。その言葉を繰り返し叫びながらビニエは泣いていたから、嫌でも覚えてしまったが。意味がわからない。楽園の使者と聞いたときは、変な物でも食ったのかと思ったよ」
ため息ついた時術師はボールを手の中にしまい、「知っていることはすべて言った。ビニエが戻ったら、連絡しようか?」と言った。
ルーネベリはふと目線をあげた。
――ジェタノ・ビニエの悪戯。奇行。楽園の使者という言葉。そして、シュミレットの書類に紛れ込んだ奇妙な依頼書。これは、なにかありそうだという、ルーネベリの根拠もない勘が働きだした。
返事を待つ奇術師に目線を戻し、ルーネベリは言った。
「いいえ、連絡までは必要ありませんよ。また、来ます。ありがとうございました」
最近、急に冷えてきましたね。
夜なんか靴下をはかないと、身震いしてしまうほどです。
こたつが欲しいこの頃……。
皆様、お風邪をひかれないようにしてください。
それでは、また次回!!




